科目の略称:
CRIS=Conflict Resolution in International Society
CCR=Culture and Conflict Resolution
ACD=Arms Control and Disarmament
NEMP= Nationalism and Ethnicity in Modern Politics

+++ブラッドフォード大学平和学科留学体験記+++

−日記−
(日記を5ヶ月も続けてるなんて、僕にとっては快挙デス)

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2004/3/31(水) 画材調査、大学、議員会館、外回り

イースター休み12日目@日本

今日は、新宿の東急ハンズで写真パネル作成用の発砲スチロール製のパネルの値段を調査。結構高価なものかと思っていたけど、A4サイズで160円。安い…。

その後、大学へ行く。留学の手続きを担当する部署へ。いつも入り浸っていた場所。月曜日に大学へ来たときもここで時間を潰した。部活とかサークルに入っていないので、ここがある意味僕の部室という感じ。でも、今日は友達には会わず、大学の職員と話をしていただけだった。

その後、永田町の議員会館へ。事情があって、こんなところで打ち合わせ。そして、旧ユーゴへ支援活動を行っている某団体へ資料を渡しに向かう。色々と質問されたけど、ほとんど答えられず…。つかえなーい!僕って…。

その後、近くのスタバで答えられなかった質問の内容をNGOの代表へメールで送る。ほかに、明日の打ち合わせで必要な写真パネル作成に関するレジュメも作る。1時間半ほど、ノートパソコンに向かう。

帰宅途中、都バスの中でパキスタン系と思われる家族連れを見かける。ブラッドフォードだとどこでも目にするスカーフ姿。やっぱり日本だと目立つ。東京も多様な都市だ。帰宅したのは7時。父親とご飯を食べる。ぼちぼち、家族が帰宅してきた。

食後は、連絡調整用にネット上の掲示板を作成したり、色々と雑用をこなす。

仕事用の名刺を作っていたら、カッターで指を切った。かなり深く…。出血…。う〜、イタイ…(涙)。

2004/3/30(火) 会場下見、パネル作成の調査

イースター休み11日目@日本

お昼過ぎから虎ノ門へ。昨日の続きで、いくつかの会場を下見。既にネットである程度調べたが、念のため直接行って確認。

その後、夕方から新橋へ向かい、NGOの代表から指令をもらう…。日本のNGOの存在をアピールするために写真展示を行うので、そのパネル作成に関して。これまでに、この組織で写真展を経験しているし、一応それなりにDTPの知識はある。だから、パソコンを使って、安く写真パネルやポスターなどを作るくらいのノウハウはある。オタクだから…。それを知っていて、NGOの代表は僕に依頼しているみたいだ…。

今日はこれで終了。帰宅後、色々と作業をしていると、午前4時だった。日本に帰ってきてから、こんな生活。

明日、日本の大学に通う外国人留学生の友達がお花見に行く。でも、明日は旧ユーゴの各大使館を回る可能性もあるということで、残念ながら参加できそうにない。

2004/3/29(月) 大学@東京、ホテルオークラ、会場下見

イースター休み10日目@日本

午後から都内にある自分の大学へ行く。今日はゼミの申し込み日だったり、成績表公布日だったりと、友達に会えそうだったので、事前に告知して行った。僕の大学の校章は「桜」。キャンパス内にも「桜」がある。せっかく日本に戻って来たから、花見でもしていかなくては。

キャンパスの桜はまだ咲き始めだった。それでも、ブラッドフォードの桜もどき(アーモンドの木)ではなく、本物。なんで、日本人は「桜」にこれほどまでの愛着を持つのだろうか。とても不思議だ。

思った以上に多くの友人に会った。キャンパス内をあるけば、友人とすれ違った。"おかえりー”などとも声をかけられた。でも、まだ留学は終わってないので、”すぐ帰るけどね…”と伝える。先日、卒業した友人にも出会った。8ヶ月ぶりに友人に会うのは、とても嬉しいものだ。結局、夕方まで大学に入り浸り、友達と話をしていた。あと、4月9日に「留学説明会」があるらしく、ここで少し話すことになりそう。普段は、留学を終えた人が現地での様子を話すようだけど、僕が初めて現在進行形で話すことになりそう。

夜は、アメリカ大使館裏のホテルオークラへ。旧ユーゴの閣僚とのセッションはここでやるらしい。会場の下見をする。アポが取れたのか、本当に閣僚と会うことになりそうだ。でも、まだ実感が沸かない。その後、一人で周辺の会場も下見。ほとんどは閉まっていたけど、「農林年金会館」というところはホテルのようで、まだ開いていた。受付で会場を見せて欲しいと頼んだ。僕の服装がとってもラフだったのが原因か、"アポはありますか?”なんて聞かれて、面倒臭そうな顔をされる。“これはヤバイ…。なめられている…。”と思ったので、ここでNGOの代表に言われたように少し大風呂敷を広げる。“えーとね、今週に東ヨーロッパの各国から閣僚が来日して、外務省主催の国際会議に出席するんですよ。で、日本の民間団体との会合を予定しているので、部屋を見せてもらいたんですけど”とそれらしいことを伝える(ウソじゃないけど)。すると、「外務省」の言葉で相手の態度が急変。すぐに案内してくれた。なんなんだ、これは…。そんなにお得意様なのか外務省は…。大人の世界はわからない…。

でも、場所としては広すぎるような気がしたし、ホテルオークラの方が料金が格段に安い。閣僚はホテルオークラに滞在するのだから、同じ場所でいいような気がした。で、色々と資料をもらって、“検討します”と言って去る。官僚用語で、「検討する」は「あまり乗り気じゃない」の同義語だ。そんな言葉を使っている自分がちょっと嫌だった。正直に“高い!”と言いたかった。

そのほかに、もしかしたら閣僚と夕食でも食べることになるかもしれないので、飲み屋やレストランを探す。個室のある店を探したけど、お店自体が少ない地域のようだ。

帰宅後、ノートパソコンのハードディスクを入れ替え、OSをインストールする。WindowsXPからWindows2000へバージョンダウンだけど、軽快で快適だ。データの移行はとても慎重にやらないければ。特にメールデータやMyDocumentなど。ソフトの入れなおさなければ…。ある程度終了して、今日は終了。残りは、また明日。

夕飯を食べた後、両親と3人で昨日納車されたばかりの新車の試乗会をしてみる。3人で夜の10時に近所の東京湾岸地域を走ってみた。セダンなのに、内部はゆったり。高級感ある車だった。

帰宅後は、今日下見を出来なかった会場をネットで検索・情報収集。結句、どこも午後5時までしか使えないらしい。閣僚とのセッションは夕方から9時にかけて。多分、会場交候補としては消えそうだ。今日得た情報をメールでNGO代表に報告。今日はこれで終了。

パソコンの整備がまだ終わっていない。明日の午前中には、インフラ整備をしなければ。寝たのは午前4時だった。

2004/3/28(日) 散髪、東京フラフラ、日本の女の子、飲み屋で打ち合わせ

イースター休み9日目@日本

朝は8時に起床。家族で朝食を食べる。午後1時半に行きつけのサロンで散髪をする。いつも切ってもらっている店長さんが担当。“英語はペラペラになった?”と聞かれる。“何にも変わらないデス”と答えると、“いやー、でも半年も住んでいたらうまくなるんでしょ?”なんて言われる。そんなに劇的な変化はないんです。だって、普段は資料を読んで、エッセーを書いてるだけだから。。

その後、東京をフラフラすることに決めた。まずは、銀座。自宅は東京の湾岸地域。幼い頃から知っている銀座。有楽町駅で降りて、銀ブラをした。その後、秋葉原へ行ってみた。日曜なので歩行者天国。パソコンのハードディスクを安く買おうと思い、色々とお店を探す。差別じゃないけど、やっぱりオタクっぽい人が多い街だ。と、そんなところに出入りしている僕もオタクなのか。。で、ノートパソコン用のハードディスクを購入。その後は、新宿へ移動してみた。ブラッドフォードで観た映画『ロスト・イン・トランスレーション』の舞台である新宿。と言っても、通学のためにブラッドフォードに来る前は毎日電車を乗り換えていたし、NGOの会議では新宿南口のマックやベローチェに入り浸っていた。でも、今日は「おのぼりさん」だ。“あー、これ映画で見た!”という風に新宿を見学。新宿高島屋にある紀伊国屋へも行った。洋書コーナーを見てみると、ブラッドフォードの本屋で売っている本も発見。値段は同じ。輸入品だからと言って、別に高いわけではないみたいだ。その後は、駅近くの親戚の家を訪問。新宿駅から徒歩数分の場所にある高層マンション。『ロスト・イン・トランスレーション』で何度もその姿が映っていた。とっても便利な場所にあるので、日本にいるときから新宿に立ち寄ると、しょっちゅう訪れている。イトコが住んでる。まるで、サザエさんのノリスケさんが磯野邸を訪問する。そんな感じ。

今日一日、山手線や中央線に乗って、都心を移動してみた。電車はひっきりなしに来て、慌しく出発する。人も多い。ブラッドフォードでは、人とすれ違ってもぶつかることはない。でも、トーキョーは道を歩くも大変だった。街はキレイだ。ゴミはもちろんあるけど、食べかけのハンバーガーが落ちていたりと言うようなブラッドフォードの汚さはない。建物も新しくてキレイだ。街行く人もキレイな服を着ている。

ふと、気になった事がひとつ。それは日本の女の子。みんな、細くて、お洒落さんで、キレイだ。東京だからなのかもしれないけど、ホントに誰もがモデルのように見えた。ずっと日本で生まれ育ってきて、そんな風に思った事がなかなった。イギリスだと、そんなおしゃれをしている学生は殆ど見ない(それに、体格が良い…)。彼女らなりにおしゃれに気を使っているのかもしれないけど、日本の女の子の方がやっぱりおしゃれで、(主観だけど)キレイでカワイイ。と、そんな風に思って、ロンドン近くで7週間の語学研修を受けていた日本人の女の子(今日帰国!)に電話してみた。僕の感想を伝える。“日本人の女の子が海外でモテルというのが分かったような気がする”と言うと、意外な反応があった。彼女曰く、“イギリスの女の子の方がいつも自然で、楽な格好をしている”と言う。で、日本だと、みんな流行に敏感で、他の人がやっているから、自分もそれにある程度合わせないといけないらしい。なるほど。人によっては、好きでおしゃれをしているわけではないらしい。色々と女の子は大変なんだなぁー。

そんなことをしていて夜になる。午後7時からは、西日暮里へ移動。駅近くの飲み屋でNGOの代表と簡単な打ち合わせ。何となく僕の仕事の内容が分かってきた。とりあえず、明日代表が外務省に行って、企画を提案するという。つまり、まだ何も決まっていないということだ。どうなるんだか…。で、もし、何かしら旧ユーゴの各共和国の外相と経済相の予定が合えば、僕が複数の日本のNGOの調整をしたり、メディアの対応をしたり、閣僚との通訳をすることになっているらしい…。本当にそんなことを僕がするの…と少し思った。まずは先方の都合次第だけど、もしそんなことになったら忙しそうだ。英語を勉強しておくか(笑)。帰宅後は、課題をやる。それは名刺作り。大使館と交渉する際に必要なものらしい。肩書きは、「コーディネーター」らしい。名刺だけは、「それらしい」ものを作った。でも、学生なんだ、僕。黙っていよう、そのことは。なめられないように。聞かれなければ、歳は言わない。これ大切。

2004/3/27(土) 機内、帰国、携帯開局、パチンコ初体験、その他

イースター休み8日目@日本

飛行機の席につくなり、腕時計を日本時間に直す。これ習慣。以降、日本時間。

機内は満席に近かったけど、僕の隣の席は開いていた。コーチでの移動中、全く眠れなかったので、離陸するなり眠ってしまった。耳栓をしていたので、機内食が配られていたのに気づかず。特別食べたかったわけじゃないけど、数時間前にパスタを食べたばかりなのに、お腹が空いてきた。移動の疲労で食欲はないけど、お腹が空いた。変な感じ。強い空腹感を覚えつつ、時差ボケに勝つために「寝る」。眼をつぶり続ける。結構、眠れたかも。

11時間のフライトの末、日本に到着。不思議なことに、特別な感動もなかった。“懐かしい”という思いはあったものの、それほど強くない。“あぁ、日本ね。何度も来てる。良く知ってる国だ。”なんていう気分だった。

空港には両親が迎えに来てくれた。到着したのは正午。空港内のレストランで食事をする。中トロ寿司とソバのセットを食べる。そんなに美味しくなかった…。車で成田から東京へ向かう。窓から見える風景は日本だったけど、特別な感慨は不思議にもなかった。驚きも無く、普通に受け入れられた。ブラッドフォードや海外とはやっぱり違う東京の風景。でも、それも僕にとっては普通の風景。ブラッドフォードも僕には普通の風景。違うけど、どちらも僕にとっては差別無く受けいれられるみたいだ。

まずは、携帯電話を使えるようauショップを自宅近くで探す。去年、番号を維持するために利用を「一時停止」していた。でも、auショップで確認すると、6ヶ月を過ぎても何も再開手続きを行わないと、番号が破棄されてしまうと言う。で、既に8ヶ月が経過。番号が変わってしまった…。再開手続きには40分ほど掛かったので、それまで母親と近くの駅ビルなどに入ったり、ドラッグストアーで買い物などして時間を潰した。

ふと、パチンコ屋が目に入る。ギャンブルはやったことないけど、なんか妙に興味をそそった。で、母親に言うと、“えっ?パチンコやったことないの?”と言われ、1000円を渡される。“遊んでみなよ”と。初めてパチンコをやってみた。すぐに1000円がなくなる。面白くない…。無駄に1000円を使ってしまった…。というか、まだ帰国して数時間。8ヶ月ぶりの日本でパチンコをしている自分って…。

携帯電話が再開した。NGOの代表に連絡して、新番号を告知。これで仕事ができる。

デパートで買い物もした。食料品売り場は、どれも新鮮で、美味しそうなものばかりが売られていた。これまでデパートの食料品売り場は、天井が低く、狭くて、混んでいて、大嫌いだったけど、今日はそんな風には思わなかった。何もかもが品質が良い日本のデパートを再発見。。

帰宅したのは夕方。自分の家に戻ってきた。やっぱりそこでも、特別な感慨もなく。ごく普通に帰宅。“あぁー、実家だぁー!”という気分もない。やっぱり変だ、僕。

ノートパソコンを自宅のブロードバンドに接続。メールで、新しい電話番号の通知を友達に一斉に行う。日本に帰ってきたこともちょこっと通知。色んな人から「お帰りなさいメール」が送られてきた。これは嬉しい。日本の大学の友達で、中国人の留学生からもメールが。31日にお花見を行うので、一緒に行こうと誘われた。。とても嬉しいけど、仕事の予定が分からないので、今の時点では返事が出来ないと伝える。残念…。

夕食は、イクラとかウニとか、日本でしか食べられないようなものを食べる。やっぱり美味しい。。

時差ボケは全く無し。飛行機の中で調整出来たみたいで、日本時間に身体が対応していた。でも、長旅の疲れか、10時には寝てしまった。

2004/3/26(金) 帰国へ

イースター休み7日目。

午前2時過ぎに寮を出発。荷物はリュックとスーツケースのふたつだけ。道でタクシーを拾って、Bradford Interchangeへ向かう。コーチは午前2時50分に出発。お客さんは少なかった。

乗り心地は良くない。小道を走る事が多く、とても揺れるし、座席も狭い。全く眠れない。午前9時過ぎにヒースロー空港へ到着する6時間の旅。一時間がとても長く感じて、とても辛かった。肉体的にも、精神的にも僕にはコーチは向いていないと思った。午前7時頃には、体調が悪くなってきた。乗り物酔いはしない方だけど、このコーチは辛い…。途中で、貧血様な気分になって、目の前がクラクラしてしまった。数分間、意識もうろう…。それくらい、僕にはキツイ移動だった…。

空港には予定時刻通り、9時に到着。事前にネットで調べた情報では、第3ターミナルが日本便専用だと思っていた。でも、インフォメーションで確認すると、第1ターミナルだと言う。荷物を持って、徒歩で移動。

フライトは午後2時30分。チェックインは、その3時間前なので、かなり早く来過ぎてしまった。カウンター近くの座席におとなしく座って3時間待った。チェックインは直ぐに終わったので、出発ゲートの中へ入る。少し小原が空いたので、空港内のレストランでパスタを食べる。その後、£3の有料のシャワーを浴びて、リフレッシュ。

搭乗ゲートへ向かうと、沢山の日本人。。日本語が沢山聞こえる。英語もドイツ語もウルデゥー語もスペイン語も何も聞こえない。日本語だけ。ブラッドフォードでは、みんな色んな言葉をしゃべるので、何を話しているのかは分からない。だから、他人の話に聞き耳を立てることもない。でも、日本語はやっぱり耳に入ってくる。久しぶりの感覚だった。

搭乗ゲートで待っていて、ここまでなんとなく勢いで来てしまったことに気づく。後悔するというか、帰国することに少し抵抗を感じた。なぜだろうか。ひとつには、ブラッドフォードでの勉強(留学)を完全に終えてから帰国する、と決意していたから、それを果たせなかったことへの後悔かもしれない。もうひとつは、「日本」を感じたいと思っていたものの、乗客の日本人を見てもなぜかそんな親近感や懐かしさを感じなかったことから、自分の期待とは違ったというある種の絶望。後者の場合は、誰に責任のあることでもなく、自分自身の問題だと思った。やっぱり、あんまり対人関係が得意ではない人格が自分の中にあるのではないか?という思いが強い。そんなウツな人間でも、暗い人間でもないけど、「紛争」に興味のある自分自身がそんな感じだったりすることへの自己矛盾。基本的に人は好きなんだけどなー。へんな僕。。

飛行機は予定より30分遅れて出発した。もうイギリスには引き返せない。と言うか、日本へ引き返している。結局、乗っちゃったョ、飛行機に…。

2004/3/25(木) 帰国準備、もし信じられなかったら?

