バレンタイン狂詩曲 4 


シード・クルガン編

「こんなもんかな」
 最後にアンプの位置を戻して、シードは満足げにスタジオを見渡した。他のメンバーは誰もいない。できる
だけ早くクルガンと二人になりたかったから他のメンバーはとっとと先に帰したのだ。一人で片付けるといっ
ても小さな貸しスタジオのこと、さほどの労力ではない。
 素早く事情を察知したカミューとマイクロトフは「じゃあ後はよろしく」と速やかに出ていった。クラウスは
「私のために借りることになったのに」と申し訳なさそうな顔でウロウロしてたが、邪魔だと言うとぺこりとお
辞儀をして帰っていった。シュウに限っては当然自分がやることじゃないと思っているらしく一言もなく真っ
先に帰ったのが頭に来るが、それでもシードは機嫌がいい。
『あの時のシュウの顔ったら』
 何と驚いたことにクラウスはオーディションの結果を聞かされて「ありがとうっ」とシュウに抱きついたの
だ。
 さすがにアレは不意打ちだったのだろう。何でもないようなふりをしていたが、少しぎこちない様子だった
のはそれなりに動揺していたせいに違いない。なにしろオーディションの結果は「合格」だったわけではない
のだ。OKならともかく「もうちょっとだな」であの反応ではシュウでなくても予想できない。
『ハハ、クラウスのヤツ』
 思わず無意識にやった動作のようで、本人は何とも思っていないらしい。おそらく子供の頃、親父さんに
プレゼントされたりするとあんな風に抱きついていたんだろう。それくらい自然だったのだ。
『ホント、予測不能なヤツだよな』
 あれでは恥ずかしがり屋なんだか大胆なんだかまったくもって分からない。
 しかし、想いを寄せている相手に抱きつかれた方は堪らないだろう。「何でもないように」装っていたところ
がシードには可笑しくて、内心どんなに驚き喜びにやけていたかと思うと笑いがこみ上げてきてしょうがない
のだ。
「なに思い出し笑いしてるんだ」
 戸口でクルガンが呆れたような顔をして立っていた。
「あ、精算終わった?」
「終わったも何も、お前がなかなか出てこないんで戻ってきたんだ。そんなに片付けに手間取っているのか
と思っていたら、一人でニヤニヤ笑って気味の悪い」
「酷ぇの」
 バンが置いてある駅の地下駐車場まで二人で歩いていると、さすがにシードに気付いた人々が「あっ」と
いう顔をして振り返るのが分かる。特に目立つ髪のせいでそんな反応は日常茶飯事なのだが、シードから
クルガンへ視線を移した人が一様に「ミュージシャン…じゃなくて俳優かな?」という顔になるのが楽しくてな
らない。こんないい男がマネージャーだとは思いも寄らないに違いない。シードはクルガンを自慢したくてし
ょうがないのだ。
「随分嬉しそうだな」
「まあね」
 クルガンと一緒ならいつでも嬉しいのだが、さすがに面と向かってそんな事を言うのは憚られる。
「あのさ、クラウスのプレイ、どう思った?」
「それは俺がどうこう言う話じゃない。演奏に関して決めるのはお前達だろう」
「そんな堅苦しい事じゃなくて、一観客としての意見でいいからさ。シュウの決定、どう思う?」
「まあ、妥当なところだろうな」
「そっか」
「不満なのか?」
「いや。いい物になるって可能性は感じたけど完成はしてなかったし。けどさ、完成してないといけないのか
な、なんて思ったりして」
「ほう?」
「ライブをやるごとに成長するっていうのもありじゃん。俺だって弾き慣れたフレーズなのに『あ、ここはこう
なんだ』って突然分かることが未だにあるし」
「そういうことはあるな」
「勿体ないって思ったんだよ。俺、クラウスがあの曲をどんな風に完成させていくか毎日でも聞きたい。客だ
ってこんな風に曲が変わっていくんだっていうのを知ったら、きっとすげぇワクワクすると思う。そういうチャ
ンスを奪ってるわけじゃん?」
「なるほど」
「だからライブでやりたいんだったら気にしないで昔の曲でもなんでもやってもいいんじゃないかと思うんだ。
もちろん未熟なプレイを客に晒すわけにはいかないけど、クラウスの『ダメ』ってかなり水準高いから、その
辺のハードルはクリアできるだろ?」
「確かにそうだな」
 シードはクラウスの音が好きなのだ。瑞々しく素直な音はしなやかな強さも感じさせてそこがとても気に入
っている。ホウアンは確かに素晴らしいプレイヤーだったけれど、老成と言ってもいいくらい成熟したホウア
