「ちゃんと答えてくれないと、気になって練習にも身が入りそうにもありません。教えて下さい。」
「じゃあ、しょうがないからいいます。すけんやとはこのデパートで使われている隠語で、トイレのことです。さて、時代は江戸時代のことです。12月に世田谷のぼろ市がありますね。馬の世界ではぼろというと馬糞の事ですが、まさか、馬糞を売るのではありません。こっちのぼろは古着や布きれの事です。江戸時代はリサイクルが盛んでした。服の世界でもそうでした。今、経済産業省で繊維リサイクル法の制定が検討されているようですが、現在でも不要になった衣服の90%以上が焼却処理されているそうです。しかし、この時代は不要になった衣服は古着屋に売りました。一般庶民は古着屋から買ってました。そして、何度も古着屋に売られ、だんだんぼろになっていくにつれ、貧乏人が着るようになります。最後はぼろ切れとして、捨てられます。江戸時代は色々なくず屋がいました。紙屑専門のくず屋なんてのもいました。紙もリサイクルされ、最後にはくず屋が拾い、それを漉きなおして、漉き返し紙とも呼ばれる浅草紙 になります。浅草紙とは当時のトイレットペーパーです。」
「先生、まだ、もってまわったような言い方ですね。浅草紙はわかりましたが、どうして、浅草紙とデパートが細長いのと関係があるのですか?」
「君は気が短くて困る。浅草紙とデパートが細長いのとは、実は、密接な関係があります。私の話を聞いていれば、なるほどとわかります。」
「話を戻しましょう。布きれを拾ったくず屋はぼろ屋に売ります。ぼろ屋はそれを、世田谷のぼろ市で売ります。買い手は近郊の農民です。夜の明けないうちに弁当持参で、もちろん徒歩でぼろ市に向かいます。現在、ぼろ市は植木や骨董品が中心ですが、もともとは、お百姓さんが着る古着や、それから布きれを商うための市だったんです。」
「先生、野良仕事用の古着はわかるのですが、布きれは何に使われたのですか?」
「わらじのち ( 乳 )を丈夫にするためです。この部分にぼろ切れを入れないで作ったわらじはすぐだめになります。お百姓さんたちは冬の間副業にわらじを作ったり、だるまを作ったり、炭を焼いていました。ついでにいっておくと、武蔵野の雑木林の起源はこの炭焼きにあります。」
「ああ、それでぼろ市って農閑期の初めにあるんですね。」
「当時、江戸は世界最大の都市でした。しかし、これだけ沢山の人が住んでいる割には、リサイクルが徹底していたので、清潔な都市でした。しかし、それでも大川(当時は隅田川のことをこう呼んだ)の水が少し汚れました。これが海に流れ込み、海水に適度な栄養を与えて、魚がおいしくなったわけです。江戸がどれだけ清潔だったかというと、トイレが完備していました。当時の西欧の都市ではトイレがありませんでした。あのベルサイユ宮殿でさえトイレがありませんでした。」
「先生、質問なんですけど、ローマのボルゲーゼ美術館て、当時の宮殿をそのまま使っているんでしょう。あそこにはトイレがありましたよ。」
「ああ、あそこは壁の石が厚いので、あとからくりぬいて作ったもので、当時はトイレはありませんでした。」
「じゃあ、どうしてたんですか?」
「宮殿に住んでいる貴族たちは、庭で済ませていました。西洋の庭園は所々に樹木があって、見通しの悪い場所があるでしょう。あそこがトイレだったのです。都市に住む人々は適当な容器にためておき、2階の窓から道に捨てていました。そのしぶきを防ぐために考案されたのが、コートというものです。その辺の事情はロンドンにあるロンドンダンジョンで見ることができます。」
「へエー、江戸って清潔だったのねえ。でも、当時は水洗トイレなんてなくて、ぼっとん便所だったんでしょう。いっぱいになったら、どうしていたんですか?」
「今でも、板橋区なんかにはあるようですね。江戸の生活は長屋が基本です。長屋には大家さんがいます。たまったものは大家さんのものになりました。大家さんはそれを、お百姓さんに売っていたのです。近郊のお百姓さんがそれを買って、肥料にしてたんです。ところで、どんな特産品が江戸時代にあったか知ってますか?」
「わかりません。」
「練馬の大根と、大井の人参です。早稲田では茗荷が特産品です。茗荷を食べると物忘れしやすくなるなんて言い伝えがあるので、”早稲田で馬鹿が採れ”なんていう川柳が残っているくらいです。」
「時代は明治になります。この時代以降でも、東京の人口が増加を続けますが、水洗トイレが普及するまでは基本的にこのシステムは変わりません。ただ、大がかりになってきました。JR山手線 I 駅の東口のやや北よりの部分にあれが集められました。そして、トロッコで練馬の方へ運ばれて、練馬大根の肥料に使われていました。トロッコにあれを積む場所は、トロッコは全体を見れば細長いので、当然、細長くなります。」
「ねえ先生、あれはただでお百姓さんにあげていたんですか?江戸時代は売っていたんでしょう。」
「うん、いいところに気がついた。物々交換で、大根やその他の農産物をもらっていました。行きのトロッコにあれを積んで、帰りのトロッコには大根などをぶら下げて戻ってきました。その野菜を売ったのが、Sデパートの始まりなんです。ですから開業当時は陰で、○○○デパートと言われていたんです。」
うんこデパート
「大根をぶら下げたトロッコは昭和30年代に入ってなくなりました。これは東京オリンピックを契機に水洗トイレが普及したからです。トロッコ列車の通っていたところが、今のS線です。あれを積み込んでいた場所にできたのがSデパートと言うわけです。トロッコ列車は途中であれを積み替えていました。その跡地にできたのが、T島園です。」
「このほかの鉄道でも、多摩川から砂利を運ぶトロッコ線に起源があるのが、渋谷からでている線と、JR中央線の武蔵境から出ている線があります。JR青梅線ももとは石灰岩を運ぶためのものだったんです。そのため、”青梅線ひとより石を大事にし”という川柳があったくらいです。」
「先生、よくわかりました。」
「あ、ずいぶん話が長くなってしまいましたね。では、練習を始めましょう。」
「先生、今回、川柳が二つも出てきたのは次回への伏線ですか?」
「さあ、練習、練習」
今回登場した駅名、鉄道名、デパート名等は全て架空のものです。
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