科目の略称:
CRIS=Conflict Resolution in International Society
CCR=Culture and Conflict Resolution
ACD=Arms Control and Disarmament
NEMP= Nationalism and Ethnicity in Modern Politics

+++ブラッドフォード大学平和学科留学体験記+++

−日記−
(「不定期な日記」改め「日記」になりました)

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2004/2/29(日) 悶々とした日、創作活動

昨日、「明日には結論が書き終わりそう」なんて思ったけど、今日は一切エッセーを書かず。エッセーのWordファイルすら開かなかった。今日は、なぜか頭がボーっとする。全然勉強する気にならなかった。以前親に「悶々とした日々を送っているのね」などと前期の試験勉強の進み具合を話したときに言われたことがあった。「悶々」ってどんな意味なのかよく分からなかったけど、きっと今日のような気分をそう呼ぶのだと思った。

で、何をしていたかというと、ここのサイト構築。留学ってそんなことしているほど暇なのかっ?と思われるけど、もちろんそんなわけはない(たぶん)。昨日、セルビア行きがほぼ確定したので、旧ユーゴのことが気になったきたなので、「FYR」の充実を図った。ザグレブの写真を追加。サラエボも掲載したかったけど、時間が足りず今日は断念。

夜は、BBCでアカデミー賞の中継をやっているので見る。でも、深夜1時過ぎから。渡辺謙やLost In Translationはどうなるんだろうか。結果は、明日起きてからネットで確認になりそう。何もして無いから、お腹も空かないし、疲れもしない。でも、眠気だけはある。かなり堕落した生活である。これはいけない。外に出なければ。。

と、そんな感じで2月も終わってしまいました。

2004/2/28(土) 理想主義か現実主義か…、ウィーン/セルビア出張決定かな…

今日は一日中エッセー執筆。CRISの3500−4000単語のエッセーだ。テーマは「平和構築におけるNGOの役割について」。ずっと、中身がスカスカで、とりあえずドラフトを完成させたいと思って書いていたけど、よく見たら結構細かいところまで書き終わっていた。で、3000単語ほどまで達する。あと、500単語書ければ、最低条件はクリアー。もちろん、単語数だけクリアーしてるだけで、内容の保証は無し。明日には、結論を書き終われるような気がする。その後は、推敲して、不要な部分を削ったり、足らない部分を付けていったりという細かい作業。目下、ケーススタディをもっと入れないといけないような気がしている。また、それ以上にテーマと内容が合っているのかのチェックを誰かにして欲しい。

前期にも同じようなことを思っていたけど、エッセーを書いていると、どうしても「理想」を書いてしまいがち。なんというか、勉強している分野やエッセーのテーマがやはり「平和」なので、その傾向を否めない。僕は、ブラッドフォードで勉強しているけど、別に「平和活動家」だというわけでもないし、そういうものを目指しているわけじゃない。そんな風に思われるのは、正直心外だ。僕は、ただ単に何故紛争は起こるのか?どうしたらそれを解決したり、予防したり、そして管理出来るのかという「紛争解決」に興味があるだけ。「世界に平和を!」と言うのは簡単だけど、そういう活動はあんまり好きじゃない。むしろ、現実の問題にちゃんと直面して、目の前の問題を解決するなり、その程度を下げたりすることが出来れば良いと思っている。もちろん、武力紛争だけではなくて、身の回りの生活に起こるような「紛争」についても興味がある。そんな風に思っている自分が問題の原因だったりするけど…。(最近は、「紛争解決」自体に少し懐疑的になってきた…)

ただ、理想主義的な考え方を否定はしたくはない。現実主義はやはり「人間性」というものを無視しがち。僕はどちらもバランス良くありたいと思ったりする。特に僕が納得がいかないのは、「理想」という言葉が「実現不可能」と同義にされることだ。僕はそんな風には思わない。「「理想」を「現実」的な方法で実現する」。これが僕の「理想」だったりする。利用できるものは全て利用したい。だから、僕は別に特定の思想を持っているわけではない。必要であれば、右にも左にも真ん中でも良いと思う。

で、今書いているエッセーは、「理想」ばかりになっていないだろうか。「「理想」を「現実」的な方法で実現する」というスタンスが生きているかが気になる。じっくり取り組まなければ。

今日は、日本のNGOの代表から電話が掛かってきた。以前から話のあったウィーンでの日本人学生ボランティアのコーディネート依頼の話。“時間はあるので、僕でよければどうぞ”と伝えておいたので、今日は最終的な決定の話。仕事内容は、簡単に言うと、旧ユーゴスラビアの各国へ派遣される学生ボランティアがウィーン経由で各地に移動するので、そのお手伝い。基本的には、ウィーンでの滞在中(たった2日だけど)にホテルや空港でのコーディネートをすること。「コーディネート」と言うとカッコいいけど、実際は「ツアコン」みたない仕事。観光案内はしないけど。ちなみに、8月(既にブラッドフォードに滞在中)にも同様の仕事をした。そのときは、クロアチアまで行った。知り合いの現地NGOのスタッフにボランティアを引き渡して終わり。今回は、セルビア共和国のベオグラードまで行くことになりそう。ちなみに、ずっと「クロアチア」専門だったので、セルビアのことなんて何も知らない。別に知らなくても出来る仕事らしいので、不安はないけど。一度訪れてみたいと思っていたので、良い機会だ。出発は来週の週末。火曜日の午前中に帰国予定。ナショナリズムの講義に間に合うように帰るかも。リーズ・ブラッドフォード空港発着の予定なので、コーチかタクシーに乗れば、講義には間に合うかな。東欧から西欧へ、そしてブリテン島の中規模都市ブラッドフォードへ。そう思うと、結構ハード。前回はヒースロー経由だったので、ブラッドフォードからロンドンまでに行く方が時間が掛かった…(旅程の都合上、コーチで6時間の長旅だった・・・)。今回は、前回よりも若干移動は楽そう。半年振りのバルカンが楽しみ。。久しぶりに現地の言葉を使いたい。Zdravo!

