ミラージュ A


『さすがに疲れたな』
 コンサートの後などに感じる快い疲れとは違う。気力を削ぐような疲れを体の芯からじわじわと感じてカミューはぐった
りとソファに座り込んでいた。それでも最悪の事態を免れたのだから、これでもましな方なのだ。片付けなければならな
いことは色々あるが、幾つかもらった電話の感触ではみんなこちらに好意的だったから、あまりややこしい事態にはな
らずに済むかもしれない。それだけは良かったとホッとしていた。
 そんなことを考えながらぼうっとしていると急にいい香りがして目の前にスッと紅茶が出された。
「疲れただろう」
 マイクロトフの声にカミューはソファに座り直した。
「ありがとう」
 紅茶にはブランデーが少し落としてあるらしい。口に含んだ途端、深い香りに包まれて緊張が続いていた気持ちが解
ける気がしてホウッと息を吐き出した。
 慌ただしく記者会見を終えてから病院に戻って今後のことについて全員で話し合った。それは比較的簡単に済んだの
だが、散会してからクルガンとした立ち話が結局、かなり突っ込んだ打ち合わせになってしまったのだ。
 先に戻っていたマイクロトフはカミューが帰ってからすぐくつろげるように準備を整えていてくれたらしい。その心遣い
がとても嬉しい。

 カミューとマイクロトフは同じマンションの同じフロアに部屋を借りていたが一緒に住んでいるわけではない。マイクロト
フはそれが不満らしいが、男同士の恋愛が認められているとは言い難い世の中ではこれが精一杯じゃないだろうかと
カミューは思う。もちろん、二人がただの一般人ならそれも可能だったかもしれない。けれど、何かと世間の目を引く存
在になってからは、お互いの関係を守るためにも慎重になるにこしたことはない。
 実際、二人が部屋が別であっても同じマンションに住んでいると知っているごく僅かな人間の中にも「そんなに仲が良
いんですか」と呆れたような、好奇の目で見られることが少なくなかった。そういう時は「完全に防音設備のあるマンショ
ンなんてそうはないでしょう」と言うと大抵はあっさりと納得してくれるが、その度にやはりこの一線は守らないとダメだと
思い知らされてしまうのだ。
 もっともお互いたまには一人になりたいことだってあるわけで、そういう意味で適度にプライバシーの守られるこの状
態にカミューはかなり満足していた。
 会いたくなったらいつでもお互いの部屋に行けばいい。
 けれどカミューがマイクロトフの部屋に出向くことは少なかった。マイクが来ないということは一人でいたいか何かをし
ているわけだから、それの邪魔をしたくない。マイクは二人で何かをするのは楽しいというが、成り行きでそうなったなら
ともかく、わざわざ出かけていって作業の手を止めさせるのは気が引ける。
 以前、「どうして来てくれないのか」と尋ねるマイクにカミューは笑って答えたものだ。
「だって物がいっぱいで、足の踏み場がないだろう」
 マイクロトフが散らかし魔だというわけではない。
 一見不器用そうに見えるが実は器用でどんな楽器もこなしてしまうマイクロトフは楽器マニアでもある。興味を持った
物をすぐに買い込んでしまう癖があって、さながら部屋というより「楽器置き場」に近い状態だ。ついこの間もテルミンが
欲しいといって探していたらしいが、それがどうなったのかカミューは聞いていない。
 とにかく、そんな言い訳をして頑なにカミューが動かないから常にマイクロトフがカミューの部屋に通うようになってい
た。

