愛と青春の日々 8 
          
           
          
           
          
          
          「本当に君には何と礼を言ったらいいか。ありがとう」 
          
           クルガンが深々と頭を下げ、クラウスも一緒に頭を下げるとマルロは本当に困ったような顔をしていた。 
          
          「そんな、いいんです。それよりこんな大騒ぎになってるなんて知らなくて、連絡が遅くなってすみませんでした」 
          
           今度はマルロがクルガンに謝り、クラウスも慌ててクルガンに頭を下げた。 
          
          「君たちのことは警察が責任を持って保護すると言っているが、ネクロードの行方が分からない以上、安心は出来な
           
          い。私たちは都内のホテルに部屋を取っているんだが、君たちもご家族と一緒に来た方がいいんじゃないか」 
          
          「僕達なら大丈夫です。刑事さんもいてくれるし、今日中に帰れるか分からないし」 
          
          「ごめんね、迷惑掛けて」 
          
          「そういう意味じゃないんだ。クラウス気にしないで」 
          
           マルロは慌てて否定したが迷惑でないはずがない。二人はこれから非公式ではあるがカーンという刑事に色々話を
           
          聞かれるらしい。もちろん、クラウスも事情を聞かれるだろうが、それは明日になってからだとクルガンが言っていた。 
          
           大変な思いをして疲れているのはマルロもコウユウも一緒なのに申し訳ないと心の底から思う。 
          
          「では、後日改めてお礼に来させてもらう。刑事さんがお待ちかねのようだからな」 
          
           苦笑するカーンにも挨拶をすると、クルガンに促されてクラウスはアパートを辞去した。 
          
           アパートから少し離れた通りに止めてある車まで、クルガンはしっかりとクラウスの肩を抱いてゆっくり歩いてくれた。
           
          クルガンはクールに見えるけれどクラウスにはいつも暖かい心遣いを見せてくれる。けれど、こんな風に甘やかすよう
           
          な事をしてくれたことは今まで一度もない。どれだけ心配を掛けてしまったのか改めて思い知らされた。 
          
          「心配かけてごめんなさい」 
          
           クルガンは立ち止まるとふんわりと優しい笑顔を見せた。 
          
          「本当に無事で良かった」 
          
           しっかりと抱きしめられてクラウスはやっと体中の緊張が解けていくような気がしていた。 
          
           
          
           
          
           
          