イースター休み6日目。

ホントに帰国します。ウソじゃないよ。。午前中に帰国準備を色々と進める。昨日のうちに、荷詰めはほとんど終わったので、特に無し。

昨日、同じIVSPのRちゃんに日本でフジッ子の昆布を買ってきて欲しいと頼まれた。てっきり佃煮だと思ったら、違うと言う。なので、現物を見せてもらうために寮へ向かう。で、昆布を見る。理解した。

その後、キャンパス内の売店で大学のロゴ入りネクタイをお土産に買ったり、STATravelでチケットを受け取り、街へ買い物へ。パソコンのデータを保存するためのCD-RWのメディアを買う。日本に帰ったら、ノートパソコンのOSを入れ替える予定。標準搭載のWindowsXPは重すぎる…。毎回、起動に5分以上掛かっている。イライラするぅー!なので、Windows2000にするつもり。バージョンダウンだけど。

ショッピングセンターで、チョコマフィンとカプチーノで一服。ボーっと行きかう人を見ていた。白人、黒人、黄色人種。色んな人がいる。8ヶ月見てきた日常風景。日本とは全く違う。8ヶ月振りの日本。留学すると、帰国して直ぐに逆カルチャーショックを受ける人もいるらしい。僕はどうかな。多分、そんなに驚きはないと思うな。だって、日本ってそういう国じゃん。そういう前提で行くから、別に何も驚かないような気がする。行ってみないと分かんないけど。そんなことで騒ぐほど、海外経験が無い訳じゃないし。

駅にロンドン行きの列車のチケットを買いに行った。明日の早朝の出発のつもりだった。すると、午前9時までの列車は往復£90です、と言われる。“はぁー?たっかー!”9時以降なら£60。£90って2万円近いぞっ!なんで朝早く出発するだけで、料金が違うんだよ!ふざけるなぁー!眠い目をこすって列車を運転するのが重労働とでも言いたいのか!アホかっ!割引カードを使って、この値段。じゃあ、誰がそんな値段払って乗るんだっ!わけわからん。£90も払いたくないので、コーチでヒースローに行くことにする。で、コーチのチケットを買おうとすると、出発が明日の午前2時50分だと言う。はぁー?なんでそんな早いんだっ!普通、12時ヒースロー着なら、朝の6時頃に出発するコーチがある。満席なのか…。踏んだり蹴ったり…。でも、仕方ないのでコーチにする。午前2時50分ブラッドフォード出発だ。乗り換えもないし、重いスーツケースを運ばなくていいからそういう点では楽。でも、コーチでの移動は好きじゃないんだな…。

帰宅後、ボチボチと荷詰めを進める。3時頃に、日本か送られて来ていたRちゃんに頼まれていたフジッ子の昆布を日本食群の中から発見。これを本人にあげに行った。寮にいないので、図書館で探して本人発見。手渡した。

図書館からの帰宅途中、道端で白人のお姉さん2人に声を掛けられる。キリスト教の布教をしているボランティアだった。いわゆる勧誘というやつだ。無視しても良かったし、普段ならそうしている。でも、今日はちょっと気分が違った。話を聞いてみようと思った。で、一応、大学で紛争と宗教のことを勉強していて、宗教には若干懐疑的な日本人だよ、とは伝えておいた。それを理解した上で、説明して欲しかったから。で、話は「神」が伝道師を通して、人々にメッセージを伝えている。そのメッセージを読み、神に質問することで、自分はどこから来て、どこへ行くのかが分かるという。ボランティアのお姉さんも聖書を読み、神に問うことをして、悟ったそうだ。30分ほど、彼女たちの言いたい事を全部聞いてあげた。で、それについてどう思うか?なんて質問される。あなたも幸せになりませんか?とも言われる。

逆に質問してみた。“信仰を持つことによって、幸せになることは良いと思う。すばらしいことだと思うよ。でも、「神」が人々を個人として愛していると言うけど、人々を人間として集団的に愛することはできないの?僕やあなたが個人として幸せになることも大切だけど、他の人を幸せにするにはどうしたらいいの?伝道師の言葉を読めばそれを信じることが出来て、幸せになれると言うけど、もし僕がこの言葉を信じられなかったら、僕はどうしたらいいの?「神」はそういう人をどう思っているの?”と聞いてみた。

お姉さんたちは、苦笑いしていた。“良い質問だと思う”なんて言う。“何を信じるかはあなた次第。他人が良いと思うことを押し付けることはするべきじゃない。人によって「良い事」は違う。でも、伝道師の言葉を読めば、きっとそれを信じられるし、幸せになれると思う。個人的に私がそうだったから。”とも言う。“人によって「良い事」は違う”と“読めば信じられる”というのは、矛盾だ。そもそも、僕の質問に答えていない。

社会「科学」を勉強している僕には、やっぱり理論という観点からは無理がある。なぜなら彼女らの話は全て自己証明的だから。いや、宗教というのはそういうものだと思う。別にそれが悪いと言いたいわけじゃない。今日だって、そんな意地悪なことを言いたいから、からかいたいから話を聞いていたわけじゃない。そういう質問に彼女たちがどう答えるのか、或いはどのように考えていて、どのように「神」が答えるのかを知りたかった。むしろ、そんな僕を救ってくれる「神」がいるのかを知りたかったのだ。極端な話、キリスト教を信じないイスラム教徒に対して、キリスト教の「神」は彼らを助けるのか(愛するのか)?その逆もまた疑問だ。そういうことを解決してくれる「神」がいれば、僕はその宗教を信仰するかもしれない。

もらっちゃいました。。と、そんな風に質問する僕を見て、普段は誰にも話を聞いてくれないからなのか、通常ならタダではあげないという伝道師の言葉を掲載している「Testament」をくれた。で、“この章をよく読んで”と言われる。

色んな人の話を聞くことは無駄ではない。食わず嫌いで聞かないのはもったいないとも思う。でも、最終的に自分で判断・決断する能力は必要。もちろん、疑うより信じる方が楽で快適なときもある。今日のお姉さんたちは、とても真剣だったし、真面目に彼女らの「疑問」を解決しようとしているのだと思った。だから、彼女たちが悪いことをしているとは思わない。

今日の教訓:“何も信じることが出来ない人が信じられないと、信じるものを持っている人には信じられないのかもしれない。”

夜は、『Bridging Differences: Effective Intergroup Communication』を読みながら、時間を潰す。26日午前2時50分までは寝ない。コーチで寝れなくなるから。次回の日記更新は、日本からかな。。

2004/3/24(水) 緊急帰国決定!

イースター休み5日目。

昨日は深夜2時までBBCの映画を見ていた。夜更かししたので、朝は遅く起きた。目が覚めて時計を見ると、10時半。かなり寝ていた。なかなかベッドからは出ずにグズグズしていたら、電話が鳴った。出ると、“マルタ共和国は決めたの?”と言われる。声の主は、日本のNGOの代表。この日記を読んでいるらしく、僕が暇そうにしているのを察知したらしい。

用件は別に冷やかしではなかった。4月6日に日本の外務省主催で「西バルカン平和定着・経済発展閣僚会合」が開かれる。旧ユーゴの各国から外相が集まり、国連やEUの機関も集まる大きな「会合」らしい。で、旧ユーゴに関わっているNGOなどの民間団体がプレゼンをするらしく、そのロジスティックのお手伝いに参加しないかとのお誘い。正直、概要すらもあんまり理解出来ていないような気がするし、僕に出来る仕事があるのかよく分からないけど、面白そうなので何も考えずに“参加します”と言ってしまった。何事も経験。何事も勢い。何事もノリ。なんとかなる(だろう)。

国際学生証(ISICカード)で、チケットの手配。出発は今週中。旅行会社を色々と検索してみるけど、今の時期はどこも満席。出発2〜3日前に予約するなんて少し無謀な感じもした。で、結局一番安かったのは、キャンパス近くにあるSTAtravel。£360+諸費用。国際学生証を持っている学生のためのスペシャルオファーで、通常£500以上するチケットが安くなっていた。その場で有効期限が切れていた国際学生証を新規に作成。チケットも購入。出発は26日午後13時30分。BA便。ロンドン発成田着。帰国は、4月11日。

“日本には帰らない”と意地を張って、“マルタ共和国でバカンス”のつもりが、こんなことになった。渡りに船だ。日本に行こう。。ちなみに、現在ユーゴ問題は国際社会では重大関心事項のひとつ。最近、コソボでのアルバニア人とセルビア人との衝突が激化して、住民、国連平和維持軍、国連警察に死者が出て、安保理を含め多くの国際機関が懸念を表明してるくらい。パレスティナ問題と同等くらいだろうか。でも、日本では旧ユーゴのことは殆ど伝えられていない。イギリスでは普通にニュースで伝えている。興味・関心の違いなのだろうか。

で、チケットをSTAtravelで受け取って帰ってきたら、部屋のデスクチャアーが替わっていた。1週間以上前に、イスのネジが緩んでいるので、ネジ回しを貸してもらおうと管理人に頼んだら、“イスを交換する”と言われていた。なかなか来ないので、諦めていたら、留守中に来たらしい。勝手に部屋に入って、交換していったようだ。これって結構問題では…。せめて、事前に連絡して欲しい。部屋の電球が切れたときも、いつ来るのかを知らせずに突然来た。無礼だな、と日本人の僕には感じる。なんでも向こうの都合なんだよな…。「プライバシー」っていうのは西洋の概念じゃないのかい…。そこんとこどうなんだ、イギリス人!

明後日の出発に向けて準備をする。行き先は故郷ニッポン。泊まるのも実家なので、特別持っていく物はない。持ってきたスーツや時間があったら書こうと思っているCCRの資料などをスーツケースに詰める。

夜は、『Bridging Differences: Effective Intergroup Communication』を読む。予定では、今頃にはCCRのエッセーを書き終えている頃だったのに…。まだ何も書き始めておらず、資料を読んでいる段階。予定では、ナショナリズムと軍備軍縮を勉強するはずだったのに…。何にもしてない。でも、CRISのエッセーは終わっているし、CCRのエッセー提出は5月10日。まぁ、余裕はある。って、友達に言われた。CRISのエッセーはかなり早く終わらせすぎたみたいだ。でも、そのおかげで日本に余裕で行けるから、結果的には良しとしよう。

寝る直前にオーストラリアに留学中の友達とチャットした。日本に帰るよーん、と報告。

2004/3/23(火) 買い物、ピザハット、M&S=イスラエル支援?、日本のシラバス

イースター休み4日目。

お昼から街中へ買い物。シャンプー、歯磨き粉、歯ブラシ、バンドエイド、ブックエンドを雑貨屋で購入。その後、マークス&スペンサー(M&S)で以前飲んで美味しかったワインを買う。たった99pのドイツワイン。甘くて美味しい。

買い物が終わるとお腹が空いた。朝食を食べなかったので、珍しく外食してみた。入ったのは、ピザハット。BBQ味の鳥の手羽先とスパゲッティーカルボナーラを頼む。手羽先は美味しかったけど、パスタの方は…。元々何も期待はしていなかったけど、料金が£11だったのには、少し後悔。£11もあれば、1週間は最低でも生活できる。でも、このまずい料理にそんな大金を払ったのかと思うと、お金の使い方を間違ったと思った。

ワイン君は無実です。その後、帰路へ。途中、大学院生の日本人Eさんに出会う。僕がM&Sのビニール袋を持っていたら、“M&Sで買い物すると、イスラエルを支援することになって、パレスティナの人たちを殺すのよ”みたいなことを言われる。終いに、“M&Sでは買い物しないで”とまで。話によると、M&S創設者のマークスはユダヤ人で、M&Sは今でもイスラエルに多額の資金援助をしているらしい。いわゆるディアスポラによる遠隔的な支援のことだ。一昨日、イスラエルはパレスティナの武装組織ハマスの最高指導者ヤシンを殺害した。中東和平の実現が10年近く遠退いたくらいで、第5次中東戦争でも起こりそうなくらいの緊張感に包まれている。そんな状況の中での僕のM&Sでのお買い物。たった99p(さらに10%のディスカウントで89pだった)の買い物が、間接的にイスラエルの軍事費となり、パレスティナ人との衝突に利用されている。僕は間接的にこの紛争の恒常化に加担してしまったのかもしれない。それも、無ければ死んでしまうというわけでもないワイン(たった99pだけど)を購入したことによって…。そんなM&Sとイスラエルの話を聞いたばかりに…。知らないよりは知っておいた方が良い。「無知の恥」というのは嫌だ。でも、M&Sには気軽に行けなくなったかも。。そもそも、そんないわくつきのワインを飲むがちょっと…。もちろんワイン君には罪はないけど。

帰宅後したのは3時。今日は、CCRエッセーのために『Bridging Differences: Effective Intergroup Communication』を読むつもりだったけど、やる気出ず。本を開くこともなく、ただ無駄に時間が過ぎて行った。本当に何もしなかった。

夜、所属する日本の大学の今年度のシラバスをネットで見てみた。新しい科目があったり。他学科の心理学科のシラバスを見る。犯罪心理学があったりした。他に、社会心理学のシラバスを見ると、今僕がCCRのエッセーのために勉強している内容が全て網羅されていた。social identity theory, self-categorisation theory, intergroup relationsなどなど。日本語の用語がどんなのかを知った。帰国後の単位互換の際は、CCRはこの心理学科の社会心理学かもしれない。他にも、外国書購読の授業では、去年受講していたイギリス人の先生が退職して別の教授が担当していた。たった5ページの英文は1〜3週間掛けて“じっくり”読むとか。“じっくり”過ぎると思うよ、それは…。帰っても英語を使う授業を取りたいな。。

他には、マルタ共和国ツアーに旅行会社に問い合わせのメールを送ってみる。実は、これは在英日本人向けの旅行会社。他の英国系旅行会社(e.g. Thomas Cook)などより、グレードの高いホテルに安く泊まれるみたい。日本語で問い合わせも出来るし、便利かも。

寝る前にちょこちょこっと本を読んでみる。本格始動は明日からだ。今日は、のんびりな一日。フラットの住人も実家に帰っているようで、とても静か。特に、一番生活音の大きいギリシャ人がいない。平穏だ。。こういうときにエッセーを進めなければっ!