2004/2/27(金) セミナー、アットホームなBD、人違い、退学?、勉強

午前には2つのセミナー。初めはCRIS。Paul Collierという世界銀行の人が書いた内戦と不満についての論文について。事前にこれを読まないといけないのだけど、読まなかった。前期にPCDの授業で彼の理論は学んだので、読まなくてもいいやぁーなんて思ってしまった。セミナーでは、前回のAzarのPSCsについての理論との比較をせよ、とのこと。前回のことなんて、殆ど忘れちゃったし、今日の論文もちゃんと覚えているのか少し不安だった。3人一組で協議をする。で、ひとりが知り合いのイギリス人だったので、“前期にこれ読んだよね?”と暗に今日の論文の内容を確認してみる。“そうだよね”と言われて、安心。。なので、前期の知識に基づいて、あたかも今日の論文を読んだのかのように振舞う。それでなんとかなった。

二つ目のセミナーは、ナショナリズム。セミナーチューターの韓国系アメリカ人のKimは結構面白い。話しやすい感じの人だ。韓国系と言うことで、なんか妙に親近感を感じる。セミナーの初めに学生がひとりずつ、「自分のナショナリズムに反するもの」を持ってきて説明した。正直、難しい。同じ日本人IVSPのRちゃんは、ブラッドフォードでは教授をファーストネームで呼ぶのが違う、と説明。ある種のカルチャーギャップである。で、僕もてっきりイギリスの大学一般、欧米の大学ではそうなのかと思っていたら、Kim曰く、意外とそういう大学は少ないらしい。特にブラッドフォードはアットホームな雰囲気だそうだ。

今日は午前中に終了。寮に帰る途中、パキスタン系の学生にいきなり“すいません!****ってどういう意味?”と聞かれる。”****って何だよ?”って思った。全然聞き取れないので、“今何て言ったの?”と聞き返すも、“****だよ”と言う。一瞬フランス語のようにも聞こえたけど、そんなことを僕に聞くのも不自然。なので、“それどこの言葉?”と聞くと、“広東語か北京語だよ”と言う。そう、彼らは僕を中国人だと思って、そんな質問をしているのだ。“ごめん。僕、中国人じゃないんだけど”と言ってその場を去る。区別出来ないんだよね、こっちの人は。まぁ、僕もパキスタン系なのか、インド系なのかも判んないのでお互い様だけど。それにしても、彼らが知りたかった言葉の意味は何だったのだろうか…。きっと、中国人が多用していた言葉なのだと思う。彼らも気になるし、僕も気になってきた。どういう意味なんだ、****って!!

帰宅後、日本の親とSkypeで会話。最近、僕の日本の大学から授業料納付の催促状が来たのに、気づかなかったらしい。2度目に来た催促状で、入金しないと退学にするぞっ!と書かれていたらしい(もちろん、誇張してるけど)。親曰く、“焦っちゃったよ。催促状に気づかなくてさー。急いで入金しておいたから”と言う。6月に帰国したら、大学に籍が無かっただなんていうのはシャレにならなーい。それにしても、一人暮らしの学生とか保証人のいない学生が留学したらどうなるんだ?!直接本人に通達しないと、ホントに退学になっちゃうじゃん。その辺どうなんでしょうか、僕の大学…。

今日は、3時過ぎまでダラダラ。その後、勉強開始。エッセーを書きたいけど、今日は昨日借りた核兵器についての本を読みえ終えることが目標。とりあえず、サラッと本を読む。その後、要点をパソコンにコピーする。それで今日は終わってしまった。エッセーも書きたかったけど。まぁ。核兵器競争の歴史が結構分かったかも。

今日は、見知らぬイギリス人を同じフラットで見かける。結構歳をとっていそうな白人のおじさん。他の1年生のイギリス人が住んでいた部屋から出てたので、“えっ!いつからそこに住んでたの?”と聞いてしまった。すると、“数分前から”というトボケタ答えが…。話を聞くと、他の階に住んでたけど、隣人が騒がしいので、部屋を変えてもらったとか。24時間以内に移動しないといけないらしい。だから、“数分前から”というのは、別にボケたわけじゃなかった。“あー、そうなんだ。よろしくね。”と言って別れたけど、その後直ぐに“あれ!?元々住んでいたイギリス人はどこへ?”と思った。

2004/2/26(木) 授業、茶粥、Unfair?、文化的紛争セミナー、言われないと気づかない

午前10時からCCRの授業。相変わらず講師のRhys Kellyは、原稿の某読み。今日は、「Explicit Approach」と「Implicit Approach」について。うーん、よく分かんなーい。自分が気づかない、当然だと思っている「前提」を理解させることが大切らしい。

なんの変哲もないものなんですが・・次の講義は午後2時から。一度、寮へ戻り、昼食を食べる。久しぶりに我が家名物の「茶粥」を作る。父方の祖母は紀州和歌山の出身。緑茶で白米をゆでてお粥を作る。緑色で、お茶の香りのするお粥ができる。生まれたときからずっと食べている茶粥。休日の朝は、我が家ではこれをかならずと言っていいほど食べている。てっきり、どのご家庭でも作っているものだとずっと思っていたけど、それは珍しいことだと最近知った。東京ではそんな食べ方をしないらしい。

1時過ぎに図書館へ。色々と資料をコピーしたり、借りたり。主にナショナリズムと軍備軍縮の資料。PaulRogersの『A Violent Peace』という核兵器の発展についての本を借りた。結構分かりやすい。

2時からのCRIS(最近、「クリス」とみんなが呼んでいることに気づいた)の講義。今日は、フランス人のリサーチャーが講義。紛争解決の「Contingency」と「Complementarity」について。正直、よく分からない…。Track2と呼ばれる第三者による「Consultation」がハイレベルな「Mediation(調停)」を助ける役割があるとかないとか。。で、訳の分からない変なダイアグラムの資料ももらう。さらに混乱…。