           クルガンが運転する車はホテルに向かっていた。 
          
           車内にはクルガンとクラウスの二人しかいない。刑事が護衛に同乗しようとしてくれたのだがそれは断っていた。クラ
           
          ウスが周囲の人間にとても気を遣うタチなのは分かっている。知らない人間なら尚更で、例えそれが護衛の刑事だとし
           
          ても同じ事だ。そんなことでクラウスを疲れさせるのは可哀想だ。自分も些か武道の心得があるし、刑事は別の車で付
           
          いてきていれば、今日のところは十分だろう。 
          
           それよりも今はクラウスをゆっくりと休ませてやりたい。 
          
          『そうでなくても大変な目に遭ったのだ』 
          
           クラウスの手に鈍く光っている手錠も問題だったが、それ以上に首筋に残っている痣に肝が冷える思いがしていた。 
          
           クラウスが連れ去られたと分かってから、クルガンは努めて冷静に行動していたが常に最悪の事態が頭の中を占め
           
          ていた。時間が経てば経つほど殺される危険性は高くなる。そうなる前に何としてでも救い出さねばならない。 
          
           どう転んでもレイプされているのは間違いないだろう、という暗澹たる気持ちはもちろんあった。クラウスの衝撃は計り
           
          知れないだろうし、その後遺症が大きいことも十分推測できたが、命さえあればクラウスが立ち直れるようにどんな手も
           
          尽くそうと思っていたのだ。 
          
           それが本当に無事に戻ってきてくれたのだ。どんなに嬉しかったことか。 
          
           だが、首の痣は一歩間違えれば取り返しの付かないことになっていた事を如実に表していた。 
          
           マルロとコウユウの話を聞いてビクトールとフリックはネクロードが犯行に使った家にすっ飛んでいった。ネクロード本
           
          人を捕まえることはもちろんだが、殺人の証拠になるものを処分されてはどうしようもないからだ。 
          
           幸いにもその地域は二人の管轄内だったので、匿名の電話が入ったことにして踏み込んだのだが、ネクロードは部
           
          屋に戻っておらずビクトールは地団駄を踏んで悔しがったらしい。が、とにかく室内の酷い荒れようと証拠品の数々に、
           
          所轄署は事件として調査を始めるらしい。 
          
           この件にクラウスが関わっていたことは出来るだけ伏せておきたかった。もちろん、今後の経過を見て事件を公にす
           
          ることもあるかもしれないが、少なくとも今はそっとしておいてやりたい。 
          
           クルガンは助手席に座っているクラウスの表情を窺い、心持ちゆったりと座っていることにホッとしていた。少なくとも
           
          アパートで再会したときのような緊張しきった顔ではない。 
          
           と、クルガンが見ていることに気が付いたのかクラウスが不思議そうな顔をして見返してきた。 
          
          「疲れてるんじゃないのか」 
          
           ううん、とクラウスは首を振った。 
          
          「少し目を閉じているだけでも大分違うぞ」 
          
           大丈夫、と言ってからクラウスは少し面映ゆそうな顔をした。 
          
          「心配させたのにこんな事言ったらいけないんだけど、クルガン、凄く優しい」 
          
          「当たり前だ」 
          
           手を伸ばして髪をクシャッと掻き回すとクラウスははにかんだ笑みを見せた。 
          
          「さっき、びっくりしちゃった」 
          
          「そうだな」 
          
           自分でも意外だったのだ。安心したあまり思わず抱きしめていた。シードには見せられない図だったなと苦笑する。 
          
          「シュウがあんな事を言っていたから余計に心配した」 
          
          「シュウが?」 
          
          「お前が泣いていたって」 
          
           そう、クラウスが泣いていると言ってシュウが狼狽えていたのだ。 
          
           あの冷静沈着で少しくらいのことでは動じない、殊によったら自分よりも肝が据わっているのではないかと思う男が、
           
          信じられないくらい動揺していた。クラウスの電話と平行してシーナがクルガンに電話をくれていなければ、そのままシ
           
          ュウは一人であのアパートまで行っていたに違いない。それどころか下手をすると犯行現場まで乗り込んだのじゃない
           
          かというくらいの勢いだったのだ。自分では手に負えないと判断したシーナに呼ばれてシュウを思い留まらせるのに、ど
           
          れくらい時間が掛かったか。 
          
           とにかく、クラウスを休ませるために取ったホテルのスウィートルームでスタッフと一緒に待てと説得したのだが、あの
           
          シュウがこんなに取り乱すほどクラウスの状態が酷いのかと、実はクルガンもかなりの覚悟で来たので、申し訳なさそう
           
          な顔をしているクラウスを見たときには拍子抜けするくらいだったのだ。 
          
          『まったく、シュウがクラウスを憎からず思っているのは知っていたが、これほどとは思ってもいなかった』 
          
           そう思ってクスリと笑うとクラウスは真っ赤になった。 
          
          「子供っぽいって呆れてたでしょう」 
          
           そう言ってクラウスはモジモジと手錠をいじっている。 
          
          「泣くつもりなんかなかったんです。それまで全然平気だったし。なのにシュウの声を聞いたら急に涙が出ちゃって」 
          
           それをシュウに言ってやったら喜ぶだろうに。 
          
          「どうしてシュウには子供っぽいところばかり見られちゃうんだろう。私だってネクロードとは駆け引きもしたし、物凄ーく
           
          冷静に行動してたんですよ。だからシュウに私がとってもしっかりしていたって言ってくださいね?本当にちゃんとしてた
           
          でしょ」 
          
           力説しているクラウスは自分の中に芽生えている感情には全く気付いていないらしい。シュウも前途多難なことだとク
           
          ルガンは少し同情していた。 
          
          『しかも全くの無意識で、あのシュウをあそこまで振り回していたのか。こりゃ、シュウに勝ち目はないな』 
          
           真剣に見上げてくるクラウスにクルガンは苦笑して頷いたが、クラウスがカチャカチャといじっている物を見て溜息を
           
          ついた。 
          
          「どちらにしても、それを早く外さないとな」 
          
           クラウスは自分が弄んでいた手錠を改めて見ると、神妙な面もちで頷いた。 
          
           
          