2004/3/22(月) ナショナリズム読書、マルタ共和国?

イースター休み3日目。

今日は、CCRのエッセーの資料を探しに図書館へ行こうと思ったけど、やる気が出ず。先週の木曜日に注文した本が届くまでは、他の科目の勉強でもしようかと思った。で、今日はナショナリズム。以前購入して、読もう読もうと思いつつ、CRISのエッセー執筆が理由で読めなかった『Nationalism: A Critical Introduction』を読む。ナショナリズム議論の大まかな論点を説明している本だ。すでに受けた講義の内容のおさらいの気分で読み進める。予備知識があるので、理解には困らない。時間に余裕があるので、じっくりと各章を読む。今日中に読み終えようと思ったけど、数十ページが残ってしまった。

夕方、本屋から電話が掛かってきた。注文した本が届いたとか。1週間掛かるといったので、とても早い。。今日は部屋から全然出ていないので、気分転換に本屋へ行くことにする。注文したのはCCRのエッセーで参考文献としてリーディングリストで挙げられている『Bridging Differences: Effective Intergroup Communication』。パラパラとめくると、400ページもの分厚い本だった。でも、項目が細分化されているので、読み易そう。

今日は、休みの間の旅行についても考えていた。ネットで見つけた「ロンドン発マルタ共和国3泊4日ツアー」が面白そう。時期にもよるけど、£350-450で地中海でバカンスが過ごせるみたい。。飛行機代+ホテル代(5つ星)でこの値段。英語も通じて、治安も良くて、小さな都市で、暖かい。日本からのツアーだと20万円くらいするらしい。イギリスから行くから安い。。これとっても気に入った。。行きたーい!

学生の身だというのに…。とは言うものの、みんなトルコや東欧に旅行に行ってるし、ヨーロッパの学生は殆ど実家に帰ってる。「極東」から来た僕たちは近場を旅行するくらいしか…。普段勉強してるから、ご褒美だっ!(まだ、行くかも決めてないけど)

2004/3/21(日) カレー大会、帰国再考。

イースター休み2日目。

今日は、日本のNGOの学生ボランティアで知り合った友人がロンドンの語学学校での3週間の勉強を終えて、ブラッドフォードにやって来た。あまり長くは話したことのなかった友人だけど、僕が滞在した同じクロアチアの難民施設で1ヶ月間生活を経験した人。数少ないその難民施設を知る日本人だ。。

好評でした。。午前中にBradford Interchange駅へ向かいに行く。そのままキャンパスを案内して、寮で僕が作ったハウスバーモンドカレーを食べる。他にも大学院生のKyoさんなど、日本人のお友達3人が付き合ってくれた。ワインを飲んだりしながらのおしゃべり。気がつくと夕方5時だった。今日はそんな感じで時間を過ごした。

友人を駅へ送って行き、その後図書館で他の友達と会話。“イースターは日本に帰るかも…”なんて言ってみたけど、部屋に帰ってじっくり考えたら、気分が変わってきた(気分屋なんデス、僕)。ずっと行きたいと思っていたコペンハーゲンやストックホルムなどの北欧へ旅行に行こうかと思いつく。他には、マルタ共和国へのバカンスなんていうプランの比較的安い旅行会社を発見してみたり。。とりあえず、イギリスでもなく、日本でもない、どこかの国で、のんびりとボーっとしたい気分になった。日本に帰る費用があれば、この時期ならどこでも行けるだろうし。

夜は、まだアルコールが残っているので、特に勉強はせず。CRISのエッセーの最終仕上げを行う。5分で終了。いくつかの不自然な英語表現を変えただけ。総数合計4000単語は堅守した。。明日は、CCRエッセーのための本でも図書館に探しに行くか。。

2004/3/20(土) 日本式コミュニケーション、日本への誘惑…。

今日は、昨日たった30ページしか読み終えなかった『Negotiating Across Cultures』を読み終えた。内容は、アメリカのようなLow-Contextなコミュニケーションスタイルとは違うアジア的なHigh-Contexなコミュニケーションスタイルの紹介。一言で訳すと、「ハッキリと言葉で表現する文化」と「空気を読む文化」ということだろうか。インド、中国、メキシコ、そして日本をケーススタディーにHigh-Contextなコミュニケーションスタイル(具体的には、国家間の「交渉」について)を分析している。

Honne, Tatemae, Haragei, Oome ni miru, amae, keiyaku, etc. 日本語の単語が沢山紹介され、その概念化も行われている。土居健郎の『「甘え」の構造』が引用されているなど、日本ずくめの内容だ。ただ、正直な感想は、“日本人なら誰でも知っている欧米的コミュニケーションとの違いじゃん”だ。推測するに、日本のコミュニケーションスタイル(そのほか、High-Contexな文化のコミュニケーション)を知らない欧米人向けの本であると思う。日本人の僕が読んでもそれほど目新しいことではないし、何か発見があるわけでもない。もっと言えば、あまりにも日本人のコミュニケーションスタイルを単純化(典型化)し過ぎているようにも思う。大枠では間違っていないので、“多少のことは多めに見よう”(←この思考自体が日本式のコミュニケーションらしい)。

ということで、エッセーの参考になると期待したけど、目新しい発見がなかったので、これを元に書く気分にはちょっとなれない。「対欧米人向けに書く」というのであれば、意味はあるかもしれないけど、僕自身としては「エッセーを書く行為を通して物事を知る」ことを期待しているので、今日の本の内容に沿ったエッセーは「面白くない」。もっと個人レベルでのIntercultural Communicationを書きたい気分だ。

日本のお菓子は美味しい!今日は、日本の親とSkypeで会話。1ヶ月のイースター休暇に入った事を伝えると、“日本に帰ってくれば?”と言われる。今の時期なら£370から日本行きの往復チケットが手に入る。安いんだな、この時期は…。確かに、1ヶ月は長い。エッセーも一本だけだし、それ以外にACDやNEMPの勉強もしたいけど、1週間くらいはどこか旅行に行きたい気分。そこに「日本」というチョイスが…。ヨーロッパを旅行したら、結局£370くらいは掛かるだろうし、日本に帰っても大して変わらない。とは言うものの、6月に帰国するのに今帰ってもどうかなぁーなんて思う。別に帰りたくないわけではないけど、帰りたいわけでもない。1年間は帰らないと決めていたので、今日本に帰ってしまうのは信条に反する、なんて思ったり。変な意地があったりする。でも、帰ろうかな…。美味しいものを日本で食べたかったりして。。旅行気分で日本へ行くというのもある。宿泊先は自宅。タダだ。費用は移動費だけ。大学の友達にも会ってみたりして。うーん、迷うな…。別に迷うことでもないのかも。単に“日本が恋しい”と思われたくないだけだったりして…。とっても日本人的な考えだ。フラットメートはみんな実家に帰ってる。イギリス人もドイツ人もギリシャ人も。帰らないのは僕だけ。“なんで帰らないの?”なんて聞かれるくらい。じゃあ、帰ろうかな。。「メンツ」を気にするのが日本人なのだと今日読んだばかり。と、「きのこの山」を食べながら考えていた。

2004/3/19(金) CRIS&NEMPセミナー、読書、春学期終了

午前10時からCRISのセミナー。BargainingとProblem−Solvingの違いについて。ディスカッションの内容は、事前のリーディングの確認だった。面白いとは思わなかった。で、内容を次々と確認していくだけ。テンポが速くて、ちょっとついていけない…。で、殆ど何も話さないままセミナーが終わる頃になって、何かコメントは?と言われる。なので、“こういうアプローチはとっても西欧的。紛争当事者がそのスタイルを受け入れるかどうかの問題だと思う”なんて、ポツリと言ってみる。すると、“良い締めね”なんて言われた。。何か締めてしまったようです…。

午前11時からはNEMPのセミナー。初めにナショナリズムのポジティブな面とネガティブな面の例を紹介することに。僕は、日本の君が代・日の丸論争とワールドカップでの若者の一種のナショナリズムの高揚を紹介。ナショナリズムの物質的象徴とも言える国歌・国旗の正統性が問題な日本。一方で、「なんちゃってナショナリズム」のような一時的な国民意識の高揚。どちらがポジティブで、どちらがネガティブなのかは、正直分からない。結局、どちらも同じようなものだと思う。最終的には、「結果」がポジティブなのか、それともネガティブなのかという問題ではないのだろうか。ナショナリズムって。

2つのセミナーが終わる。一度、寮へ戻り昼食を食べる。

その後、図書館へ昨日買った「Negotiating Across Cultures」の本を読み行く。30分ほど図書館内で読むけど、静か過ぎて居心地が悪い。平和学科建物のCommon Roomという共有スペースに移動。そこで続きを読む。まだ初めと最後しか読んでいないので何とも言えないけど、本の内容は主に外交レベルにおける異文化の障害らしい。で、「日本」の例が目立つ。これまでも資料を読んで日本が非西欧的コミュニケーションの例として挙げられることが多いと思っていた。そうか、僕たちはそんな研究対象なのか。ふーん。じゃあ、そういう非西欧的な視点からエッセーを書いた方が良いのだろうか?それとも、「日本人という自分」を無意識の中に意識して、「日本人らしい」考え方をしないといけない、なんて自分自身が思ってしまっているのだろうか?Social Identity Theoryの観点からだと、後者の場合があるのかもしれない。

友達とも会って少しを話をしている間に4時半になっていた。本をあまり読み進まないまま、寮へ戻る。

のりがなかった・・・寮へ戻ってから部屋の片付け。その後、ボーっとしてみたり、何もしなかった。気づくと夜の9時になっていた。お腹が空いたのでご飯を作る。今日は「ざるそば」を作った。日本から送ってもらったそばをゆでて、冷やす。長ネギも切って、めん汁に入れる。久しぶりの「ざるそば」だった。

今日で春学期が終了。イースターです。1ヶ月の休み。お疲れ様でした。

2004/3/18(木) 裏切り、注意力散漫、疲労…

午前10時からCCRの講義。エッセーのテーマであるIntercultural Communicationについて。毎回詳細なレジュメをくれるので、それを期待していた。エッセーの参考になると思ったから。だが、なんと、講義が始まるなり、“じゃあ、今日はグループを作って、みんなで異文化コミュニケーションにおける障害を考えて”と講師のRhys Kellyが言う。“えぇーーーーー!資料くれーーーー!いつもくれるだろぉーーー!なんて手抜きなんだーーー!なぜ今日なんだぁーーー?”という思いだった。かなりの衝撃だった…。ここまで僕の期待を裏切るとは…。普段の講義にも不満だけど、今日はその「普段の講義」を期待していたのに…。恐るべし、Rhys Kelly。

で、8人くらいでディスカッション。あーだ、こーだと色んな人が言う。これとっても欧米的。“とりあえず、発言する”。これ鉄則。そういう環境はやっぱりまだ「慣れる」までには至っていない。というか、別に慣れようとしていない。何でも発言すれば良いというものではない。で、一通りみんなが言い終わったところで、冷静にそれらを吟味して、自分の発言をする。これが一番だと思っている。“美味しいところを取る”っていうカンジ。昨日までに読んだ資料でかなり予備知識はある。思いつきで言っているみんなとは違うんだっ!というミョーな自信があった。で、“low-context communicationやhigh-context communicationでは…”とそれらしいことを言ってみる。もっとも、そこでやっている議論の仕方自体が「西欧的」なコミュニケーションスタイルに偏っているんだと思っていたので、そんな話もしてみた。あと、誰も指摘していなかったけど、見逃されている点に気づいた。それは「言語」の違い。色んな国からの学生が多くて、その場で話している学生の国籍だけでも、人数分あるくらいの環境なのに、みな全員英語を話しているからなのか、「お互いにお互いの言葉を理解できない状態」というまさに「intercultural」な視点を忘れているようだった。そんな点も指摘。言いたい事は大体言えたので満足。。

講義の後は、図書館でエッセーに必要な本を2冊借りようとするが、どれも貸し出し中。待てないので、本屋で1冊は注文、もう1冊をその場で購入。その後、帰宅。お昼を食べる。先日親がネット通販で注文した「お米」が届いていた。管理人のところへ取りに行く。キッチンで封を開けると、「Sushi Rice」と書かれたお米が。オーストラリア産の日本米?だった。

午後2時からは、CRISの講義。先週の続きで、パレスティナ・イスラエル問題の「オスロ合意」が形成されるまでの「交渉過程」について。先週に引き続きKaren Abi-Ezziによる講義。話は上手いけど、長い…。1時間半も休憩無しで続いた。最初の1時間は集中力があったけど、その後はダメ…。話が徐々に詰まらなくなっていって、ノートを取るのを止めた瞬間、集中力の限界に達した。“もぉー、ダメ!疲れたぁー”という思いに。そうなると、ホントに注意力散漫になる、僕は…。無意味に周囲をキョロキョロと見たり、隣に座っていた友達のエッセーの資料を読んでみたりと、かなり落ち着きが無かったのが自分でも分かった。たった90分でこんな感じだと、日本に帰ってからどうなるんだろうか…。日本の大学だと、どの講義も90分で、それが一日中あるんだから…。

講義の後はビデオも見る。40分くらいだった。その後、セッションチューターのアンドリューにCRISのエッセーのチェックをしてもらう。先週見てもらって色々とアドバイスをもらった。それを元に書き直した。今日がイースター休み前の最後の講義。休みが明けたら直ぐにエッセーを提出しないといけない。だから、アドバイスをもらうなら今日が最後。しつこく色々と質問をした。“全体的に良く書けているし、結論も明確だから、良いと思う”というコメントをもらった。他には、いくつか表現についての指摘。そんな感じで個人指導が終わった。

その後、5時からCCRのセミナーへ。今日は紛争解決のシュミレーション。特定の状況で、どのような方法で紛争解決に挑むか?というもの。3人一組だった。一緒になったのはイギリス人とアイルランド人の女の子たち。二人ともネイティブだ。留学生がいると英語が分かりやすいけど、ネイティブだけだと結構厳しい…。でも、午前中のCCRの講義でのディスカッションの方法をここでも利用。なんとか乗り越えた。

今日は疲れた…。ホントに疲れた。こんなに疲れたのはブラッドフォードに来てから初めてかも。実は、こちらに来てから一度も風邪を引いていない。体調不良になったこともない。もしかして僕って「○カ」なのかと思うくらい、とっても健康。寝たいときに寝て、食べたいときに食べる、という一見不健康そうな生活だけど、身体の自然なリズムで生きている。身体的・精神的ストレスも殆ど無い。だから、逆に健康だったのかな。でも、今日は疲労感がある。こちらに来てから全くなかった「頭痛」も少しあったり…(元々、頭痛持ちなんデス)。風邪を引くのは休みになってからにして欲しい。。“体調管理が出来ないのは、自己管理が出来ていないから”。これ、関わっているNGOの代表に言われた言葉。まさにそうだと思う。体調管理は、自立(自律)への第一歩だ。

今日は早く寝る。明日、午前中に2つのセミナーに出れば、1ヶ月のイースター休みだ。

2004/3/17(水) NGO?Peaceworker?心理学は難しい…(CCR)

午前10時から軍備軍縮の講義。レーザー光線の発明は、軍事的に重要なんだそうです。(一言で一時間の講義を要約してみました)