講義の休み時間にフランス人のDoulwigと話していた。で、彼が突然、“携帯電話から発する電波の脳への影響はどう思う?”なんて聞く。“どうって…。別に気にしないけど。科学的に何も影響がないって、日本の政府の報告ではあったけど”と言うと、彼は“いや、影響があるっていう報告もある。電話会社は、絶対に影響はないって言い張るんだって”と言う。なので、“あっそう。でも、ヨーロッパの携帯電話は周波数が低いから、影響は少ないと思うよ”と言ってみる。彼は、“なんでそんなこと知ってるの?”なんて言うので、“僕、無線の資格持ってるから、ちょっと分かる”と伝える。気になったので、“で、君は電波が怖くて、携帯は使えないの?”と聞くと、“携帯持ってないもん”と彼は言った。内心、“じゃあ、関係ないじゃん、君に…”と思う。

2時間の講義の後は、毎回学生が参加しない「Essay Workshop」。今日は、今日の講義の内容と僕が書いている平和構築におけるNGOの役割がトピック。でも、残ったのはたった6人。誰も僕のトピックは書かない。だから、一切情報交換も出来ず、意見も聞けない。全然「EssayWorkshop」にならない。例え、誰も僕の選んだトピックを書かないにしても、この「Essay Workshop」への参加を「義務(Compulsory)]にして、無理やり出席させれば、嫌でも何か発言するから、意見が聞ける。でも、そういう状況ではないので、無理。全てが終わった後に、このFacilitatorに文句を言った。「誰も参加しないなんて、全く以ってUnfair。「Essay Workshop」への参加は義務にすべき」って。

とは言うものの、誰も僕の選んだトピックでエッセーを書かないとなると、見方によっては有利。なぜなら、誰とも比べられないから。元々、相対評価ではないだろうけど、他人と比較されなくて済むのは事実。イギリス人の学生の話によると、歴史的な説明で簡単そうな「パレスティナ問題とオスロ合意」に関するトピックを選ぶ人が多いらしい。“なんだ、みんなチャレンジャー精神がないな・・・”などと思った。というか、前期のIPSのエッセーでも、僕と同じ小型武器問題を選んだ人は少なかった。これって、僕の関心が他の人と違うということなんだろうか…。まぁ、気にしないけど。

5時からは、CCRのセミナー。今日は、前回は諸事情で担当できなかった、通常のスペイン人セミナーチューターが担当。彼女のチューティングはすばらしかった。はきはきとして、学生の意見を見事にさばく。で、テンポのあるディスカッションになったし、とても意義深かった。

ディスカッションでは、複数の事象がリストアップされ、それらが「暴力」であるかを話し合ったり、それが「構造的暴力」か「文化的暴力」かあるいは「直接的暴力」かを議論させ、さらにそのように分類化する基準やその程度のレベルを付けさせた。一緒に議論したのは、ポルトガル人の女の子二人とIVSPのYoshi。子どもへのしつけから、大学の授業料値上げ、ボスニア紛争でのレイプや結婚まで。

「Arranged Marriage」については、ポルトガル人とパキスタン系の学生との間で議論白熱。ポルトガル人は“個人の自由意志が抑圧されている!”と言う一方で、パキスタン系の学生は“「Forced」ではなくて、「Arranged」なんだ。合意なんだ”などとと言う。まさに西欧的価値と非西欧的価値の対立。普段文献で読む議論が、今目の前で起こっているのだと実感した。これも、ブラッドフォードだからこそかも。ちなみに、「夫婦間の同意のないSex」や「ボスニア紛争でのレイプ」などでは、やはりポルトガル人の女の子たちは強く反対。最近、ナショナリズムの資料を読んでいて、ボスニアにおけるレイプの「理論」を学んだ。で、“個人的には、もちろん反対だけど、レイプをする当事者には、当事者の「理論」がある。ジェンダー的観点、エスニシティの問題など。で、強制的にレイプを「させられた男」もいるわけで、レイプの被害者は女性だけではない、と思う”などと、反論が怖かったけど言ってみる。チューターが”いいポイントだね”と言ってくれたので、ちょっとお墨付きがついてしまった。他には、フランス政府が宗教的シンボルの公共の場所での着用を禁じた問題については、“「政教分離」は、国家と特定宗教の繋がりを禁じただけで、個人の信教の自由を認めないものじゃない。だから、反対。”と最近思っていたことも言ってみた。今日は、とても有意義なセミナーだった。やっぱりチューターの力量で全く違う、セミナーは。

帰りは、たまたま一緒に議論したポルトガル人の女の子と道が同じだった。話をしていると、“日本人はおっきな「日本人コミュニティー」を作っていて、話しかけ難い”みたいなことを言っていた。確かに、今年の平和学科の3年次には、日本人が6人ほどいる(これはとても珍しい)。でも、「群れている」ことは全くないし、本人たちもそんな風にならないように気を使っていると聞いていたので、彼女たちの感想は意外だった。本人も言っていたけど、ポルトガル人は彼女二人しかいないらしいから、相対的に多い日本人はそう見えるのかも。まさに「perception」の違いとでも言うのだろうか。

2004/2/25(水) 読書、エッセー執筆、ウィーンへ?