           
          
           
          
           クリスタルのシャンデリアが煌びやかな輝きを投げかけているホテルのロビーに入ってクルガンが忌々しそうに呟い
           
          た。 
          
          「部屋で待ってろと言ったのに」 
          
           視線の先には、デュナンのフルメンバーに事務所のスタッフ、それにシーナまでいた。 
          
          「これじゃあ、目立ってしょうがない」 
          
           だが一応端の方のソファだったし、皆クラウスを心配して沈み込んでいたからか、揃ったメンバーの割には目立って
           
          いない方だった。 
          
           その中でシュウがまっ先に気付いて立ち上がった。つられて全員が立ち上がりクラウスを見つけてワッと歓声を上げ
           
          た。途端に華やいだ雰囲気になるのはさすが芸能関係者の集団というところだろうか。 
          
          『頼むから駆け寄ったりするなよ』 
          
           そんなことをしてファンに見つけられて騒ぎになったら目も当てられない。が、さすがにみんな分かっているらしく、二
           
          人がさりげなさを装って歩いてくるのを辛抱強く待っていた。 
          
          「ご心配をおかけしてすみませんでした」 
          
           クルガンにピッタリ寄り添ったままクラウスは頭を下げた。本当はきちんとお辞儀をしたかったのだが、どうやっても右
           
          手の手錠を隠せなくてクルガンと腕を組む形で誤魔化していたのだ。 
          
           そこへずかずかとシードが近づいた。 
          
          「いやあ、ほんとに良かったな」 
          
           そう言いながらグイッとクラウスの頭を抱き寄せた。目はクルガンを睨みつけてたから腕を組んでいるのが気に入ら
           
          なかったのかもしれない。だが「うわっ」と言ってバタバタさせたクラウスの手に下がっている物を見て目を見張った。 
          
          「マジかよ」 
          
          「あ、これ取れなくて。でも、全然大丈夫ですから」 
          
           一瞬にして厳しい顔つきになった周囲にクラウスが慌てて言い添えたが、シュウは目聡く首筋の痣に気付いていた。 
          
          「これは」 
          
           だが、クラウスは何を言われたのか分からなかった。 
          
          「この痣は?」 
          
           聞くまでもなく指の跡だというのが分かる。ところがクラウスはシュウの指が首に触れるまですっかり忘れていたから、
           
          やっと思い出してぽややんと答えた。 
          
          「そういえば、少し首を絞められて…」 
          
           これには思わず笑いが漏れた。本来なら笑うところでは決してないのだが、どうもそういう雰囲気に欠けるクラウスの
           
          様子がほとんどいつも通りだったので誰もがホッとしたのだ。 
          
          「とにかく部屋に入ろう」 
          
           そう言ってクルガンが促した時、「すみません」と声をかけられた。 
          
          「デュナンの皆さんですよね。サインが欲しいんですけど」 
          
           どうしよう、とカミューに視線で尋ねられてクルガンは頷いた。 
          
           色紙とマジックを差し出している相手を無碍に断るわけにはいかない。下手に断って騒がれるのも困るし、クラウスの
           
          右手が見られないように誰かが壁になればいいのだ。 
          
          「いいですよ。全員のが欲しいんですよね」 
          
           カミューが如才なく答えてサラサラと色紙にマジックを滑らせる。クラウスはシュウに電話で迷惑を掛けて、と謝ってい
           
          たからカミューが「はい」とマイクロトフに色紙を回しているのを見て初めて気が付いた。 
          
           シュウはそれまで「泣いてたんじゃないですから」と一生懸命言い訳をしていたクラウスが急に目を見開いて押し黙っ
           
          たので不審に思った。 
          
          「どうしたんだ、クラウス」 
          
