樺山 資紀

1837年生、1922(大正11)年没。
元帥海軍大将 陸軍少将。伯爵(子爵から陞爵)
樺山家の養子となる
1868年 戊辰戦争に参加
1877(明治10)年 西南戦争
 当時、熊本鎮台参謀長 陸軍中佐
陸軍少将
1879(明治12)年 警視総監
1883(明治16)年12月 海軍大輔
1885(明治18)年 海軍中将
海軍次官
1890(明治23)年5月17日〜1891(明治24)年5月6日 海軍大臣(第1次山縣有朋内閣)
1891(明治24)年5月6日〜1892(明治25)年8月8日 海軍大臣(第1次松方正義内閣)
一時退役するが、日清戦争直前に現役復帰
海軍軍令部長
1894(明治27)年9月17日 黄海海戦
 仮装巡洋艦「西京丸」で督戦
1895(明治28)年5月10日 初代臺灣総督(台湾総督)
 5月29日 近衛師団(師団長・北白川宮能久親王)とともに台湾に上陸
 6月22日 台北に臺灣総督(台湾総督)府を開庁
 8月5日 勲一等旭日大綬章
1896(明治29)年9月20日〜1898(明治31)年1月12日 内務大臣(第2次松方正義内閣)
1898(明治31)年11月8日〜1900(明治33)年10月19日 文部大臣(第2次山縣有朋内閣)
1903(明治36)年 元帥


日清戦争
日清戦争の日本の軍艦
清国北洋水師
伊東 祐亨


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新規作成日:2002年2月26日/最終更新日:2002年2月26日