昨日と今日に掛けて行われているストの影響で、授業はなし。普段なら火曜日にあるナショナリズムの講義は、担当教授から講義のスクリプトがMLで送られた。“補講はしないから、これを読んでおけ!”ということなのか…。今日ある予定の軍備・軍縮の講義も休み。でも、担当教授のPaulRogersからは何の連絡もない。今日が休講なのか、補講があるのかとか、そういう情報は一切無し。Kyoさんの日記を読んでいたら、給料を挙げて欲しい教職員と授業値上げに反対する学生が一緒にストをやっているという情報を知った。以前からこのストの動機が分からないと思っていたけど、やっぱり分からない。そんな理屈崩壊の同盟を組んでいる労働運動なんて、イデオロギーもへったくれもない。

12時前に図書館へ。今日は、最近エッセーばかり書いていて、読もうとして溜まっていた資料を読み終えることを目標にした。軍備・軍縮とナショナリズムに関する資料。どちらも全然内容が被らない。とりあえず、1時間半ほど軍備・軍縮の本を読む。PaulRogersの本である。授業の内容が全くそのまま。読めばいい。

お腹が空いたので、昼食を食べにRichmond Buildingの食堂へ。寮に戻るのが面倒くさかった。今日のメニューは、サーモンやパスタなど。どれも「見た目」は美味しそうだった。僕は、七面鳥のホワイトソース煮込みにコーンとブロッコリーのトッピングを付けて注文。£3.60。結構美味しかった。ソースが期待以上にグッド。

その後、キャンパス内のカフェでコーヒーを飲みながらまた読書。ナショナリズムに資料をとりあえず読み終える。その後、図書館で新たな資料をコピーしたり、本屋で書籍を1冊購入。『Preparing for Peace: Conflict Transformation Across Cultures』。

帰宅したのは午後5時前。元々目が疲れやすく、疲労感を感じやすい体質。で、今日は休憩をあまり取らずに読書をしていたので、目が痛い…。元々体力には自信はないけど、こっちに来てから、さらに体力がなくなっている。全然運動しないから。しばらくは、読書はせず。夕食にチキンライスを作って食べる。

食後は、エッセーの執筆。今書いているエッセーを終わらせていかないと、CCRのエッセーに取りかかれない。とりあえず、ケーススタディを使わないと。。

エッセーを書いていると、関わっている日本のNGOからメールが。来週の週末にオーストリアのウィーンへの出張の依頼。もしかしたら、セルビアのベオグラードまで行ってもらうかも、とのこと。まだ、正式決定ではないので、とりあえず週末の予定を開けておいてと。来週はReading Weekで、大学は休み。実は、週末はデンマークのコペンハーゲンに行こうと思っていた。もしかしたら行き先が変わりそう。

2004/2/24(火) マンチェスター:チャイナタウン、原爆展再び、お話し

今日は、MAとBAの日本人留学生4人とマンチェスターへ。

横浜中華街ではありません。午前11時にコーチでブラッドフォードを出発。1時間で到着。まずはチャイナタウンでお昼を食べる。£4.50のランチメニュー。美味しかった。

その後、原爆展のある市庁舎と図書館へ。メインの展示をやっている市庁舎には1時間半ほどいた。上映されているビデオを観たり、パネルを見ながら色々と話をする。アメリカで1年間広島・長崎原爆投下のプレゼンをやっていたゆみさんのおかげで、前回とは違った展示の見方が出来た。図書館での展示も見る。

その後、市内のカフェでおしゃべり。みんなブラッドフォードへ来る前には、色々な活動をしていた人が多いので、話を聞いていて楽しかった。それから少しショッピングをして、帰途へ。

午後8時にブラッドフォードに到着。夕食は、大学近くのインド料理屋へ。僕は普段マック以外では全く外食をしないので、ブラッドフォードのカレー屋さんについて、“あの店が美味しい!”などとみんなが言うのを聞いて、少し尊敬。。“詳しいなー。これはやっぱり外出の頻度が違うからなのかな…”などと思った。2時間ほど、MAやBAの授業のこと、日本の話など、久しぶりに「会話」をした。自分が思っていることを他の人も同じように思っていることもある、というのが実感。みんな色々と考えているんだな、と思った。当たり前だけど。。

昨日、「桜」だと思ったブラッドフォードにある木は、実は「アーモンド」らしい。とっても桜にそっくり。

2004/2/23(月) ネット通話、買い物、エッセー執筆、他のエッセーが…

午前中は、またまたネットでオーストラリアの友達と会話。数分だけにしようとしたけど、1時間も話していた。結構、特に話す内容もないのに、だらだらと無駄話をしてしまう。。

明日、平和学科のMAとBA含めた日本人同士でマンチェスターの原爆展へ行くことになった。既に行ったけど、アメリカで原爆についてのプレゼンをやっていた日本人のMA学生ゆみさんと話がしてみたいので、着いて行くことに。で、明日はコーチ(バス)で行くので、昼過ぎからチケットを買いに行った。

「桜」は僕の日本の大学の校章デスブラッドフォードには「桜」がある。街中に植えられていて、芽が出始めていた。

チケット購入後、街中へ。まずは、£ショップ(日本で言う100円ショップ)で、ハンガー12本セットとボディーブラシを購入。ハンガーは足らなくて、部屋のイスに掛けていたりした。これでクローゼットに掛けられる。ボディーブラシは、背中をちゃんと洗いたいと思っていたけど、なかなか買う機会がなかった。いつも買い物の時に忘れてしまっていた。

昼時はお客さんで大繁盛!買い物終了後、お腹が空いたのでマックで昼食。ビッグマック、ポテト、ストロベリーのマックシェイクをセットで頼んだ。いつも同じものを食べてる。ちなみに、「セット」は「meal」で、「マックシェイク」は「milkshake」とこちらでは呼ぶ。

帰宅途中に、MLで配布が告知されていた「Revision Exam Questions」をもらいに平和学科のオフィスへ行く。“いったい何の書類だろう?”と思っていた。てっきり、前期の試験の模範解答か何かだと思ったら、それは後期の授業の過去問。試験は5月21日から6月4日まで。もう試験のことが…。

帰宅後、やっとのことで入手したボディーブラシを妙に使いたくなった。シャワーを浴びて、使ってみた。。とても身体がキレイになった気がした。。

その後、エッセーの執筆を開始。昨日から書き方のアプローチを少し変えている。それは、「結論」を書くこと。大体の構成は出来たので、結論を書く。Bodyの部分やケーススタディがまだまだ不十分だけど、とりあえず全体像を自分自身で理解するためにも、「結論」をある程度書いて、方向性を確認したい。

そんな感じで、今日は主に「結論」を中心に書いた。でも、書き終わりはしなかった。夜になって、ふと他のエッセー(文化と紛争解決、CCR)が気になる。予定を確認すると、今書いているエッセーの提出期限は4月19日、まだ書いていないエッセーの提出期限は5月10日。良く考えると、そんなに時間がない。そろそろ残りのエッセーにも手をつけた方がいいような気がしてきた。

