バレンタイン狂詩曲 3



 バレンタインデー当日。
 クラウスは朝から心臓がバクバクいっていた。もう本当に口から飛び出しそうな感じで、もしかしたら血も
逆流しているのではないかと思うくらいだ。
 それでもクラウスの様子が不審に思われないのは、みんなのテンションも少し高めになっているからだ。
クルガンの運転するバンはいつもよりほんの少し奇妙な高揚感に包まれていた。
『ああもう、どうしよう。いつ渡せばいいんだろう』
 チョコレートの入ったバッグを握りしめながら、クラウスはそればかり考えていた。
 本当は朝一で渡したかったのだ。スタジオには事務所から一緒に向かうことになっていたから「おはよう
ございます」と言って、その場ですぐに冗談っぽく渡そうと思っていた。ところが、なんと言っても出演を待ち
かねていた番組だからクラウス以外はすっかり仕事モードになっていてバレンタインの浮かれた雰囲気な
ど微塵もない。番組には司会者が話題に困らないよう予めアンケート形式の質問に答えてあったから、こ
の話題を振られたら誰が答える、などの打ち合わせめいたことまで始まってしまった。
 そんなところでチョコレートを出したら、またもやプロ意識に欠けるという風に取られかねない。それに忙し
い中でおざなりに受け取られるのも嫌だった。そうやって迷っている内にすっかりタイミングを逸してしまっ
たのだ。
『こんな事ならやっぱり最初にパッパと渡せば良かった』
 それが一番自然だったのに、今となってはどのタイミングで出しても不自然な気がする。ましてやこの先
みんなの意識のベクトルはずっと番組に向かうはずなのだ。
『とにかく早い段階で出した方がいい』
 控え室までガードマンに誘導されて歩く道々決心した。場所が変われば雰囲気も変わるし、控え室に入っ
てすぐなら本格的な仕事モードに入る前だからチョコを手渡ししても大丈夫だろう。
 そんな段取りばかり考えていたせいか、スタッフや司会のタノリへの挨拶を終えて控え室に入る頃にはク
ラウスは緊張しすぎでくたくたになっていた。だが、勝負はこれからなのだ。
「あの」
 さすがにスタジオに入ると度胸が据わるのかクラウス以外は全員すっかり落ち着いているようで、控え室
でも思い思いにくつろぎ始めている。
「あの、あっ、そうだっ」
 一人で焦って何か言おうとしているクラウスにようやく視線が集まってきた。
「今日ここに、えっと、あれっ、あっ、こんなところにチョ……」
「大丈夫だよ、クラウス。そんなに緊張しなくても」
「いえ、あの」
「タノリさんの話術は超一流なんだからクラウスは普通に答えればいいんだよ。そうしたら向こうでちゃんと
フォローしてくれるから」
「1年で200人以上と話しているすげー人だしな」
「そう…です…よね……」
 また失敗してしまった。
「そうじゃなくて、何か話したいことがあったんじゃないのか?」
 思いもかけずシュウからフォローが入ってクラウスの脈拍は倍以上に跳ね上がったような感じがした。
 だが舞い上がっている場合じゃない。シュウが作ってくれたチャンスなのだから、ここでしっかりしなけれ
ば!
「実は…」
 その時、コンコンとノックの音がした。打ち合わせに来たADだった。
「皆さんの座り位置なんですが」
 言いかけて雰囲気に気付いたらしい。
「あ、お話し中でしたか? 僕、後で来た方がいいですか?」
「いえっ、大した話じゃないので全然構いませんっ」
 ADさんを待たせておいてチョコレートなんて配れるはずがない。
「じゃあ、お先にすみません。ええと座り位置ですが前列3人後列2人でお願いします」
 全員で頷く。
「前列にカミューさんとシードさん、それにクラウスさんで」
 今、なんて言った?
