愛と哀しみのボレロ 2 
          
           
          
           
          
          
           シードの電話は「とにかく早く来い」の一点張りで、シュウが事故を起こしたということ以外詳しいことは分からなかっ
           
          た。それで3人で慌てて車に乗り込んで病院に向かっているのだが、ハンドルを握りながらマイクロトフは助手席のカミ
           
          ューが気になって仕方なかった。 
          
           カミューは軽く頬杖をついて黙って窓の外を見ている。マイクロトフの方からは頬から顎に掛けてのラインしか見えなく
           
          て(それすらもカミューは綺麗なのだけれど)そんな風にマイクロトフから顔を背ける時、カミューは大抵イライラしている
           
          のだ。 
          
           以前、それを指摘したら「そういう顔をマイクに見られるのは嫌なんだ」と言われてとても嬉しかったのだが(カミューは
           
          それを失言だと思っているらしい)いざこういう場面に出くわしてみるとどうして良いのか分からない。 
          
          『シードは何をやってるんだ』 
          
           カミューが苛つくのも無理はない。あれからシードに連絡を付けようとしても携帯が繋がらないのだ。 
          
          『これでドッキリだなんて言ったら2、3発殴ったくらいじゃすまさないぞ』 
          
           もちろん、ドッキリの方がいいに決まっているのだが、カミューを悩ませたというだけで万死に値するとマイクロトフは
           
          真剣に思っていたりする。 
          
           息をするのも憚られるような沈黙の続く中で突然カミューの携帯が鳴り響いた。 
          
          「シードッ?」 
          
           間髪入れずに出たカミューの声は硬い。 
          
          「今まで何をして……うん、ああ携帯が使えなくて…シード、テレカを探してた話はいいから。それよりシュウはどうな
           
          の?無事なのか?」 
          
           ああ、そうかとマイクロトフは苦笑した。病院内で携帯電話は使えないから公衆電話を使おうとしてテレフォンカードを
           
          探していたということなのだろう。コインで電話をしてもいいだろうに躍起になってテレカを探していたあたり、シードもか
           
          なり混乱しているらしい。 
          
           携帯を切ったカミューはポツリと「今、手術中なんだって」と言った。それから少し何か考えている風だったが、急に思
           
          い出したのか後部座席を振り向いた。 
          
          「クラウス、大丈夫?」 
          
           つられてマイクロトフもバックミラーを覗くとクラウスが真っ青な顔をして頷いていた。 
          
          「シードの口振りだとシュウは大したことなさそうなんだけど、まだ治療が終わってないから何とも言えない。ただ、かな
           
          りスピードを出していたらしくて、多分廃車だろうって」 
          
           クラウスが息を飲む声が聞こえたが、カミューは淡々と続けた。 
          
          「3台くらいと接触して、結構大きな事故だったらしい」 
          
           重苦しい沈黙が続いた。 
          
          「それで、相手の車は?」 
          
           躊躇いがちに尋ねたマイクロトフにカミューは深い溜息をついた。 
          
          「聞くの忘れた…」 
          
           何事にも卒がないカミューには珍しいことだったが、それは当然だとマイクロトフは思っていた。 
          
           カミューとは長い付き合いになるが、自動車事故に関わった事なんて一度もなかったはずだ。それだけでも衝撃なの
           
          に、カミューにはデュナンのリーダーとしての責務がある。 
          
           こんな事を言ってはいけないのだろうが、マイクロトフが事故の一報を聞いた時にまっ先に思ったのはシュウが無事
           
          かどうかということだったが、次いで考えたのはデュナンのスケジュールのことだ。自分でさえそうなのだからカミューの
           
          感じる負担はいかばかりかと思う。 
          
           シュウの容態、被害相手の状態に賠償、今後の活動、マスコミ対策、制作中のアルバム。ざっと考えてもこんなにあ
           
          る。もちろん、事務所やクルガンが解決してくれることも多いだろう。けれど対外的な場面で矢面に立つのは全てカミュ
           
          ーである。 
          
           起こってしまったことをぐずぐず言うつもりはない。ただ、自分はそんなカミューに対して何をしてやれるだろうと考えて
           
          しまうのだ。 
          
          「シュウ、いつもは安全運転なのに…」 
          
           再び沈黙の降りていた車内でクラウスが消えそうな声で呟いた。 
          
          「ああ、シュウらしくないな」 
          
