「新幹線じゃないんですか?」
「東海道新幹線が開通して、営業運転を始めたのは1964年10月1日なので、新幹線はありました。しかし、当時は、品川発京都行きの「ひので」号と「きぼう」号という修学旅行専用列車を使いました。私の行っていた高校は1学年が9クラスあったので、同学年の生徒が500人近くいました。3つくらいの中学か高校の生徒が、夜に品川駅へ集合して、京都へ向かいました。同じ頃、帰りの生徒たちは京都駅に集合して、やはり、夜行の修学旅行専用列車で帰途につきます。」
「それで、修学旅行専用列車は2つあるんですね。」
「3校あわせると、約1,500人にもなります。当時の品川駅には、1,500人が入れる待合室がありました。」
「この待合室は、京浜東北線へおりる階段のうち、最も横浜側にあるものの向かって左にあり、最近駅全体が改装されるまで、団体客の待合室として使われていました。」
「そういえば、貸し切りの列車って品川発が多いですね。」
「そうです。例えば、相撲の地方巡業へ行く列車も品川発です。お相撲さんが、コオリを持ってぞろぞろ歩いています。」
「当時、米は配給制でした。」
「配給っていうことは、ただでもらえたのですか?」
「いいえ。」
「真珠湾攻撃の約半年前の1941年4月に、6大都市で米が配給制になりました。配給とはただでくれることではなく、1人あたりの月に買える量が決まっていたということです。」
「どうやって、量を制限したのですか?別のお米やさんへ行けばいいんじゃないんですか?」
「米穀通帳って知ってますか?正式には米穀配給通帳といいます。どちらの言葉も、もう、死語になってますが。」
「知りません。」
「米穀通帳には、氏名、住所、家族構成などが書かれていて、これがないと米を買えませんでした。」
「自営業の人たちは、米穀通帳を身分証明書の代わりにも使いました。それから、質草として使った人もいました。」
「米の配給はいつまで続いたんですか?」
「米穀通帳は、1981年6月11日に廃止されました。」
「意外に最近まで配給だったのですね。」
「いいえ、その前から米は余っていたので、通帳なしで自由に買うことができました。実際、私が結婚した1976年当時でも、通帳を作らず、自由に米を買えました。」
「先生が修学旅行へ行った1966年頃には、配給制だったのですね。」
「そうです。それで、当時は修学旅行だけでなく、どんな旅行に行くにも米をかついで行かなければなりませんでした。」
「米はどのくらい持って行ったんですか?」
「ちなみに、1泊あたり2合でした。夜1合、朝1合で、2合です。」
「私が、中学1年生であった1960年と2年生であった1961年のことです。友達と3人で信州を1週間ほど旅行しました。そのときは、6泊7日の旅行なので、1人が1升と2合の米を持って行きました。」
「何に入れて持って行ったんですか?」
「当時は、旅行用に持っていく米は、手ぬぐいを縫って作った袋に入れるのが世の中の常識でした。」
「1合は約150gなので、1升と2合の米は1,800gつまり、1.8kg、3人では5.4kgになります。」
「中学3年の時の夏休みはどうしたのですか?」
「友達2人は受験勉強で忙しいということなので、米を1.8kg持って、1人で信州を旅行しました。」
「映画が最も盛んだったのは、1958年です。」
「私が映画館へ頻繁に通うようになったのは、さらにさかのぼって、6歳の頃だから、1954年です。」
「この時代の日本の映画はほとんど白黒で、1960年代になってカラーの方が多くなりました。」
「当時の映画の入場料は子供は50円でした。1日10円もらっていたこづかいをためれば、十分いける金額でした。でも、1日1回まわってくる紙芝居に全額をつぎ込んでしまっていたので、こづかいでは行けませんでした。」
「じゃあ、どうやって行ったんですか?」
「近所の家の塀に映画のポスターを貼るスペースがあり、ポスターを貼るとその家はタダ券をもらえました。そのタダ券を私が全部もらったので、小学校1年生から6年生頃まで、1人で週に1回映画を見ることができました。」
「ああ、そういえば10年くらい前の話ですが、近所の八百屋さんに後楽園遊園地のウルトラマンショウのポスターが貼ってあって、この八百屋さんは私に毎月2枚入場券をくれたので、当時小学校低学年だった息子を連れて毎月後楽園へ行きました。これは、少し、迷惑だった。」
「いいえ。どういうことなんですか?」
「あの事件以前は、地方へ行くと、『学生さん、学生さん』といって、大事にしてくれました。」
「『学生さん、新じゃががゆであがったから、食べていきなさい。』と声をかけられ、農家の縁側で塩味のきいた新じゃがとお茶をいただくなんてことも、よくありました。」
「道を歩いていて、八百屋さんの前を通りかかると、『学生さん、このスイカ持っていきなよ。』と言われて、スイカをもらったこともあります。ちょっと、迷惑だったけど。」
「バスを待っていると、ダンプカーがバス停に止まり、『学生さん、バスの時間までかなりあるから、駅まで送ってあげる。』と言われ、送ってもらったこともあります。」
「路線バスの運転手に行き先の道順をたずねると、路線を変更してそこまで送ってくれたこともありました。」
「ところが、東大安田砦の落城後、学生の数が増えたのも原因なのですが、徐々に、田舎の人が学生を大事にすることが少なくなり始めました。」
「でも、学生を大事にする習慣はまだまだ残っていて、東北へ行った時などは、新緑を見ながら林道を歩いて恐山へ向かったところ、後ろから来る車が例外なく止まって、『学生さん、恐山まで送って行くから乗りなさい。』と言われました。こちらは歩いていきたいのに。」
「世の中まだまだ結構のんびりしていて、ある県警の刑事と飲む機会があって、『東京へ帰る夜行列車に間に合わないので、この辺で失礼します。』と言うと、『パトカーで送ってあげるから、もっと飲もうよ。パトカーだから酔っぱらい運転でも捕まらないから、大丈夫。』と言われて、更に飲んでから駅まで送ってもらったこともあります。」
「そうかも知れません。」
「最近では何をもらいましたか?」
「八百屋さんの前を歩いていたら、呼び止められて乾燥芋をもらいました。」
「親しい八百屋さんなんですか?」
「いいえ。全く知らない八百屋さんです。」
「それから、何をもらいましたか?」
「牛の大動脈。」
「え!」
「煮込みにすると、コリコリしておいしいらしいのです。」
「あ、ずいぶん話が長くなってしまいましたね。では、練習を始めましょう。」
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