「1回目はどんなことだったのですか?」
「あれは高校2年の時でした。8月の終わり頃、一人で、奥多摩の御前山へハイキングに行きました。手には200mmF4.0の望遠レンズを装着したアサヒペンタックスSVがありました。これでリスの写真を撮ろうと、足音を忍ばせて歩いていました。下山中のことです。下山予定地の奥多摩湖に近づいてきたとき、薄暗い林にさしかかりました。3mくらい先の草むらから、ガサガサという音がして、なにやら黒いものが立ち上がりました。ツキノワグマでした。足音を忍ばせて歩いていたので、熊も気づかなかったようです。至近距離だったので、熊も逃げることができず、立ち上がった熊とのにらみ合いになりました。1分くらいたったでしょうか、私がちょっと視線をそらしてみたところ、熊はさっと身を翻して、草むらに消えました。助かったのです。しばらく歩くと、草むらからルルルルルルルルルルというカンタンのか細い鳴き声が聞こえてきました。」
「その数年後です。12月上旬に、富士山へ行きました。吉田大沢から登りました。9合目を過ぎたところで、ルートは沢から尾根に移ります。そうしたら、時々強い突風に見舞われました。そこで、これ以上進むのは困難と判断して、登頂をあきらめて下山することにしました。積雪は約10cmで、北西の季節風が吹き付けた影響で、アイスバーンになっていました。アイゼンの歯は1mmくらいしか食い込みません。吉田大沢の中は、時々、うなりをあげて落石がありました。落石があるとらくーらくと大声をあげて、下にいる人に注意を喚起します。その時、上のほうから、らくーらくという声がしました。しかし、落石でなく、落人でした。つるつるの氷の斜面では、一度、スピードがつくと、ピッケルの先を打ちこんで止めることはできません。すごい速度で落下すると、雪面から飛び出た石で、体のあちこちが切れます。更にスピードが上がると、摩擦熱で全身火傷となります。そして、1合目か2合目くらいまで落ちた時に、大沢の下の方にゴロゴロしている大岩にぶつかり死んでしまいます。ピッケルを打ち込むには、当然うつぶせでいなければなりません。なのに、そいつはあほなことに、仰向けで万歳をする格好で落ちてきます。」
「死にかけたのは、先生じゃないんですね。」
「いえ。私の近くまで来た頃には、相当のスピードになっていました。アイゼンの歯が左右で合計20本。それと、ピッケルの先で合計21本の歯が見えました。しかし、止めてやらなければ、あほなやつでも、死んでしまいます。歯は怖いが、止めてやることにしました。私の横を通過する瞬間、あほの上に覆い被さり、体重をピッケルの先に集中させ、約5mくらいで、止めることができました。既に、あほの体は所々、石でこすれて、切れている状態でした。」
「少しでも、タイミングを狂わせたら、私も、死ぬところでした。」
「先方はお礼を言いましたか?」
「気が動転していて、それどころではなかったようです。私も、名も告げず立ち去りました。」
「その翌年の5月の下旬頃です。あの世界で一番遭難で死んだ人の多い谷川岳へ行きました。当日は、晴れて気温も高かったです。これが後に怖い思いをする原因の一つとなりました。」
「その日は、あの一の倉沢の一つ手前のマチガ沢へ入り、雪渓を上り詰めたところで、岩登りの装備を出して、準備をしました。私がトップで岩にとりついたところ、上からガシャガシャと金物のぶつかり合う音がして、次の瞬間私のすぐ脇に人が落ちてきました。ご承知のように、岩登りをするにはザイルのほかに、ドイツ語でクギの意味のハーケンやカラビナをぶら下げているので、人が落ちるとそういう音になるのです。」
「で、その方はどうなったのですか?」
「見ると、意識はなく、呼吸も止まっていました。肩の所がぱっくりと切れ、骨が見えていました。止血と人工呼吸をするために安全な所に運びました。人命救助の原則はなんだか知っていますか?」
「知りません。教えて下さい。」