           あれだけクラウスを大事にしているシュウがクラウスを乗せて無謀な運転などできるはずないのだが、そうとは言えな
           
          くて無難に相槌を打っていた。 
          
           だが、カミューは別のことを言った。 
          
          「高速らしいんだ、事故ったの。だからスピードが出ていて」 
          
          「スタジオからシュウの家まで高速道路なんか使うのか」 
          
           思わず言うと、バックミラーにクラウスが頭を振るのが見えた。 
          
          「高速なんて使いません。どうして…」 
          
          「具合悪そうだったのに、どこへ行こうとしたんだろうな」 
          
           何気なくそう言うとカミューが苦しそうな顔をした。 
          
          「一人で帰さなければよかった」 
          
          「いやっ、別にカミューのせいではないぞっ」 
          
           慌てて取りなしたがカミューは首を振った。 
          
          「いつもと明らかに様子が違っていたんだ。誰が見ても具合が悪そうだったのに、一人で運転なんてさせるべきじゃなか
           
          ったんだ」 
          
          「いや、しかし、シュウは家へ帰ろうとしたわけじゃない。具合が悪ければ真っ直ぐ家に帰るだろう。寄り道したって事は
           
          別の用事があったって事だし、具合が悪かったら他の用事をすまそうなんて思わないだろう。よしんば悪かったとしても
           
          シュウだって大人なんだし自分で判断してやったことなんだから、それはカミューが責任を感じる事じゃない」 
          
           カミューの負担を減らしてやりたいと思っているのに自分の何気ない一言が更にカミューを追いつめてしまうのかとマ
           
          イクロトフは必死だった。 
          
           カミューはとても頭が良い。如才ないし、しなやかな精神は少しくらいのことではびくともしなくて時にはとても強かにさ
           
          え見える。だから誰もがカミューはしっかりと一人で立っていられるように思うけれど、実は酷く脆い部分があることをマ
           
          イクロトフは知っている。 
          
           さっきもとにかく運転すると言い張るカミューに危うい物を感じた。責任感が空回りしているように見えた。だから強引
           
          に自分がハンドルを握ったのだ。問題を整理する時間さえあれば、自分が手を貸さずともカミューはちゃんと一人で立
           
          ち直ることができる。 
          
           もちろん、今考えなければいけないことは山のようにあって、それが少し考えたくらいで解決するはずもないのだが、
           
          必要なのは解決策ではなくてカミューが自分を取り戻す、ほんのちょっとの時間なのだ。自分が出来るのはその時間を
           
          作ってやることくらいしかない。 
          
          「シュウが自分で判断したこと、か」 
          
          「だから何もかも背負い込むことはないんだ」 
          
           するとカミューはクスッと笑った。そして表情を和らげるとマイクロトフを見て「ありがとう」と小さな声で言った。 
          
           自分の心遣いが(になるのか自分でも心許なかったのだが)役に立ったのかと思うと、マイクロトフはそれだけで嬉し
           
          かった。 
          
           それから15分ほど走ってやっとシードが言ってた病院が見えてきた。 
          
          「病院の正面から入っても大丈夫かな」 
          
          「シードの話だとクルガンが親しくしている警察の人から直接連絡が入ったらしいんだ。だからまだマスコミには漏れて
           
          ないと思うよ。少し情報を押さえるよう頼んだらしいし」 
          
           それならいいだろうと正面の駐車場に車を乗り入れた。 
          
           
          
           すぐにも駆け出したいところだったが、サングラスをしているとはいえ長身で美形のカミューとマイクロトフが走ったりし
           
          たら目立つことこの上ない。 
          
           とにかく落ち着いて行動しようと申し合わせて車を降りてマイクロトフは驚いた。クラウスの顔が紙のように真っ白で今
           
          にも倒れるのではないかと思うほどなのだ。車中でも顔色が悪いとは思っていたが、カミューの方が心配だったしあまり
           
          気にはしていなかったのだが、これは尋常ではない。 
          
           思わず肩を抱いて支えてやって、もしかしたらシュウの事が好きなのだろうかと初めて気がついた。 
          
          「しっかりしろ、クラウス。こういう時は周りがしっかりしないといけないんだぞ」 
          
           コックリと頷くクラウスを支えて歩きだした。 
          
           そうだ、本当に俺がしっかりしないと。そうしてカミューの負担を少しでも減らしてやらないといけないのだ、とマイクロト
           
          フは決意を新たにしていた。 
          
           
          
