愛と青春の日々 3 
          
           
          
           
          
          
           シーナには以前クラウスに紹介されて一度だけ会ったことがある。 
           
          
           その時に「クラブに来れば俺に会えるから」などといっぱしの遊び人のようなことを言っていたが、どのクラブに行けば
           
          いいというのか。シュウには見当もつかない。 
          
           取り合えず名前の知られたクラブを端から当たっていこうと決めた。 
           
          
           シーナを知っているスタッフは何人もいた。なるほど、豪語するだけのことはあるのだろう。だが、どのクラブに行って
           
          も「今日は見てない」という答えしか返ってこない。 
          
           シーナの目的はナンパなのだから客の女の子に聞いた方が効率が良いというのは分かっている。だが最初の店でう
           
          っかり声をかけた女の子がデュナンのシュウにナンパされたと勘違いして失神しそうに舞い上がっているのを見て、二
           
          度と客には声をかけまいと固く誓ったのだ。 
          
           だが、お陰で先行きがかなり暗いことを思い知らされた。大体、このトーキョーに一体何軒のクラブがあるのだろう。
           
          一軒一軒を当たっていくのは途方もない労力なのだと今更ながらに気がついた。 
          
          『ドラマのような訳にはいかないな』 
          
           だが他に方法もないのでどうしたものかと考えているとき、見覚えのある青年が近づいてきた。 
          
          「こんちは」 
          
          「シーナ?」 
          
          「すごい、俺の名前覚えていてくれたんだ」 
          
           すごい、と言いたいのはこちらも一緒だった。取り合えずドラマのような展開に感謝しなければいけないだろう。 
          
          「ちょうど良かった。探していたんだ」 
          
          「俺を?」 
          
          「ああ」 
          
          「じゃあさ、その用事が済んだら少し付き合ってもらってもいい?女の子達がデュナンと知り合いだって言っても信じてく
           
          れなくって」 
          
           シーナの目線を辿ると、モデル体型の美少女が二人こちらを見ている。全然気になんてしてないわ、という素振りをし
           
          ていたくせにシュウと目が合うと赤くなってそわそわしている。 
          
          「いつもデュナンの名前を出してナンパしているのか?」 
          
          「まさか」 
          
           シーナは面白そうに笑った。 
          
          「そんなプライドのないことしなきゃいけないほど落ちぶれてないって。けどさ、目の前にデュナンがいたら使わない手は
           
          ないかなあって」 
          
           ちゃっかりしたヤツだ。 
          
          「…こちらも協力してもらう以上しょうがないか」 
          
          「やったぁ。けど、協力って何?」 
          
           シュウは少し周りを伺った。ファンらしき子達は少し離れたところからこちらを見ているだけだから、ここで話をしても
           
          聞かれることはないだろう。 
          
          「人に聞かれたらまずいの?」 
          
          「察しがいいな」 
          
          「俺、要領で生きてるようなもんだから」 
          
           確かになかなか抜け目はなさそうだ。そういうしっかりしたところをクラウスが頼りにするのは分かる気がした。 
          
          「マルロって名前のヤツを知っているか?」 
          
           同じ大学だと思うのだが、と付け加える前にシーナが眉を顰めた。 
          
          「あいつ何かやった?」 
          
          「知っているのか?」 
          
          「ていうか、何でマルロを知っての?」 
          
           お互い質問に答えていない。思わず二人で笑いあうとギャラリーから「キャー」という声が上がった。 
          
          「ちょっとここ、場所良くないよね。出ない?」 
          
          「そうだな。だがいいのか、女の子は」 
          
          「うーん、ちょっと惜しいけど…。場合が場合だし、いいや」 
          
           シーナはあっさり言って女の子達に謝ると、シュウを促して外に出てしまった。背後で女の子達が派手に不満の声が
           
          上げているのが聞こえる。 
          
          「随分思いっきりがいいんだな」 
          
           少し呆れながらシュウが言うと「だってこっちの方が重要そうだからさ」と気にする様子もない。 
          
          「それよりどこで話そうか」 
          
           シーナは言ってニッコリ笑った。 
          
           
          
           
          
           
          