「マイクロトフさんとシュウさんは後列に座ってください」
「ちょっと待ってください。私が前なんですか?」
 クラウスの困惑をよそにADは極めて事務的に「はい」と答えた。
「ど、どうして?」
「どうしてって」
 ここで初めてADは困ったような顔をした。
「画面的にもその方が収まりが良いし、それにタノリさんがクラウスさんを前にってご指名だったし」
「指名って、何で?…ですか?」
「さあ。今、リハーサル中なんですけど、もうすぐ終わると思うンで聞いてきましょうか?」
「あ、気にしないで下さい。こいつ、緊張しちゃって訳分かんなくなってるだけだから。もうちょっとしたら落ち
着くし」
 シードの言葉にホッとしたらしいADはそそくさと出ていってしまった。
 だが、クラウスは落ち着くどころの騒ぎじゃない。だって、前列に座るのならシュウやマイクの方がずっと
相応しいじゃないか。マイクはネクロードを捕まえて知名度も人気もクラウスよりずっとあるし、シュウはデュ
ナンの曲をほとんど作っているのだ。ワープの曲も作ってる。ヒットメーカーなんだからクラウスなんか比べ
物にならないくらい話題も豊富なのだ。そもそも今までテレビでクラウスが口を開いたことなど数えるくらい
しかない。それなのに、どうして……。
 目まぐるしくいろんな事を考えて今やクラウスは卒倒しそうになっていた。
「なんて顔してんだよ、お前」
 だから、顔は元々……いいや、そんな事を言ってる場合じゃない。
「いいじゃないか。タノさんのご指名って事なら俺たちもバックアップするぜ」
「うん、ああいう人の目に留まるって凄いことだよ。クラウス、頑張ろうね」
「じゃあ、今日は一発、クラウス売り出しキャンペーンって事で」
 シードとカミューに言われて、でも何をどうやって頑張ればいいのだ? そんなキャンペーン張ってくれなく
て結構なのに、どうしてマイクもシュウも納得しているんだろう。
「クラウスをタノさん側にする? それとも二人で挟む?」
 そんな相談しなくたって外側で充分なのに〜。
「いや、それだとクラウスのプレッシャーが大きすぎる。外側の方がいいだろう」
 神様のご託宣のようなシュウの言葉にクラウスは思わず感謝の視線を向けた。
「その代わり、話を振られたら何でも良いからしっかり答えろ。口ごもったりするな。お前の悪い癖だ。黙り
込むなど以ての外だ。分かったな」
 ピシリと言われて思わず目がウルッとしてくるクラウスである。
「返事は」
「はい」
 今までトークはほとんど全部カミューとシードが担当していた。だからクラウスは横に立っているだけで良
かったのだが、今度はそういうわけにはいかない。
「そーだなー。ま、いきなりクラウスに話が行くとも思えないし、最初は俺とカミューで盛り上げるから。その
内タノさんが適当にクラウスいじるだろうし」
 いじる……って?
「不安に思わなくても大丈夫だ。ちゃんとカミューがフォローしてくれるから」
「あれ? マイクは何もしてあげないわけ?」
「そうじゃないが、俺は口下手だから。だが、クラウスが困ってると思ったら助け船は出すぞ」
「全員で突っ込んじゃったりしてね」
 クラウスを除く4人が吹き出した。とてもじゃないがクラウスには笑う余裕などない。
『でもマイクだって口下手って言いながら話すときは熱意を持って話しているし、私だけ甘えてちゃいけない
んだ』
 クラウスもようやく覚悟が決まってきた。
「みんな、ちょっといいか」
 事務所への連絡で席を外していたクルガンが戻ってきた。
「お客様だ」
 一体誰が? と全員が注目する中、クルガンが開けたドアから入ってきたのは妙齢の美女だった。
 ヒュ〜と誰かが口笛を吹いた。
「アニタじゃん」
「シードッ、失礼だぞ」
「あら、いいんです。デュナンのシードに覚えて頂けてたなんて、とても光栄だわ。初めてお会いするのにマ
ネージャーさんに無理を言って図々しく押し掛けちゃって」
 そう言ってアニタは宛然と微笑んだ。
