愛と青春の日々 5
「ちょっとシーナったら。もうっ!」
ごめんっ、と叫んでシーナは駆けだしていた。これ以上ぐずぐず言われたら堪らない。こっちは誠心誠意謝ってるんだ
から察してくれよ、と思っていた。
そりゃあ今日の約束がダメになった理由をちゃんと説明しないのは悪いと思う。だけどクラウスが心配だから、なんて
本当のことを言ったら絶対余計怒るに決まってるんだ。
シーナだって最初は彼女が納得できるように上手く言うつもりだったのだ。どうせクラウスは本を読んだりして時間を
潰しているだろうから、ちゃんと時間をかけてフォローをしてから戻るつもりだった。だが、話をしている最中にフッと思
い出したのだ。
朝来たとき、学生用の駐車場には確かにマルロの車が置いてあった。『ああ、午後の講義はクラウスも一緒だから家
には張り込んでないんだな』と思ったのだから間違いない。その講義が終わったんだから当然マルロも車に戻るだろ
う。その駐車場にクラウスを一人待たせているのは非常にまずいんじゃないか?そう気が付いたら落ち着いて話なん
かしていられなかったのだ。
『そんなバカなヤツじゃないと思うけど』
マルロが何かやると決まったわけではない。でも、もし何かあったらと思うと気が気ではなかった。
足には結構自信がある。全力で駆けながら人を避けたり階段を飛ぶように降りたりして、我ながらカモシカのようだと
思っていたが、駐車場に着いたときにはそんな暢気な考えはどこかに吹き飛んでいた。
『やっばー。クラウスどこ行ったんだよ』
シーナのポルシェの側にクラウスの姿は見えない。マルロの車はどこだっけと視線を巡らせて不審な男に気がつい
た。
くたびれたトレンチコートを着たボサボサ髪の男は明らかに部外者だ。
「ちょっと、あんた」
ずけずけとシーナが声をかけたのは、その男が持っている物に見覚えがあったからだ。
「それ、クラウスのリュックだろ?何であんたが持ってんだよ」
「君はクラウスの友達か?車はあるのか?」
怯むかと思った男は意外にもシーナに詰め寄る勢いで聞いてきた。
「あるけど、一体…」
「早く追ってくれ。クラウスが拉致された」
「拉致…?」
シーナは呆然と呟いた。
「ああ、全く俺としたことがドジを踏んじまった。あんたにあんなに言われてたのに本当にすまない」
助手席の男は携帯で誰かに謝りまくっている。
「いや、今は車だ。これがとんでもないポンコツで」
なんだと?俺のポルシェをポンコツだとぉ。このクソ探偵めっ。
「いざって時にエンジンが掛かりやがらねぇ。通りに出たときには見失っちまって」
デリケートな車なんだからしょうがないだろっ。女の子みたいに優しく扱ってやらないといけないのに、横から早くしろ
だの何だのって煩く言うから…まあ、確かにこんな時は困るんだけど…。だけど、そもそもあの時点で追いかけて間に
合ったのか?