数年前にMouse&FootDiseaseとかで、大量に「処理」されてしまったヒツジさんです。で、CCRのエッセーは、文化と紛争の関係について。いくつかテーマを選んで書く必要がある。これまで、ずっと旧ユーゴについて書こうと思っていたけど、ふと日本のことについて書きたいような気分になってきた。「日本における文化と紛争の関係」。もちろん、武力紛争だけが「紛争」ではない。例えば、日韓関係や日中関係など。「歴史認識」などの問題があるし、在日問題を含む外国人への差別や偏見、政府の難民政策等々。探せば日本にも問題はあると思った。こちらにいると、ついついヨーロッパなどへ興味が移ってしまいがち。改めて「日本」について考えることも必要かもしれない、と思うようになった。でも、ネタが見つからなかったので、今日は諦める。とりあえず、CCRのエッセーのテーマを模索し始めようと思う。

夕飯は、冷凍のム肉のステーキ。美味しい。今、日本は、牛肉も鶏肉も問題があるようだけど、代わりにラム肉を食べればいいのにって思った。

2004/2/22(日) 一日中エッセー執筆、昼寝、タイトル変更、最近の食生活

お昼少し前からエッセー執筆開始。構成を考えつつ、少しつづ書き足していく。エッセーのテーマは、「What are the important elements of peace-building process, and what is a contribution of NGOs」だった。でも、僕の興味は、「Mutual supplement of capacity of interntaional and local NGOs for peace-building」。その興味について書いていたので、正直、元のテーマからビミョーに逸れていると感じていた。それを分かってて書き続けている時点で、確信犯である。

そんなことが出来る理由は、内容によってはテーマの変更が可能だから。一応、担当教授のTom Woodhouseに相談する必要はある。でも、それをしないまま書き続けていた。で、実は昨日の夜に、彼宛に確認のメールを送っておいた。自分の選んだテーマとエッセーのフォーカスが合っているのか、合っていないなら新しいテーマはどんなのがいい?という質問。

夕方までずっとパソコンの前に座っていると疲れてきたので、昼寝をする。音楽を聴きながらのうたた寝。1時間半くらいで、パワー回復。

その後もエッセー執筆。着実に進んでいるような気がしてる。でも、やっぱり僕が書いてるのは、「contribution」じゃなくて、「role」なんだよなぁー、なんて思った。

夜9時になって、Tomから返信が来た。「What are the important elements of peace-building process in post-conflict situations: comment especially on the roles of NGOs」にした方がいいよ、とのこと。やっぱり。そうだよね。今の時点で確認してよかった。エッセーが殆ど書き終わった時点でテーマを変えたら、大変なことになる。それにしても、このイギリスの大学の柔軟さというのはイイ。自分の興味のあることを勉強できるんだから。感謝、感謝。

あまりお腹が空かなかったので、料理をしなかった。最近、以前ほど料理をしてない。だから、日記にも食事の写真が少なくなった。別に食べてないわけじゃないけど、缶詰めのカレーだとか、大したものを食べてない。で、最近は「作る」のが面倒くさいと思うようになった。“面倒くさいくらいなら、食わない!”と今日は思い、料理をしなかった。でも、やっぱりお腹は空く。こういうときに、日本から送ってもらったインスタント食品は救世主だ。普段は、そういうのは食べたいと思わないし、大量に送りつけられてきて「迷惑」なんて思ったけど、今日はその有り難味が分かった。親心子知らずとは、まさにこのこと。で、夜10時になって作ったのは、サッポロ塩ラーメン君。夜食だな、これじゃ。

2004/2/21(土) ぺちゃくちゃ、エッセー

今日は、午前中はオーストラリアにいる友達や日本とずっとSkypeで話をしていた。気がつくと、お昼。

今日は妙に頭がボーっとする。なかなか勉強に手がつかない。ダラダラと過ごすうちに、あっという間に夕方に…。

夕方からエッセーを書き始める。これが意外と結構進んだ。エッセー全体からすると、まだまだ半分くらいだけど、着実に進んで入るような気がした。

と、活動項目が少ない日でした。。

2004/2/20(金) ロード・オブ・ザ・リング、エッセー執筆、日本人らしさ

今日は午前中から映画『ロード・オブ・ザ・リング-王の帰還』を観に行った。今日は授業がないけど、どうせ昼過ぎまでは勉強を始められないと思ったので、それならダラダラする時間を映画鑑賞に使おうと思った。

上映は午前11時から。10時半に寮を出る。徒歩で15分くらい掛かると思ったので、早めに出た。でも、バスが来たので、それに乗る。普段はバスは乗らない。どこも徒歩で移動できるのがブラッドフォード。でも、今日は珍しくバスに乗る。イギリスでは、行き先により運賃が違う。でも、料金表示もないまま、前払い。自分で金額を言って、お金を払う。正直、適当な値段を言って乗れる。

映画館についたのは11時前。チケットを学生割引で買う。£3.60。飲み物とポップコーンを買う。こちらでは、Largeサイズの上にJumboサイズがある。以前、これを買ったら飲み切れず、食べ切れなかったので、Largeを頼んだら、“セットで頼んだらJumboサイズと値段は同じだよ”とパキスタン系の店員に言われる。それは聞き取れた。で、“飲めないから、食べ切れないから、Largeでいい”と言ったのに、“いや、でも、値段は同じだから”と言う。しつこいので、“じゃあ、Jumboでいいよ”と言ってしまった。で、飲み物はオレンジのファンタを頼んだ。すると、“*****か++++?”と言う。全然聞き取れない…。何度も聞き直すが、やっぱり分かんない。“ファンタに種類なんかあったか?”と思ったけど、店員はさらに聞く。ウルドゥー語かパンジャーブ語の訛りが非常に強い。何を言ってるか全然わかんない。英語に聞こえない。ブラッドフォードに来て半年以上が経ったけど、これだけは全然慣れない。パキスタン系の人に声を掛けられても、正直何を言っているのかが分かんない場合がほとんど。もちろん、ヨークシャー訛りも同じくらい分かりにくい。きっと、日本に帰るときになっても聞き取れないままだと思う。