 アニタの名前はクラウスも知っていた。有名な歌劇団の男役トップスターだった人で絶大な人気を誇って
いたが2〜3年前に退団して、今は舞台だけでなくドラマでも女優として活躍している。しかも最近かなりセ
クシーな写真集を出して物凄い話題になっていた。殺風景な控え室にいてもさすがに華やかで、シードが口
笛を吹いた気持ちも分からないではない。
「私、デュナンの大ファンなんです。皆さんとは別のコーナーのゲストなんですけど、同じスタジオにいると思
ったら舞い上がっちゃって。せっかくバレンタインデーに会えたのも何かのご縁だし、良かったら受け取って
いただけません?」
 そう言って綺麗にラッピングされた箱を差し出した。
「一応、私の手作りなんですよ」
 同年代の女の子からもらうことは多かったけれど、大人の女性からこんな風にチョコレートを渡されると
何だかドギマギしてしまう。クラウスだけではない。マイクもシードも恐縮していながらどことなく照れているよ
うである。
「はい、シュウもどうぞ」
 そう言ってシュウにチョコを手渡したアニタに、クラウスの心臓がドキリと跳ねた。なんとなく、二人が知り
合いのように見えたのだ。
『気のせい、だよね』
 漠然とした不安を感じながら自分に言い聞かせた。
 チョコレートを配り終えたアニタはニッコリ微笑むと、それ以上何事もなく控え室を出ていった。チョコだっ
てデュナンのメンバーだけでなくクルガンにも渡していたし、ドアを開けたときに偶然通りがかったADにもあ
げていて、ADは美人女優からチョコをもらって飛び上がるくらい喜んでいた。
 彼女は単にバレンタインデーだからチョコを配りに来ただけなのだ。ADにも配る優しい人なんだ。一体何
を心配しているんだろう。アニタだってデュナンとは初対面だって言ってたではないか。
 そう思いながらシュウの様子を窺うと、シュウはまだアニタが閉めたドアを見ているようだったが、クラウス
の視線に気が付くと少し驚いたような顔をした。
『何故?』
 だがそれはほんの一瞬のことで、すぐにいつものシニカルな笑みに戻っていた。
「どうした、クラウス? 欲しいのか?」
 ポンと放ってよこしたチョコレートを思わずキャッチした。
「クラウスちゃん、アニタお姉さまのお色気に当てられて赤くなってたもんなぁ」
「そんな事ありませんってば」
 もう、シュウの前だというのにシードはなんて事を言うのだろう。
 何だかんだとからかってくるシードに一つ一つ付き合っていると埒があかないので、シードは適当に無視
してチョコレートをシュウに返した。
「だめですよ、ちゃんともらってあげなきゃ。アニタさんはシュウのために作ってくれたんだから」
 自分で言ってギクリとした。何だか今、とても正しいことを言ったような気がしたのだ。
 アニタはデュナンではなく、シュウに渡したくてチョコレートを作ったんじゃないだろうか……。
 シュウの返事も聞かずにチョコレートを押しつけると、自分がもらった分をしまおうとバッグを引き寄せた。
シュウの顔を見ていられなかったのだ。
『どうして、どうしてそんな風に思ったんだろう』
 動揺しながらバッグを開けて、別の意味で愕然とした。
『どうしよう……』
 すっかり忘れていた。
 バッグには渡し損ねているチョコレートが鎮座ましましていた。



『もう、諦めた方がいいのかな』
 朝から何度も渡すタイミングを逸してしまった。土曜日にあんな大変な思いをして買ったチョコレートだけ
ど、これはもう止めた方が良いという神様の啓示かもしれない。
 そもそも美人女優の手作りチョコレートの後に買ってきたチョコレートを渡されて、シュウが喜んでくれるだ
ろうか。チョコレート好きならまだしも、あっさりクラウスにくれようとしていたところからしても特にチョコ好き
でもないシュウに、その可能性は低いだろう。
『大体アニタさんのチョコレートだってそんなに嬉しそうにしてなかったのに』
 美人女優の手作りという付加価値が付いてもダメだったのだ。それが男のクラウスでは尚更ダメだろう。