午後1時からは昨日申し込んだPeaceworkersUKという団体が行う'Jobs in the Peace Field'なるセミナーに出席。詳しくチラシを読んでいなかったので、何か「トレーニング」をやると勝手に思い込んでいた。でも、実際は「平和」に関する仕事の説明。有給・無給インターン、正規職員などのポストがあって、この団体に登録すると情報がもらえますよ、という感じらしい。いくつかの受け入れNGOを紹介していた。

30分ほどの説明会だった。最後になってある学生が、“で、これはイギリス人向けなのか?”という質問をした。回答は、“YES”。“殆どの受け入れ団体がイギリスに本拠を置いている。探せばあなたの国にもあるかも”みたいな説明だった。。平和学科には沢山の留学生もいるし、僕も含めてこのセミナーを聞きに来た学生は半分くらいは「ガイジン」なんだけど…。

最後にそんな受け入れ団体のリストを冊子で受け取る。パラパラとめくると、「短期間のトレーニングプログラム」の紹介ばかり。危機管理とかフィールドなんとか、という言葉が並ぶ。あるMAの学生曰く、イギリスではNGOによる「トレーニング」が沢山あるという。でも、一日£150(3万円!)とかいう費用だったりする。そんな「トレーニング」のお知らせ満載の冊子だった。

NGOがそんなことをやっている背景には、理由がある。最大の目的は「お金」。この場合、別にNGOが「お金儲け」をしようとしているわけではない。NGOというのは一般に財政が大きな問題である。だから、そういう「トレーニング」なんてものを開催して、収入を得ようという意図だろう。「トレーニング」を受ける側は、特別なスキルが身についたような気にもなって満足だろうし(実際に身に付くのかもしれないけど)、NGO側も収入になる。両者が納得すれば、別に問題ない。誰も傷つかないだろうし。

ふと、「NGO」の日本での認知度を考えた。経験的に、「NGO=良い事をしている団体」と思っている人が多いと思う。もちろん、悪いことをしているNGOがあるとまで言い切れるほど自信はないけど、「NGO」というだけで問題無用に受け入れてしまう人が多いような気がする。そういうNGOへの期待に対して、僕は違和感を感じている。以前にも書いたけど、NGOは万能ではないし、現実問題の方が多いのではないかとさえ思う。今日のセミナーに出席していたKyoさんも言っていたけど、“NGOで働いているから良いことをしている”なんて思うべきじゃない。現実は厳しい。「Peaceworker」なんて言葉を使うこと自体、僕はなんか嫌だ。そもそも「Peace Studies」も名前に語弊があると思っている。 そんな思いをCRISのエッセーで書いた。NGOの問題点を取り上げた、かなり悲観的な小論文(別にNGOを否定したものではない)。“もっとみんな冷静になろうよ”っていうメッセージを込めたつもり。

で、結局、今日のセミナーに参加していた人も雰囲気から推測して結構冷静だったと思う。説明をしているお姉さんに「熱意」を感じたけど、意外と「平和学科」の学生はクールだ。

今取り組んでいるCCRのエッセーの方はというと、今日も昨日ダウンロードした論文20本に目を通す。難しいデス。Personal-/collective-Self esteem, self-categorisation, social identity theory(SIT), etc.。初めて聞く言葉ばかり。ようやく専門用語になれてきた、という感じだ。こんな苦労をしているけど、ホントにエッセーの内容に沿っているのか?という疑問が出てくる。ちなみに、エッセーのテーマは決定した。「Describe some common barriers to effective intercultural communication, and suggest the ways that these may be overcome」。選びました。これでいきます。

大まかな方向性としては、「対立」を生むような異文化コミュニケーション(駅前留学N○VAみたい)における障害だ。ステレオタイプやミスコミュニケーション、人々の異なるものへの態度などを中心に書きたいと思っている。“書きたいと思っている”けど、理想だけ先行して、頭がついていかない…。集めた資料が全て心理学だったから。。訳の分からない数式が出てくる。意味が分からないので、そういうのは読み飛ばして、「結論(実際は“Discussion”と書かれている)」だけ読む。だって、引用できれば良いだけだから。それにしても、やっぱりまだ慣れない。何か役に立つかと思って、日本から持ってきた日本語の社会心理学の本を読んでみる。なんて分かりやすいんだ!日本語っていいねっ!と思う。とは言うものの、エッセーとは関係のない「愛情の要素」なんて部分が気になったりした。←エッセーの趣旨とちがーう!(でも、5つの要素が愛情には必要なんだって)

CCRのエッセーは2週間くらいで大まかな枠組みが完成すると予想したけど、もっと時間が掛かるかもしれない…。あなどれない2000単語だ。「心理学の学生」をにわかに気取って書くしかないかも…。さすが「平和学」。Interdisciplinaryな学問というのはウソじゃなかった。 今まさにそれを実感している。

2004/3/16(火) 読書、ナショナリズム講義、プレゼン打ち合わせ、CCR資料収集

午前中に図書館に行き、Intercultural Communicationに関する本を読む。各章のSummaryだけを読んで、全て読んだつもりになる。3時間ほど読書をして、その後2時からナショナリズムの講義へ出席。

ナショナリズムの講義は、日に日に退屈になっている。担当のTom Gallagharは、人の良いおじさんっていう感じだけど、なんか弱い…。なんと言うか、人を引き込むオーラが無い…。Oliver RamsbothamPaul Rogersと比べると、なんか…。今日の話題は、共産主義とナショナリズムの関係をマルクスを中心に紹介。

その後、ナショナリムのセミナーの最終日に行う予定のプレゼンについての打ち合わせ。同じIVSPのRちゃんとパキスタン系の女の子の3人で担当することなっている。でも、パキスタン系の女の子はあまりやる気がないのか、今日は打ち合わせに出ず…。講義にも出ていなかった。仕方ないので、Rちゃんと打ち合わせ。プレゼンの内容は、ベトナムのナショナリズムについて。二人とも何も調べていないので、なんとなく想像で調査対象を決める。で、「ホーチミン」で決定。結構、いい加減だけど、あながち的外れではないと思う。と、そんな感じで15分ほどで終了。特に議論になることもなかった。日本語で打ち合わせをしたから、15分で済んだのかも。なんかちょっと新鮮だった。去年の7月に日本の大学のゼミのグループでの打ち合わせをした時以来。やっぱり日本人だ、僕たちは。。

せっかく時間があったので、その後もおしゃべり。結局、行きつく話題は帰国後のこと。MAでも、BAでも、みんな就活とか「その後」が気になるお年頃。。僕は6月に日本に帰っても、まだ大学3年生だ(実は今まだ2年生)。特に切羽詰っていない。今後の進路を考える時間は十分ある。今、悩んでも仕方が無い。帰ってからいくらでも悩めるし。ということで、今は目の前にあることをこなすだけ。それは、勉強。夢見ていた憧れのBradfordに来ているのだから、ちゃんと勉強しないと。最近、「慣れ」が出てきたのか、それとも平和・紛争研究の現実を知ったからなのか、以前ほどの「情熱」がなくなったような気がする。「情熱」が無くなったというか、「冷静さ」を持てるようになったのかもしれない。動機としての「情熱」と客観的に物事を分析できる「冷静さ」のバランスが必要だ。特に「平和」を勉強するなら…。

帰宅したのは、4時過ぎ。何もしないまま、時間だけが経っていった。CCRのエッセーの構想を考える。ここ数日読んだIntercultural/Intergroup Relations関係の本から分かることは、様々な心理的要因が他者への認知に影響を及ぼすと言うこと。色んな要因がある。だから、2000単語のエッセーで、それら全てを紹介するのは無理だ。どれかを選ばないといけない。もちろん、「文化」との関係を示さないといけないから、対象をさらに絞る必要がある。今漠然と興味があるのは、他者への攻撃的な反応やネガティブな心理の発生について。それらを「文化」と「紛争」に結び付けられるような「何か」を見つけないと。自己イメージと他者イメージにも興味がある。うーん、迷うな…。とりあえず、オンライン・データベースから更に20本のIntercultural/Intergroup Relations関係の論文をダウンロードしてプリントアウトした。今日はこれで終了。明日以降に、これらの資料を読み進めよう。

明日は、午後1時から2時まで、PeaceworkersUKという団体がBradfordで行う'Jobs in the Peace Field'なるセミナーを受ける予定。希望者は自由に参加できるらしく、参加者名簿に名前を登録した。紛争状況におけるナントカをトレーニングするらしく、キャリアガイダンスも兼ねていると言う。正直、何をやるのかは分からないけど、面白そうだ。大学内では様々な専門家がゲストスピーカーとして来ていたり、何かのシンポジウムも開かれていりすることもある。これまでそういうものに参加したことがなかったので、今回が初めて。「何事も経験」。これ僕のモットー。もっと積極的な人間にならなければ。。

寝る直前に母親からSkypeで電話が掛かる。先日出張中に倒れた父親が人事異動にあったらしい(リストラじゃないデス…)。で、新聞に名前が出たので、祝電が色んなトコロから来ているそうだ。両親とも28年も働いている。僕の人生より長い。スゴイ…。ちょっと尊敬だ。二人とも仕事が楽しいんだって。。

2004/3/15(月) 読書、買い物、Intercultural Relations実践編

今日は授業無し。11過ぎから図書館へ。Intergroup Relations関係の本をさらに借りて、読むことにする。軍縮やナショナリズム関係の本も読みたいけど、今日はCCRのエッセーに集中することにする。そういうメリハリを付けないと、興味が散漫になるし。本を借りて、図書館内で静かな場所を探すが、見つからず。もちろん、図書館は静かななんだけど、静か過ぎるのも居心地が悪い。なので、ある程度生活音のする場所がいい(神経質なのかワガママなのか…)。図書館一階は、普通に会話も出来る空間だけど、僕には少し騒がしすぎる…。結局、良い場所が見つからなかったので、お昼を食べに大学の食堂へ。今日はカレーを食べた。まぁまぁ、美味しかった。

その後、寮へ戻ろうかと思ったけど、もう一度図書館へ行く。適当な場所を見つけて、30分ほど読書。でも、落ち着かず、キャンパス内のカフェへ移動する。カプチーノを読みながら、座り心地のよいソファーで1時間ほど読書できた。その後、帰宅。自室でも読書継続。

今日借りた本は、「Intercultural Communication」なる本。昨日読んでいた「Intergroup Relations」とほぼ内容は同じ。心理学的な面からの「他者」との接し方について。正直、難しい。理解度は50〜60%ほど。でも、面白い。これまで勉強したことのなかった分野だから、知らないことを知られて嬉しいし、楽しい。理解出来ないということは辛いけど、理解出来て、知識として吸収されていくときはとても気持ちの良いことだ。

本を読んでいると、「日本」の例が多いことに気づく。西欧的思考との違いの例として、頻繁に挙げられている。確かに、僕自身が西欧的な思考方法に感じた違和感などは、今読んでいる本の内容で説明出来る。つまり、納得がいくということ。なんと言うか、「自己発見」みたいな感じ。本を読みながら、ある種の「自己分析」をしているのだ。もちろん、“オマエの思想は、こうなんだっ!”と一方的に言われて、それを鵜呑みにするほど単純ではないけど、「理屈」が分かることは意味があると思う。

4時半くらいまで本を読んでいたけど、疲れたので、近所のスーパーに買い物に行って、リフレッシュすることに。トイレットペーパーや洗剤、好物のキットカットを買う。レジでお金を払っていると、フラットメイトのイギリス人のおじさんと会う。で、僕が支払いを終わるまで待っていてくれて、一緒に帰ろうと言ってくれた。なんか嬉しい。帰り道に、おじさんが今日は4コマの講義がある予定だったけど、それを全て担当する講師が最初の講義中に倒れて救急車で運ばれ、講義が中止になったと教えてくれた。で、おじさんが大学のセキュリティーに通報したり、介護をしたという。ちょっと興奮気味に話していた。

帰宅後も読書を続ける。で、8時近くになって、お腹が空きだした。すると、キッチンで会話が聞こえてきた。普段は、みんな時間がバラバラにご飯を食べるので、キッチンから声が聞こえるのは珍しい。で、僕も夕飯を作りにキッチンへ行った。

ドイツ人のフラットメイトとさっきのおじさんが夕飯を食べながら話していた。せっかくなので、僕も参加。このフラットでは珍しく、住人同士の会話だった。話題は様々。僕が“ヨーロッパのカフェで牛乳を頼むと、子どもみたいだと言われるんだけど、牛乳飲むのって、子どもっぽいの?”と言うと、“カフェで牛乳を頼むのは一般的ではないね。子どもは普通コーラを頼む。でも、身体に悪いよね”と言う話題に移り、その後コーラの缶の材質の話題になったりした。おじさんが金物のコーティングの会社に勤めていたことがあって、そこでの体験談。その後、エンジニアのドイツ人が材質によって、コーラと相性が悪い物質もある、という話もしてくれた。その後、色々と話題は移り変わって、ボディーランゲージについて。おじさん曰く、多国籍企業では社内研修でボディーランゲージについて学ぶとか。例え「ヨーロッパ人」でもボディーランゲージの意味が同じとは限らないらしい。で、国によって「ありがとう」を頻繁に言う国(イギリス)と言わない国(スペイン)があって、そこで文化的摩擦が起きたりする、という話もしてくれた。まさに、今僕が勉強している「intercultural communication」だった。イギリスやドイツのようないわゆるIndividualismと日本のCollectivismの思想では、人との接し方が異なるという話も。イギリス人やドイツ人から言わせると、相手に反論したり、自分の意見を言うことは、相手への「尊敬」を示しているという。明確な意思表示をしないのは、「不誠実」だという。明確に意思表示をしないと、“なぜあの時、そう言わなかったんだ?”ということになる、そうです。よく日本人が直面するカルチャーギャップ。

その後、イギリスとドイツの「方言」について。おじさんが面白い話をしていた。アメリカの北部には、中世のエリザベス2世の頃の英語やシェイクスピアの時代の英語が残っているという。イギリス本土ではもう使わないような表現などが、今でもアメリカの一部で使われているという。とっても面白かった。で、ドイツでも同じようなことがあるという。都市から数キロ離れた地域で、古語が使われていたりするという。日本でもそういうのってあるのかな。関西弁には古語の名残りがあるとも聞いたことがある。僕の祖父母が関西人だから、ちょっと気になった。

で、日本人のコミュニケーションは?という話題にもなる。一般的には、相手の意見へ反論したりすることは、ヨーロッパほど歓迎されないという僕の経験を話す。あと、日本語だと「主語」を使うことが少ないという話も。文法的には主語を使うのは問題ないけど、それを使うと自己主張や自己顕示欲が強いと思われることがしばしばある、と説明。“じゃあ、どうやって誰が発言しているのかを知るの?ヨーロッパの言葉では、主語を使わないでも、動詞を変化させるだけで判別できる”と言われる。僕の答えは、“Context(文脈)で…”。きっとそうだろう。でも、もちろん言わないといけないことはある。“Contextを読み違えて、勘違いすることはよくある”。そうでしょ?きっとそうだ。いや、絶対にそう。“日本人なら以心伝心で…”というのはマヤカシだと思う。そんなはずがない。緒方貞子も著書で言っているけど、“自然とコンセンサスが形成されることはない”。で、“○○(僕の名前)は、ブラッドフォードでどうしてるの?クラスで意見とか言わないといけないでしょ?大変?”と聞かれる。“別に全然。自分が思ったことや考えたことを自由に言えるから、実はこっちの方が楽なんだよね”と答える。これホント。別に、僕が西欧カブレしているわけじゃない。元々、僕はそういう性格。日本だと「余計なコト(関西人の祖母曰く、“いらんこと”)」とされる発言が、こちらは「意見」と思われる。で、さらにその「余計なコト(いらんこと=意見)」が評価させる。なんで、こんなに国によって、物事の捉え方が違うのかと思うくらい。なので、そういう観点からは、僕にとってはイギリスは住みやすい社会だ。