映画の方は、3時間半の超大作。途中で疲れてきた…。休憩がないまま上映は続く。途中、トイレに立つ人もいた。この長さは非常に問題だと思う。子ども連れが多かったけど、辛いよこの長さは…。僕も辛かったし。映画の内容は、可もなく不可もなくという感じ。お金沢山使ってるし、俳優も豪華だから、そりゃあアカデミー賞総なめなのかもしれないけど、1ヶ月の撮影の低予算映画『Lost In Translation』の方が心にじーんと来るものがあった。僕は、後者の方が好き。

映画の帰り道気分転換に映画を観て、それからエッセーを書こうと思ったけど、逆に3時間半の上映に疲れてしまった…。結局、今日はそのままダラダラしそうな気がしてけど、結構エッセーを書けたかも。まぁ、そんなには進まなかったけど。今日は天気が良かった。ブラッドフォードは、日が長くなり、暖かい日も多くなった。

夜になって、隣のギリシャ人の部屋が騒がしい。数人いるみたいだけど、喧嘩しているようにも聞こえる。でも、たまに笑い声も聞こえる。ギリシャ語って、そんな言葉なんだと思った。で、ギリシャ人がうるさいと思っていたら、次は天井がうるさい。上の階で飛び跳ねるような物音と一緒に女の子の叫び声が…。これは、最近よく聞く物音。で、笑い声も聞こえる。だから、犯罪性はないと思う。ただ、妙なテンションだったり、エレベーターホールでも似たような騒音が聞こえる。“マリファナでもやって、ラリってるのか?”と思うくらい。正直、イギリス人は「公共心」がない。特に若い人は。これ、日本人からして受け入れ難いくらいのレベルだったりする。個人主義の成りの果てである。人に対しての配慮や思いやりが微塵も感じられないことがある。そんな社会には、日本はなってはいけない。イギリスなんて、手本にするべき国じゃない…。そういうイギリス人を見るたびに、心が痛む。日本人の気配りや「和」の意味が分かったような気がする。

2004/2/19(木) 紛争解決学、AUSとチャット、父元気さらに確認、北朝鮮

今日は忙しい木曜日。

午前中にCCR(文化と紛争解決学)の講義。今回も講師の先生がユーゴを専門にしていたらしく、ケーススタディはユーゴ。講義後に、取り寄せ中で図書館にない資料が欲しいと言うと、コピーしてくれると言ってくれた。で、エッセーでパルティザン闘争の文化的側面としてのユーゴ紛争との関係をテーマにして大丈夫か?と聞いたら、面白そうだね、と言ってくれた。まだ、アイデアで何も始めてないけど。

一度、昼食のために寮へ帰宅。パソコンを起動すると、オーストラリアへ渡った日本の大学の友達がMSNメッセンジャーにログオンしていた。なので、Skypeで話掛けてみる。繋がった!そのほかにも、同じく日本の大学の友達で、これまたオーストラリアに留学している友達ともチャットをする。世界は狭い!

途中で、親からSkype経由で電話が掛かってきた。父親と無事に東京に戻ってきた。ウェブカメラで父親が動いているところを確認。普段と変わらなかった。。よかった、よかった。

その後、2時からのCRISの講義のために寮を出る。途中、本屋に立ち寄ると、『The Spread of Nuclear Weapons』なる本を発見。軍備軍縮の授業にビミョーに着いて行けていないような気がしているので、不安から本を買ってしまった…。

教室に着くとまだ誰もいなかった。すると、後から教授のTom Woodhouseが入ってきた。彼は授業の準備をし始めた。以前、ネットで彼が今年の1月に明治大学でブリティッシュカウンシルとの共催のシンポジウムのために日本を訪れていたのを知ったので、ちょっと話掛けてみる。“1月に日本を訪れたんですね”などと言ってみる。彼は、結構庶民的な雰囲気の人。学者らしく、世離れした感じだけど、普通に話をしてくれる。“君は東京から来たの?”と言われて、“そうです。明治大学って、キャンパスがとても高いビルですよね?高校生の時は、よく通っていた地域(御茶ノ水)なんですよ”などと言ってみる。彼曰く、明治大学とは結構長い関係らしい。知らなかった。

今日の彼の講義は、紛争解決学の父(?)でブラッドフォードに平和学科を作ったAdam Curleについて。ビデオを観たり、説明を聞いたり。正直、内容はそんなに面白くなかった。講義の最初にTomが示してくれたCurleの幼年の時の成績表は面白かった。最年少でオックスフォードの教授に就任した彼だったけど、幼いときの成績はクラス8人中、8位。で、先生のコメントが面白かった。“何もかもダメ”みたいなコメントだった。そういう人でも、何か得意なことや新しい発想を生み出せるのだとTomは言いたかったのかな。90分間休み無しで続いた講義の後は、エッセーワークショップ。状況は先週と同じ

講義の後は、30分ほどセミナーまで時間があった。キャンパスを歩いていると、同じIVSPの日本人のRちゃんがなぜか本人の寮の写真を撮っていた。てっきりホームページでも作ろうとしているのかと思って、声を掛けてみる。“何してるの?”。彼女曰く、今日が誕生日だそうです。“誕生日に建物の写真を撮っても意味無い…”と思ったので、彼女自身が映った写真を撮ってあげる。場所は、平和学科の看板の前で。ピース、カシャッ!。おめでとー。

