愛と青春の日々 2
高級住宅街の中でも一際大きなマンションの前に車を止めたまま、シュウは電話を待っていた。クラウスが車を降り
てから三分。そろそろかかってくる頃だと思っていたら携帯が鳴った。
「シュウ殿、わざわざ息子を送ってくださったそうで、ありがとうございました。シュウ殿が付いてくださってるので、わしも
安心していられます」
在宅している時にはいつも必ずかかってくるクラウスの父親からのものだった。簡単に挨拶をして切ってから思わず
苦笑を漏らした。
超過保護な親にしてこの子あり、というところなのだろうか。もっとも、こうやって送ってきている時点で自分も一緒にな
ってベタベタに甘やかしているような気がする。
『だから今日のようなことになってしまうのかもしれない』
再びこみ上げてきた怒りを振り払うように車に乗り込んだ。
テレビ局でみんなが激怒している中、クラウスは一人理由が分からないで不安そうな顔をしていた。
クラウスを甘やかすつもりはない。だが、ああまで無防備な様を見せられると、守ってやらなければならないと思って
しまう。結果、クラウスはいつまでたってもお子様のままだ。
『鶏と卵の関係と同じだな』
普通のことなら多少痛い目を見ても、それがクラウスの為になるのなら放っておいた方がいいのだろう。だが性的な
事が絡んでくるとなると話は別だ。シュウの独占欲というだけでなく、クラウスが心身共に傷つくことになるのは避けたか
った。
シュウは胸の奥に燻っている憤りを吐き出すように深く溜息をつくと、気を取り直してエンジンを掛けようとした。が、何
かが引っ掛かかった。
『何だろう』
自分でも訝しく思いながら、ふと思い出してダッシュボードの煙草に手を伸ばした。
吸いたかったわけではない。元々そんなに好きでもなかったからクラウスの喘息が分かってからはキッパリとやめて
しまっていた。車内に置き忘れたままになっていた煙草は湿気っていてまずかったが、カモフラージュしたかっただけな
のだ。味などどうでもよかった。
一服吸い込んでこれ見よがしに赤い灯をともして、目をすがめて前方を見据えた。斜向かいに止めてある車が妙に
引っ掛かったのだ。
この辺りはトーキョーでも有数の高級住宅地である。殊にクラウスが父親と二人で暮らしているこのマンションは、外
観からも想像つくが桁外れに豪華な建物だ。
何度も送ってきているが、シュウがマンションの中に入ったことは一度もない。それでもクラウスの話を聞いてその大
きさに驚くことは多い。クラウスが未だにぬいぐるみなんぞを抱いて寝ているのは、部屋が広すぎて寂しいからではない
かとシュウは真面目に考えていた。
なにしろ部屋が8つもあって一番小さいのが住み込みのメイドの10畳の部屋だと言うのだ。「俺が住んでたワンルー
ムと同じじゃん」と呟いたシードに何を勘違いしたのかクラウスは「父と二人なので、それで十分なんです」ととんちんか
んな答えを返し、シードは思いっきり拗ねていた。
シュウ自身はかなり裕福な家に育っている。代々医者の家系で地元ではちょっとした名士である。だから少しくらいの
ことでは驚かないのだが、ウィンダミア家は格が違う、という気がした。
だがこの辺りには、そのウィンダミア家に匹敵するような家がゾロゾロあるらしいのだ。クラウスが自分の家をごく普
通の家だと考えているのは、周りがみんなそうだから、ということらしい。
つまりここはそれほどの高級住宅地だということだ。それなのにその車は国産の軽自動車だった。もちろん軽自動車
が悪いというわけではないが、この場所には不似合いな車だった。路駐ということからも分かるとおり、ここの住人の車
ではないし来訪者の車でもない。
何故、何のためにそんな車が止まっているのだろう。
明らかに違和感を感じさせられた。
だから気になって、しばらく様子を見たかったのだ。周りはもう暗闇に沈んでいるから遠目から煙草の火が見えれば、
シュウが車を止めていても怪しまれることはないだろう。
少し観察をして、やはりおかしいと思った。無人に見える暗い車内に小さい点のような赤い光が見える。それはシュウ
のような煙草の明かりではない。
『ビデオカメラのモニターか?』