「交通事故その他、全ての事故に共通して言えるのは、救助する側の人が事故に巻き込まれないようにすると言うことです。例えば、けが人の倒れているところが道の真ん中だったら、新たな車にひかれないように、歩道へけが人を運びます。応急手当はそれからです。」
「幸いなことに、その人は死んでいませんでした。移動の後、止血をして、人工呼吸を始めようとしたとき呼吸を始めました。しかし、意識は戻りません。」
「ともかく、近くにいた別のパーティーと共同でけが人を搬送することにしました。雪渓に降りるまでは一人がけが人を背負い、背負っている人を2本のザイルでV字型に、上から確保して降りていきました。雪渓についたところで、空にしたザックを使った即席のスノーボードで降ろしました。」
「それじゃ、死にかけたのは先生じゃあないんですね。」
「まあ、話を聞いて下さい。けが人はやがて意識を回復しました。意識不明の時間が長いほど、後に重い障害が残ると言われています。また、意識が回復しても、見当識障害といって、自分が誰で何をしていたかがわからない状態になります。このけが人もそういう状態になりました。具体的には、わけのわからないことを大声で叫び、暴れ出しました。急傾斜の雪渓の上なので、危険きわまりない状態でした。アイゼンの不要な季節なので、誰もアイゼンを持っていません。足場はキックステップといって、雪を靴で蹴って足場を作って歩いています。雪渓の雪は固いので、1cmくらいの足場にみんな立っています。これ以上けが人が暴れると、みんな滑落してしまいます。その結果我々のいる所の下方にあるクレバスに落ちて、最悪の場合みんな死んでしまいます。」
「で、どうしたんですか?」
「けが人を殴って、気絶させました。」
「けが人は気絶して静かになったのですが、その直後大きな音と地震のような振動がありました。私も含めて大部分の人が落ちそうになりました。私も、持っていたアイスハンマーを雪面に打ち込んでかろうじて落ちないですみました。」
「大きな音と地震のような振動とは、何だったんですか?」
「乗っていた雪渓がくずれたんです。私のいた2m脇に新たなクレバスができ、割れた雪渓はブロック雪崩となって落ちていきました。」
「それから、1ヶ月後に、上州武尊山の川場谷へ沢登りに行きました。その沢は、途中、温泉がわいていて、暖かいシャワークライムというへんてこなものを楽しむことができました。結構高い滝を登って、滝の落ち口へたどりつきました。その滝はそれ程難しいものではなかったので、ザイルは使っていませんでした。落ち口と、顔の高さが同じくらいになったとき、前方を見ると、顔の30cmくらい前に、特別天然記念物のカモシカが死んでいました。びっくりして、両手を放しそうになりました。もし、岩登りをしていることを忘れて、両手を放していたら、後ろ向きに落下して、後頭部を打って死んでいたかも知れません。」
「平日の昼間に、大学をさぼって奥多摩の川苔山へ行きました。どうして、そんな時に行ったかと言うと、ガイドブックの原稿の締切が近かったからです。この話の伏線は平日の昼間です。奥多摩駅から日原鍾乳洞行きのバスを川乗橋でおり、林道をしばらく歩きました。やがて、林道と別れて山道を歩きます。百尋の滝までは川沿いの起伏の少ない整備された登山道です。」
「そんな所で、何があったんですか?」
「ある角を回ったところ、そこには道の真ん中に、大きなニホンザルがしゃがみ込んでいました。ぶつかりそうになり、お互いに死ぬほどびっくりしました。」
「その年は寒い冬でした。奥多摩の刈寄山のような低い山でも、滝が凍りつきアイスクライミングが可能という情報があったので、早速行ってみました。」
「残念ながら、滝は氷結していませんでした。沢をつめて行って、氷河の作ったカールと言うと大げさですが、カール状、つまり、すり鉢の底状の地形になっている所へ出てきました。こういう場所は周りから銃撃される危険性が高いです。その時、足下にタヌキの死骸があるのを見つけました。拾っていって、剥製を作ろうと思いました。その時、前方の草むらから、黒い動物が飛び出してきて、こちらに突進してきました。イノシシでした。」「で、どうなったんですか?」
