捕鯨の歴史
捕鯨に関係する歴史をまとめてみました。
まだ、研究段階です。
- 西暦(年号) 捕鯨の歴史
- B.C.2200年 ロイドの岩壁に鯨の絵。
- B.C.2000年 ギリシャの伝説に鯨やイルカが登場。
- 700年ごろ 古事記(神武天皇に鯨肉を奉った話)に鯨が登場。日本書紀に鯨についての解釈が記述。万葉集に12首「いさなとり(鯨とり)」が海A浜の枕言葉として使われる。
- 890年 ノルウェー人が捕鯨の報告書
- 9世紀 ノルウェー、フランス、スペインが捕鯨開始
- 1000年 バスク人がビスケー湾で捕鯨。
- 1000〜1100年 熊野・伊勢・尾張では、セミ・ザトウ等の大型鯨は単発的に、ゴンドウ等の小型鯨はそれ以前から捕られていた。
- 12世紀 日本で手銛による捕鯨が始まる
- 1200年 クレタ島ソノッソス宮殿にイルカの壁画。
- 1250年 ノルウェーに鯨の古文書
- 1300年 ビスケー湾の捕鯨が最盛期
- 1591年 秀吉に土佐の鯨献上
- 1606年(慶長11年) 太地で和田忠兵衛頼元が刺手組を組織し、捕鯨(突取式捕鯨は急速に発展した。
- 1611年 イギリスが北極海で捕鯨を始める。
- 1612年 千葉県でツチ鯨の手銛漁が始まる
- 1650年 古式捕鯨時代の最盛期
- 1670年 北アメリカ東岸で捕鯨始まる
- 1675年(延宝3年) 太地で和田角右衛門頼治(のちの太地角右エ門)が網取法を考案して大いに成果をあげ、五組の刺手組を鯨方一本に改めた。(太地家所有古文書によれば、1677年(延宝5年)開始とある。)それにより捕鯨が急速に普及する。
- 1677年(延宝5年) 太地鯨方は鯨肉を朝廷及び幕府に献ずる。
- 1683年(天和3年) 和田角右衛門頼治は、土佐津呂に網取法を伝授、その功績により太地姓を授けられた。
- 1700年 アメリカ式捕鯨の時代
- 1712年 米国でマッコウ鯨漁(アメリカ式捕鯨)が開幕、北アメリカ大西洋岸へ
- 1758年(宝暦8年) 和歌山の薬種商梶取屋次右衛門が大阪で「鯨志」(図1)を著述刊行する。
- 1789年 捕鯨船が喜望峰経由で太平洋へ
- 1790年 オホーツク海で捕鯨操業
- 1820年 アメリカ式捕鯨が最盛期。日本の網取式捕鯨が最盛期
- 1825年 外国捕鯨船団が日本近海で操業。(735隻)
- 1838年 鮎川で組織的な網取り式捕鯨が始まる
- 1845年 メルビルの「白鯨」の時代。
- 1853年(嘉永6年) ペリー提督、アメリカの捕鯨船員の保護と食料、飲料水の確保のため幕府に開国を迫る。
- 1860年 中浜万次郎がアメリカ式捕鯨
- 1863年 ノルウェーで捕鯨砲が開発される。
- 1864年 ノルウェーで近代捕鯨が発展
- 1868年 ノルウェーで捕鯨砲が完成、ノルウェー式捕鯨の開幕
- 1870年 ノルウェー式捕鯨時代
- 1878年(明治11年) 12月24日、太地鯨方は鯨捕獲作業中、大暴風雨に遭遇し全滅、網取式捕鯨は衰退した。この遭難事件を「セミ流れ事件」として今も伝えられている。
- 1879年 嵐により太地の捕鯨者111名が死亡、この事故をきっかけに網取り式から近代捕鯨へと移り変わる
- 1880年 ノルウェーでニシン漁期中の捕鯨禁止
- 1891年 ロシアで捕鯨会社設立
- 1899年 日本がノルウェー式捕鯨を開始。ロシア船が長崎に鯨水揚げ。日本遠洋漁業会社設立
- 1900年 日本がノルウェー式捕鯨始める
- 1901年(明治34年) 南氷洋で鯨が発見される。
- 1902年(明治35年) 太地でナガスクジラを初めて捕獲。(ボンブランス銛)