           誰にも話を聞かれないもっとも安全な場所。 
          
           結局、もっとも手近にある密室を選ぶことになった。つまりシュウの車に乗り込んで当てのないドライブに出たわけで
           
          ある。 
          
          「マルロってさ、変わってるんだよ。いきなり初対面のクラウスに伝記を書きたいとか言っちゃって」 
          
          「伝記?」 
          
          「何か英雄に憧れてるんだって」 
          
          「クラウスが英雄なのか?」 
          
          「あいつにとってはそうなんじゃないの。クラウスに憧れてるってことなんだろうけど」 
          
          「クラウスはマルロのことを何て言っているんだ?」 
          
          「最初はびっくりして、それは俺達もそうだったし。でもクラウスがそんなのオーケーするわけないじゃない。思いっきり
           
          謙遜してたし」 
          
          「そうだな」 
          
          「でも、ヤツ、諦めないわけ。っていうか、全てを記録するんだとかって張り切っちゃっててさ。どこへ行くにも付いてくる
           
          からクラウスも困っちゃったんだよね。で、少しやりすぎだと思ったから、いい加減にしろって俺達もきっちり釘差しとい
           
          たんだけど」 
          
          「クラウスが以前言っていた、お前がしつこいファンを撃退してくれたって言うのはマルロのことか」 
          
          「多分そうだと思う。他にあんな馬鹿な事するやついないし」 
          
          「そうなのか?もっと騒がれてるのかと思っていたが」 
          
          「クラブの女の子達見てたらそう思うかもしれないけど、大学ではそうじゃないんだな。元々下から上がってったヤツも
           
          多いし。あ、言っとくけど俺らの大学はエスカレーターって言っても内部で選抜試験がちゃんとあるんだからね」 
          
          「それくらい知っている」 
          
          「これ言っとかないと馬鹿だと思われるからな。まあ、そういう訳でクラウスのこと、元から知ってるヤツも多いから、そ
           
          んなに騒ぎにならないんだよ」 
          
          「マルロは大学からなのか?」 
          
          「当然。けど、あんな下手なやり方するのは、お勉強ばっかりしてきた証拠かな」 
          
          「下手なやり方?」 
          
          「そうだよ。あのね、女の子達だって賢いから『私あなたのファンです』なん言って近づいてこないんだよ。だって、それ
           
          言ったら<スターとファン>っていう上下関係が最初っから出来ちゃうだろ。より深くお付き合いするためには、普通の
           
          友達付き合いから始まって『私はスターのあなたじゃなくて素顔のあなたが好きなの』っていうのをアピールしないと」 
          
          「なるほど」 
          
          「だから大学にいる女の子は普通に友達として接してくるんだよ。密かに火花は散らしてるみたいだけど、絶対騒いだり
           
          特別扱いはしない。まあ、クラウスはああいう感じだから、友達だって言われたら友達だって思ってそれ以上には進展
           
          しないんだけどね」 
          
           シュウは吹き出した。 
          
          「普段の生活で接点がないファンの子達ならキャーキャー騒ぐのも分かるし、後を付いて来たがるのも分かるんだけ
           
          ど、周りがみんな普通にしてるのにマルロだけ『僕の英雄』みたいにしてるからちょっと目立ってたよね。浮いてたってい
           
          うか」 
          
          「それで、注意をしてからマルロは?」 
          
          「特に何にも。後付いてくることもなくなったし、物陰から覗いてるなんてのもなくなったみたいだから安心してたんだけ
           
          ど。それ以外は別に悪いヤツじゃあないと思うし」 
          
           そこでシーナはミネラルウォーターをごくりと飲んだ。 
          
          「俺ばっかり話してたけど、何かあったって事だよね」 
          
           シュウは昨夜の出来事を話して聞かせた。 
          
          「ああ、確かにマルロ、そういう車に乗ってたな。うちの大学じゃ珍しいから覚えてる」 
          
          「大学生のくせに高級外車を乗り回してるのが多いからな」 
          
          「まあね、金持ち多いし」 
          
           シーナはあっさりと肯定したが、不思議と嫌味を感じさせない。 
          
          「しっかし、家の方で張り込んでたとはなあ」 
          
          「伝記の内容は聞いたことがあるのか?」 
          
          「うん、おもしろ半分に聞いたことがある。伝記ってほど長生きしてないのに何書いてるのって」 
          
           そしてシーナはちょっと複雑な表情を見せた。 
          
          「ノート見せてくれて。俺、あれでちょっとまずいかもって思ったんだ」 
          
          「何が書いてあったんだ?」 
          
          「一つ一つは変な事じゃないんだ。クラウスがどこで誰と話をしてこういう時に笑ったとか、何時何分に居眠りを始めて
           
          目が覚めたときどうだったとか」 
          
           シーナは少し苦笑した。 
          
          「伝記っていうより、好きな女の子のこと一生懸命日記に付けてるみたいな感じがした。それだけならさ、微笑ましいっ
           
          て言い方も出来るとは思うんだけど、とにかく熱心にクラウスにくっついてきてたから、その情熱が妙なことになっちゃっ
           
          たら怖いかなって」 
          
          「ストーカーみたいな?」 
          
          「そう。マルロって基本的にそんなに変なヤツじゃないと思うんだ。クラウスも困ってはいたけど不愉快には思ってなかっ
           
          たみたいだし。それってやっぱりマルロが本当にクラウスが嫌がるようなことはしなかったからなんだよね。だからスト
           
          ーカーとか、そういうのとは違うと思う。だけどやっぱり、どこかで歯車がかみ合わなくなる事ってあるだろ?真面目で純
           
          情そうなヤツが一旦壊れると恐いしね」 
          
          「お前の目から見て壊れそうだと思ったのか?」 
          
           うーん、と少しシーナは考えた。 
          
          「……クラウスに夢見てるみたいなところは確かにあるんだ。それがエスカレートすると怖いなと思った。そんなバカな
           
          ヤツじゃないとは思うけど、そう言いきれるほど親しくないからね。それに、そうなったヤツに対してクラウスが上手く対
           
          処できるかっていったら」 
          
          「難しいだろうな」 
          
          「そう思うよね。もしかしたら意外な形でやってくれるかもしれないけど、そんな可能性に賭けるくらいだったら、そうなる
           
          前に釘を差しといた方がいいって思って。だから、こんなの伝記じゃないよって言ったんだ」 
          
          「マルロは納得したのか」 
          
          「多分。やっぱりそう思いますか、なんて言ってたし。だから、こいつは話せばちゃんと分かるヤツだなって思ったから、
           
          そんなのやめて普通に友達として接しなよって言ったんだ。それが出来ないなら、クラウスには迷惑だからもう来るなっ
           
          て」 
          
           そう言ってから憂鬱そうに付け加えた。 
          
          「それがまずかったのかなあ」 
          
           シュウとしても答えようがなかった。急に訪れた沈黙のせいで車内を重苦しい雰囲気が包んだ。 
          
          「マルロのヤツ、何考えてるんだろうな」 
          
           シーナがポツンと呟いた。 
          
           
          
           
          
           
          