その後、軍備軍縮のセミナー。今日は、北朝鮮の核への対応について。事前のリーディングは、アメリカがどう対処するか、という内容。正直、それを読んでいるときから“アメリカだけがアクターではないだろう”と思っていた。セミナーでは、やっぱり核兵器についての話題が中心になってしまう。イギリス人のある学生は、“人道的介入(武力介入)もありうる”なんて言い出す…。“核問題だけが北朝鮮の問題ではないと思うんだけどな・・・”と思っていたけど、なかなか発言のタイミングをつかめず何も言えないままだった。そんなときに、平和学科では珍しい韓国人の学生が発言を始めた。“僕は韓国から来たけど、北朝鮮の問題は身近なことなんだよ。・・・・問題は、核問題だけじゃなくて、色々ある”という趣旨の発言をしてくれた。で、思わず、“僕もそう思うよ”と言ってしまった。正直、イギリス人の北朝鮮への見方と、韓国人や日本人の見方はやっぱり違う。やっぱり「極東人」にとっては、身近な問題ということもあるし、それなりに文脈を理解しているから、安易に「人道的介入」なんて言わない。平和学科だからと言っても、「絶対戦争反対」という人がいるわけでないことをよく実感した場面だった。ちなみに、“最後に何かコメントはありますか?”とセミナーチューターが言ったので、せっかくだから一言だけ言ってみ。“北朝鮮と韓国は、平和協定を結んでいないから、未だに戦争状態(休戦)です。日本も北朝鮮を国家として承認していません。周辺諸国間の利益関係も複雑です。問題はかなり複雑だと思います。核問題だけにフォーカスし過ぎるべきじゃない”って。「戦争反対!」なんて言いたいんじゃない。そもそも、朝鮮半島は、ずっと戦争状態なんだから。「人道的介入」を朝鮮半島で行ったら、蜂の巣を叩いたようなケイオスに陥るのは目に見えている。安易に武力に頼るのは間違いだ。もっと現状を冷静に分析すべきだと思った。貧困にあえぐ北朝鮮の国民や難民問題についての理解も必要だと思った。

と、あまりディスカッションには貢献できなかったけど、最低限言いたいことは言えたので、よしとしよう。

今日は他に、フランス人の友達Doulwigに、“寿司はどうやって作るの?”と聞かれた。“寿司には、基本的に2種類あるんだよ。君が想像している「寿司(握り寿司のこと)」はプロフェッショナルな技術が必要だから難しくて作れないよ”なんて説明をしてしまった。彼に“ただ魚を乗っけるだけじゃないの?”と核心的なことを言われる。確かにそうだけど…。“それらしく真似ることはできるだろうけど、一般のご家庭では作りましぇーん。普通、お店に行って食べるよ。”なんてテキトーなことを言ってしまった。。“ふーん”という顔を彼はしていた。あながちウソではない説明だよな…。

2004/2/18(水) 軍縮講義、ストライキの予告、エッセー執筆、父元気!

朝10時から軍縮の講義。この授業は、週毎のリーディングリストがない。一応、参考文献のリストはあるけど、どの週のトピックがどの文献にあるかが示されていない。だから、予習できない。出来ないと言うか、面倒なのでしていないだけなんだけど。今日は、NATOとWARSAWの核戦略について。途中で何の話をしているのかわからなくなった。音楽を合奏していて、途中で「落ちた」感じ。でも、毎回くれないのに、今日はハンドアウトをくれた。だから、講義のトピックは分かった。もしかしたら、このPaulRogersって結構いい加減な人なのかな、なんて思った。前期のMohamedFaal(GNSS)のレジュメも最悪だったけど、PaulRogersはそもそも何もくれない…。話はちゃんとしてるんだけど。明日は、この軍縮のセミナー。北朝鮮の核問題について。読めと言われている資料は読んだ。日本も当然出てくる。北朝鮮の核問題に対して対応するか?これがセミナーのテーマ。身近な問題だと思って、明日はディスカッションに貢献したいな。。でも、明日は朝からずっと講義が続いてのセミナー。体力が残ってないかも…。

軍縮の講義でPaulRogersも告知していたが、来週からイギリスはストライキ週間に入るらしい。“まともに働きもしないで、賃上げ要求してんじゃない!”とイギリスの労働者への憤りを感じた。で、大学では職員も参加するらしいから、授業も出来ないとか。他の日に改めて講義やセミナーをするんだって。ちなみに、最近ブレア政権が大学の学費値上げを決定した。これがストライキの中心問題になるらしい(大学は、値上げ反対らしい。理由はわかんない)。現在、全てが国立大学のイギリスでは、イギリス人を含め、EUの学生の学費は年間約£1000。これ一律らしい。「値上げ」となったけど、実際は約£3000まで各大学が値上げできるというもの。別に£1000のままに設定できる。だけど、どこの大学も財政困難なので、値上げは間違いなし。寮代も来年度は値上げしてるし。以前、テレビで市民とブレアが学費の値上げに関して議論しているのを見た。「教育費は誰が払うべきか?」というテーマ。「納税者全員で払う」という意見と「大学に行く人が払う」という意見で真っ二つ。大学が全部国立だから、日本とは状況が違うらしい。http://www.brad.ac.uk/news/aut.htm

で、財政難のイギリスの大学を救ってきたのは、「EU外の留学生」である。つまり、僕たち日本人など。年間£6000から7000を留学生一人が払っている。留学生受け入れを推奨してきたのは、お金の問題もある。当然僕も今年は£6300払った。一人で現地の学生の数人分の学費を払っている日本人の学生からすると、“£1000が£3000になったくらいで、ガタガタ言うな!”というのが本音。

とりあえず、デモが起きたら見に行こうと思う。写真撮りたい。。

講義の後は、プリンタ用紙を買い求めてキャンパス中をフラフラ。どこにも在庫が無い。最終的には、プリントサービスという部署へたどり着いた。で、ここでも気づいたことだけど、買い物などをしていると、いつも「sir」って言われる。例えば、“Thank you, sir”とか“No. It's not in stock, sir.”とか。あと、「Gentleman」とも言われる。普通、若い学生に対しては使わないような表現だと思うんだけどな…。まだ若いんですけど、僕…。そんな老けて見えるかな…。それとも、普通に誰にでも使う表現なのかな。どんな基準でそういう言葉を使っているのかが分かんない…。