『というより、あの二人にはチョコなんて小道具がなくてもいいのかもしれない。視線だけで……』
 あ、ダメだ。また変な方向に思考が向いてしまう。
 特別早くスタジオにが入ったわけでもないのに、本番までの待ち時間が異様に長く感じられる。他にやる
こともなくて、気が付くとアニタがシュウにチョコレートを渡したシーンを思い返していた。しかも思い出すた
びにイメージが増幅しているような気がするのだ。
『全部、私の気のせいなのに』
 多分、いや絶対そうだ。
 見つめ合っているように見えたなんて、そんなの気のせいに決まっている。二人の視線が絡んでアニタが
目で何か合図をしていたように見えたなんて、絶対思い過ごしだ。チョコレートを渡すときに微妙に指先が
触れあったのだって、偶然そうなっただけなんだから。
 それなのに、何でこんなに不安なんだろう。
『やっぱりお付き合いしているのかな……』
 嫌になるくらい似合いの二人に思わず溜息が出る。
 シュウに付き合っている人がいたとしたって、それは当然だと思っていたけれど、実際にそれらしい人を
目の当たりにすると、どうしようもなく心が揺れてしまう。アップルのことを知ったときもショックだったが、あ
の時はホウアンの言葉にとても救われていたのだと今更ながらに解った。
『どうしよう、どうすればいいんだろう』
 全部思い過ごしならいいのに。もし本当に二人が親密な間柄だとしたら、チョコを渡しても無意味じゃない
か……。
『いや、ちょっと違う』
 主旨がずれてる、と気が付いた。
 元々チョコを渡そうと思ったのは自分の気持ちを伝えたかったからだ。一足飛びに成就させようなんて思
っていなかったはずなのに、ライバルらしい人の出現でいつの間にかとても焦ってしまっていないだろうか。
『アニタさんは関係ないんだ。私がシュウにチョコレートを渡したいかどうか、それが問題なんだから』
 確かに今はチョコレートを渡すことにとても臆病になっている。でも、せっかく決心したのに、このままでい
いのかな?
 その時、ADが出番を伝えに来た。
 ゆっくりと立ち上がったクラウスの背をシードがバシンと叩いた。
「なに青い顔してるんだよ。いい加減覚悟を決めて、男なら当たって砕けろ。骨はちゃんと拾ってやるから」
「それはありがたいですけど、砕けるのはイヤかも」
 みんなが笑って、クラウスも笑った。
「ようやく笑顔が出たね」
 そう言ったカミューにも笑顔を向けると『ホント、覚悟を決めなきゃ』と思っていた。
 とにかく、当たってみないことには始まらないのだから。



 番組はとても順調に進んでいた。
 狭いスタジオに座らされた400人近い観客は、至近距離でデュナンを見られるとあって想像を超える熱
狂の仕方だった。あまりの凄さにライブハウスで慣れていると思っていたクラウスも思わずたじろいだが、さ
すがのシードでさえ「すげぇ」と驚いているのを見て必要以上にあがらずにすんだ。前列に座らされるという
緊張も、タノリとカミューやシードの軽妙なやりとりで次第に落ち着いていった。そもそも生番組で他にも幾
つかコーナーがあるのだから、それほど持ち時間も長くないのだ。登場してすぐ「みんな背ぇ高いねぇ。デュ
ナンの小さい子だと思ってたら俺より大きいんだねぇ」と話しかけられたこともあって、自分の役目はもう終
わったと安心して番組を楽しんでいた。
 だから“CMまであと1分”と書かれたカンペが出されてから突然話を振られて、クラウスは正真正銘焦っ
てしまった。
「最年少だと色々使い走りとかさせられるでしょ」
「いえ、逆にみんな優しいです。とても可愛がってくれますし」
「でも怖い人とか、いるよね」
「そんなことないですよ」
「そうかなぁ。俺はちょっと話しかけづらい人が一人いるんだけど」
 客席がクスクスと笑い出した。
「なーんか変な事を言うと怒られそうなんだよねぇ」
 タノリも笑っている。