モニターについているランプのように見える。一体何を撮っているのだろう。
まさかという思いがする。あの位置からだとこのマンションの入り口が撮れるのではないだろうか。さすがに正面では
ないからエントランスの中までは分からないだろうが、人の出入りくらいはチェックできるだろう。
ここには高級官僚や引退した政治家なども住んでいたはずだ。だから狙う対象がクラウスとは限らない。それでも気
になるのは、テレビ局での騒ぎが尾を引いているのだ。
マスメディアか、パパラッチか、行き過ぎたファンか、それとも別の誰かなのか。
マンション自体のセキュリティがしっかりしているのは知っている。二十四時間体制で管理人だけでなく警備員も入っ
ているから部外者が入り込むことは難しいだろう。
何かあるとしたらマンションの外に出てからだ。そう思ってから苦笑した。
『クラウス目当てだと決まったわけでもないのに』
そうは思うが不安は拭いきれない。とにかく事態を正確に把握することが先決だと思った。
まずビデオ撮影者の狙う対象が本当にクラウなのか、はっきりさせなければいけない。そして、もしそうなのだとした
ら、そいつの目的が何なのか、スキャンダルなのか金なのかクラウス自身なのかを調べなければならないだろう。
シュウはゆっくりと車を発進させた。どうやら車は無人でビデオカメラだけ置いてあるようだ。とすればここで待ってい
ても持ち主が何時間後に現れるか分からない。ナンバーはしっかり覚えた。偽造プレートかもしれないが調べる価値は
あるだろう。それにこの行為が今日一日だけのこととは思えない。必要なら明日もう一度、今度は専門家に任せて調べ
させればいいのだ。
翌日、クルガンはシュウから話を聞いて眉を顰めた。
「本当なのか?」
「俺の考えすぎかもしれないが」
「いや、やはり調べておいた方がいいだろう。ナンバーは分かるんだな」
「ああ、これだ。あんたなら調べられるだろうと思って」
クルガンの顔の広さと力の大きさは驚くべきものがある。警察だろうが興信所だろうが一言声をかければ喜んで働い
てくれる人間が何人もいるらしい。一体どういう経歴でそうなったのか、知りたいとも思わなかったから分からないのだ
が、こういうときに頼りになるのは間違いなかった。
クルガンは早速どこかへ電話をかけている。シュウはホッと肩の荷を半分下ろした気がしていた。いくらクラウスが心
配だと言っても悔しいが自分には出来ることと出来ないことがある。
「シュウ、ちょっといいかしら」
クルガンが電話を始めたことで二人の話は終わったと判断したのだろう。レオナが声をかけてきた。レオナの周りで
はワープのメンバー、メグとミリーとビッキーがいつものようにキャイキャイとはしゃいでいた。
「シュウさーん」
無邪気に手を振られて苦笑する。シュウはワープに曲を提供している。その関係で接触が多かったからか、少し近寄
りがたいと思われているシュウにも三人の少女は全然動じなかった。
最初、クルガンからワープに曲を書かないか、と言われたときは何を言っているのだろうと思った。
同じ事務所に所属しているワープは何曲もヒットを出している人気アイドルグループだったが、バラエティの仕事が多
かったのだ。個性的でちょっととぼけたキャラクターも嫌味がなく、何と言っても三人とも可愛いいからテレビでは引っ張
りだこで、自分たちのタイトル番組も持っている。今更デュナンの看板に頼る必要などない。
シュウは売れ線のアイドルの曲なんて書けないからと断ったのだが、クルガンは売れ線でなくて構わないと断言した。
要するにワープを徐々に方向転換させるための布石を今のうちから打っておきたいと言うのだ。
どうも不思議なのだが、クルガンは社長であるソロン・ジーよりよほど事務所内で力を持っている。実際に遣り手でも
あるし、何でマネージャーなどしているのだろうと思うこともしばしばだ。元々ベーシストで曲作りにも携わっていたのだ。
いっそのことプロデューサーの肩書きにでもすれば、と思うのだが、本人がマネージャーに拘っているのだからシュウが
どうこういう問題ではないのだろう。
とにかく三人のレッスンを見に来いとクルガンに押し切られた。
レッスン場で『なるほど』とシュウは思った。三人の声はとても綺麗だった。透明感があってのびがあってしなやかだ。