           シーナから聞いた限り、マルロがそれほどの危険人物には思えない。だが、クルガンはリッチモンドという凄腕の探偵
           
          を雇って徹底的に調べさせていた。リッチモンドの調査は信頼できる。それでシロと出るまでは安心できなかったのだ。 
          
           そして二日後に出てきた調査結果はシーナの言葉を裏付ける物だった。 
          
           つまりマルロには問題になるような注意点が見当たらなかったのだ。今までの素行も全く問題がないし、何かの事件
           
          に関わったことも病歴も妄想癖もない。ごく普通の真面目で大人しい青年だったのだ。(シーナはなかなか人を見る目
           
          があるとシュウは少し感心していた)添えられている写真も誠実そうな人柄が窺えるものだった。 
          
          「どういうことなんだ」 
          
           シュウの疑問にクルガンも難しい表情で応えた。 
          
          「わからん。だがクラウスの身辺に張り付いていることは確かなんだ。マンションの入り口をビデオ撮影しているのも間
           
          違いない。その辺はリッチモンドも不審に思っているみたいだな」 
          
          「まさか、本当にクラウスの伝記を書こうとして一挙手一投足を記録しているのか」 
          
          「そんなもので伝記がかけるとは思えないが、もしかしたらな」 
          
           物凄く文学的才能に見放されていて記録とノンフィクションを勘違いしていたら、あり得る話なのかもしれない。かなり
           
          無理なこじつけだけども。 
          
           二人で考え込んでいると背後で女の子の華やかな声が上がった。 
          
          「クラウス〜」 
          
           驚いて二人で振り返るとクラウスがこちらに向かって小さく手を振っていた。 
          
          「もうー、クラウスは今日は私たちに会いに来たんでしょう」 
          
          「そーだよー」 
          
           メグとミリーの言葉にシュウもクルガンも納得した。今日は事務所によるような仕事はなかったのだが、ワープのお嬢
           
          さん方にお願いされたらクラウスに断れるはずがない。 
          
           だがマルロのことをさりげなく注意する良いチャンスかもしれない。 
           
          
           クルガンとシュウは目で確認するとボナパルトに挨拶をしているクラウスに近づいていった。 
          
          「どうしたんだ、クラウス。メグ達と約束していたのか」 
          
           クルガンの問いにはメグが答えた。 
          
          「そうなの。クラウスのテディベア見せてもらうの」 
          
           それだけのために呼んだのか、と少し呆れながらクラウスを見るとニコニコしている。 
          
          「だってすっごく可愛い子なんだってクラウスが自慢するんだもん」 
          
           ネーッと女の子達が声を揃えた。 
          
           見るとクラウスは小振りのボストンを下げているから、それに入っているのだろう。 
          
          「大学の帰りか」 
          
          「ううん、今日は休校だったから」 
          
          「じゃあじゃあ、またあの凄い車に乗ってきたの」 
          
          「あれは父の車だから私は勝手に使えないんです。ちゃんとバスで来たんだから」 
          
           心なしかクラウスは得意そうだった。以前メグ言うところの凄い車で事務所に乗り付けたのをワープにしっかり見られ
           
          ていて、散々「お坊っちゃまなんだねー」と言われたのを気にしているらしい。そうでなくてもデュナンの中で子供扱いさ
           
          れているから、ちゃんと一人で行動できるという所を見せたかったらしい。だが…。 
          
          「バスより電車の方が速くない?」 
          
          「え?だってほら、駅までバスに乗らないと遠いでしょう」 
          
          「…クラウスって田舎に住んでたんだっけ?」 
          
           メグにはよく分からないらしい。ワープの三人は都心のマンションで共同生活をしているから、滅多にバスなど使わな
           
          い。だが、クラウスの住んでいるような超高級住宅地では逆に電車の駅などないのである。公的交通機関はバスのみ
           