もっとも、さすがにそんな反論はできなくてシーナも黙りこくってハンドルを握っていたのだが。
「とにかくヤツの立ち回りそうなところを片っ端から当たってみる。それであんたに頼みがあるんだが、警察に顔は利い
たよな。ヤツを追っている刑事がいるんだ。その刑事ならもっと詳しい情報を掴んでいると思うんだが、どこかに飛ばさ
れちまって所在が分からないんだ。腕はいいんだが独断捜査が多くて上の連中に睨まれてるらしくて。…ああ、すま
ん。じゃあ、そっちの方は頼む」
携帯を切ると男がせかせかと煙草を取り出したのを見てシーナは咳払いした。
「ここ禁煙」
男は軽く舌打ちしたが大人しく煙草をポケットにしまった。
「本当はペットも厳禁なんだけど」
「そりゃあ、悪かったな」
「ペットを連れてる探偵なんて聞いたことないよ」
「ああ、俺も他には知らないな」
シーナは溜息をついた。
『なんだってこんな中年男を助手席に乗せなきゃいけないんだろう。男でもクラウスくらい綺麗ならいいけどさあ』
「何ブツブツ言ってるんだ」
「え?ぶっさいくな犬だなと思って」
「こりゃ猫だ。なあ、ビアンカ」
シーナは思いっきりこけた。
「あーもー、あったまくる。あんた」
「あんたじゃない。俺はリッチモンドって言うんだ」
「じゃあ、リッチモンドさん。俺まだ何にも聞いてないんだけど、あんたマルロがクラウスのこと拉致ッたの黙って見てた
のか?」
「クラウスを拉致したのはマルロじゃない」
「え?」
「いいよなあ、国産の車は。軽でもスタートがいいもんなあ。狭いとこにも入っていけるし」
「なにそれ、クラウス拉致したのは別のヤツでマルロはそれを追いかけてるってこと?」
「なかなか察しがいいな」
「あんたに褒められても嬉しくないや。で、何?クラウスのこと調べてたの?」
「いや、調べてたのはマルロの方だ。クルガンさんに頼まれてね」
「クルガンって…デュナンのマネージャーだっけ?」
「そうだ。全く俺もこんな失態は久しぶりだ。マルロに問題はないと思っていたから油断してた。まさかクラウスがあの男
と一緒にいるとは思わなかったからな」
「クラウスを拉致ったヤツ、知ってるの?」
「ああ、ネクロードって言ってな。以前探った別の事件に関わってたヤツなんだ。直接の関係者じゃなかったんだが、妙
に気になってな。それで調べてみたら、胡散臭い噂がゾロゾロ出てきた」
「やっぱりストーカーなの?」
「ストーカーというか、偏執狂というか…。難しい言葉はよく分からんが、とにかくやってることは滅茶苦茶だな。ヤツの
回りで何人も女性が行方不明になっている」
「それって凄くやばくない?」
「ああ。警察だってマークしてるんだが、はっきりした証拠が何もないから手が出せないんだ」
「…クラウス、大丈夫なのかよ」
「だから早くヤツを押さえないと」
「今向かってるのはヤツの家?」
グンッとアクセルを踏み込んでシーナが確認した。
「ご名答。本当にカンがいいな、お前。俺の助手やらないか」
「やだよ」
リッチモンドも本気で言ったわけではないからフッと鼻で笑ってから気遣わしげに呟いた。
「上手く家に戻ってくれてればいいんだがな」
「大丈夫だよ。そのネクロードってヤツだって自分の正体がばれてるとは思ってないだろ。多分いるよ」
「そう願いたいな」
だが、ネクロードのアパートは引き払われた後だった。
「一体どういうことなんだ」
社長のソロン・ジーが落ち着きなく歩きながら、もう10回目くらいになるセリフを口にした。
「ですから、今シュウから説明があったとおりでして」
しかたなく総務部長のフリードが答えるが、これも10回くらい同じ答えだった。
「しかし、その話のどこにもネクロードなんていう男は出て来ないじゃないか」
だからそれが分かればこうして雁首揃えてねぇんだよ、と言いたいのをシードは何とか堪えていた。
「不幸中の幸いだったんですよ」
カミューがサラッと言った言葉に誰もがギョッとした。
「あ、別に幸いって喜んでいるわけじゃないですよ」
少し肩を竦めると、カミューはいつもと変わらない表情で淡々と話し始めた。
「たまたま別の件でクラウスの身辺に気をつけていたら、たまたま本物のストーカーが引っ掛かってきたって事でしょう。