           クラウスはギュッとシュウの袖口を握って何事かを告げようとしたが、何かから視線をはずせないまま小さく震えてい
           
          る。 
          
           まさか、と思ってシュウが振り向くと、三十絡みの男がクラウスのことをジッと見ていた。そしてシュウが見ていることに
           
          気が付くとニヤリと笑った。 
          
          「こいつか?」 
          
           クラウスを背に庇いながら小声で尋ねると後ろで頷く気配がした。 
          
           ネクロードがゆらりと歩いてくるのを見てクラウスは悪夢を見る思いでシュウの腕にしがみついていた。そして、それ
           
          が結果としてシュウの動きを制限することになることまでは残念ながら頭が回っていなかった。 
          
           ネクロードはシュウの前に来ると握手のつもりか手を差し出したが、もちろんシュウが応じるはずもない。 
          
          「おや、せっかくこちらが礼を尽くしているというのに」 
          
           そういうとネクロードは憎々しげに唇の端を歪めた。 
          
          「それは私の物だ。返して貰おう」 
          
          「冗談じゃない。断る」 
          
           ネクロードがクラウスに手を伸ばしたのをシュウが振り払い、一瞬で揉み合いになった。 
          
          「あの人、ナイフ持ってるわ」 
          
           どこかから女性の鋭い悲鳴が聞こえて、ロビー全体に緊張が走った。 
          
           ネクロードがシュウに向かってナイフを振りかざしたのとクラウスが「危ないっ」と叫んだのと、どちらが先だっただろう
           
          か。 
          
           次の瞬間、シュウに突き刺さるかと思ったナイフは床に滑り落ちていた。 
          
           マイクロトフが絶妙のタイミングで手刀を出して叩き落としたのだ。更にマイクは鮮やかな身のこなしでネクロードの顎
           
          を蹴り上げるとアッという間に組み伏せていた。 
          
          「すげぇ、かっこいい〜」 
          
           シーナの呟きはそのままロビー全体に浸透して拍手喝采となっていた。 
          
          「全く見事なもんだぜ」 
          
          「ああ、こっちの出る幕がなかったな」 
          
           ビクトールとフリックがぼやいている。 
          
          「おい、いたんならそんな暢気なこと言ってないで」 
          
          「ああ、分かってるって」 
          
           クルガンの抗議をあっさりと退けてビクトールが手錠を掛けた。 
          
          「やっとてめぇを捕まえられた。今までの悪事を全部暴いてやるから楽しみにしてろ」 
          
          「おまえ…あの刑事だな。あの女の兄だとか言ってた」 
          
          「デイジーだよ。てめぇが手に掛けた女の名前くらい覚えておけ」 
          
           ネクロードが引き立てられていくと再び拍手が鳴り始めた。その多くは犯人逮捕に協力したマイクロトフに向けられて
           
          いる。マイクロトフは「困ったな」と言いながら軽く手を挙げて応えていた。 
          
          「シュウ、大丈夫だった?怪我はない?」 
          
          「ああ大丈夫だ。クラウスは?」 
          
          「私は何とも…。ありがとう、庇ってくれて」 
          
          「いや」 
          
          「ほんとにごめんなさい。私がしがみついてなかったら、あんな危ない目に遭わなかったのに」 
          
          「そんなことはない。気にするな」 
          
          「あのねぇ」 
          
           クラウスがハッと見上げると、カミューがニッコリと華やかな笑みを見せていた。が、目が笑ってない。 
          
          「ナイフ男と戦ったのはマイクロトフなんだけど」 
          
          「ああああっ」 
          
           クラウスは慌ててマイクロトフに駆け寄った。米つきバッタのように礼を言うクラウスにマイクはますます困っているよう
           
          だった。 
          
           
          
           
          
           
          