とは言うものの、当然のことだけど、“イギリスにも日本にも、良い面と悪い面があるからね”と結論付ける。ドイツ人もイギリス人のおじさんも“そうだ。その通りだ。”と納得。結構、リベラルな人たちだ。おじさん曰く、“僕はDiversityが大好き”とのこと。とってもポジティブな姿勢だ。

話は、イラク戦争への自分たちの政府の関与について。イギリスもドイツも日本も、どこの国でも世論は戦争反対だった。でも、イギリスも日本も政府は押し切った。国内環境は、どこの国も同じだったという。おじさん曰く、“イギリスは保守党も労働党もどちらも賛成。反対するグループがいなかった。だから、派遣した。”という。そういう状況におじさんは不満みたいだった。“ロンドンであれだけ大きなデモがあったのに、Student Politicsは全く影響を与えなかった。僕の考えが古いのかな…。”ともつぶやいていた。反対勢力が政治の場にいなければ、仕方ないよね…。

そんな感じで、3時間くらい話していた。おじさんは最近引っ越してきたので知らないけど、ドイツ人と僕なんかは“こんな風に住人同士で話をしたことがなかったから良い時間だったね”と言い合った。また、こんな会話が出来ると良いな。きっとおじさんも40代だし、ドイツ人も20代後半っぽい「オトナ」だから、分別あるんだな。これが若い学生だったら、そうはいかないと思う。僕も一応10代は卒業しているので、そのオトナの仲間入りなのか(?)。

今日学んだことは何かな。「国が文化が違えば、「良い」と思われていることが違う。だから、相手が何を「良い」としているかを理解する必要がある。相手を理解するということは、自分自身を理解することなしには不可能。自身と他者を同じ視線で分析できるかが大切。そして、その自分の中にある「良い」と思われていることと、それとは異なる「良い」ものとの折り合いをどのように付けていくのかを考えなければならない。相手との相対的な関係の中で、自身を客観的に見られたら、その「折り合い」を付けることは、意外と簡単なような気がする」。結論が曖昧なのは認める。でも、その結論に至るまでの過程が実は人間にとって一番難しいことなんだと思うな。 JFKの言葉で、"World peace...does not require that each man love his neighbor--it requires only that they live together with mutual tolerance...”というのがあるらしい。「理解」や「受け入れ」とまではいかなくて、ある程度「我慢」が出来れば、対立はなくなるんじゃないのかな。もちろん、お互いに我慢することが条件だけど。結局、子どもをなだめているみたいだ。人間、そんなものなのか…。

2004/3/14(日) Intergroup Relations(CCR)、大学グッズ

午前中、パソコンを起動すると親からSkypeで電話が掛かる。タダで話せるから、用がなくても何となく掛けてしまう。パソコンのスピーカーから声が聞こえてきて、僕は手元のマイクに向かって話す。あまり「電話」という感じではない。「電話」の場合、「話す」ということを意識するけど、このSkypeでは徒然なく会話が行われる。相手は見えない(カメラを使わないと)けど、直ぐ隣に本人がいて、ダラダラと話している感じ。ある意味、とても自然な状況。技術の発達はすごい。 で、話していると、もう直ぐお米がなくなるという話題になった。正月に親が来たときに、ロンドンから送ってもらったお米がなくなる。近所で、日本米にそっくりなエジプト米を買うつもりだったけど、話をしながらその場でネット通販を利用してお米を買ってくれた。数日以内に日本米が送られて来るという。

今日は、午後から図書館へ。読書と資料収集を兼ねて行く。CCRのエッセーに関する資料だ。読んでみると、昨日と同じように心理学的なアプローチが多い。今日は主に「アイデンティティ」について。個人的アイデンティティと集団的アイデンティティがどのように形成され、どのように相互作用するのかなど。ナショナリズムなどの説明もあるけど、やっぱり「心理学」だ。全く慣れない分野なので、資料を読むスピードが極端に遅くなる。たった9ページを読むのに1時間も掛かってしまった。普段なら、1時間もあればちょっとした論文程度なら2本くらいは読める。やっぱり関連分野の知識があるのと、ないのとでは理解の速度が違う。これって、語学力とは別の問題なんだと思う。

で、Intergroup Relationsという分野に少し興味を持ってきたかも。「人間はどのようにして異なるものへ接するのか?」ということがテーマ。エッセーは、これを中心に書こうかな…。でも、もう少し資料を読んで、その分野を理解する必要があるけど。

4時ごろに図書館を出る。お腹が空いたので、キャンパス内の売店で飲み物とチョコレートマフィンを購入。売店では、£4.50 4.99で、大学の名前入りポロシャツが売っていた。新しく入庫したらしい。結構安い。欲しい。買っちゃった♪ポ・ロ・シャ・ツ。

結構、大学グッズは好きだ。普段は、大学ロゴ入りのバインダーを使っているし、実は以前にも長袖のラグビーシャツを買った。こちらに来て直ぐに、マグカップも買ってたりして。。でも、シャツなどは、普段は着ない。現地の学生は着ていることが多いけど、なんかちょっと恥ずかしいし…。こっそり部屋着として着ていたりする。日本に帰ったら、堂々と着られるかも。いや、むしろ着たい。

帰宅途中に近所で買い物。牛乳、ペプシ、長ネギ、玉ネギ、じゃがいもを購入。

寮に戻ってメールをチェックすると、メンバー登録をしているMusic SocietyのMLで、なんと特性ポロシャツやジャケットを発注するという告知。欲しい人は、18日までに申し込まないといけないらしい。全然、活動に参加してないけど、それは欲しい!僕も買えるのかな…。とっても気になる。でも、参加していないのに、注文するなんて、気恥ずかしい…。そう思うのは僕だけかな。あぁー、迷う。申し込んじゃおうかな…。でも、特注だから結構高い。逆に「特注」だから、欲しい。まさに消費主義の極みだ。

2004/3/13(土) CCRエッセープラン、e-Journal

今日はマッタリとした一日。CRISエッセーのある程度の完成を見て、残りは来週にセッションチューターにまた読んでもらうだけ。

で、今日は、CCR(文化と紛争解決)のエッセーについて考える。数日前に何となく書きたいことが頭に浮かんだ。それを具体化していかなければ。もちろん、それについて書くかはまだ決めていない。何事も調査が必要。色々と情報を得てから、慎重に吟味。新たな興味が湧くかもしれないし。

なので、少し方針を変える。とりあえず、講義に関する参考文献を一通り読むことにする。つまり、CCRのコース全体の内容を理解してから、エッセーのテーマを考える。「テーマを考える」と言っても、既にテーマのリストをもらっているので、それから選ぶしかない。でも、そのどれもかなり広範なテーマ。何でもこじつければ、テーマになりそうなものばかり。なので、実質的にテーマのリストは意味が無いような気がする。

ということで、早速参考文献を入手する。図書館に行くのは、面倒なので、e-Journalと呼ばれるオンラインでアクセスできる論文データベースでリーディングリストに書かれている論文をダウンロード。これ、とっても便利。通常有料だけど、IDをもらっているのでタダでアクセスできる。アクセスできるデーターベースは複数あるけど、いつも使っているのはSwetsWise。大学のネットワーク(寮からも)からなら、IDを入れなくても自動的にアクセスできる(サイト冒頭のlogin via IP authenticationをクリック!)。

ホントに便利。CRISのエッセーでも、参考にした論文もこのSwetsWiseから入手したものが多い。他にもネット上のサイト上の論文や国際機関のデータベースも利用したけど、ここだと色んな論文が手に入る。日本の大学にも同様のデーターベースにアクセスでるきことを、カナダ人の先生から教わった。そうでなかったら、知らなかったサービス。知らなくても済んでしまうのが日本の大学なのかもしれないけど…。

そんなことで、とりあえず来週のCCRの講義に関する論文を4本入手。今日はそれを読む。来週の講義は、「文化とコミュニケーションスタイル(Culture and Communication Styles)」だった。論文を読んでみると、どのようにして人間は異文化に対して接するか?という内容だった。インターナショナルスクールの生徒へのアンケートなどや数理的、統計的なデータを元に異文化への態度や認知などが分析されていた。とっても心理学的。心理学は専門じゃないから、調査の過程の「手法」などテクニカルな部分は読み飛ばして、結論を読む。結論はとっても単純。「インターナショナルスクールの生徒は異文化に慣れている」という仮説を証明してみせただけだから…。もちろん、なぜそうなのか?の理由を説明しているのだけど。 若干、「統計」に偏り過ぎているような気もするけど。

これまでのCCRの講義は、異文化間の紛争をどのように調停していくかという観点からの、技術的な話が多かった。正直、あまり興味が湧かなかった。僕は、そういうものよりは、どちらかと言うと、日常生活における「異なるもの」への人間の態度や認知の仕組みに興味がある。だから、今日読んだ資料と来週の講義は、僕の興味に少し合っていると思った。

その後、『Why we hate』という以前買って読んでいなかった本も読む。こちらの本は全然進まなかったけど、テロからイジメまで、タイトル通り「なぜ人は憎むのか?」という単純な問いに取り組む内容。エッセーの参考になるといいな。

2004/3/12(金) きっちり4000単語、選挙活動

朝起きたら、部屋の電気、机のランプ、パソコン、テレビがすべてついたままだった。昨日はいつの間にか寝てしまったらしい。まだセルビア出張の疲れが残っているのかな…。

今日は、一日中部屋に引きこもっていた。やることと言えば、CRISのエッセー仕上げ。昨日のアンドリューのアドバイス通り、エッセー冒頭のIntroを明確にしてみた。普段なIntroは書く。でも、今回は変に「ストーリー性」を追い求めてしまったため、「論文形式」を無視しようとしてしまった。はんせー。書いてみたら、やっぱり有ったほうが良かった。で、サブタイトルも書く。

一通り書き直しが終わったところで、「文字カウント」をしてみる。きっとWordで最も使う機能1位だろう、この「文字カウント」は。エッセーを書いていると、やっぱり気になる単語数。何度もカウントしては、全然数が増えないことに失望したりして…。これ、誰でもやってることみたい。

で、エッセーの単語数をカウントしたら、3989単語だった。今書いているのは3500〜4000単語のエッセー。そう思った瞬間、“4000単語きっちりにしたい…”という野望が僕の中でメラメラと…。微妙に表現を変えてみたり、無くても有ってもどうでもよい単語を足したり、削ったりしてみる。何度か試行錯誤して、ついに4000単語ぴったしになった!わーい\(◎o◎)/!とっても気持ちが良かった。エッセーが終わったというよりは、このキリの良さに充実感を覚えた。ここまで来ると、エッセーの内容とは関係ない。ほとんど趣味の世界である。意味無いけど、そういうことに拘ってしまうのが男の子というもの。で、表紙と本文最後に堂々と「4000 words」と書いた。うーん、ホントに良い気分。読む人は、これが本当にきっちり4000単語だと信用してくれるのかな…。それが心配だ。

書かなかったけど、昨日はStudent Unionの選挙があった。大学の運営に関して色々と活動している「生徒会(?)」みたいな組織。で、選挙当日に候補者は選挙活動をしていた。図書館の前で色んな人が候補者のチラシを渡す。何人立候補しているのかはよく分からないけど、もらったチラシだけでも7人。顔写真入りのチラシ。大きいものから小さなものまで、すれ違う毎にもらった。結局、投票はしかったけど…。でも、みんな真剣に選挙活動をしていた。その組織で働くと、お金でももらえるのかな…(寮代がタダとか)。それとも、純粋にそういう活動をしたいだけなのか。

お昼は、「もったいない」と思って三日連続の味噌ラーメン。わざわざ日本から送ってきたので、食べないとね。夕飯は、鶏肉がなかったので、ベーコンを使ってチキンライスを作った。

夜は、金曜日のお楽しみアイルランドのコメディア、Graham NortonのトークショーとアメリカのブラックユーモアアニメのSouthParkを見る。Graham Nortonでは、ロード・オブ・ザ・リングのフロドを演じたイライジャ・ウッドがゲストだった。ショートコントをやっていた。

2004/3/11(木) 講義×2、エッセー個人指導、チューター、ACDセミナー、おじさんと会話

午前中にCCRの講義。毎度のことで、何度も言いたくないけど、講師のRhys Kellyは今日もレジュメを読むだけ…。やめてくれー、その態度!それが理由でエッセー書けないじゃないかっ!←関係ないけど。

CCR終了後は一度寮へ戻り朝食。昨日作ったラーメンはまだ2食分残っている。食べ切らないと「もったいない」。

午後1時過ぎに図書館へ行き、CRISのエッセーの細かい点を修正。その後、午後2時からCRISの講義に出席。

今日のCRISは、Karen Abbi-Ezziという先生。友達には、“Karenはかなり性格が悪い”などと聞いていたので、どんな人かと思った。気になっていたら、早速それが現われた。授業が始まると、教室後ろに座っていたある学生に、“あなた、こっちの席に座りなさい”と突然命令していた。理由も説明もないので、その学生は一言“なんで?”。その当然の質問にも彼女は答えず笑顔で(微妙にコワイ…)“いいから、こっちに座りなさい”と言う。仕方なく学生は席を変更していた。日本にもこういうセンセーってたまにいる。あまり近づかないようにしようっと。

で、講義の方はと言うと、彼女の専門である中東問題の「アラブ・パレスティナ問題」。来週はオスロ合意についてであるので、そのための予備知識としての授業らしい。なので、今日は歴史の授業。日本で受験勉強時に世界史で勉強したことだった。マクマホン協定とかバルフォア宣言、二枚舌外交、etc。彼女の講義の仕方も「先生」ぽくて、たまに“****が起きたのは、何年だった?”なんて学生に聞く。まるで日本の予備校にいる気分だった。隣に座っていた日本人のRちゃんと“世界史の授業だね…”と顔を見合わせてしまった。

彼女の講義は1時間半で終了。その後、恐怖の「essay workshop」。誰もいない。残った学生は、5人。今日は、前回にこのセッションのチューターが自分のエッセーを持ってくれば個別にアドバイスしてくれると言ったので、ほぼ完成したCRISのエッセーを見せることにする。カナダ人のJeffが“○○(僕の名前)、もうエッセー終わったの?”と言う。“うん。ほとんどね。CRISだけだけど。”と答えると、“すごいな。みんなはこれから書き始めるんだよ。International Studentは違うな…”と言う。“君もIVSPでしょ…”と答えると、“自分は…”と言っていた。確かに、僕自身もイースーター休みに終わらせるつもりだったのに、予定以上に早く執筆が進んでしまった。早ければ良いというものでもないので、いつ完成するかなんてどうでもいいんだけど。でも、CCRのエッセーも書かないといけないから、4000単語のCRISエッセーは早く終わらせたい。それにCRISの講義の内容もじっくり勉強したいから、エッセーだけに時間を取られるのは嫌だ。

スペイン人のアンドリュー(セッションチューター)が僕のエッセーを読んでいる間、なんとなく日本人っぽい極東系の女の子と話していた。MAのゆみさんが英語しか話せない日本人がいると聞いていたので、てっきりその子かと思って英語で話していた。で、彼女に聞いたら、人違いだった。“わたし、日本人じゃないよ。モンゴリアン。”と言う。やってしまった…。思い込みで話すことがたまにある僕…。まぁ、彼女と知り合いになれたから別にいいけど。それにしても、やっぱりモンゴルの人は日本人にそっくりだ。中国人とか韓国人、台湾人などは、「雰囲気」で分かる。でも、モンゴルの人はその「雰囲気」が僕たち日本人に似ている。なんかフシギ。で、エッセーについて話していたら、予約した本は、既に7人が予約していると言う。本が全然回ってこない。いくつもコピーがある本はなくならないで、一冊しか蔵書のない本をみんなが争奪している、という状況を話してくれた。7人が予約しているということは、ひとり1週間まで借りられるから、手元に本が届くには7週間掛かるという計算。エッセーの提出期限は、あと5週間くらいだから…。無理じゃん。