- 1903年 世界最初の鯨工船(オランダ)がスピッツペルゲン海域に出漁。ノルウェーが鯨保護法制定。ノルウェーが捕鯨工船開発
- 1904年 ノルウェーが南ジョージア島に捕鯨基地を設営、南氷洋捕鯨の開幕。南氷洋で工船操業。南氷洋で基地捕鯨始まる
- 1904年(明治37年) 太地の人、前田兼蔵が連発銃を発明。改良型は1970年代まで使用した。南氷洋で捕鯨工船操業。
- 1905年 南氷洋に最初の鯨工船が出漁。日本各地で捕鯨会社設立
- 1906年 鮎川に近代的な捕鯨基地が完成し、日本の近代捕鯨が開幕
- 1907年 鯨油の硬化設備がヨーロッパで普及
- 1908年 イギリスが南極諸島の領有宣言
- 1909年 日本が鯨漁取締規則公布
- 1910年 日本が捕鯨会社の吸収合併。フランス人が鯨資源保存を主張。国際動物会議で捕鯨問題
- 1914年 アフリカ近海の捕鯨隆盛
- 1917年(大正6年) 第一次世界大戦で油脂欠乏。
- 1923年 小笠原近海の捕鯨始まる。捕鯨工船のスリップウェー開発
- 1924年 国際連盟が鯨資源の調査要求
- 1925年 スリップウェーを設けた母船が初めて出漁
- 1929年 ノルウェーが新鯨保護法制定。国際捕鯨統計局設立
- 1930年 クロー開発で捕鯨母船確立。捕鯨専門家会議
- 1931年 第一回国際捕鯨協定締結、ジュネーブ条約署名。南氷洋へイギリスが5船団出漁。セミクジラと母子鯨の捕獲禁止。生産過剰でノルウェーが出漁中止
- 1932年 クロー(尾羽はさみ)が登場
- 1932年 南氷洋に17船団出漁。ヨーロッパの捕鯨国が生産協定へ
- 1934年 日本が南氷洋へ
- 1934年(昭和9年) 日本、南氷洋捕鯨母船、図南丸が初めて出漁する(試験操業)。
- 1936年(昭和11年) 国産初の捕鯨母船建造。南氷洋へ日本が2船団出漁。ジュネーブ条約発効、セミクジラの捕獲禁止。
- 1937年 国際捕鯨協定署名。コククジラ捕獲禁止
- 1938年 日本が南氷洋へ6船団出漁。南氷洋で6ヶ国、34船団が操業
- 1939年 ドイツが捕鯨中止
- 1940年 アメリカが捕鯨中止。南氷洋へ3ヶ国出漁
- 1941年 日本は大戦の勃発と同時に母船式捕鯨を中断(〜42年)
- 1943年 ノルウェーのみ出漁
- 1945年(昭和20年) ノルウェーとイギリスの9船団が出漁。戦後、小型沿岸捕鯨を再開。太地でも16隻が操業へ。
- 1946年(昭和21年) 国際捕鯨取締条約が締結、南氷洋での捕獲が1万6千頭(BWU単位)に規制される。二船団で南氷洋捕鯨再開、小笠原母船式捕鯨開始。ソ連とオランダも捕鯨参加。
- 1948年 国際捕鯨委員会(IWC)設立
- 1949年 IWC(国際捕鯨委員会)第一回会議
- 1949年(昭和24年) IWC(国際捕鯨委員会)第1回会議。第一回国際捕鯨委員会の開催
- 1951年(昭和26年) 日本がIWC(国際捕鯨条約)に加盟。
- 1952年 南米三ヶ国が独自の捕鯨条約。北洋母船式捕鯨が再開
- 1953年 南氷洋での捕獲枠が1万5500頭に
- 1954年(昭和29年) 北大西洋でザトウクジラの捕獲禁止。鯨油生産量下降
- 1955年(昭和30年) 北大西洋でシロナガスクジラの捕獲禁止。
- 1957年 日本、外国基地捕鯨
- 1958年 オリンピック方式終了
- 1959年 オリンピック方式の廃止、自主宣言出漁開始、1万5000頭に自主規制
- 1960年 南極条約締結。日本が7船団出漁。日本が外国母船購入増加と鯨肉の洋上買付け
- 1962年 国別割当制の実施、南氷洋捕鯨規則取り決めへ