          「えー、それではホテルで暴れた男を取り押さえたデュナンのマイクロトフさんにインタビューです」 
          
          「犯人と格闘したとき怖くありませんでしたか」 
          
          「1日どのくらい鍛えてるんですか」 
          
          「今回の件でファンの方も大変心配されたと思うんですが、プライベートでも心配をされた方とかいらっしゃらないんです
           
          か」 
          
           テレビの中で何人ものレポーターにマイクを突きつけられてマイクロトフは緊張しているようだった。カミューがクスッと
           
          笑う。 
          
          「悪い事したわけじゃないんだから、もっと堂々としていればいいのに」 
          
          「しかしだな。あの人達は一見にこやかにしてるがマイクを突きつける輪がドンドン狭まってくるんだぞ」 
          
           クラウスがうんうんと頷いた。 
          
          「怖いですよね」 
          
          「いや、怖いというわけではないが」 
          
           クラウスと一緒にされては沽券に関わると思ったのかマイクロトフは一応否定したがカミューは楽しそうに笑っている。 
          
           結局、事務所のスタッフがいたことも幸いして、打ち合わせで集まっていたデュナンが偶然事件に巻き込まれたと世
           
          間には説明されていた。新聞の見出しにも『デュナンお手柄』の文字が踊っている。もちろん裏でクルガンが働きかけ
           
          た結果だが、一日経ってネクロードの犯行の大きさが明らかになるにつれてクラウス誘拐の件を公にするまでもなく、も
           
          十分起訴できるということだった。 
          
           お陰でテレビ局の仕事に穴を開けることなく、こうしてワイドショーを見ながら楽屋で楽しく話もできるわけだ。 
          
          「クルガンが言ってたけど、もしかしたら表彰されるかもしれないってさ」 
          
          「それは凄いな」 
          
          「そ、そうだ、ミネラルウォーターがなかったんだ。買ってこないと」 
          
           シュウにまで言われて困り果てたマイクロトフが何とかこの場を逃れようと口実を作って楽屋を出ようとすると「私が買
           
          ってきます」とマイクロトフが止める間もなくクラウスが飛び出していった。 
          
          「当分、マイクのためなら何でもやってくれそうだね」 
          
           カミューがまたクスクス笑った。 
          
          「だけどあいつ、本当にラッキーだったよな。ネクロードのヤツ、犯罪史に残るくらいのことをやってたらしいから」 
          
          「そうだな」 
          
           シードの言葉に誰もが頷いた。本当にラッキーの積み重ねのお陰なのだ。 
          
          「前からちょっと思っていたんだけどさ、案外クラウスって強運の持ち主だと思わないか」 
          
           そういえばデュナンがいきなり大ヒットを飛ばしたのもクラウスが入ってからだっけ、と何となくみんなが納得していた。 
          
           
          
           
          
           
          