本当ならクラウスが拉致されたことなんて誰も知らなかったはずなんです。それを考えたらこうやって早い時点で対策を
打てるだけでも良かったんです。ですから落ち着いて最善の手を尽くしましょう」
カミューの落ち着いた様子にソロンはようやく椅子に座って口をつぐんだ。
今までウロウロしていたソロンを鬱陶しく思っていたシードは『さっすがカミュー』と拍手をしたい気分だったが、マイク
ロトフはハラハラしていた。
他の誰が気付かなくてもマイクロトフには分かる。カミューは間違いなく腹を立てていた。
カミューはクラウスがストーカーに狙われているかもしれないという重大事をクルガンとシュウの二人だけで解決しよう
としていたことが不満だったのだ。何故自分に知らせてくれなかったのだろう。知らされたからといって何が出来たかは
分からないが、それならリーダーとしての自分の存在というのは何なのだろうと思っていた。
さすがに大人だからこの場で不満をぶちあげるようなことはしなかったが、マイクロトフが気付いてしまうくらいには頭
に来ていたのだ。
「それでクルガンは何をやっているんだ」
沈黙に耐えられなかったのか、やっぱりソロンが口を開いた時、ドアが開いてクルガンが入ってきた。
「遅いじゃないか…」
何をやっていたんだ、と続けようとしたソロンが息を飲み込んで口を閉じたのは、クルガンの後から大男が入ってきた
からだ。
「熊?」
シードが呟くとその大男はニッと人好きのする笑みを見せた。
「こちらは刑事のビクトールさんとフリックさんだ」
熊のような大男に気を取られていたが、もう一人細身の二枚目がいた。そのフリックと呼ばれた青年は困ったという
表情を隠していなかった。
「ここは管轄外なんだ。また勝手なことをしたら今度こそお前の首が飛ぶぞ」
「バカ野郎、ネクロードが悪巧みしてるってのに黙って見てられる訳ないだろが。それに拉致された場所によっては管轄
内になるかもしれねぇだろ」
フリックはこれ見よがしに溜息をついてみせたが、それ以上引き留めないところを見ると一緒に付き合ってやるつもり
らしい。
「それでクラウスは無事なんですか。ネクロードの居場所は分かったんですか」
カミューが開口一番、核心をついて一気に場が緊張した。
「リッチモンドから連絡が入ってネクロードの住まいは引き払われていたそうだ」
クルガンの説明を聞いて、誰かが呻き声のようなものを漏らした。
「荷物は大家が処分したから引っ越し先は分からない。知人関係にも当たったらしいが誰も知らないそうだ」
「元々人を頼りにするようなヤツじゃねぇ。事が誘拐だしな。多分、どっかに新しい隠れ家でも作ったんだろう」
「そんな悠長なことを言ってていいのかっ」
暢気とも取れるビクトール刑事の言葉に我慢できなかったのか、ソロン・ジーが立ち上がって叫んだ。
「もっと大がかりな捜索をするべきじゃないのかっ。いや、それよりクラウスのお父上にも早く知らせないと。それに金は
幾らくらい用意しておけばいいんだ?」
事務所としては事を穏便に済ませられればそれに越したことはないはずなのだが、ソロンはそんなことよりクラウスの
ことが心配らしい。お坊っちゃま育ちと陰口をたたかれるソロンだが、こういう人の良さが好ましくもあるとクルガンは思
っていた。ビクトールも「あんた、いい人だな」と言っている。
「まあ、とにかく今のところはクラウスも無事だと思うから落ち着いてくれよ」
え?と全員が驚いてビクトールを見た。
「俺はネクロードのやり方をよく知っている。だから信じてくれ。クラウスは無事で、まだ指一本触れられちゃいない。だ
が、それも明るいうちだ。夜になったらヤツは行動を起こす。なんたってドラキュラ伯爵を気取っているからな」
「何だって?そんな頭のイカレた野郎なのかよ」
シードの言葉にフリックが頷いた。それを横目で見ながらビクトールが続けた。
「だから迅速に行動に移す必要があるんだ。幸い、こっちには有利な材料が2つある。1つはマルロがヤツの後を追い
かけていること。もう1つはネクロードが様式に拘ることだ」
「様式?」
「そう。様式って言うか儀式かな。ヤツなりに神聖なやり方っていうのがあるらしくて、幾つか決まった行動パターンがあ