           
          
           
          
           待合室ではシードが一人で所在なげに立っていた。 
          
          「シュウは?」 
          
          「まだ中。おっそいよ、お前ら」 
          
          「何言ってるんだ、連絡をもらってから30分かそこらでここまで来たんだぞ」 
          
           一人で待っているのはシードも不安だったのだろう。文句は言っているが明らかにホッとした顔をしている。 
          
          「シュウは大丈夫なの?」 
          
           クラウスは不安でいっぱいの目をしてシードを見上げていた。 
          
          「多分。病院に運ばれてくる途中、一回意識も戻ったらしいし。エアバック様々っていうのかな。左ハンドルだったのも幸
           
          いして、命に関わることはないみたい」 
          
           クラウスがホッとしたように床にへたり込んだのをマイクロトフが抱き起こして長椅子に座らせた。それで初めて気が
           
          ついたように全員で椅子に座り込んだ。シードなどずっと立っていたらしい。「座っちゃうとかえって落ち着かなくてさ」と
           
          珍しく気弱なことを言っている。 
          
          「そういえばクルガンは?」 
          
          「警察。マスコミ対策もあるからすぐには来られないって」 
          
          「そうか……」 
          
          「どういう状況だったんだ?」 
          
          「俺は詳しいことはよく解らないんだ。クルガンは色々聞いてたけど。取り合えずお前らに連絡をとれって言われて。け
           
          ど、派手にぶつかったらしいから、この程度ですんだのはラッキーだってさ」 
          
          「ラッキーって……」 
          
           マイクロトフが思わず絶句した後、言いにくそうにカミューが続けた。 
          
          「それで相手の車は?どのくらいの怪我なんだ?まさか、死亡なんて事はないよね……?」 
          
          「さあ、その辺はちょっと分かんねぇな」 
          
          「そんな無責任な」 
          
           さすがのカミューも唖然とし、マイクロトフはシードに詰め寄った。 
          
          「分からないなんて言ってる場合じゃないだろう。クルガンの考えもあるだろうが、俺は被害者の家族の方にはこちらか
           
          ら先にお詫びをするのが筋だと思う。事務所の事情やなにかでそれがダメだとしても、せめてきちんと状況を把握して
           
          おかないと…」 
          
          「ちょ、ちょっと待った」 
          
           シードが慌ててマイクロトフを制した。 
          
          「被害者って何だよ。強いて言うなら被害者はシュウだろうが」 
          
          「は?」 
          
           カミューもマイクロトフも、クラウスまでがシードを見つめた。 
          
          「あれ?俺、シュウが車ぶつけられたって言わなかったっけ」 
          
          「「言ってないっっ!!」」 
          
           カミューとマイクロトフは仁王立ちになってシードを怒鳴りつけた。 
          
           
          
           
          
           
          
           カミューがくたっと脱力したように背もたれに寄りかかっている。おしゃれでいつもスマートに決めているカミューには
           
          珍しいことだったが無理もない。少なくとも加害者として負わなければいけない責任や賠償という大きな問題が無くなっ
           
          たのだ。マスコミや今後の活動の見通しだって被害者と加害者じゃ対応が全然違う。少なくともカミューの手には余るよ
           
          うな重石が無くなったのだ。シュウの怪我が大したことがなさそうだというのも相まって、思いっきり緊張の糸が切れた
           
          のだ。 
          
           それまでずっとクラウスを力づけるように肩を抱いてやっていたマイクロトフが「カミュー」と声を掛けるとカミューは自
           
          分からマイクロトフの肩にもたれかかった。図らずも両手に花状態になってマイクロトフがびっくりしたように目を見開い
           
          ている。カミューが、例えメンバーであっても人前でそんなことをするのは珍しかったから、今までよほど気を張りつめて
           
          いたのだろう。 
          
           シードはばつが悪そうに「ごめん」と謝って知ってるだけのことを話し始めた。 
          
          「…だからシュウは何にも悪くないらしい。完全に巻き込まれたんだな。助手席はグチャグチャだってさ。良かったな、ク
           
          ラウス。乗ってなくて」 
          
          「そんなの」 
          
           クラウスはポロポロと涙を零している。 
          
          「あ、ごめんな。怖がらせちゃって」 
          
           クラウスは違うというように首を振ったが涙は止まらない。するとマイクロトフが大丈夫、というように肩をギュッと抱い
           
          てから頭を撫でてやっている。それに複雑な眼差しを向けながらカミューが口を開いた。 
          
          「それで、シュウは手術じゃなくて検査なのか?」 
          
          「治療もしてると思うよ。けど検査がどうとか、とも言ってたな。何かいきなり難しいこと言われて俺も何言ってんだかよく
           
          解らなかったからさあ」 
          
           その時ようやく扉が開いた。 
          
           
          