           クラウスが廊下の自販機でミネラルウォーターを買おうとしていると、後ろからポンと肩を叩かれた。振り返ったクラウ
           
          スは「あっ」と小さく声を上げると逃げようとした。 
          
          「おいおい、酷いな。逃げることはないだろう。私と君の仲なのに」 
          
           どんな仲だというのだろう。この男、ラウドに会ったら逃げろとシュウからも言われている。無視して歩き去ろうとした
           
          がラウドに遮られてしまった。 
          
          「二日前はご活躍だったらしいじゃないか」 
          
          「それはマイクロトフです。私は一緒にいただけで何も出来ませんでした」 
          
          「フーン。おたくの事務所じゃいつもスウィートルームで打ち合わせをするのかい?」 
          
          「……堅苦しいのじゃなくて内輪のパーティを兼ねていたんです」 
          
          「パーティねぇ。何のパーティだか。案外あのマネージャーともいい仲なのか」 
          
          「何が仰りたいんですか」 
          
           どうしてこの男はよく意味の分からない、それでいて人の神経を逆なでするような嫌なことばかり言うのだろう。 
          
          「俺が聞いた話だと、あんたが手錠をしてたっていうのがあったんだが」 
          
           包帯は見えていないはずだけど、と思いながら思わず右手首を隠してしまう。 
          
          「…ほう、その顔を見ると本当みたいだな。そういうプレイが好きなのか?」 
          
          「プレイって?」 
          
          「ハハッ、なるほど、そういう顔で男をたらし込むわけだ」 
          
          「何なんですか。あなたは」 
          
           クラウスは真剣にムッとしていた。シード流に言うなら「むかつく」というやつだ。 
          
          「そんな勿体ぶらなくてもいいだろう。今度は是非俺もホテルに招待してほしいね」 
          
           そういうとラウドはクラウスの腰に手を回してグイッと引き寄せた。 
          
          「何をす…」 
          
           クラウスは背筋を悪寒が走り抜けるのを感じた。ラウドの言葉ばかりではない。凄く嫌な感触がしたのだ。 
          
          『何だか分からないけど、こういう時は…』 
          
           遠慮をするなと言ったシュウの言葉が蘇ってきた。 
          
          「いやーっ」 
          
           悲鳴と同時にクラウスは身体を翻すとラウドの股間に膝蹴りをかまし、更にマイクロトフから教えられた護身術でラウ
           
          ドの手を捻り挙げて床に押さえつけた。 
          
          「痛ててて、バカッこの野郎、離せっ」 
          
          「いやっ」 
          
          「やだあ」 
          
          「きゃー」 
          
           ハアハアと肩で息をしながら落ち着かなきゃと思っていた。自分でも思いがけないくらい鮮やかに技が決まって、ラウ
           
          ドはもう抵抗はできないのだ。だから落ち着いて、悲鳴も止めて…。 
          
           あれ?と、そこで初めて気が付いた。これは自分の声じゃない。あまりにも自分の気持ちとシンクロしていたので自分
           
          が悲鳴を上げている気になっていたが、クラウスは最初っから声を出していない。それにこれはどう聞いたって女の子
           
          の声だ。しかもユニゾンで…。 
          
          「キャー、お尻触ったぁ。やだ、エッチィ」 
          
           だがクラウスに振り返る余裕はない。ラウドがバタバタと暴れてちょっと力を緩めると逃げてしまいそうなのだ。ギュウ
           
          ギュウと押さえつけながら、どうしようと思っていた。マイクから押さえつけるところまでは習ったのだが、その後どうして
           
          良いのか分からない。 
          
          『ええっと、一昨日マイクはどうしてたっけ』 
          
           駄目だ。クラウスはシュウの事が心配でマイクがどうしていたのか全然見ていなかったのだ。 
          
           そうこうするうちに、人が集まってくる気配がする。 
          
          「どうしたの、何かあった……」 
          
           集まってきた人たちが絶句している。それはそうだろう。仮にも人気俳優が人気アーティストに押さえ込まれて、横で
           
          は女の子が悲鳴を上げているのだ。 
          
          「お尻触ったのぉ」 
          
          「うっそ、ミリーちゃん。まさかラウドさんに?」 
          
           泣きそうな声で訴えているミリーに集まった中で一番偉いプロデューサーが確認を取るように聞いてきた。 
          
          「冗談じゃない、誰が触るかっ、お前ら見てないでこいつをどけろよ」 
          
          「嘘ッ、お尻触ったじゃないっ!」 
          
           仁王立ちになったメグが厳しく詰め寄った。 
          
          「ミリーもちゃんと見たもん。お尻触ってたもんっ。ね、ビッキー」 
          
          「うんっ、お尻触ってた」 
          
           ザワザワとどよめきが広まった。 
          
          「なになに?ミリーがお尻触られたって」 
          
          「いや、触られたのはメグらしい」 
          
          「ラウドさんってロリコンだったのかあ」 
          
           漏れ聞こえてくる声にラウドは赤くなったり青くなったりしている。 
          
          「まあ取り合えず、クラウス君。手を離してやってくれるかな」 
          