と、そんな風に時間を潰している間に、セッションチューターが僕のエッセーを読み終わった。で、個人指導開始。まずは、イントロの場面について。“もうちょっとはっきりとしたイントロにした方が良い”とのこと。突然、ある有名な論文の引用から始めたので、それへの指摘。“最後の結論とその引用がリンクしてるんだけど”と言うと、“それでも、初めはハッキリ書いた方が良いよ。読む人に親切だし”と言う。で、基本的に指摘されたのその程度。気になったので、“内容はどう?なんかコメントちょうだい”と言ってみる。すると、“とっても良いエッセーだと思うよ。沢山知識や情報があるし、具体例も書いてる。きっと良い評価だと思う”と言ってくれた。“ホントに?”と再確認までしてまった。 彼がふと、“各セクションにサブタイトルは書かないの?”と言う。“そうそう、サブタイトルね。エッセーが長いから、大まかな部分に書きたいんだけど、(Pre-sessionalで)書かない方が良いと言われたので書いてない。書いてもいいかな?”と答えると、“僕は書くけどなぁ”と。“サブタイトルが嫌いな人もいるんだよね…。じゃあ、チューター(Davina)に聞いてみる”と伝えた。あと、ひとつ分からないことを質問。それは、Numeric Styleでの脚注での引用元の明記に使う「ibid」という用語。直前で引用した資料と同じ場合はこの「ibid」を使う。でも、それは「直前と同じ」場合で、直前に別に資料が来てしまうと使えない。だから、そういう場合はどうするのか?と質問した。僕の英語の説明が悪かったのか、彼は“わかんない”と言う。“分かんないわけないだろっ!あんたPh.Dでしょっ!”と内心思う。このときばかりは役に立たないと思った。“じゃあ、チューターに聞くよ…”。個人指導はそれで終了。来週書き直したのを持ってくる、と約束して教室を出る。

時刻は4時半。5時から軍備軍縮のセミナー。それまでにIVSPチューターのDavinaのところへ行くことにする。「サブタイトル」と「ibid」について質問するため。愛想がなくて、無表情なイギリス人の典型みたいなDavina。なんかいつも不機嫌そうなので(見た目がね)、IVSPの日本人からはあまり慕われていない。なので、彼女の元へ行くにはちょっと躊躇するものがあるけど、解決しないといけない疑問なので仕方ない。MethodというStudy Skillを学ぶ授業を担当しているので、僕の質問は彼女にすべきだし。彼女のオフィスを訪れると、意外にも笑顔。僕が“ハーイ”と愛想を振りまきながらフレンドリーを装うと、彼女も“ハーイ”と答えてくれた。意外な展開。。“機嫌を損ねないうちに聞きたい事を質問してしまおう”と思い、早速質問。まずは、「ibid」について。僕が“ibid(アイ・ビー・アイ・ディー)”と呼んでいたので、彼女が“ibidって何?”と言う。“えっ?!なんで知らないんだっ!”と思い、エッセーを見せると、“あぁー、ibid(イビッド)ね”と言う。で、僕がやりたい引用方法は「op cit.」だと言う。引用方法のマニュアルに確かに「op cit」について説明があったけど、実はよく理解していなかった。“なんだ。それがop citだったのか…”。ひとつ疑問が解決。次は、「サブタイトル」につてい。彼女は“私はサブタイトルは好きじゃない”と言う。でも、“4000単語なのね。じゃあ、書いたら。長々と書いてはダメよ。短くね”とのこと。終了。終始フレンドリーでした。

その後、5時から軍備軍縮のセミナー。「incentives(核兵器放棄のための見返り)」という戦略について。議論は白熱せず。一度僕が発言したら、クラス中が静まりかえってしまった。“あれ?やっちゃった?”と思った。正直、自分でも何を言っているのかよく分からない英語を喋った(気持ちが先行して、喋ってしまう傾向のあるボク)。だって話題が難しいだもん。でも、元々このセミナーは毎回煮え切らない議論。沈黙もなくはないので、“僕の言ってること分かる?”言ってみるけど、それへの反応もなし。なんだコイツラっ!と心の中で逆ギレしてみた。(笑)

そんな感じで今日は終了。帰りにDavinaに会う。まだ愛想が良かった。。

帰宅後、寮で夕飯を作りながら、最近このフロアーに移ってきたおじさんの学生と話す。英語の訛りがヨークシャーじゃないので、どこの国の人なのかと思っていた。で、“ねぇ、おじさんイギリス人?”と聞いてみた。すると、“僕の訛りが気になった?僕はイギリス人だよ。出身はポーツマス。南部ね。だから訛りが違うの。”と話してくれた。婉曲に聞いた質問だったのに、僕の疑問を察したみたい。とっても良い人。愛想も良いし、優しいし、「気遣い」が出来る人という感じ。“こんな人がイギリス人にもいるんだ”と少し思ったし、日本の大学で習っていた僕の「理想のオトナ」の一人である「ブラウン先生」というイギリス人を思い出した。僕もこんなオトナになりたーい(もう成人したけど)。で、ちょっとイギリス英語について雑談。ちなみに、僕の隣に住んでいるAiden君の英語はハイソな「クイーンズ・イングリッシュ」だとおじさんは言っていた。確かに、育ちは良さそうだし、労働階級という感じではなかった。あと、同じフロアーに住んでいるギリシャ人についても。“実は、正直言うと、彼の訛りがすごくて、毎回何を言ってるかよく分かってないんだ、僕。”と告白してみる。おじさんも“確かに、彼のギリシャ語訛りは強いね。彼は、ブラッドフォードしかイギリスを知らないんだって。ブラッドフォードは全然イギリスっぽくないから、ここがイギリスの全てだとは思わない方がいいね”と言う。確かに。

そんな感じで、今日は色んな人と話した。やっぱり会話は楽しいな。 夜はCRISのエッセー書き直し。

なんで今日の日記は長いんだっ!自分でもビックリ。

2004/3/10(水) 軍備軍縮講義、「もったいない」、CCRエッセーテーマ

今日は、昨日までヨーロッパを東から西へ移動していたとは思えないくらい、普段の生活だった。でも、昨晩はいつの間にか眠ってしまっていた。疲れからか、普段よりは長く寝ていた。

午前10時から軍備軍縮の講義。PualRogersは仕事で講義が出来ないらいしく、セミナーチューターでもある院生が担当。“本当に院生か?”と思うくらい、堂々とした話し方。自分の話で、自分に酔っている感じも少ししたけど、それにしても話すのが上手い。内容は、アメリカの核兵器の政策決定について。BureaucraticModelなど、日本の大学の国際政策論という授業で少し習ったことも出てきた。今日は、普段使っているICレコーダーが電池切れで使えなかった。残忍…。前期から全ての講義を録音していたのに、今日だけ無理だった…。別に二度と聞かないんだけど、録音していると心理的に安心できる。“いつでも聞きなおせる”っていう安心感。ノート取ったりしているときも、余裕が持てて良い。

講義後は、図書館へ。資料をコピーしたりするが、お腹が空いて帰宅へ。

昼食はラーメン。若干「賞味」期限が切れていたけど、「消費」期限ではないので、食べる。もったいないし。

「もったいない」と言えば、先月マンチェスターに日本人留学生と一緒に行った時、日本語にあって、英語にはない表現という話題になったことがある。そのひとつが「もったいない」。「もったいない」を英語ではどのように言うのか?これが問題。まず思いつくのが「waste」という言葉。意味としては「無駄にする」ということかもしれない。もっとも意味が近そうだが、これでは微妙なニュアンスが伝わりにくいような気がする。で、「もったいない」とはそもそもどのような意味なのかを考える必要がある。仮に「貴重なモノを無駄しにして、それによって罪悪感を感じるという一連の行為とそれに派生する心理」とすると、「waste」は単にモノを無駄にするという「行為」を指しているだけである。なので、そこにはさらに「罪悪感」を追加しなければ、「もったいない」という日本語の本来の意味を伝えられない。なので、英語で「もったいない」を表現する、或いは正確にそのニュアンスを伝えるには、以下のように言う必要があるかもしれない。

「Don't you feel guilty when wasting precious things such as food?(あなたは貴重なモノを無駄にするときに、罪悪感を感じないのか?」

と、そんな風に思った。しかし、こんなことを面と向かって言ったら、“なんでそんなにムキになるんだ?”と思われるかもしれない。日本語で一言「もったいない」と言えることが、英語に訳すとこれだけ大そうな表現になるかもしれない。言葉にない表現とは、そのような思想や考えがその文化には無いということを指していると思う。なので、英語の発祥の地である「イギリス」には日本人が「もったいない」と言う思想や考えが無いのかもしれない。と、そんなことを思った。(僕って暇だな…)

3時過ぎに図書館へ行き、CCRのエッセーのための資料探し。ロマ(ジプシー)問題を取り上げようと思った。でも、印刷物の資料が少ない。元々、ロマ関係の文献は少ない。今想像しているテーマは、「文化は紛争の原因に成り得るかもしれないが、そもそも人々は自分の文化とは異なる文化を正確に理解しているのか?「文化」の認識と理解が間違っていることが、そもそもの紛争の原因ではないのか?」というもの。で、ロマへの偏見や差別は、ヨーロッパ人のロマの人々やその文化への無知や無理解が原因ではないのか?という点を指摘したいと思った。文献の数が少ないということは、それだけ興味を持つ人が少ないということを示しているわけで、やはりロマの人々と文化への理解が不足しているということを明らかに証明してしまっているようにも思った。ロマ問題に限らず、現在のイスラムへのステレオタイプなイメージなどにも当てはまる問題だと思う。

とりあえず、2冊本を借りる。その後、平和学科のオフィスで明日の軍備軍縮のセミナーのためのReadingをもらう。

結局、今日はエッセーの構想を練るまでには至らなかった。

2004/3/9(火) アムステルダム出国、帰国、講義出席、処女作講評

午前6時にモーニングコールが鳴った。イギリスとは違い、ちゃんと鳴った。これがあるべきホテル業務だ。

アムステルダム発リーズ・ブラッドフォード空港(LBA)行きのフライトは、10時前に出発。空港までは昨日乗ったシャトルバスで向かう。ターミナル内で寿司屋を発見。来るときに食べられなかったので、今日こそはと思い買おうとするが、“9時半から”と言われ買えず…。“目の前にあるじゃん、スシ!それを買わせてよ…”と思ったけど、コックのアジア系の兄ちゃんは売ってくれない…。仕方なくあきらめ、サンドイッチを朝食にする。

ロンドン、アムステルダム、ウィーン、セルビアと回ってきたけど、お土産を買っていない。そんな時間なかったし。なので、何か書いたいと思った。正直、お土産を買う習慣は僕にはない。荷物になるから面倒くさいと思ってしまう。でも、帰国してから、“買えばよかったなぁー”と毎回思う。この繰り返し。ということで、今回はアムステルダム空港でキーホルダーをひとつ購入。これで精一杯だ。オランダっぽいものだし、これでいいや。誰にあげるわけでもないから、キーホルダーで十分。。

自分がもらったら少し戸惑う「キーホルダー」のお土産です。。飛行機は、またまた予定通りには出発せず。30分の遅れ。結局、LBAに到着したのは、午前10時半。学生ビザを持っているので、入国審査をスムーズに通過。“学生さんですね。お帰りなさい。”なんて言われた。なんか気分がイイ。

空港からはバスでブラッドフォードに帰れるが、出発したばっかりだった。バスでは1時間も掛かる。ナショナリズムの講義が2時からなので、早く帰りたい。なので、タクシーに乗った。LBAに来るのは、ブラッドフォードに来た時依頼。懐かしかった。タクシーの車窓から見える眺めも懐かしい。ウィーンやベオグラードと比べると、ブラッドフォードは明らかに「田舎」だった。でも、なぜかホッとする気分になれた。地元に帰ってきた思いだった。

11時に寮に到着。シャワーを浴びて、少し休憩。その後、ナショナリズムの講義に出る。移動の疲れで講義中に寝そうになってしまった。それでもなんとか講義をやりぬける。今日は講義はひとつだけ。ひとつでよかった。

講義後は、近所のフィッシュ&チップ屋でフィッシュバーガーを買ってお昼を食べる。そのまま帰宅。留守中に郵便物が届いていた。取りに行くと、日本の大学の友達からだった。日本の大学が発行している三島由紀夫が処女作を発表したというちょっと由緒正しい同人誌だった。友達はその編集をやっている。で、去年の9月に誘われて、ブラッドフォードで書いた僕の作品を投稿してみた。初めて書いた小説。全然、そんな趣味もなかったけど、なんとなく書いてみた。入選はしなかったけど、講評が載っていた。ちなみに、テーマは「少年が初めて経験する肉親の死」。かなりディープな内容だと自分でも思ったけど、「子どもの心理」を書きたかった。で、子どもの気持ちを中心に、それが伝わるような内容にしたし、忘れてしまいがちな幼い頃の思いを書き綴ってみた。講評では、「子どもの視点から初めて体験した肉親の死を描く。効果的な情景描写もあり、子どもの気持ちも描けているが、やはり少し弱い。子どもの視点を超えていないせいだろう」・「幼い頃に経験した祖父の死という不可思議な衝撃を何とか描き切ろうとする真剣な誠実さが印象的」とのこと。正直、“子どもの視点を書きたっかたら、それで十分なんだけど…”と思った。それ以上のことは書きたくなかったし。他に何を書けばいいのやら…。裏を返せば、自分の意図と伝えたいコトは伝わったのだから、それでいいのかも。と、初めて書いた小説はそんな感じだった。ひとつ気になるのは、僕の本名が乗ってしまったこと…。“名前を乗せるならペンネームを考えるよ”と伝えたのに…。ハズカシィ。

日本の親からメールが来ていた。車を買い換えるとか。日本に帰ったら車が変わっているらしい。もう家族では乗らない、と決め込んだらしい。最近、父親も母親もなぜか妙に仲が良い。既に老後のことも考えている。裕福で、余裕のある、ハイソな老後を計画中なのだ。どうぞご自由に…。

2004/3/8(月) 大使館訪問、ベオグラード市内、フライトが…、夜の宿探しinアムステルダム

朝起きて、ホテル近くの駅で現地通貨を手に入れることに。ATMが見つからなかったので、手元のポンドをディナールに買える。£20が2000ディナールほどになった。物価からすると、ちょっと多く両替しすぎたかも…。

今日は午前中に日本大使館へ行かなくてはならない。日本のNGOの代表の依頼で現地でのODAによる支援に関する書類を手渡すため。朝、日本から電話があり、大使館とアポが取れたので、向かえとのこと。タクシーで行くことを電話で話すと、“ボッタくられるぞ。メーター動かすのを確認したりしろ。値段も聞け。それくらい現地の言葉(クロアチア語≒セルビア語)で聞けるんだろう?”なんて言われる。“いや、殆ど出来ません…”。と、そんな風に脅されながら、ホテルでタクシーを呼んでもらう。タクシーは直ぐに来たので、運転手のお兄ちゃんと交渉。ためしに現地の言葉で“日本大使館までいくら?”などとたどたどしく聞いてみるも、あまりコミュニケーションは進まず…。結局、英語が出来る人だった。なんだ…。で、タクシーに載って直ぐに、“小銭が無いんだけど、1000ディナール札で払ったらお釣りある?”と聞いてみた。答えは、“ない。そこら辺で変えてもらって”と言われる。初めにキオスクの前で止まってもらって換金しようとしたが断られる。運転手のお兄ちゃんには“なんか買わなきゃだめだよ”と言われた。で、次に止まったのがガソリンスタンド。仕方ないので、ジュースを一本買ってお釣りをもらう。これで小銭が出来た。