「これからも大変だと思うけど」
「ん、大丈夫」
「俺にできることがあったら何でも言ってくれ。本当は言われなくても気が付かないといけないんだろうが、俺は気が利
かないから、だから遠慮なく言ってくれ」
「ありがとう」
 クスッと笑って隣に座っているマイクロトフの肩に凭れてちょっと甘えてみる。
『いや、ちょっとどころじゃないな』
 マイクロトフは意識していないらしいが、自分はマイクにどっぷりと甘やかされているという自覚がある。
 気が利かないなんてとんでもない。マイクはいつだって私のことを一番に考えていてくれるじゃないか。
 愛されている、と思う。けれどそれがとてつもなく怖かったりもする。いつだったかシードがカミューとマイクロトフの仲
を羨ましいと言っていたとクラウスが教えてくれたことがあるけれど、カミューは自分たちの関係にそれほど自信を持っ
ているわけではなかった。
 だって永遠に続く物なんてないのだから。山は登ってしまったら、後は降りるしかない。
 恋愛は盛り上がっていく過程が楽しい、と思う。出会い、親しみあい、お互いの気持ちをすれ違いさせながら愛情を育
てていくのが良いのだ。お互いの愛を確かめあったら、その後どうしていけばいいのだろう。
 人の気持ちなんて移ろいやすい物で、その最高の状態を維持させていくのはとても難しい。マイクロトフの気持ちが一
途なだけにその愛が冷めてしまったときのことを考えると怖いのだ。
 マイクロトフは強いから、だからカミューがいなくなってもちゃんと生きていけるだろう。悲しんで泣いてくれるかもしれ
ないが、それでも一人で立っていけるだろう。けれど自分は違う。
 カミューは自分のことがあまり好きではない。自分が打算的で要領がいいだけのずるい人間だということをよく知って
いる。マイクロトフが好きだと言ってくれるから、自分も少しはましな人間なのかもしれないと思うことができる。マイクロ
トフに愛されなくなってしまった自分には何の価値もないし、生きていたって仕方がないとさえ思うのだ。
 だからマイクロトフが「愛している」と言えば不安になるし怖くなる。それがいつまで続くのか、自分がいつまでマイクが
愛してくれる自分でいられるのか分からないから。
 傍目からは最高のカップルと見られているのかもしれない。けれど、カミューは二人の仲を「最高」なんかにはしたくな
かった。まだ山を登っている途中なのだと思いこみたくてわざとマイクロトフを煽るようなことをしてしまう。マイクの気持
ちを疑うようなことを言ってみたり言葉をはぐらかしたりする。シードはそんなカミューを見て「ホント、悪女だよな」という
が、そうやってマイクロトフを振り回して追いかけてもらわないと不安で仕方ないのだ。
 結局のところ、一緒に住まないのも自分からは決してマイクの部屋を訪れないのも二人の関係がいつか壊れてしまう
のが怖くて踏み込めないだけなのかもしれない。