- 1963年(昭和38年) 頭数国別割当方式へ。三人委員会報告。南氷洋でザトウクジラの捕獲禁止。イギリスが捕鯨中止。
- 1964年(昭和39年) 南氷洋でシロナガスクジラの捕獲禁止。8000頭に削減。南氷洋出漁三ヶ国のみ
- 1965年 4500頭に削減
- 1966年(昭和41年) 3500頭に削減。北洋のシロナガスクジラとザトウクジラの捕獲禁止。
- 1970年 南氷洋での総枠2700頭に削減
- 1971年(昭和46年) IWC総会で捕鯨禁止発言。
- 1972年(昭和47年) ストックホルムでの国連人間環境会議で「商業捕鯨10年間モラトリアム(一時停止)勧告案」が採択される。IWCがモラトリアム否決。国際監視員制度実施。シロナガス換算(BWU)方式の廃止、鯨種別捕獲頭数枠の設定。ノルウェーが南氷洋捕鯨から撤退。日本がミンク捕鯨を開始
- 1973年(昭和48年) カナダ、バハマなど捕獲中止。
- 1974年 海区別規制開始
- 1975年 新管理方式(NMP)の採用
- 1976年(昭和51年) 日本共同捕鯨設立。南氷洋でナガスクジラの捕獲禁止。北洋でナガスクジラ、イワシクジラの捕獲禁止。
- 1978年(昭和53年) IWC会議に反捕鯨団体乱入。南氷洋イワシ鯨の捕獲禁止。IDCRミンククジラ調査開始。
- 1979年 IWC会議でインド洋鯨サンクチュアリーが採択される。北洋マッコウクジラ(雌)の捕獲禁止。日の丸焼却事件。シェラ号事件発覚
- 1980年(昭和55年) 北洋でマッコウクジラの捕獲条件付禁止。
- 1981年(昭和56年) 南氷洋でマッコウクジラの捕獲禁止。
- 1982年(昭和57年) ミンククジラ7072頭。IWCが商業捕鯨モラトリアム採択。
- 1984年 ミンククジラ4224頭。日米合意。捕鯨訴訟
- 1985年 日本は商業捕鯨モラトリアムへの異議申立てを撤回、商業捕鯨1988年までの撤退決定。米高裁日米合意無効
- 1986年 商業捕鯨のモラトリアム実施。
- 1987年 日本は南氷洋での商業捕鯨を中止し、調査捕鯨を開始
- 1988年(昭和63年) 日本が商業捕鯨を中止。日本はミンク鯨とマッコウ鯨の沿岸捕鯨を中止
- 1990年(平成2年) IWC総会で南氷洋海域のミンク鯨推定資源量を、76万頭で確認。
- 1992年(平成4年) フランスが南氷洋のサンクチュアリ(聖域)提案否決。アイスランドがIWCを脱退、理由はIWCの不正常な現状に対するもの。北大西洋海産哺乳動物委員会(NAMMCO)設立。IWCで改訂管理方式(RMP)が完成。IWC科学委員会は南極海のミンククジラを毎年2000頭捕獲しても生態系に支障をきたさないと推定。RMP(改訂管理方式)を完成。反捕鯨国の要求によりRMS(改訂管理制度)の完成ならず。
- 1993年(平成5年) 日本各地でホエールウォッチング、ドルフィンスイム、ドルフィンタッチが盛んになる。ノルウェーが商業捕鯨を再開
- 1994年(平成6年) IWC総会で南氷洋サンクチュアリ化案が可決。日本は異議申し立て中。北西太平洋ミンククジラ捕獲調査5ヶ年計画開始
- 1996年 SOWER(シロナガス調査および南極海鯨類生態系調査)開始
- 1997年 世界捕鯨者会議発足
- 2000年 JARPNU 北西太平洋鯨類捕獲調査にてニタリクジラ・マッコウクジラの捕獲調査開始
⇒ 97/98南氷洋鯨類捕獲調査船団
⇒ 1998/99年度南氷洋鯨類捕獲調査船団
⇒ 2001 第2期北西太平洋鯨類捕獲調査船団
⇒ 2002 第2期北西太平洋鯨類捕獲調査船団
⇒ 捕鯨の歴史
⇒ 捕鯨
⇒ 捕鯨問題
新規作成日:2002年2月23日/最終更新日:2002年2月23日