ベオグラードの日本大使館は自前の建物はない。オフィスビルの中の部屋を借りている。他にはロイター通信などの海外の組織が借りている、ホテルも入っている高級な建物。で、受付で大使館の部屋の場所を教えてもらう。最初に訪れたのは、一般の利用者向けの受付。アポを取っている担当の方に会いたいと伝えると、オフィスにいるということで、別の部屋を教えてもらう。で、その部屋に着くと、ちょっと怖い感じの警備員のお兄ちゃんがいて、セキュリティーチェックを通る。用件を伝え、パスポートを見せて、ビジター用のIDももらう。で、担当の方が現地スタッフの秘書らしき人と一緒に現われる。なんか自分が「そういう人」みたいだった。僕が学生なのは相手は知っているけど、対応は結構普通だった。なので、僕もなぜかお仕事風の言葉使いになってしまった。それで終了。

NATOの空爆の被害またタクシーでホテルに戻る。その後、いくつか事務的に引き継ぐために学生ボランティアにもう一度会わないといけないけど、予定以上に早く大使館業務が終わったので、まだホームステイ先におらず。仕方ないので、1時間ほど周辺を歩き回ってみる。ベオグラードはとっても大きな都市だ。さすがに長い間ユーゴスラビア連邦の首都だけある。でも、クロアチアのザグレブと違って、「カフェ」が少なかった。そして、直ぐにNATOの空爆により破壊されたままの建物を見つけた。1999年のことなので、5年前だ。そういう建物がまだ残っているんだな。あと、軍人の姿が多い。警官も多いけど、迷彩服を着てカラシニコフ(AK-47)を持った兵士が政府関係の建物を警備している。予想以上に物々しかった。確かに、昨年の今頃にセルビアの首相ジンジッチが暗殺された。暗殺された現場の目の前も通った。まだそんな政情なのかもしれない。

その後、日本人ボランティアに会った。事務的な引継ぎを行い、空港までのバスの乗り場まで連れて行ってもらった。以前にベオに滞在していた人なので、町には詳しい。“広いけど、何もない”。それが彼のベオグラードの感想らしい。確かに。。30分ほどで空港に到着。

警備がとても厳しかった。ベオグラードの空港はかなり老朽化している。何もかもが古いし、何もない。それに暖房も効いてないので、なんか寒い…。ウィーンからの飛行機は1時間遅れで出発した。日本人の観光客が10人くらいいた。“早く日本に帰って、お米が食べたーい”などと言っていた。ヨーロッパ旅行をしていて、ベオグラードに来た感じだった。

ウィーンには午後4時半ごろに到着。今日の目的地のアムステルダム行きのフライトは7時半。それまでに夕食を空港で食べることにした。空港内のセルフサービスのレストランで食べていると、日本人の親子4人がいた。子どもは小学校低学年。キレイな身なりで、とても幸せそうな家族だった。きっと家族旅行で来ているのだと思った。ふと、無性に今の自分が何をしているんだろうか、と思った。イギリスで勉強したり、旧ユーゴに行ったり、ひとりでウィーンの空港で夕飯を食べていたり…。周りの人は“好きなことしてて良いね”なんて言うけど、あの親子を見ていると、好きなことばかりしていてもダメなような気がした。なんか保守的に聞こえるけど、ちゃんとした「家庭」を持つことも意味があるんだと思った。実際、僕がこんなことをしていられるのも両親が働いているからだし。同じことを僕が自分の子どもにしてあげられるかと思うと、今は自信がない。僕の人生はどうなるのかな、なんて少し思った。まぁ、まだ時間はあるので、今悩むことでもないけど。

アムステルダム行きのフライトも遅れた。チケットに書かれたゲートに行くも、掲示板には全く関係のないフライト情報が出ている。他の乗客も訳が分からない。他の電光掲示板には、チケットの記載通りの表記。何を信用したら良いのか…。とりあえず、そのゲートで待っていた。飛行機が遅れようが、何が起ころうが、何の説明もない。ベオグラードもそうだったし、ロンドンも同じ。乗客はただひたすら待っている。で、1時間遅れで搭乗するも、雪のために離陸せず。凍結防止用の化学薬品を機体に吹き掛けるのでしばらくお待ちください、とのアナウンス。結局、予定時刻を1時間半ほど遅れて離陸。

フライトは1時間半。10時半過ぎにアムステルダムに到着。広い空港なので、到着ゲートを出たのは結局11時近く。で、実はホテルを予約していない。空港内にホテルへの直通電話があってそこから好きなホテルにコンタクトとれば、いつでも部屋は取れると聞いていたので、その電話を探す。それは直ぐに見つかった。明日はフライトが朝9時なので、空港近くのホテルにする。IBISホテル。去年、ベルギーに行ったときに泊まったホテルチェーン。値段の割りに、キレイだった。それに唯一値段を広告に書いてあったホテルなので、好感が持てた。で、電話で確認をしてから、無料シャトルバスで向かった。バスで7分。以前だったら、来たこともない場所で一人で移動するなんて想像もつかなかった。でも、最近はそんな「初めての土地」を楽しめるようになった。僕にとっては大きな進歩なのか、良く言うと成長。きっと英語が通じる自信があるので、安心感があるんだと思う。ホテルには11時半過ぎに到着。レセプションで部屋をとり、チェックイン。明日は朝が早いので、朝食抜きにする。一泊€79。モーニングコールも頼む(ちゃんと掛けてくれるかな…)

部屋でCNNを見ていたら、今日はセルビアでは戦犯の裁判をやっていたらしい。知らなかった。

今日は疲れた。移動距離もかなりのもの。今日一日で色んなことをしたような気分。それにしても、世界って狭いなぁー。

2004/3/7(日) 搭乗手続き、セルビア到着、再会

ボスニア、コソボ、セルビア、マケドニアへ行く日本人学生ボランティアたち。彼らが搭乗手続きを済ませ、搭乗ゲートまで行くことをサポートするのが今日朝の仕事。チェックインは問題なく終了。搭乗ゲートに入る寸前に少しトラブルがあるが、なんとかなる。終了。僕は、セルビアへ行くボランティアと一緒にベオグラードへ同行。明日にベオグラードの日本大使館での用事が主な目的。

ベオグラードまではウィーンから飛行機で1時間半。直ぐに到着。空港は比較的小規模。荷物を受け取り、到着ゲートを出ると現地NGOのスタッフが迎えに来てくれていた。でも、なんか様子が微妙におかしい。僕の友人には、“彼は誰?”と僕のことを聞いてる。僕が同行することを知らされていなかったようだ。予想はしていたけど、まさかそうとは…。一応、日本大使館に用事があって、明日帰ることを説明。納得してもらった。確かに、事前に言われていた人数よりもボランティアが多かったらビックリだよな…。

まずは、車でボランティアがホームステイするおじいさんの家へ。僕が泊まるホテルは、その目の前だった。僕はホテルでのチェックインをするため、他の人と分かれる。おじいさんの名前を教えてもらったので、“表札を見て自分で訪ねるよ”とも伝えた。しかし、表札を見ると、最大のミスをしていたことに気づいた。“字が読めない!!”クロアチアの感覚で来たのが原因。セルビア語とクロアチア語はお互い殆ど同じ言葉。関西弁と関東弁くらいの違いだと思う。でも、文字が違う。クロアチア語がローマ・アルファベットである一方、セルビア語はキリル文字。読めません!これは参った…。ビルに入れない。数秒考えて、人に聞くことにする。たまたま目の前を通ったおばさんに声をかけた。東洋人に声を掛けられてビックしていたけど、“ドジ!(こっち来て)”と言って表札の前まで来てもらう。で、おじいさんの名前を言って、どれか教えもらった。ありがとー。

今日は特にやることはないので、おじいさんと挨拶したり、NGOのスタッフと話をしたり。そのうちにベオグラードに留学している日本人の知り合い2人も現われ、久しぶりに再会した。今日もとっても日本人密集度が高く、久しぶりの再会で楽しかった。セルビア人の世話好きさ、偉そうにする警官への対応の仕方などを教えてもらった。僕が日本から来たと思っていた人もいて、事情説明。

現地NGOのスタッフNGOのスタッフとも話をした。僕がブラッドフォードで勉強しているというと、詳しく教えて欲しいと言われた。彼女たちも知っているほど、ブラッドフォードが有名なのだと思った。奨学金はどんなことがあるのかなども聞かれたので、大学のURLとRotaryについてなど、知っている限りで話す。彼女たちも勉強してみたいと思うほどらしい。彼女たちは長い間難民施設などの「現場」で働いている人たちだ。ブラッドフォードのMAの留学生にはそのような人たちが多い。「現場の現実」と大学での「学問」のギャップなどを感じるかもしれない。一方で、現場での知識や経験は論文を書くにはとても役に立つ。もし彼女たちがブラッドフォードで勉強すると、何が得られるのだろうか。関連する分野での経験が殆どない日本人の学生とは、全く違う何かを得るのかもしれない。

夜は遅くまで、日本人の学生たちとトランプをして遊んでいた。その後、ホテルへ戻る。そのまま就寝。明日は、日本大使館へ行き、そのまま帰路へ。ベオグラード市内は、殆ど何も見ていない。僕の父親だって、出張したら普通に観光しているけどな…。なんて真面目なんだ僕はっ!(笑)

2004/3/6(土) 責任転嫁、出発、アムステルダム経由ウィーン着、早速お仕事。

今日は、午前10時の飛行機に乗らないといけない。

朝、モーニングコールが鳴らなかった。ちゃんと起きられたので問題なかったけど、なんだそのサービスは!チェックアウト時に“頼んだモーニングコールが鳴らなかったんだけど”と文句を言うと、“えっ、そうなんですか。彼が忘れたのね…”などという。ウソだっ!絶対ウソだっ!僕は信じなーい!モーニングコールを人間が直接掛けているわけがない。機械にセットするものだ。“そもそも、僕がモーニングコールを頼んだのは、今まさにチェックアウトの手続きをしているアンタだろっ、ネェーチャン!(この表現に対して、友人から色々と苦情が多いのだけど、あえて使おう)”と、心の中で叫んだ。早く出発しないと飛行機に間に合わないから、ここで揉めている暇はない。しかし、腹が立つのがそのネェーチャンが他人に責任転嫁していることだ(もちろん、推測だけど)。ブラッドフォードに限らず、これはイギリス社会の「構造的問題」である(学術風に言ってみました)。

と、そんな朝っぱらから問題に直面しながらも、ヒースローへ向かう。Padington駅からは「Hewthrow Express」なる空港直通列車が出ている。15分で到着する。でも、料金は地下鉄よりも高く、片道£13。でも、早く着きたいので乗ってみた。確かに早い。でも、£13は高い。乗っていると、BAAの職員がこの列車についてアンケートに答えてくれと頼んできた。暇なので付き合ってあげた。で、乗り心地は?という質問に「average」、料金は?という質問に「poor」、また乗りたい?という質問には「maybe」。総合的に判断して、£13払っているのに、それに見合う仕事をしていない。まず、車内に航空会社毎のターミナル番号が表示されていない。というか、何も表記がない。駅はふたつある。でも、それの記載もない。とっても不親切だ。座席も大して良いわけでもなく、£13はボッタクリだ。ただ早く空港に行けるというだけ。もっと安くすれば、利用者は増えると思うな。

ウィーンへはアムステルダム経由で行く。午前10時出発の予定だったが、飛行機が少し送れてヒースローを出発。1時間ほどで、アムステルダム空港に到着。乗り換え時間は1時間ほど。昨日と同じように母親のアドバイスで“空港内に寿司屋があるからそこで食べてみなよ”と言われていたので、それを目指すも、結局時間がなく、あきらめる。それにしても、なんでそんなに詳しいんだ、僕の母親は…。ウィーンへは、午後3時半に到着。

ウィーンについてからが今日の本番。ちゃんと仕事をしなければいけない。まずは、日本からの学生ボランティアを引き受ける。ウィーンの空港とリムジンバスの説明。その後、ホテルのチェックイン。一応、これで終了。ウィーンには何度来たのだろうか。数えられないほど沢山も来てないけど、数えるには面倒なくらいは来た。パスポートのスタンプもオーストリアばっかり。今日は、仕事を出来ただろうか…。

夜は、ホテルの一室でお酒を飲みながら話をする。今日、初めて逢った人ばかりだけど、久しぶりに日本語で実のある会話をした。日本から同行していて、半年振りにあった友人からは、“おまえ、今日妙に喋るな”と言われた。元々、おしゃべりな人間なんだけど、普段ブラッドフォードでは人と話す機会が極端に少ないので、普段のフラストレーションをその場で発散した感じ。うーん、良い気分だった。“平和学、紛争解決学って何ですか?”という質問もあり、“それはね、、、”と説明。興味を持ってくれて嬉しかった。

そんな感じ今日は終了。何もトラブル無しに今日の仕事は終了。明日は、セルビアへ出発だ。

2004/3/5(金) ロンドンへ、緊急事態、ジャパンセンター、オペラザの怪人

Reading Week最終日。

セルビアへは土曜日にヒースローから出発なので、今日はロンドンで一泊する。

正午過ぎに列車に乗る予定だったけど、準備が早く出来たので、早めに寮を出た。Bradford Interchangeから列車にのり、Leedsでロンドンキングスクロス行きへ乗り換えた。この列車が問題の発端だった。僕が座った席の廊下をはさんで反対側に太った30歳くらいの白人女性が座っていた。ふと見ると、両腕にタグを付けていた。“病院に入院しているだな…”と思った。その後、列車は出発し他のお客さんも乗車してきた。彼女の席の隣に座ったのは、3歳くらいの子どもをつれたお母さん。1時間くらい経って、そのお母さんがそわそわしだして、車掌さんを呼んできた。問題は、あの太った白人女性の方だった。彼女の意識が無い。寝ているように見えたけど、それは意識がなかっただけらしい。で、お母さんは“私、看護婦だから”と言う。車掌さんと相談をしながら、緊急電話を掛けたようだった。で、数分後に最寄り駅に緊急停車。列車は一時停車。そのうちにParamedic(救急隊)も現れる。全く彼女は意識がなく、自分で立てない。動かそうにも、かなり太っていて困難。なんとか狭い通路に車椅子を持ってきて、それに乗せて、何とか下車した。そのまま救急車に乗せられていった。列車は、予定より30分送れて出発。全部僕の目の前で起こって、そして終わった。で、思ったことは、“「人を助ける」には医療が一番”ということ。

予定より早く出発して、列車が遅れた。結局、予定通りの時刻(午後3時過ぎ)にロンドンに到着。まずは、地下鉄でホテルのあるPadington駅へ向かう。ホテルへは駅から徒歩数分。Padington Hyat Park Hotel。いくつも軒を連ねるホテル街のひとつ。かなりキレイ。一泊£45。値段からしても安い。チェックイン時に明日の朝にモーニングコール(wake-up call)を頼んだ。

その後、ロンドン市内へ。今晩は、ミュージカルを見る。まだ何を見るか決めていなかったので、観光ガイドへ行く。色々と考えて『オペラザの怪人』に決定。観光ガイドのチケットセンターではもう売り切れとのこと。“直接劇場へ行けば、一番高いチケットなら残っているかも”と言われたので、向かう。劇場では、まだチケットがあった。一番高いチケットは£48。もっと安いのがないか聞くと、£20があるという。「Limited Seat」という、ちょっと「見難い席」のこと。何となくそれで良いような気がしたので、それを購入。

開演まで1時間半ほどあるので、母親に“ロンドンに行ったら絶対に行きなさい。そこは日本よ”と言われた「Japan Centre」へ行ってみる。それは劇場近くのPicaddilly Circusにある。確かにそこは日本だった。日本の本や食品などが売られている。入り口には日本食も食べられる。日本人も沢山。あんなに日本人密集度が高いのは、ホントに7ヶ月ぶりだった。なんか新鮮。結局何も買わなかったけど、夕食はそこで食べた。サーモンサラダセット。大好きなサーモンとご飯、味噌汁のセット。£11。高い!!美味しかったけど…。

その後、7時半から劇場で「オペラ座の怪人」を見る。話は分かった。でも、オペラ座の「怪人」の俳優がちょっと小太り…。あんまりカッコ良くなかった…。ストーリーは初めて知った。結構悲しい。「怪人」には何の落ち度もないのに…。「美女と野獣」のようなハッピーエンドではなかったのが意外だった。

10時に終了。そのままホテルへ戻る。飲み物とお菓子を買って、部屋へ戻る。明日は、朝7時過ぎにホテルを出発しなければ…。

2004/3/4(木) 依頼、マック、出発準備

Reading Week4日目。

今日は、ウィーン、セルビアに向けての準備。

まずは、同じIVSPの日本人留学生Rちゃんにひとつお願いごとを頼む。火曜日の午前中に帰ってきて、午後からナショナリムの講義に出る予定だけど、万が一戻れなかった時のためにICレコーダーを渡しておく。“もし僕が帰って来られなかったら録音してください”と頼む。とても親切なRちゃん。嫌な顔せず引き受けてくれた。良い人だ。ピースの人間に悪い人はいない!

