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[事務局通信/2006.6.6]/グリーン・ミュージアム Vol.10 (2006年3月31日発行)に掲載されたもの。
そのコピーをワシオ氏より事務局に送っていただきましたので紹介します。
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佐藤純彌監督『男たちの大和 YAMATO』
これは反戦を装う戦争美化の映画だ/ワシオ・トシヒコ
ポスター、チラシ、テレビCM、そしてプログラム、関連グッズなど。これらからトータルに
イメージされるのは、戦争美化以外の何ものでもない。やがて憲法9条が改悪されるかもしれ
ないというこの状況時に、実に好都合なタイミングではないか。
映画は、内容的には下士官や兵士の視点にポイントを置き、戦争の不条理や凄惨さを強調する
かのように映る。非人道的な艦内訓練の様子も再現している。「必ず生きて帰れ」と息子を
戦地に送り出す母親も登場する。一見、包装が戦争美化的でも、中身は反戦ふうな贈答品の
ように錯覚させられる。このあたりが、なかなか狡知で巧妙なところなのだ。しかし、感傷
的な涙で、真の批評眼を曇らせてはいけない。ラスト近くのシーンで、映画自らが化けの皮
を剥がす。
漁師として働く元・戦艦大和の生き残り老人(仲代達也)がいる。そこへ最近亡くなった、や
はり生き残りの乗組員の養女(鈴木京香)が訪ねて来る。大和が最期を遂げた海上に父の散骨
をしたい、ぜひ船を操縦してほしいと頼み込む。重い腰をやっと上げた老漁師はアルバイト
の少年を伴って、荒海と格闘した果てにようやく目的地点に着く。
問題は、次の散骨シーンだ。老漁師が軍隊式の敬礼をして鎮魂するのは、かつての習慣上や
むを得ないとしても、なぜ若い女性と少年をそれに従わせなければならないのか。「二度と
戦争をしてはならない」と実戦体験者の老漁師にいわせておきながら、こうだ。もしもこれ
からの世代に反戦の意志を本当に継がせたいと願うならば、若いふたりには海に向かって黙
祷、あるいは合掌させるくらいに留めるべきではなかったろうか。
建築の耐震偽装で大いに揺れる現在、手法的にこれこそまさにその映画版、といえなくも
ないだろう。今に始まることではないけれども、リベラルと評されるA紙が製作に積極的に
協力した事実も、記憶に残すべきかも知れない。
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