          なので酷く不便なのだが、そういうところの住人は各人車を所有しているから通常は何の問題もないわけだ。 
          
          「ねえ、クラウス」 
          
           それまで黙っていたビッキーがおもむろに口を開いた。 
          
          「そのボストン、ファスナー開いてるけど中身大丈夫なの?」 
          
           確かに横に大きく開いている。慌てて覗き込んだクラウスが呟いた。 
          
          「どうしよう、テディベアがない」 
          
           
          
           
          
           
          
          「ちょっと悪質だな」 
          
          「ああ」 
          
           事務所のスタッフも一緒になってぐるりとボストンバッグを囲んでいる。ボストンはただファスナーが開いていたのでは
           
          なく、ファスナーの布地の部分を刃物で切り裂かれていたのだ。 
          
          「バスの中ですられちゃったんじゃないの?」 
          
           きっとそうだよ、酷いよねーっとワープの三人は言っているが、普通テディベアなんかすらないだろう。大体そんな物を
           
          すられたら、いくら何でも気付きそうなものだが…。 
          
          『クラウスぼんやりしているし』 
          
           多かれ少なかれみんながそう思っていた。だが、クラウスは別のことを言いだした。 
          
          「バスを降りてから転んじゃったから、その時に落としたのかもしれない」 
          
           上手く人波に乗れなくて躓いたらしい。 
          
          「だが、問題なのはいつ落としたかじゃなくて、いつバッグを切られたか、だろう?」 
          
           クルガンに言われてクラウスは浮かない表情で頷いた。 
          
          「プロのスリの手口だと思うんだが、しかしテディベアなんて持っていくだろうか」 
          
          「でも、それしか入ってなかったら持っていくかも」 
          
          「うんうん、自分の子供にあげようって思ったかも」 
          
           深刻な話をしていてもワープが入ってくると何やら笑い話のようになってしまう。 
          
          「最初はすろうと思ってたんだけどテディベアしかないんで止めちゃって、その後クラウスが落とした可能性もあるわよ
           
          ね。こんなにおっきな穴になってるし」 
          
           レオナが折衷案を出してきた。それが何となく可笑しかったのか誰かがクスッと笑い、少しだけ場が和んでいた。タイ
           
          ミング良くヨシノがお茶を出してくれて、それでようやくみんなの緊張が解けてきたようだった。 
          
          「すみません。私がうっかりしていたせいで。バスが混んでたからそこでやられちゃったのかもしれないです」 
          
           クラウスが神妙な顔をして頭を下げた。 
          
          「電車は混んでなかったのか?」 
          
          「電車には乗らなかったんです」 
          
          「何で?」 
          
          「転んだところを友達に見られちゃって。危ないからって車で送ってくれたんです」 
          
          「そのお友達の車も凄い車なの?」 
          
           ミリーの言葉にクラウスは頭を振った。 
          
          「軽自動車だから。でもね、すごく偉くて、自分でアルバイトして買ったんだって」 
          
           シュウがハッとするとクルガンもまさかという顔をしていた。 
          
          「クラウス、その友達って」 
          
           シュウの言葉にクラウスがニッコリと笑って答えた。 
          
          「マルロっていうんです。大学で同じ学部なんですけど」 
          
           
          
           
           
          
           
          
           
           
          
           
          
                
          
           
          
            
          
          
           
           
          
           
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