「だから……カミュー、聞いてるのか?」
「え、あ、ごめん。何だっけ」
「…いや、いいんだ。疲れてるときにこんな話をしてすまん」
「よくないよ。気になるだろう。ちゃんと聞くから話してみて」
 目を覗き込んで真剣に言うとドギマギとしたように顔を赤らめてマイクロトフはポツリ言葉を落とした。
「あまりクラウスと仲良くしないでくれ」
「は?」
「俺のことを狭量だと思うか?でも、なんか今日はベタベタしすぎだ。その、仲間はずれにされてるような気がして、ちょ
っと嫌だった」
 マイクロトフは真面目な顔で主張する。それはあながち間違いじゃない。
 わざと、というわけではないがマイクの視線をかなり意識しながらクラウスの相談に乗っていたのは確かだった。何で
そんなことをしたのだろうと自分でも思うが、単純に妬いて欲しかったのだ、きっと。そして多分、クラウスを嫌ってくれれ
ばいいと思ったのだ。
 カミューはクラウスが好きだ。可愛いし素直だし、気持ちが真っ直ぐなところはマイクロトフに似ているとも思う。それだ
けに気になるのだ。二人は今はそれほどでもないけれど、一度親しくなったら意気投合するのは早いだろう。それは決
して恋愛感情ではないだろうし、マイクロトフの気持ちを疑うつもりはない。
 けれど、クラウスが庇護本能をそそる子だから心配なのだ。あの危なっかしさをマイクのような男が見過ごせるはず
がない。シュウがクラウスを好きになったのだって庇護本能を刺激されたからに違いないのだ。あのシュウですら、であ
る。もしシュウが間にいなかったら、クラウスとマイクロトフはもっと近しい間柄になっていたのではないかと思ってそれ
が不安なのだ。
 狭量なのは自分の方だ。クラウスは容姿も気持ちも本当に綺麗な子だ。自分のように表面は綺麗でも内側が真っ黒
な男とは全然違うのだ。本当にマイクロトフがクラウスに惹かれたら、間違いなく自分に勝ち目はないだろう。
 だからきっと頭のどこかで駆け引きをしていたのだ。マイクロトフがこちらを見てくれるように、必要以上にクラウスに
関わらないように。
『最低』
 心の内で呟いた気持ちが溜息となって出てしまった。
「すまん、今の言葉は忘れてくれ。俺はどうも人間がなっていないようだ。顔を洗って出直してくる」
「いいってば」
 本当に立ち上がろうとしたマイクロトフの腕を掴んで引き戻した。
「あのね、クラウスはシュウが好きなんだよ」
「……やっぱりそうだったのか」
 さすがのマイクロトフでもあのクラウスの動揺ぶりには気付いたらしかった。
「だからその相談に乗ってただけだから」
「う、うむ。分かった」
「でも酷いな」
 マイクロトフの顔がギクリと強ばった。
「私のこと、疑ってたんだ」
「いや、違う。そういう訳じゃなくて」
「マイクだってクラウスに随分優しかったじゃないか。私のことはほったらかしでクラウスに付きっきりだったくせに」
「カミュー、それは。だってあの時のクラウスは本当に支えてあげないと、どうにかなっちゃいそうで」
 本気で詰っていたわけではない。昼間、マイクロトフが側にいて見守ってくれるだけでどれだけ助けられて勇気づけら
れたことか。だから、ちょっと拗ねてみたかっただけなのに、今の一言がどこかに突き刺さった。
「私だって誰かに縋り付きたい気分だったのに、クラウスの方が心配だった?」
 マイクロトフが目に見えて慌てた表情になった。
「すまん、カミュー」
「別に良いんだけどね、信じてくれなくっても。クラウスは可愛いし、シュウの代わりにナイトになってあげたら」
「カミュー、俺が悪かった。だから泣かないでくれ」
「え?」
 慌てて頬に手をやると濡れている。こんな事まで計算でできるようになったのか、と自嘲の笑みが漏れた。
「ごめん、何か今日は変だ」
「こんな大変なときなのに俺がつまらないことを言いだしたから。本当にすまん」
 頭を下げるマイクロトフを見ていたら胸が痛んだ。
「そうじゃないんだ。マイクが悪いんじゃない」
 そう、悪いのは全部私。マイクロトフを独り占めにして誰にも見せたくないくせに、少しも素直になれなくて、マイクの気
持ちを試すようなことばかりして困らせている私の方だ。なのにマイクロトフはオロオロと謝り続ける。私みたいな人間
のためにマイクが謝る事なんてないのに。
「今はちょっと気持ちが高ぶってるだけだから、頼むからそんなに謝らないで」
「うむ、分かった。その、大丈夫か、カミュー」
 頷いて見せたがマイクロトフは心配そうに覗き込んでいる。
 ごめん、マイク。私は酷い人間なんだ。こんな風に心配される資格なんてないんだよ。
「疲れてるのなら、早く休んだ方がいい」
「うん、そうする」
 それからマイクロトフは何か迷っている風だったが勢いよく立ち上がった。
「じゃあ、俺は」
 帰るのか?私をおいて。
「ゆっくり休ん…カミュー?」
「一緒にいて欲しい」
「カミュー…」
 こんな事を言うなんて、本当に今日はどうかしているんだ。
 そう、懸命に自分に言い訳をしていたカミューはマイクロトフの腕に力強く抱きしめられて心の底から安堵していた。





【言い訳とか…】                      
なんだ、これは…。
すみません。まさか、こんな事になろうとは…。
ていうか、この手の話を書いたのは初めてだ。(呆然)
ちょろっと青赤の(いや、赤青でもいいですけど)イチャイチャした話を
合いの手で入れようと思っただけなんです。
サラッと軽くエッチっぽく流して本題に行くつもりだったのに最初の思惑はどこへ…。(T.T)
守備範囲外の物に手を出すとこういうことになるということでしょうか。
ていうか、うちのカミューさんってこういう人だったのか。びっくり。

余りにも赤面物の話になってしまったんでアップしたくなかったんだけど
金曜日の夜中これを書いてて(夜書いた物は朝読めないという典型?)土曜日は出かけちゃうし
続きが未完成というわけで、これしかアップする物がないという体たらく。
申し訳ないです。
んで、やけくそついでにマイクはどう思ってるかという駄文をここに。
今のところもう1本書くほどのネタもないので出しちゃいます。
終わっちゃってますね、私。(遠い目)

もともと騎士ってどこから手を付けていいか分からないくらいサークルさんがあるんで
好きな割にはほとんど読んでないんですよ。
ありがちな設定だとしたらごめんなさい。
当方の勉強不足と言うことでご勘弁を…。

来週からは元に戻りますんで安心(?)してください。<(_ _)>