『どうしよう、何のことを言ってるんだろう。口ごもったり黙ったりするなとシュウにも言われているのに』
 そう思って気が付いた。観客の視線は全部クラウスを通り越して後ろを見ている。シュウの事を言ってる
のだ。
「そんなこと全然ないです。本当に優しいですから」
 慌てて言うと、客席の笑いが更に大きくなった。
「そういう風に言えって脅されてる?」
「違いますっ。最初は少し怖かったですけど」
「だよねー。やっぱり怖いんだ」
「でも、ホントは違うんです。凄く優しくて」
 このままシュウという人を誤解されたら困ると必死になっているクラウスの背後から静かに、だがはっきり
と威圧感のある声が響いた。
「いいからお前はもう黙ってろ」
 雷に打たれたようにビクリとしていきなり黙ったクラウスに観客が爆笑した。
「一旦コマーシャルでーす」
 言いながらタノリも笑っている。
 CMに入ってからも客席の笑いはなかなか納まらない。合間に「可愛い〜」と囁く声も聞こえてくるが、この
展開は吉なのか凶なのかクラウスには判断が付かない。
「いいよねぇ。思ってた通り、いいリアクションしてくれるよねぇ」
 タノリが嬉しそうに言うのを聞いて、少なくとも番組的にはまずい展開ではなかったらしいとホッとした。シ
ードが「天然なんですよ」と言い、カミューも笑っているし、後ろから頭をポンポンと撫でてくれたのはマイク
ロトフだろう。(当然「キャー」と言う声が飛んだ)
 でも、シュウはどう思っただろう。このままだとシュウますます怖い人だと思われたままになるんじゃないだ
ろうか。
 その時、チョンチョンと肩を叩かれて振り返るとシュウが耳元で囁いた。(これにも「キャー」と言う声が飛
んだ)
「あれがミクミク嬢か?」
「え?」
「シーナの両隣にいるだろう、ピンクのが」
「シーナ?」
 一体どこに?
 慌てて客席に目を凝らすと、自分を捜していると解ったのか後ろの方の列で手を振っているシーナが見え
た。そして両隣にいるのは確かに御厨さんと三国さんだ。
「うそ」
 驚いたあまりスツールからずり落ちそうになると、またもや客席が沸いた。
「どうしたの。怖い人に脅された?」
 タノリはこのネタが気に入ったらしい。
「ち、違います。友達がいたんで驚いて」
 どの人? とタノリに尋ねられて手を挙げたシーナは一気に注目を浴びてそれなりに嬉しそうだ。ミクミク
の両名はさすがに周りのファンに反感を買うと思ってか、知らん顔をしていたけれども。
『どうしよう。シーナのことまで話を振らちゃったら』
 そうじゃなくてもシュウの弁明もできていないのに。
「すみません、タノリさん。クラウス、もういっぱいいっぱいなんで勘弁して下さいね」
 カミューはクラウスの混乱をとっくに見越していたらしい。そして、タノリもそれは解っていたのか「いいキャ
ラだよねぇ」と言いながらも、コマーシャルが開けてからクラウスに話を振ることはなかった。



「お疲れさん」
「あ、はい、お疲れさまでした」
 控え室に戻ってくったりと座り込んだクラウスにメンバーが声を掛けてくれる。
 デュナンの出たコーナーは翌日のゲストに若手人気格闘家のリキマルを紹介して無事に終わっていた。
「どうだったんでしょう。今日の客席の反応って」
「すげー良かったじゃん」
「クラウスも頑張ったよね。タノリさんも喜んでたし」
 本当にあれで頑張ったうちに入るんだろうか。
「でも」
「心配するな。プロデューサーも良い数字が取れたと喜んでいたぞ」
 クルガンにそう言われて、クラウスもやっとホッとした。
「CM中もかなり受けてたから日曜日の再放送で使ってもらえるようなことを言ってたしな」
 そうか、そういう方法もあったのだ、とクラウスは思わず唇を噛んだ。
 クラウスの気持ちが今一つ晴れないのは結局シュウが怖い人ではないときちんと伝えることができなかっ
たからだ。せめてCM中に言っていれば、例え放送されなくてもスタジオにいる観客には解ってもらえたは
ずなのに。
『なんてドジなんだろう』