何よりも声質が似ているのが良い。その場で思いついたメロディを歌わせてみると見事にはもる。これは面白いかもし
れないと思って作った曲は、いきなり三人をアカペラで歌わせるものだった。
スタッフも三人のユニゾンの美しさに驚いたが、シングルにするには冒険過ぎるしカラオケ向きではないという意見が
大半を占めアルバム収録となった。が、結局アルバムに入れたその曲が評判を呼んで、シングルカットされたのだ。
もちろん、大ヒットとなったのは言うまでもない。
「何だ?」
「ファンからの要望でね、ワープの公式サイトにシュウのコメントを入れて欲しいの」
ワープのマネージャー、レオナが答えた。
「そんなことか」
そう言いながらシュウの目はミリーの左腕に釘付けになっていた。なぜだかミリーはいつも腕にぬいぐるみをくっつけ
ていて、シュウに向かってそれを動かしているのだ。
「ボナパルトがこんにちはって」
ミリーが真面目な顔をして言う。呆気にとられているとグイグイとぬいぐるみを顔に近づけてきた。
「こんにちはってボナパルトが言ってるの」
「あ、ああ、こんにちは」
「ワーイ、良かったね、ボナパルト。シュウさんが挨拶してくれて」
『これもこの子達の持ち味なのだ』
馬鹿なことをするなと言いそうになるのをぐっと堪えていると、クスッと横でレオナが笑う声がした。が、チラッとシュウ
が見ると慌てて顔を引き締める。
「じゃあ、コメント頼んだわよ」
三人をまとめてそそくさと歩きだしたのを引き留めた。
「ミリー」
「なあに」
「ぬいぐるみなんだが」
「ボナパルト」
「そうじゃなくて、熊のぬいぐるみがあるだろう」
「ボナパルトは熊じゃないの」
「だから」
「テディベアのこと?」
埒があかないと思ったのかメグが横から口をはさんだ。
「テディベアっていうのか」
「シュウさんでも知らない事ってあるんだ」
とメグ。
「クラウスもテディベア持ってたよね」
これはビッキー。
「ウソー、ホントー?」
「ファンの子がくれたんだって」
「いいなあ、私にもくれないかなあ」
「えー、ボナパルトの方が可愛いもん」
キャイキャイと話し始めて収拾がつかなくなる。
「エッと、それで用事は何なの、シュウ」
「いや、もういいんだ」
レオナがこめかみを押さえつつ三人をまとめて事務所を出ていった。
「テディベアがどうかしたのか?」
「いや」
いつの間にかクルガンがすぐ横に来ていた。
「車の持ち主が分かったよ」
「もう?」
さすがにシュウも驚いた。
「ああ、クラウスと同じ大学の学生だな。名前はマルロ。学部と学年も同じみたいだ」
「問題のありそうなヤツなのか」
「まだそこまでは分からない。明日ならもう少し詳しいことが分かると思うんだが」
「だがそうなると、やはりターゲットはクラウスということになるな」
「まず間違いないだろう」
会議室に場所を移して難しい顔をして話しているクルガンとシュウに、スタッフは誰も近づいてこない。怖がられている
というのもこういうときは便利かもしれない。
「クラウスには知らせた方がいいのだろうか」
「結果次第だが、難しいところだな。せっかくデュナンと大学生活を両立させているのに」
この場合一番問題なのは、何よりもクラウスの行動を無期限で制限することなど出来ないことだろう。
クラウスはデュナンで活動していても時間の許す限り大学に行って学生生活を楽しんでいる。周りの友達は幼稚園か
らの付き合いらしいから、気兼ねをしなくていいのだろう。無理を言って近づいてくるファンもちゃんと撃退してくれるらし
い。
『シーナと言ったか』
クラウスからしょっちゅう聞かされる名前でナンパのエキスパートらしい。クラウスのいうエキスパートがどの程度のも
のか分からないが、信頼しているらしいことは伺えた。
「大学での様子が分かればいいんだがな」
「シーナを探してみる。よく一緒にいるみたいだし機転の効きそうなヤツだったし」
「幼馴染みの友達か。しかし、連絡先が分からないだろう」
取り合えずクラブを回れば会えるかもしれないとシュウは思っていた。


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