る。その中で一番確実なのが指輪なんだ」
「はぁ?」
誰かが間抜けな声を出したが、誰も笑わなかった。
「ほら、あるだろ。ドラキュラ伯の花嫁みたいな映画がよ。ああいうのを気取ってるんだよ。それで攫われて花嫁にされ
ちゃ、たまらねぇよな」
「クラウスは男だが」
ソロンの言葉にビクトールは苦笑いした。
「まあ、あれだけ可愛きゃな。顔だけじゃなくて、何か雰囲気がこう、汚いことは何も知りませんって感じだろ。もろヤツ
のタイプだな」
「それと指輪とどういう関係が」
カミューが軌道修正した。
「だから、ヤツは花嫁に愛の証として必ず指輪を贈るのさ。先祖伝来の結構立派なやつだ。それを決まって同じ職人に
頼んでサイズを直させている」
「愛の証を使い回してるんですか?」
「そういうことになるな。あの野郎の考えてることは俺には分からないがな。ま、そんなわけでその職人に連絡したんだ
がここ最近ヤツからサイズ直しの依頼は来てないらしい。ってことは、ヤツはクラウスの指輪のサイズを知らなかったっ
てことだ」
「そうだろうな」
これはクルガンが答えた。
「しかも華奢とは言っても男の子だ。女性と同じサイズってことはないだろ。だから絶対ヤツはその職人の所に指輪を
持ってくる筈なんだ。今まではこんな風に被害者が拉致されてすぐ動く事なんて出来なかったから、後手後手に回らざ
るを得なかったが、今回は違う。絶対逃がしゃしねぇ」
「本当に大丈夫なのか?」
「ああ、俺以外にもネクロードを追ってる刑事がいて、そいつがもう張り込んでる。他にも幾つか手立てを持っている。だ
からこっちは任せてくれ。あんた達はマルロの方を頼む」
そういったビクトールの顔からはもう笑顔は消えていた。
シュウは車の中でハンドルに凭れながらジッと前を見つめて、なるべく感情を押し殺すように努力していた。
既に日はとっぷりと暮れている。これは「夜」なのだろうか、それともまだ「夕方」なのだろうか。
あの刑事は自分たちは有利なのだと言っていた。だが、まだ何も連絡がないと言うことは、あちらもはかばかしい成
果が上がっていないのだろう。
そして、それはこちらも同様だった。マルロと連絡を付けることが出来ないのだ。
結局、マルロとの窓口にはシーナが一番適任だろうということで二人でマルロの家の前に張り込んでいるのだが留守
で誰もいないのだ。一番良いのはマルロの携帯に掛けることなのだが、シーナがありとあらゆる人脈を使って調べた結
果、誰もマルロの携帯番号を知らなかった。というより、もしかしたら持っていないのかもしれないと言う結論に辿り着い
ていた。それでもマルロが自宅に電話をする確率は高いから、とにかくここで誰か(できれば本人が)帰ってくるのを待
っているのだ。
「今日、本当に定休日なのかなあ」
シーナが言っているのはマルロの家族がやっている店のことである。
「もしそうならリッチモンドから連絡が入るはずだ」
シーナだって分かっているのだ。だが、ただ待っているのがこれほど辛いことだとは思わなくて、ついつい色んな事を
考えてしまう。
「ごめん、ちょっとイライラしちゃった」
「それはお前だけじゃないさ」
「そうだよね。……カミューさんって、いつもあんな感じ?」
「あんなって?」
「んー、上手く言えないけど、なんかツンツンしてなかった?」
「ああ。今回のことで腹を立てているんだろう」
ネクロードにも腹を立てているだろうが、直接の原因はおそらくシュウとクルガンだろう。それは当然だ。もし自分がカ
ミューの立場だったら同じように思うはずだ。何故、知らせてくれなかったのか、と。
『謝らないといけないな』
決してカミューを蔑ろにしたつもりはない。けれど今回は心配のあまりクラウスのことしか見えなくなっていた。はっきり
したことが分かるまでは、と言いながら一人で突っ走っていたかもしれない。
『まさか俺がこんな風になってしまうとはな』
自嘲の笑みが漏れる。
せめてメンバーにはうち明けておくべきだったのだろう。特にクラウスはカミューに懐いている。話もうまいしカミューな
らストーカーのことをうまく伝えることが出来たかもしれない。それで今回のことが防げたかどうかは分からないが。
