KanonをD.CU 〜音姫編-帰ってきたもう一人の弟〜
目を覚ましたのは空腹からだった。チャンネルをずらした事による疲労に加え、過度の運動による消費によりただでさえ燃費の悪い俺の体はあまりあったはずの栄養を速攻で食いつぶしたのだ。
「何処かに行ったら酷いことをするんだから。」
「一生追いかけてやるわよ〜。」
物騒な寝言のお姫様達にちゃんと布団を掛ける。悪いな、二人とも。流石の俺も腹が減っちゃ台所に行くしかないんだ。
まさか、突然にいなくなったと言って騒ぐような二人じゃないだろう。俺は近くに転がってた浴衣を纏って、台所に行く。時計を見てみるとまだ朝早い。ここはしっかりと時間を掛けて栄養補給に努めよう。
さっさと料理を始める。一度食べ終わってから二人のでも作ろう。でもどうせだったら二人が作ってくれればいいのにな。今だからこそ待遇改善を求めたい。
「でも世間一般から見れば美少女二人を独り占めしてるからこれぐらい当然なのか?」
なんと言ったって美少女一人ではなく二人を独り占めしてるのだ。一人ならばまだしも二人。単純に考えて楽しさ2倍。そうだよなぁ、普通の人じゃまずあり得ないことを経験してるんだよなぁ。これぐらい大したことないよなぁ。
ベッドでのことを考えると笑みが溢れてしまう。いや、ちょっと待てよ。でも楽しさ2倍でも苦労が2倍になっちゃ意味がないんじゃないか?
工業化の基本と言われるスケールアップはコストを圧縮する方法で、大きければ小さいなりの苦労がまとまって対処が楽って事だ。だが俺のはついて回る苦労がまとまってない。むしろまとまるどころか大きくなってるんじゃないだろうか。こんな状態になる前ですら大変だったんだ。あれ以上大変になるってどれだけのことをやることになるんだよ。
「やっぱ、人を幸せにするのって大変なんだな。」
今更自分が不幸になるから幸せに出来ないとか言うつもりはないが、自分の幸せではなく体の方がボロボロになっていく気がする。せめて今回のように思い出だけでも残ってくれればいいけどなぁ。ボロボロになるのは体ぐらいであって欲しいものだとつくづく思ってしまう。
「しっかし俺は長生き出来るのかねぇ。」
何か明日には後ろから刺されそうだし、こんなのが毎日続いたら間違いなく過労死だ。二人ですら悲鳴を上げてる状態なのに、祖父は倍どころの話しじゃなかった。
「祖父さんは74まで生きたんだっけな。今の時代では早死にだが、よくよく考えてみれば長生きかもな。」
老いると言うことを知らない人だった。ひ孫もいるのに息子が生まれるんだからな。むしろ俺が生まれる前に死んでてもおかしくないぐらいだ。
「50ぐらいまで生きられたら御の字か。」
「50まで生きれば御の字。しかし彼は130まで生き、子供の数130を超えるのであった。」
なんて想像出来る未来なんだ。その声の出所を見てみると、シーツを纏った茜がいた。どうせ俺は祖父そっくりさ。祖父と同じように女癖悪いって言われるような男になっちゃうのさ。
「でも〜、可愛い子と付き合ってるからって私そっちのけは許さないんだからね〜。」
茜が俺をギュッと抱きしめる。後頭部に触れる胸の感触が生々しい。
「汗掻いて気持ち悪いだろ?シャワー、先に浴びろよ。」
「もう少し祐くんの臭いを楽しむ〜。」
そう言って抱きしめられると変なところが起きちゃうから。
「それとも一緒にシャワー浴びる?」
行ったら最後、本当に最後まで行っちゃうだろう。時計を見てみる。時間的には余裕がある。行ったところで問題なんてない。
「祐、祐!」
二人の距離が段々と狭まってる中、突然声が響いた。ヤバい。俺は急いで寝室に向かう。
そこでは杏が泣いていた。杏の母親が亡くなったときと同じだ。暗い部屋で誰かを捜してるように泣いてる。くそっ、あのときと同じと同じ目に遭わせてる。どこまで俺は馬鹿なんだ。
「俺はここにいる!お前は一人じゃない!」
あのときと同じように杏を抱きしめる。あのときと違って、ずっと小さく感じる。
「良かった。一人になったと思った。」
「早とちりなんてお前らしくないぞ。怖くなったら俺を呼べって言ってるだろ?」
あやすように頭を撫でる。どれくらい経っただろう。漸く杏は落ち着きを取り戻した。
「色々重なって色々思い出したみたい。ごめんなさい。」