ンの音と自分の音はどこか相容れない物があると感じていた。
 シードはそもそもクルガンとプレイしたくてデュナンに入ったわけだから、ホウアンに対してそれほど強い
思い入れがあるわけではない。それだけに人間性はともかくとして、音楽的には人一倍違和感を感じてい
たのかもしれなかった。もっとも、クルガンがミュージシャンとしても人としてもホウアンに敬意を払っている
ことを知っているから口に出して言ったことはないけれど。
 昔は何といってもホウアンの色が強かった。ホウアンが作ったグループだから当然と言えば当然だが、シ
ュウでさえホウアンに押さえられているようなところがあったから、シードの感性と微妙にズレがあるのはし
ょうがないのかもしれない。
『ま、人として考えるならシュウにはホウアンがいた方がいいんだけどさ』
 けれど、ミュージシャンとしては今のシュウの方が才能をのびのびと開花させている。悔しいから本人に
は絶対言わないが、それは誰もが認めるところだろう。
 だから初めてクラウスのオーディションをしたとき、同じ曲でもホウアンとはこんなに違うプレイをするのか
とワクワクしたのだ。
 今日クラウスとセッションして、改めてその時の高揚感を思い出した。そしてクルガンがクラウスを連れて
きた真意がやっと解ったのだ。
 シードはクルガンが昔のデュナンに拘っていると思っていた。自分がいたグループなんだから愛着がある
だろうし、曲にも拘りがあって当然だ。そして何よりもホウアンのプレイに惚れ込んでいた。
 だからこそクルガンが新しいキーボード奏者を見つけきたと言ったときには驚いたのだ。
『でも、あれで背中を押されたんだよな』
 ホウアンに拘っていたのはクルガンではなく、シードの方だ。穏やかでいながら内側に強烈なパワーを持
つホウアンの影響から抜けきれないでいた。クラウスの瑞々しい感性に触れて、自分が違和感を感じなが
らもホウアンの作った道の上を歩こうとしていたことに気がついた。
 そして他のメンバーも大なり小なり同じようなことを思ったに違いない。クラウスが加入した後、大ヒットを
立て続けに飛ばしたというのは、クラウスが起爆剤になってメンバー全員が弾けた結果なのだ、多分。
 だから本当なら昔の曲に拘ることはないのだ。今のデュナンにしかできないことをやればいいのだし、昔
を振り返るには少し早い。
『でもクラウスがあんなに一生懸命だからな』
 そのやる気がシードには一番嬉しい。

 実はシードはクラウスが一番最初に「この曲をやりたいんですけど」とシュウに相談している場面に居合
わせていた。そして「お前には無理だ」の一言ですごすごと引き下がったクラウスに驚き呆れていたのだ。
 もしシードが同じ立場なら、絶対に暴れている。演奏を聴かせもしないで引き下がるなどあり得ない。
 現実にシードも曲を作るが、シュウのダメ出しが出たからといってそのまま諦めたことなど一度もなかっ
た。もちろん、ライブやアルバムに採用されるかどうかはメンバー全員で協議をするのだが、候補に残るに
はそれなりの水準でないとメンバー全員の前で罵倒されることになる。だから曲ができるとまずシュウに聞
かせるのだが、ダメだと言われれば食い下がってでもその理由を聞く。「陶酔を垂れ流しているような曲を
誰が聴きたいか」と言われればなるほどと直していくし、それで黙らせることができれば「勝った」と嬉しくな
る。
 だから大人しいクラウスが歯痒くて仕方がないのだ。せっかく良い物をたくさん持っているのだからもっと
強気で攻めていけばいいと思うのに、どうしていつもあんなに不安そうなのだろう。

『それでも今日は頑張ってたよな。オーディションにチョコレートだもんな』
 そうだ、と思い出してポケットからチョコレートを取り出し、少し考えてからアニタから貰ったチョコレートの
包み紙をビリビリと破いた。
「何やってるんだ」
「腹へった」
 チョコを口に放り込んでモグモグと答える。
「どうだ、美人女優の手作りは」
「ん、ふつー」
 クルガンは苦笑した。
「もう少し言い様があるだろう」
「本人が目の前にいればね」
 二つ目を放り込んで、クルガンの分をちょうだいとばかりに手を出した。
「クラウスのがあるだろう」
「もったいないから、もう少しとっとく」
「そうか」
 特に惜しそうでもなく差し出したチョコレートからアニタの分だけ貰った。同じ義理チョコでもアニタとクラウ