それにしてもシーナは本当に観察眼が鋭いと思う。シュウだってマイクロトフがカミューを気遣うようにハラハラしてい
るのを見なければ気が付かなかったかもしれないのに。
当の本人はシュウの答えで納得したのか、またさっきと同じように外を見ている。
「あっ」
助手席のシーナが声をあげた。
「すげぇ美人」
確かに美人が向こうから歩いてくる。
「ちょっと色っぽいよね。お水系かな」
その声に弾んだものを感じて、シュウは少し可笑しかった。さっきまでクラウスを心配して青い顔をしていたのに。
「切り替えが早いやつだな」
「だってさ、綺麗なものは綺麗だし…あっ…」
今度こそ二人で顔を見合わせた。その美人は鍵を取り出すとトントンと石段を上がり、マルロの家の玄関の前に立っ
たのだ。
シーナは車を飛び出していった。
突然出てきたシーナにその美人は驚いたようだったが、シーナは学生証を見せながら何事か話している。暫く話をし
た後、二人で一緒に家の中に入っていった。
家に明かりがついて、それまでただの冷たい箱だったものが急に暖かみのあるものに変わって見えた。それだけな
のにシュウの中にホッとしたものが流れ込んでくる。
『何か連絡が入っていてくれればいいのだが』
早く良い知らせが欲しい。シーナが出てくるのをジリジリとして待ちながら、一向に進む気配のない時計に何度も目を
やっていた。
やっと(といっても実際には5分ほどだったのだが)シーナが出てきてこちらを見ると手をクロスさせた。覚悟はしてい
るつもりだったが落胆する気持ちはどうしようもない。
「留守電には何も入ってないし、マルロはやっぱり携帯持ってないんだって。一応、俺の携帯の番号教えて何かあった
らすぐ知らせてって言っといたけど」
戻ってきたシーナに「そうか」とだけ答えてシュウは携帯でクルガンに連絡を入れた。心なしかクルガンの声も沈んで
いる。
そのまま放り投げるように携帯をダッシュボードの上に置くとシーナがこちらを伺うように見ているのに気が付いた。
「何だ?」
「ううん、別に…あのさ、あの美人ってマルロのお姉さんなんだって。全然似てないからびっくりしちゃったよ。しかも江戸
っ子みたいにポンポン喋るんだ」
気を引き立てようとしてかシーナが明るい声を出したが、シュウは返事をする気にもならなかった。
シーナにもそれが分かったのだろう。それ以上話を続けようとはしなかった。
黙りこくった車内は重苦しい雰囲気に包まれていた。
「あのさ、もしかして」
どれほど経った頃かシーナが口を開いた。
「シュウさんってクラウスのことが好き?」
何も答えなかったが、肩がピクリと動いてしまった。
「やっぱりそうなんだ。何か、この間も一生懸命だと思ったんだよね」
「………勝手に決めるな」
「良いじゃん、隠さなくっても。クラウス凄く可愛いし性格良いし、好きになるの分かるよ。大変だと思うけどね」
「何が?」
「だってメチャメチャ奥手だもん。クラウスって恋愛の雰囲気が分からないから、その気にさせるの大変だよ。今までだ
って結構もててたのに本人全然気付いてなかったし。先輩に迫られたこともあったんだよ。けどキョトンとしてて…。あ
れ、絶対自分がどういう状況にあったかなんて分かってなかったよな」
その時の様子が目に見えるようで思わず笑みが漏れた。つられてシーナも軽く笑っていた。
「…無事だといいよね」
そう、無事であって欲しい。
ネクロードの罪状は誘拐、監禁、婦女暴行…。はっきりとは言わなかったがビクトールという刑事は被害者の行方が
分からないことから殺人まで疑っているらしい。
もう8時を回っている。これは立派な夜だ。全く無事というわけにはいかないだろう。それでも、どんな状態でもかまわ
ないから生きてさえいてくれれば良いと思っていた。
「ちょっと煙草を吸ってくる」
そう断って外に出たのは涙が出そうになったからだ。全く、らしくもない。
夜空を見上げながら、無闇に煙草をふかしていると「シュウさーん」と呼ぶ声がした。
振り向くとシーナが窓から身を乗り出して携帯を振り回していた。


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