 シーナ達に気を取られて、そこまで考えが及ばなかった。
『でもすごい偶然だな』
 今日、この番組を見に来るからミクミクさん達は先にチョコレートを渡しに来たのだろう。実際にデュナン
の番組出演が決まったのは1ヶ月ほど前だが、視聴者は金曜日に初めて知ったはずだから、出演者と観
客として会うなんていうのは本当に凄い偶然なのだ。
 けれど、今はそんな事を考えている場合じゃない。
「シュウ」
 改まって声を掛けた。
「番組の中でちゃんと説明できなくてごめんなさい」
「は?」
 珍しくシュウがよく解らないという顔をした。
「何がだ?」
「だから、シュウが怖い人じゃないって」
 シュウだけでなく、全員が吹き出した。
「いいじゃん、本当のことなんだから」
「シード、混ぜっ返すな」
 クルガンまで笑っている。一人困惑しているクラウスにシュウが笑いながら答えた。
「そんな事、構うものか。番組は盛り上がったんだから、それでいい」
「でも、シュウ誤解されたままになっちゃう」
「だから? 何も困らないだろう?」
 ああ、これが私とは圧倒的に違うところなんだ、と感動にも似た気持ちでシュウを見つめた。
 自分に自信がある人はこうなのだ。人にどう思われるかなんて気にしないで自分の信じる道を突き進ん
でいけるのだ。
『やっぱり、大好き』
 憧れと尊敬と愛情(!)を込めた眼差しでみつめていると、何故かシュウは少し困ったように微笑んで、
「じゃあ、お先」と部屋を出ようとした。
「えっ! 帰っちゃうんですかっ?」
「ああ、もう仕事は終わった……だろう?」
 最後に少し語尾が上がったのはクルガンに聞いたのだ。あまりにもクラウスの声が切迫していたので、さ
すがのシュウも何か他に予定があったのかと心配になったらしい。
「今日の仕事はこれだけだ」
 クルガンの確認が取れるとシュウは改めて「じゃあ」と言った。
「待って、ちょっと待ってください!」
 本当に何をやっているんだろう、私は。ぐずぐず考えてばかりいるからシュウが帰ってしまうではないか。
とにかく、渡すだけは渡さないとっ。
 慌ててバッグからチョコレートを取り出すとシュウに突きつけた。
「はいっ、これ、チョコレート。受け取ってくださいっ」
 実に珍しいことにシュウが本日2度目の「訳が解らない」顔になった。
「チョコ、嫌いかもしれないですけどシュウのために買ったんだから。これ買うの、本当に大変だったんだか
ら人にあげたり捨てたり絶対しないで下さいねっ」
「わ、わかった。ありがとう……」
 シュウがクラウスの勢いに気圧されている。
 次いでクラウスはくるっと振り向くと、やはり呆気にとられて見ていた面々にもチョコレートを配りだした。
「ちゃんとシードの分もあるんだから拗ねないでくださいね。マイクはいつも優しくしてくれるし、カミューはい
つも相談に乗ってくれて、クルガンにもいつも迷惑掛けてるから」
 全員に手渡して、ようやく心の底からホッとした。
『良かったぁ〜、ちゃんと渡せた』
 朝からのし掛かっていた肩の荷が下りたようだ。そうして一瞬のんびりしてから、ふとシンと静まりかえっ
ている周りの雰囲気に気が付いた。
『あれ?』
 勢いでパッパと渡してしまったけど、やはり男が配るというのは変だったのだろうか。しかも勢いで口から
出るまま考えもせず喋っていたから何を言ったのか覚えていない。
『どうしよう、シュウになんて言ったっけ?』
 そう思った途端、体がガクガク震えてきた。
「あの、だから、いつもありがとうございますっていう、そういう意味の……」
 しどろもどろになって付け加えた。
「いやー、お兄さんはまたマジな愛の告白かと思って非常に焦ったぞ」
 シードがボソッと言った。
「す、すみません」
 真面目は真面目なんだけど……。
「いや、謝らなくていいんだ。ただな、クラウス」
 シードはクラウスの肩に両手を置くと顔を覗き込んできた。
「もしもお前が本当に真面目な気持ちで俺を好きだっていうんなら、考えてやらないこともないぞ」