スじゃ意味が違う。クラウスの分はやっぱりクルガンが持ってないといけないと思ったのだ。
「チョコレートじゃ幾つ食べても腹の足しにならんだろう。どこか食事に行こう」
「事務所に戻らなくていいのか?」
「さっき連絡した。今日は直帰だ」
 3つ目のチョコレートを口に入れて頷きながら、内心「やったぁ」と叫びたい気分だった。クルガンが食事
に誘ってくれた。それが物凄く嬉しい。
 何を今更と言われそうだし、しょっちゅう一緒にいるとも言われているが、それはシードの努力の賜で、い
つもいつも誘うのはシードなのだ。
 クルガンはデュナンのマネージャーだけでなく事務所全体の統括マネージャーのような立場になってい
て、プロデューサー業に近いこともやっている。所謂「社長の右腕」というヤツだから本当に多忙で、シード
をデートに誘う暇もない(のだと思いたい)。
『あのボンボン社長がもう少しやり手ならなぁ』
 クルガンは「この業界での経験が少ないだけで、とても優秀だし野心もある人だから」と社長への評価が
高いのだが、シードに言わせれば「この業界を知らないのに社長をしている」だけで超不安な社長なのだ。
 有能な上に業界に精通しているクルガンを便利に使っているだけじゃないかと思うことすらあるのに、ク
ルガンは嫌な顔一つしないで社長の補佐をしている。それで一時期、二人の関係を疑ったこともあって、少
なくとも色っぽい関係ではなさそうだと解ってホッとしたというのは内緒の話だ。
 とにかくそんな状況だから、プライベートで食事に誘われて小躍りしたい気分のシードである。
『これもクラウス効果なのかなぁ』
 バレンタイン・チョコに触発されたのだとしたらクラウス様々である。
「あれ、変だな」
「チョコに何か入っていたのか?」
 シードは思わず吹き出した。笑い声が駐車場のコンクリート壁に響く。
「クルガンの方がすっげぇ失礼じゃん。これ聞いたらアニタ傷つくよなあ」
「口をモグモグさせながら変だと言われれば、誰だってチョコが変だったのかと思うだろうが」
 思った以上に笑い声が響いたせいか、さすがのクルガンもムッとしているらしい。
「せっかく心配してやったのに」
「ごめん、ごめん」
 謝りながらちょっとしたいたずら心で頬に軽くキスをした。
「おい」
 思わず立ち止まって周りを気にしている。
「だ〜いじょうぶだって。冗談で済む範囲だもん。お詫びの印ね」
 ウインクすると諦めたように軽く溜息をついて無表情で歩きだした。
「誰が見ているか分からないんだ。気をつけろ」
「了解」
 無論気をつけている。クルガンとの仲を破綻させたくないのはシードなのだ。隙を見せてマスコミなんかに
介入されたくはない。
「本当に、あまりヒヤヒヤさせるな。お前は隙だらけなんだから」
 あれ……?
「解ったか」
「はい」
 ここは殊勝に頷いておくことにした。
「で」
 クルガンが車のドアを開けながら尋ねた。
「何が変なんだ?」
「あ、俺が運転する」
 万が一、事務所から携帯で呼び出しが来たら、そのままクルガンを拉致るつもりで強引に運転席に乗り
込むと、クルガンはしょうがないなと言いたげな顔をしていたが黙って助手席に座った。
「変っていうか、何でクラウスとシュウが未だにくっついてないのかなって思っただけだから」
「そんなことか」
「けど、不思議だと思わないか? だってシュウは前からクラウスが好きだろ? で、クラウスもどうやら目
覚めたらしいじゃん。つまり、立派な両思いなんだから今日だって一緒に帰るとかすればいいのに、何で少
しも進展してないわけ?」
「俺に聞くな」
 もっともな答えだ。シードも明確な答えを期待していたわけではないので黙ってエンジンを掛けた。アイドリ
ングの振動が響いてくる。
「お前があの二人のことを気にするとはな」
「そうじゃないけど……。シュウってクラウスが入ってきたばかりの頃、苛めてたじゃん」
「レベルの低い言い方だとそうなるな。実際にはクラウスに必要な指導ばかりだったと思うが。ついでに言う
と、お前もかなりきついことを言ってたぞ」
 それは確かにその通りで、でもシードとしてはどこか頼りないクラウスに褐を入れたという感じだ。
「けど、俺はフォローしたもん。遊んでやったし、CD貸してやったり。あいつ、俺のことレンタル屋だと思って
たんじゃないかってくらい色々借りてったんだから」
「そうなのか?」