           
          
           
          
          「全く驚かしやがって」 
          
          「本当に。でも、たいしたことがなくて良かった」 
          
          「やっぱり頑丈な車に乗るのは大事だな」 
          
           あたふたとやってきた事務所のフリードに手続きの一切を任せて、シュウの病室に落ち着いていた。特別病棟だとか
           
          で普通の個室よりもかなり広くて、言えば簡単な応接セットまで用意してもらえるらしいから、男が4人集まっていても少
           
          しも狭くない。思い思いの事を喋っているとクルガンが入ってきた。 
          
          「よう、どんな感じ?」 
          
          「早速かぎつけたマスコミが群がってきたんで記者会見をする。カミューいいか」 
          
          「もちろん」 
          
           すっかりいつものペースを取り戻していたカミューは余裕で答えた。 
          
          「4台を巻き込む事故だったんだがシュウに非がないことは他の車の証言でも確認された。警察もそれついてコメントを
           
          出してくれることになっているから、それほど大変な会見にはならないと思う」 
          
           カミューが黙って頷いた。 
          
          「結局、2台にぶつけられたらしいんだが、かなり冷静に回避したらしいな。それも含めて、こちらからきちんとした釈明
           
          をする。コメントの内容はまとめておいたから目を通しておいてくれ」 
          
          「了解。あと、服を用意してもらえないかな。スーツっていうのもあざといけど、こんなラフな格好じゃ印象よくないだろう」 
          
          「確かにそうだな。解った、用意させる」 
          
           二人が出ていった後、何となく残りの三人はベッドの周りに集まった。もっともクラウスは最初からシュウの枕元にへ
           
          ばりついていたのだが。 
          
          「しかし、あれだな。こうやってみるとシュウって結構いい男じゃん」 
          
          「元々シュウはハンサムだろう」 
          
          「けど寝顔は別だと思わない?普段の態度があれだもん、こんな大人しいとこ見たことないし。今なら鼻つまんだってわ
           
          かんないぜ」 
          
          「だめっっ」 
          
           冗談のつもりで言っていたシードはクラウスの勢いに驚いていた。クラウスは必死の面もちでシュウを守ろうとするか
           
          のように体を乗り出している。 
          
          「えーっと」 
          
          「だめ」 
           
          
           クラウスの目は涙が溢れそうだ。 
          
          「冗談だ。頼む。クラウス、泣くなっ」 
          
           シードの言葉にクラウスはグッと唇を噛んで涙を堪えていた。 
          
           
          
           
          
           
          
          「父上、だから今晩は病院に…はい……はい…」 
          
           一生懸命電話で状況を説明しているクラウスに、シードもマイクロトフもホッとしていた。 
          
           二人で必死に宥めたのだ。 
          
           クラウスはシードの言葉がどうこうということより、どうやらシュウが無事でホッとした気の弛みから目をウルウルさせ
           
          ていたらしい。それが分かって少し安心したのだが、クラウスの気を紛らわせようとしてテレビを付けたら夕方のニュー
           
          スでカミューの会見を見てしまい、結局ボロボロと泣き出してしまったのだ。 
          
           そして、ようやく泣きやんだと思ったら、いきなり病院に泊まると言い出して何だか振り回されっぱなしである。 
          
           戻ってきたクルガンとカミューにそれを告げるとクルガンは渋い顔をしたがカミューは「好きにさせてあげようよ」と言っ
           
          た。 
          
          「誰かにいてもらった方が安心できるのは確かなんだし明日の朝迎えに来ればいいでしょう。どっちにしろ明日も来るこ
           
          とになるんだから、ね」 
          
           カミューの口添えにクルガンはようやく同意した。 
          
           父親とクルガンの二人から許しを得て、クラウスの顔にようやく笑みが戻ってきた。 
          
           
           
          
            
          
           
           
          
           
          
          
           
          
                
          
           
          
            
          
          
           
           
          
           
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