「そう言うな。俺も忘れてたんだしさ。ほら茜と一緒にシャワーでも浴びて来いよ。」
「分かった。」
茜に促されるまま杏は部屋を出て行く。俺はそれを笑顔で見送るとドッと倒れた。
「杏がああなるのは少し考えれば分かったこと。だが音姫さんはどうなんだ?」
記憶を失う前の俺ならば知っていたかも知れない。音姫さんにとって俺はどれだけの存在であり、俺がこうなったことがどれほどの悲しみを生んだのか、今の俺には想像も出来ない。
謝ったところでどうにかなるとは思えない。でもそうやって見せることでしか関係を取り戻す手段がないのだ。無力に打ちひしがれるのはいつでも出来る。それを悟らせてはならない。
「さてと二人がシャワー浴びてる間に、朝食でも作るかな。」
今はまだ前に進むことだけを考えよう。重い体を起こし、再び台所へ戻る。
「祐くんなら大丈夫だよ。」
茜の声が聞こえた。魔術師に最も聞こえやすいだけの祖父と母が編み出した簡単な魔術。
「桜が枯れて、見えなくなったんだよな?」
茜のは魔眼ではなく、桜が叶えてくれた眼だ。当然、桜が枯れては見えないはず。
「う〜ん、完全にって訳じゃないんだよねぇ。やっぱ愛の力かな?」
茜はちょっと嬉しそうだが、俺としてはちょっと複雑だ。秘密を共有出来るって事は確かに嬉しいことだ。しかし逆に言えば巻き込んでしまうって事だ。今まで程度の物ならば嫌な物を見た程度で何とかなる。だがこれからも同じようなものであるとは思えない。
茜には悪いが発動条件は調べさせて貰う。エゴであろうとそれが幸せに繋がるのだ。
「とりあえず言っておくが、この会話は言葉に出さないと通じないんだからな?使うときはちゃんと周りを見ておけよ。」
「おっけぇ〜。」
言葉数少ないって事はちゃんと分かってるって事か。しっかし茜とこんな会話をするとはな。想像もしたことなかった。
「所詮、俺の想像なんて他愛ないって事か。」
よく周りが難しく考えるなと言ってた訳が分かる気がする。人生は想像通りに行く訳じゃない。人の動きも感情も、全ては流動的に動く。
だからこそその都度の感情を優先させよう。今は音姫さんの感じた不安を取り除く。それを優先すれば良いんだ。
時は人を変える。いつもの登校風景も心の変化で全然違う。
「茜、くっつくのは止めなさい。」
「え〜。」
いつも俺のことを支えてくれる察しの良い幼なじみが外聞を気にせずくっついてくる。いきなりこんなことし始めたら間違いなく誤解される。いやまぁ、実際その通りなんだけど大っぴらにする事じゃないだろ。
「茜、俺はまだ刺されたくない。」
「大丈夫。いける、いける。」
何がいけるというのだろう。茜の考えが全く分からない。
そしていきなり杏も俺の腕を取った。これって新手の嫌がらせなんだろうか。なんだかんだ言って二人は意地悪だからな。昨日の仕返しのつもりかも知れない。
「よっ、相変わらず両手に花だな。」
「朝はおはようだ、義之。」
振り返ってみると義之は由夢といっしょに苦笑いしている。ああ、言いたいことは分かってる。言わないでいてくれてることに感謝したい。
とそんな二人と違い、後ろにいる音姫さんは暗い顔をしている。頭痛が走ったのはこんな音姉を見たくないという俺の記憶がやっているのだろう。分かってる。こんな顔をさせない。だから今は黙ってろ。
「おはよう、音姉。暗い顔してどうした?」
精一杯の笑顔を浮かべて話しかける。すると音姫さんが驚いたような顔をした。たたみ掛ける。俺はこの人に笑顔を取り戻してみせる。
「昨日はちょっと言い過ぎて悪かった。俺さぁ、少しずつだけど思い出していくよ。だからさぁ、また笑ってくれると嬉しいよ。」
「弟君?」
「そ、俺は音姉の弟だよ。」
そう言うと突然音姫さんが泣き出した。記憶にないから全然こんなことになるなんて思わなかった。
「まどろっこしい。」
「わっ。」
突然、杏に蹴り飛ばされ、先にいた音姫さんを抱きしめた。すると音姫さんが俺をギュッと抱きしめてきた。ああ、こうやれば良いのか。
「ただいま、音姉。」
「お帰り、弟君。」
抱きしめた感触はどこか懐かしい。この人を幸せに出来れば良いな。思わずにはいられなかった。
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