           プロデューサーに言われてクラウスが手を離すと、ラウドはクラウスを突き飛ばすようにして立ち上がった。クラウスは
           
          横で見ていたADにぶつかるくらいに飛ばされて、そこに至ってようやく人々はラウドに非難の目を向けた。 
          
          「ふざけんなっ、なんで俺がこんな小娘の」 
          
          「じゃあ、何でクラウス君に技を決められてたんです?」 
          
          「そ、それは」 
          
           さすがに本当のことは言えないのかラウドが言葉に詰まった。ヒソヒソと交わされる囁き声に居たたまれなくなったの
           
          か、殊更に大きな声で反駁した。 
          
          「だから、違うと言ってるだろうが。こんな……お前ら、いい加減なことを言うと名誉毀損で訴えるぞ」 
          
          「まあ、ラウドさんもそんなに大声を出さなくても。わざとじゃなかったんでしょう。はずみでちょっと触れちゃったんですよ
           
          ね」 
          
          「そうじゃないっ」 
          
           だがプロデューサーが囁いた。 
          
          「この辺で引いておかないと、色々面倒なことになりますよ。何たってロリコンにセクハラじゃあ、事実がどうだろうと分
           
          が悪い」 
          
          「う……」 
          
           パンパンとプロデューサーが手を叩いて辺りを静めた。 
          
          「はい、もう騒がないで。ちょっとした誤解みたいだからね」 
          
          「えぇ〜」 
          
           ワープの三人は不満の声を上げたがプロデューサーに頭を下げられてさすがに口を閉じた。彼女たちもきちんと引き
           
          際は心得ているのだ。 
          
          「じゃあ、良いね。みんなも余計なことは言わないように」 
          
           そう言ってその場を納めるとプロデューサーはラウドを伴って去っていった。だが、二人の姿が見えなくなると集まった
           
          人々はクラウスをワッと取り囲んだ。 
          
          「いやあ、見直したよ。クラウス君」 
          
          「ホント。女の子を守るために偉いわ」 
          
          「え、いえ、あの」 
          
          「見かけに寄らず男らしいんだもん。見直しちゃった」 
          
          「ボナパルトもびっくりしてるよ」 
          
          「ホントホント、凄いよねぇ」 
          
          「デュナンって単なる優男の集団じゃなかったんだな」 
          
           答えるまもなく周りの人に褒めそやされてクラウスは真っ赤になっていた。 
          
           
          
           楽屋に戻ってから事情を一通り説明し終えてようやくクラウスはホッと肩の力を抜いた。 
          
          「でも、上手い具合にみんなが誤解してくれて良かったじゃない」 
          
           レオナが笑みを見せながら言った。 
          
          「ホント、お嬢さん方がそんなに芝居が上手いとはね」 
          
           シードがちゃかすとビッキーが不思議そうな顔をした。 
          
          「でも私、嘘なんて言ってないよ」 
          
          「あ、そういえば私も」 
          
           と、メグ。 
          
          「ミリーも」 
          
          「なかなか役者が揃ってるね、ウチの事務所は」 
          
           カミューの言葉にみんなで笑っているとクルガンが戻ってきた。 
          
          「今向こうの社長から詫びの電話が入ったよ。もう二度とあんな事はさせないとさ」 
          
          「あったりまえだ。バカだぜ、あいつ」 
          
           シードの言うとおりだった。 
          
          「どちらにしても僅か3日の間で連続の武勇伝だ。もう、うちの連中に手を出そう何て不埒なことを考えるヤツはいない
           
          だろう」 
          
           クルガンの言葉に久しぶりに和やかな笑い声に包まれた。 
          
           
          
           
          
          「よくやったな」 
          
           帰りの車の中でシュウに褒められてクラウスは嬉しかった。 
          
          「私もラウドには頭に来てたんです。だってネクロードのことも全部あの男から始まったみたいで」 
          
           それからふと気が付いてシュウに尋ねた。 
          
          「そういえば夜のおも…」 
          
          「クラウスッ、その話はもう忘れろ。いいなっ」 
          
           なんだかシュウは少し赤くなっているようにも見える。だから大人しく頷いた。 
          
          「はい」 
          
           素直な返事にシュウはホッとした。 
          
           もちろん、クラウスが『いつかきっと意味を調べよう』と心密かに決心しているなどとは思いも寄らないシュウであった。 
          
           
          
           
           
          
          fin.   
          
           
          
           
           
          
           
          
                
          
           
          
            
          
          
           
           
          
           
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