「はぁ?」
「だからお前が」
 何言ってるんですか、とクラウスが言う前にカミューとマイクロトフから同時に突っ込みが入った。もちろん
シードも冗談で言ったのだから笑っている。そのみんなの顔を見て、チョコレートがそれほど不評でもないら
しいことに安心した。
「ホワイトデーには何が欲しい?」
 背後からいきなり声を掛けられて、驚いて振り向いた。
「シュウ。そんな、お返しなんていいんです。何か欲しかった訳じゃなくて、私の気持ちを伝えたかっただけ
だから」
 言ってから『もしかしたら今、ものすごーくストレートに自分の気持ちを告白したのではないだろうか』と気
が付いた。もう、赤くなっていいのか青くなっていいのか分からない。
「だが、俺もお礼はしたいな。なんというか…嬉しかったし」
 マイクロトフの言葉にカミューも同意した。
「うん。物じゃなくても、なにか希望があったら言ってみて」
 そんな事を急に言われても思いつく物などない。
「何もないわけではないだろう? やりたいこととか、してみたいこととか、お前にも一つくらいあるだろう」
 はっきり言わないクラウスに、いつものシュウならとうに会話を打ち切っていただろう。だが、存外優しい
口調で辛抱強く聞いてきた。それで思いついた。一つだけ、どうしてもやりたいことがある。
「シュウにお願いがあるんですけど、一つだけいいですか?」
「何でも言ってみろ」
「オーディションをして欲しいんです」
「オーディション?」
 クラウス以外の全員が口を揃えて聞き返してきた。それくらい意外な言葉だったのだろう。
「昔のデュナンの曲、練習してるんです。まだ全然ダメなんですけど、ホワイトデーまでになんとか自分の物
にしますから、だから聞いて欲しいんです。それでOKが出たらライブでやってもいいですか?」
「いいだろう」
 シュウはそんな事かと言いたげにあっさりと頷いた。
「ありがとう、シュウ」
 本当に嬉しかった。もう一度チャンスがもらえたことも嬉しかったが、いつもと変わらない表情の中でも、
なんとなくシュウが微笑んでいるように見えて、それが嬉しかったのだ。
 が、オーディションに燃えたのはクラウスばかりではなかったらしい。何故かシードが目を輝かせて提案し
てきたのだ。
「そういうことは早いほうが良くないか? 今からやろうぜ」
 おふざけモード全開の時でも音楽の話となると、人一倍真面目になるシードである。だからこその言葉だ
ろうが、突然そんな事を言われてもクラウスだって困るのだ。心の準備もできていないし、こんな感じかなと
いう手掛かりは掴めたような気がしているが、まだ土日の二日間しか練習できていないのだ。
「今も言いましたけど」
「練習中だって言うんだろ? けど今の状態を知っておかないと、一ヶ月後にどれくらい上達したか分から
ないじゃん。だろ?」
 同意を求められたシュウも頷いた。
「もっともだな」
 そうなるとクラウスは何も言うことができない。
「近くに機材付きの貸しスタジオがあったよね。空いてないかな」
「月曜の昼間だし、可能性はあるな。聞いてみよう」
 何故か全員乗り気のようで、クラウスはクルガンが携帯で問い合わせしているのを呆然と見ていた。
『どうして私が何か言うと、こんな風にみんなを巻き込んで大事になってしまうんだろう』
 クラウス一人オロオロしているうちに、予約の取れたスタジオに連れて行かれてしまった。
「OK、どの曲にする?」
 やる気満々のシードにクラウスは曲名を告げた。クラウスはキーボードのソロだけ聴いてもらえればと思
っていたのに、他のメンバーは当然のように自分たちも楽器を構えている。
『しょうがない。覚悟を決めなきゃ』
 そう思って思わず笑みが零れた。
 一体今日は何回覚悟を決めただろう。

 マイクロトフの合図と共にクラウスは一番大事な一歩を踏み出した。



fin. 
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