「イノシシは猪突猛進といって、曲がるのが苦手なので、ぎりぎりまで引きつけて身をかわそうと思いました。するとその時、左右から銃声が響き、イノシシはころりとひっくり返りました。猟をしていて、猟犬と勢子がその地点へ、イノシシを追い込んで、待ち伏せしていた人が銃撃したのでした。銃弾は猛獣用というサイズの大きいもので、それだけ、銃声も大きかったです。突然の銃声に死ぬほどびっくりしました。」
「翌年、春先の上州武尊山へまた行きました。雪洞を掘って、そこで寝て、翌日登頂してから、下山しました。ある斜面を横切っている時、不意に上の方から白い風が吹いてきたように見えました。表層雪崩に巻き込まれたのでした。足元の雪も、ザアーと流れ出しました。その瞬間、転ばないように注意しながら、走って雪崩から逃れました。この時、転んでいたら雪に埋まって死んでいたかも知れません。」
「ブロック雪崩はさっき聞きました。その他にはどんな雪崩があるんですか?」
「底雪崩があります。魚沼三山の一つ八海山の頂上から、中ノ岳の山腹で大規模なものを5月に見たことがあります。」
「日本酒の八海山というのもありますね。」
「その他の雪崩として、ピンポン玉雪崩と言うのもあります。」
「その1ヶ月後、谷川連峰の茂倉岳 へ行きました。この時も、雪洞を掘って寝ました。その晩遅くなってから、異様な感覚で目を覚ましました。間欠的に耳の奥がグワーングワーンとするのです。」
「どうしてそうなったんですか?」
「風向きが変わったために、雪洞の入り口に時々横から突風が吹いていました。突風が吹くと雪洞の中の空気を吸い出して、内部の気圧が下がったためでした。」
「しばらくすると、今度は、雪洞が揺れだしました。寝ている付近の雪がなだれる前兆です。急いで、靴を履き、オーバーシューズをはき、アイゼンをつけて、目出帽をかぶり、その上からヘッドランプをつけて、寝袋や食器をザックにしまい、手袋をはめて、さらに、オーバー手袋をつけ、ザックをしょって、ピッケルをつかんで、やっと出発しました。この間、いつ雪崩が起こるか心配でしょうがなかったです。」
「その年の年末には、後立山連峰の蓮華岳から針ノ木岳へ向かっていました。猛吹雪で、当然、ホワイトアウトでした。このへんでは、北西にある剣岳の方向から季節風が吹いてくるので、風下にあたる東側に雪庇(せっぴ)ができます。後立山連峰は西側は単なる急斜面ですが、東側はほとんどが断崖絶壁です。」
「もうおわかりと思いますが、雪庇を踏み抜いて転落してしまいました。最初は空中を落下し、雪面につくと体が回転していたので、あたりは明るくなったり、暗くなったりした感じがありました。回転が止まった瞬間、ピッケルのピックを雪面に強く打ち込み、しばらく落下した後、めでたく止まりました。落下距離は約15mでした。雪崩の起きそうな急斜面を10分ほどかけて登り、稜線に出たときは、ホッとしました。マジに死ぬかと思いました。」
「今度は乗馬している時の話です。」
「絵のない絵本式乗馬教室 ( 第3回 )でも触れましたが、起立癖のある馬は危険です。それは馬が立ち上がった後、転んでしまい、馬の下敷きになってしまい、人馬ともにけがをするかも知れないからです。同様に、馬が転んだ時も危険です。」
「梅雨時に馬に乗っていて、水たまりで馬が転んで、落馬しました。その時馬の下敷きになってしまいました。ただ、運の良いことに、胴体ではなく顔の下敷きだったので、けがをしたり死んだりしないで済みました。最も、馬は膝をすりむいてしまいましたが。」
「あ、ずいぶん話が長くなってしまいましたね。では、練習を始めましょう。」
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