その後、世間話。いつごろ日本に帰るのかとか、図書館で借りる本には誰かが勝手に書き込みをしている場合が多くて、ついついその部分に目が行ってしまう、などとたわいもない話題。CRISのエッセーでは、僕と同じテーマだったことを思い出す。NGOについて書いてるのは僕だけじゃなかった。。

話をした後は、ひとりで街中へ行った。マックでハンバーガーが食べたくなったから。食べた後は、図書館へ。ひとつだけ資料をコピーする。4ページなので直ぐ読んでしまった。

帰宅した後は、出発の準備。実は旅程は、土曜日:ロンドン→アムステルダム→ウィーン、日曜日:ウィーン→ベオグラード、月曜日:ベオグラード→ウィーン→アムステルダム、火曜日:アムステルダム→ブラッドフォード、という日程。それぞれ目的地で一泊。で、明日はロンドンに一泊してミュージカルでも見る予定。土曜日の出発が朝早いので、ロンドンで一泊することに決めた。今日の午前中にロンドンの宿をネットで予約。Padington駅近くのホテル。ミュージカルのチケットは現地調達の予定。何を見ようかな♪マンマミーアが大好きなんだけど、前期のReadingWeekの時に見たからな…。オペラザの怪人かライオンキングか…。他にもあるから迷うな…。

出発準備と言っても、大した物は無い。リュックひとつで行くつもり。3日分の下着と靴下、洗面用具だけなので、リュックひとつに収まる。あとは、CDプレーヤーや本。かなり身軽。そのほか、NGOの人から送ってもらった航空券引き換え券をプリントしたり、現地での活動の要点をプリントアウトしたり。結構、責任のある仕事なのかもしれない、と感じてきた。(去年の夏に同じような仕事をしたときは、面倒を見ないといけない日本人学生がウィーンでスリに遭って大変だったし…)

これが無いと…。バルカン半島は寒いのかな。去年の今頃はクロアチアのザグレブにいた。朝晩は寒かったけど、昼間は日が出ていればとても暖かかった。セルビアは内陸だから寒そう…。ゴアテックスのジャケットかバーバリーのコートか…。どっちが暖かいんだろうか。ブラッドフォードも寒いときはバルカン並みに冷えるから、別にビビるほどではないんだけど。

明日は、お昼過ぎにブラッドフォードを出発予定。移動はもちろん列車。コーチはあんまりすきくない。特に長距離は。。

2004/3/3(水) 書いてしまった結論…、僕とはこんな人…らしい

Reading Week3日目。

今日もCRISのエッセーに取り組む。昨日、あれだけ「結論」の難しさを考えながらも、今日はなぜかスパーっと書いてしまった。そう、結論を書いてしまったのだ。そんなにはしゃぐことでもないけど、「結論」を書き終えると、なぜか清清しい気持ちになるもの。

で、「結論」は、それまでの議論のおさらいや要約を中心に、最後はエッセー冒頭で突然引用したある論文への回答という、「ストーリー性」のある形式にした。単語数は3880語。少なくもなく、ちょうどいい感じかも。結論を書き終わったとは、「引用」の整理。こちらでは「引用」や参考文献の表記には非常にシビア。これをちゃんと書いておかないといけない。未だに要領が分からないこともあるので、指南書を参考にしながらチェック。MS Wordには、脚注・文末注などの機能があるので、それを利用すると整理は楽。こちらに来て、Pre-Sessionalコースの授業で習っておいてよかった。でも、MS Wordで出来る引用方法は「Numeric Style」というものなので、このスタイルのフォーマットを理解していないといけない。エッセーの内容の推敲とは別に、この引用のチェックが面倒。かなり細かい作業になったりする。

今日でエッセーは70%くらい完成。残りの30%は、推敲に推敲を重ねること。とりあえず、数日エッセーには手を付けないで、「寝かせて」おくことにする。数日経ってから、冷静に自分のエッセーを見られるように。

エッセーに取りかかったのは午後4時くらいからだった。最近気づいたけど、時間を掛ければ何でも物事が進むというものでもない。僕は、短期集中型にバーっと取り組むタイプなのかもしれない。普段は、資料収集に時間を掛けてアイデアを探し、それを頭の中に溜めておく。で、それをどんな風にそれらを関連付けるかを、かなり時間を掛けて考えている。書き始めるのが結構遅い。頭の中でアイデアが繋がった途端、どんどん書き進めていくというパターン。なかなか書き始められないと、不安にもなるけど…。

なんとなくネットで「姓名判断」をしてみた。それによると、僕ってこういう人間らしい。自分のことなのに、知らなかったョ。合っているような、そうでないような。

-姓名判断の結果-

総合運:
カミソリのような勘の鋭さがある。頭は良いが策士策に溺れる面もある。先見性はあるが短気で常に自分が指導的立場の地位に居無ければ気に入らない。その結果、まわりが離れてゆき社会的地位を失いやすい。親切で友人も多いが内面的には孤独な人。

社会運:
完全主義者で負けず嫌いの為、年長者や職人の多い職場に就くと能力発揮が早く安定して働ける。自分の才能を100%に発揮する為には、人との和を心がけ趣味を豊かに持つ事。

家庭運:
金脈・財源作りが上手で、金銭管理がユニークで上手い。良い子供に恵まれる。一字名以外の人は夫婦仲は円満で順調。

外からの印象:
人当たりはさわやかだが、相手を見る目は厳しく常に優劣評価を下している。派閥を作り、派内外問わず社交家で情報収集力が優れている。闘争心旺盛で危機時に能力を発揮する。

性格や人柄:
瞬間的に物事を判断し、細かく観察できる人です。自分にも他人にも妥協を許さず、努力家でまじめですが、毒舌で人を不幸にする事もありますので気をつけてください。

という結果でした。「派閥を作り…」というのはちょっと違うな。「毒舌で人を不幸にする…」、これホントかも。「人との和を心がけ…」。はい、その通りだと思います…。

たまにこんなことしてみるとオモシロイ。占いの結果というのは、良く出来ていると思う。誰にでも当てはまりそうなことなのに、それが自分に特有のものだと信じ込ませるのだから。こういうモノはどんな人が書いているんだろう。とても気になる。。誰なんだ?きっと、とても頭の良い人なんだろう。ふと、就職活動でエントリーシートに自己分析を書く際、自分のことが分からない人は、適当に占いの結果でも書いとけばいいんだな、と思った。。(←いい加減…)。

ところで、この日記を読んでくれた方からのご指摘で、先月27日に「日本の大学で保証人がいない学生はどうなるのか」という僕の疑問に対し、「入学書類に保証人欄があるので、いない人はきっといない」といういうことでした。確かにそうだ。。あと、1日日記の「渡辺兼」は「渡辺謙」だとのご指摘も。。そんなに丁寧に読んでもらっているなんて!変なことは書けない…(書いてないけど)。Blog形式にしたらもっと反応があるのかな。

2004/3/2(火) マニアック、家事、CRISエッセー、「So What?」

Reading Week2日目。図書館で予約していた本が届いたので、受け取りに行く。『Nuclear Command and Control in NATO: Nuclear Weapons Operations and the Strategy of Flexible Response』というNATOの核戦略についての本。タイトルからして、とてもマニアックそうな内容である(まだ読んでない)。はっきり言って、僕はミリタリーマニアではない。勘違いしないで欲しい。ほとんど偏見に近いけど、日本の学生で安全保障や政治に興味のある人(特に男)というのは、一種の「マニア」や「オタク」である場合が多いと思う。なんと言うか、そういう話題を話すのが好き、という感じ。「学問」というよりは、何か個人の「思想」を押し付ける傾向があるようにも思う。正直、そういう人は苦手だ…。で、ちょっとそういう話に参加してみたりすると、「同類」と思われたりする。さらに厄介だ…。

高校生のときに、日本で「模擬国連会議(模擬国)」というのに参加した。イギリス代表で小型武器問題を担当して、国連での議論をシュミレーションするというもの。当時は面白いと思った。大学に入って、旧ユーゴに関わるようになった後に模擬国を見学したら、全く印象が違った。“こんな豪華なホテルで、美味しいモノを食べながら、紛争や難民のことを議論して何が分かるのだろうか”と思った。加えて、僕が所属する日本の大学で、この模擬国に関わっている学生とグループ研究をしたときに、さらにその印象が悪くなった。彼は、僕に国連安全保障理事会の決議案(英語の原文)を示しながら、文書で使われる動詞の違いで、その拘束力が違うのだと延々に語った。終いには、“君には英語が難しくてわかんないと思うけど”などと言う。正直、呆れて何も言えなかった。彼は単に、国連の真似事をしている自分、原文の決議案を読んでいる自分がカッコ良いと思っているだけの「国連マニア」なのだ。心底思ったのは、“だから、なに?”ということ。(個人の問題であって、模擬国自体が悪いと言うわけではないだろうけど)

と、今でもそんな愚痴が出て来るくらい、「マニア」にはなりたくない。

お昼を大学の食堂で食べる。鶏肉に何か具が詰まってソースが掛かっている料理。美味しかった。その後、帰宅。

エッセーに取り掛かる前に、家事をする。まずは、ベッドカバーとシーツの洗濯。その間に食品の買出し。帰ってきてから、乾燥。部屋に掃除機も掛ける。気づくと、3時。最近、勉強はこんな時間から始めることが多い。

プリントアウトしたエッセーを見ると、色んなことが見えてくる。エッセー全体が見渡せると言う点で、段落構成が一目で分かったり。細かい表現などをさらに確認していく。各センテンスの位置などを注意深く確認すると、全然理論が成立していない部分が出てくる。いわゆる「理論の破綻」。とりあえず、アイデアを書き留めていたということがよく分かる。「切り取り」・「貼り付け」で段落の位置を大きく変えてみたりもした。結局、まだ結論が出ていないことも分かる。「結論」というのも、非常に厄介なもの。単純にそれまでの内容を「要約(Summary)」するのもある種の「締め」の方法でもある。ちゃんとアイデアを書く「結論」という方法ももちろんある。

数年前に、どこかの新聞に掲載された個人の手記を読んだことがある。それは筆者が留学したときの話だった。一生懸命書いた自信のエッセーについて、担当教授の評価がたった一言、「So what? (だから、なに?)」だったという話。僕は今でもこの話を覚えている。なぜだろうか。その手記の筆者の回想では、どんなに理論武装しようとも、自分が言いたいこと、主張したいことの本質が見えてこないエッセーだったのではないか、と説明されていた。

この話を読んで、“「学問」って厳しい!”と思った。僕が今取り組んでいるのも一応「学問」。。日本の大学と違って、要求されるレベルが格段に違うと感じるし、それに圧倒されることもある。エッセーでは、用語の定義、そのテーマを選んだ理由、段落構成、理論の展開、根拠、具体例など、様々な点が考慮される。1年生の時に日本の大学で書いた国際政治関係のエッセーでは、ほぼ満点に近い評価をもらった。でも、1年半経って、今そのエッセーを読むと、恥ずかしいくらいの内容だ。単なる「作文」にしか思えない。「So what?」と言われたら、それ以上何も言えないと思う。

で、今現在取り組んでいるCRISのエッセーだけど、「So what?」と言われるような内容ではないか、と少し不安だ。単純に、「問い」に対して、「答え」を書けているのかという不安。結論がまだ書けていないのは、自分の「答え」が定まっていないか、それに自信が無いからかもしれない。何でも「凝る」性格なので、気になり始めたらキリが無いんだけど…。あれっ?そんな拘りを「マニア」って言うのかも。違うと思いたい・・・。

夕飯は、スパゲッティミートソースを作った。久しぶりに「料理」をした。

2004/3/1(月) 読書、エッセー、オスカー、BDな人たち

今日からReading Week。一週間、講義もセミナーもなく「読書して授業の理解を深めましょう!」という立派な期間である。返却日が近づいていた本を返しに図書館へ行く。すると、学生が沢山。今週がReading Weekなのは平和学科だけなのかも。

図書館で本を返した後、ナショナリズム関連の資料を読む。来週の講義の予習。読みたい資料が貸し出し中で、手元にある資料は少ない。なので、1時間ほどで読み終わる。読んでいた資料は、「ナショナリズムとマイノリティー」について。ふと、ロマ問題が頭の中に思い浮かぶ。旧ユーゴで少し関わって、ずっと興味を持っていたこと。で、さらにCCRのエッセーの課題で、ロマ問題を書けるんじゃないか、と一瞬思う。「文化と紛争」がテーマであるから、ロマの文化への差別がヨーロッパにはあると言う点を指摘できるかもしれないと思った。以前、日本のThe British Councilでロマについてのエッセーを書いていたけど、途中で中止した。だから、少し資料もある。ロマについて書きたいと思う。

近所で買ったフィッシュバーガー。£1.80帰宅後、エッセーを書こうと思うが、なかなか手が付けられず。ケーススタディになりそうな資料を探す。で、夕方頃になって、良い資料を見つけて書き始めることが出来た。執筆はどんどん進んで、とりあえずケーススタディについての記述は終了。3500単語を超えて、エッセーの全体像も出来上がった。残りは、内容の推敲、段落構成、表現、文法など等をこまめにチェックしていく作業へ入れそう。これで、CCRのエッセーにも取りかかれそうだ。

夜は、BBCで昨晩中継していたアカデミー賞の録画が放送される。渡辺兼は惜しくもオスカーを逃したけど、Lost In Translationは見事受賞。色々と、Yahoo.comで映画への批評を読んでみる。特に最低ランクを付けている批判を。共通して「退屈」だとか「Coppolaだから…」というものばかり。否定は出来ないかも。

Reading Weekだけど、みんなが真面目に本を読んでいる訳ではない。旅行に行く人も多い。特にピースの日本人は旅行好きな気がする。彼らが真面目じゃないというわけではない。なんと言うか、「旅行好き」なんだな(繰り返しだけど)。僕はと言うと、嫌いじゃないけど、大好きというほどでもなかったりして。「旅行」と言うと、“あれも、これも見なきゃ!”と言う気分になって、疲れてしまう。“フラっとあの町を見てきたよ”くらいのが好きなんだな。で、ピースの人は、イギリスからは片道数ポンドで飛行機に乗れるチケットがあるので、ドイツに行ったり、ストックホルムに行ったり。そんな飛行機会社の存在もあってか、“BDな人たち”にとってはイギリスは天国のような国かも。僕も活用した方が良いような気がしてきた。。

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