「そうだよ。ロックって全然聞いたことなかったらしくて手当たり次第にレンタルしてたら小遣いがなくなった
んだと。お坊ちゃんのくせに」
「その辺はキバ殿は厳しいらしいからな」
「これは聞いた方がいいと思うヤツを全部セレクトして、だからクラウスのロックの素養は俺が育ててやった
んだって多少は自負してるわけ。結構頼りにされてたし弟みたいに懐いてきてたし」
 そう、怖がられっぱなしだったシュウとは違う。
「なのに、好きになったのはシュウなんだよなぁ」
 それが悔しい。
「いいじゃないか、兄のように慕われてるんだから」
「そうなんだよ、そっちにいっちゃったんだよ」
 クルガンがクックと笑い出した。
「おいおい、本気で妬いてるのか? 何かというと掻き回すようなことを言ってると思っていたらジェラシーだ
ったのか」
「あれは掻き回してるんじゃないもん。俺はホントのことしか言わないもん」
 何を可愛い子ぶってるんだ、とクルガンにパシッと頭を叩かれた。
「好きになられても困るだけなんだけど、なんか釈然としなくて」
「なんにせよ、あまり余計な口を挟むな。お前はシュウに打撃を与えているつもりかもしれないが、ダメージ
を受けるのはクラウスの方だからな」
「わかってる。俺もやり方を変えないとダメだと思ってたんだ」
「……ほんっとーに懲りないヤツだな」
 そうは言う物の本格的に止めないところを見ると、少しはクルガンも面白がっているのかもしれない。
「おい、アイドリングしすぎだぞ」
「オーライ」
 最後のチョコレートを口に入れてから車を発進させた。
「ろこれ食べる?」
「口に物を入れたまま喋るな。子供の頃言われただろう?」
 モグモグゴックンと飲み込んでから答えた。
「僕のお母様は言わなかった」
 ハハハと笑っていると隣でクルガンが呆れているのが解る。
「とにかく店決めようよ。クルガンは何が食べたい?」
「お前は肉が良いんだろう」
「ん〜、クルガンは何を食べたいって聞いたんだけど」
「焼き肉。サッサと車を回せ」
 ああ、愛を感じる。クルガンも焼き肉が食べたいのかもしれないけど、でも俺に合わせてくれるって所が
愛だな〜としみじみ思うのだ。
「そう言えばさっきの話だが、みんなに言ってみないのか?」
「何を?」
「ライブで成長するのもありだとお前が言ったんじゃないか」
「ああ、それか。やだよ。言わない」
「何故」
「だって、シュウが怖いもん」
「お前がそんなタマか」
 クルガンが珍しく声を上げて笑っている。仕事中とかだとこんな風には絶対笑わない。俺の前では気を許
してくれているんだなと思ったら何だかとっても愛おしくなってきた。
「どーしよー」
「どうした?」
「クルガンにキスしたい」
「は?」
「車ん中じゃまずいよね。焼き肉屋に個室あるかな」
「お前、何考えてるんだ?」
「人前でキスなんてできないじゃん。個室なら」
「個室だろうとなんだろうと外では隙を見せるなと言っただろうが。大体、いきなりキスなんてゴメンだぞ」
「えー、じゃあ俺のこの情熱はどうすれば良いんだよ」
「ガキじゃあるまいし、少しは自制するということを覚えろ」
「やだ。キスできないんならガキでいい」
 クルガンは深〜い溜息をついた。
「場所を替えた方が良さそうだな。お前の家にしよう」
「でも散らかってるんだけど。食べる物だってピザとるくらいしか」
「ピザでいい。散らかってるなら掃除もしろ。監督してやる」
 えええええ〜と不満の声を上げたが、よく考えたら最短時間でクルガンと二人っきりになれるのだと気が
付いた。
「言っておくが、掃除がメインだぞ。どうせ、散らかせるだけ散らかしているに決まっているし」
 クルガンに釘を差されて思わず唇を噛む。確かにその通りなのだ。
『あの辺とあの辺のゴミを片付けて……くそー、分別が面倒なんだよな』
 掃除なんかでクルガンとの甘い時間が削られるなんて冗談じゃない。
『そうだっ! この際散らかってる物は全部燃えないゴミで捨てちまえばいいんだ。どうせ大した物ないんだ
し。それで掃除機かけてあれやってこれやって……』
 頭の中でシミュレーションをした。
「おーっし、大丈夫だ、クルガン! ビザが来るまでの30分で終わらせられるぞ!」
 俄然張り切ってアクセルを踏み込んだシードの横でクルガンが不審そうに首を傾げた。
「何で今日に限ってそんな妙なテンションなんだ、お前は」
 そ・れ・は愛〜と心の中で懐メロを口ずさむシードなのであった。


次は誰かな?