プリンタ用紙購入後、帰宅。その後、CRISのエッセーの執筆。大体資料を読んだので、ドラフトを書き始める。あんまり進まなかったけど、少しずつでも進めないと終わらない。

なんだかんだで時間が過ぎていく。お腹が空いたのでカレーを作る。途中洗濯もする。

昨日、出張先で父親が倒れて入院したと母親から連絡があって気になっていた。で、現地に向かった母親のケータイにメールを送り様子を聞いてみる。“お父さん元気だよ。タバコ止めるって”と返事が返ってきた。父元気だそうだ。よかった、よかった。昨日は、実は最悪の事態まで想像していた。よく状況が分からないから。今日もそのことで気になっていた。やっぱり、日本にいないと何も出来ないことが沢山ある。海外に住めば、歯がゆいことが沢山ある。特に人間関係は…。

2004/2/17(火) コピー業務2時間、ナショナリズム講義、読書、日本から…

午前中に図書館で資料の入手。いくつかの科目の資料をいっぺんに手に入れようとしたので、2時間も掛かる。コピーした資料は結構な寮になった。リュックがパンパン。昨日の夜にMLが回ってきた軍縮のセミナーのリーディングも平和学科のレセプションでもらう。全部で16ページだった。

その後、午後2時からナショナリズムの講義へ。予習したので、講義は結構表面的なことばっかりだと思った。読んだ資料の方が内容が詳細なのは当たり前だけど。

講義後は、キャンパス内のATMで£200を日本の口座から引き落とし、それをキャンパス内の銀行(Natwest)の口座へ入れる。現地の口座残高が少なくなっていた。キャッシュカード兼デビットカードは必要不可欠。

その後、本屋で書籍を2冊購入。『Nationalism: A Critical Introduction』と『Rebuilding Societies After Civil War』。どちらも良い本。図書館で借りられるけど、手元にあってもいい本。合計で約£40。

途中食品を買って、帰宅。自室で午前中にコピーした資料を見ると、どれから手をつけていいのかが分からなくなった。とりあえず、コピーした資料は読まずに、エッセー用の資料を読むことにする。どこかの研究所のワーキングペーパー一部。読んでいるとお腹が空いてきた。

夕飯などを食べると、時間は既に7時過ぎ。今日は、時間が早く過ぎてしまった。

寝る直前に日本から電話。母親だった。父親が出張先で体調を悪くして入院したとか。深刻な状態ではないらしい。入院なんてしたことないのに。母親は会社を休んで現地へ行くところだった。日本はまだ朝の6時。きっと飛行機で行くのだと思う。日本に無性に帰りたくなった。この前の試験の結果を伝えたら、父はとても喜んでいたのに。帰りたい、帰りたい、帰りたい…。こちらでの勉強が終わるまでは日本には帰らないと決めていたけど、こういうときはやっぱり帰りたい。3月の第1週のリーディングウィークは、講義もセミナーもない。(親が)日本に帰らせてくれるかな…。

2004/2/16(月) ナショナリズム読書、日本と会話、引きこもり3日目

今日は8時に目が覚めた。酒を飲んだ翌朝は、なぜか朝早く目が覚める。でも、昨晩は一人でワインを飲み過ぎた。二日酔い気味・・・。12時くらいまで、頭がボーっとしいてた。コーヒーを飲んだりしながら、徐々に回復へ。

今日は、明日のナショナリズムの講義の予習のために資料を読む。内容は、ナショナリズムと人種主義とファシズムの関係。特に難しくもなく、歴史的事実の記述が多い気がした。

途中、昨日チャットしていた日本の友達とまたまたチャット。カメラを購入したらしく、ビデオチャットになった。Skypeもインストールしてもらって、会話も出来るようになった。彼は、明日メルボルンへ出発する。一応、パソコンのインフラが整ったので、これでブラッドフォード−メルボルン間のホットラインが完成した感じ。通話料が掛からないし。このSkypeのネットワークを広めたいと思った。この日記を読んでくれている僕の友達は、是非Skypeをインストールしよう!(MSNメッセンジャーでもいいけど)

1時間ほど、ハイテクノロジーの恩恵を享受した後は、読書の続き。二日酔いがまだ残っていて、集中力が持たない・・・。全部でたった80ページくらいの資料の量だから、パッパと終わらせて、エッセーを書きたいのに…。仕方なく、今日の目標は資料を読み終わることにした。

夕飯は、味噌ラーメン。日本から送られてきたもの。早く食べないと消費期限が迫ってきてしまう…。

大学のMLで、木曜日の軍縮のセミナーのためのリーディング内容が送られてきた。あと、3日しかないのに、3つの参考文献が・・・。本3冊というわけじゃないだろうけど、前期は初回の講義で全てのセミナーのリーディングは発表されていた。急に“これを読めっ!”と言われても、こっちにも自分なりの学習計画があるんだから、とても迷惑だ。これは文句を言わないといけない。“セミナーのリーディングをセミナー直前に発表するなぁー!”って。

ちなみに、今日で引きこもり3日目だった。土曜日からずっと寮の外に出ていない。自分の部屋とキッチンを往復するだけ。不健康な気がしたので、窓を開けて部屋の空気を入れ替えたりした。外に出ないで、友達とチャットだなんんて、ヒッキー以外の何者でもない。でも、程度の差があれ、色々とやることがあるから、引きこもり傾向になるのは仕方がないと思う。留学したことある人なら、分かると思うけど。僕が特別ガリ勉だというわけでもない。

2004/2/15(日) エッセー資料整理、グローバルチャット2時間、一人酒…

朝起きたら10時半だった。結構寝てた。

起きてからパソコンを起動すると、日本の親からネット電話が掛かる。昨日は、父方の祖父の誕生日。80歳。まだ、働いてる。元気。お祝いに親戚中で温泉に行ったとか。有名私立中学に受かった孫(僕のイトコ)が合格祝いをしたとか。。30分ほど話す。やっぱりSkypeは便利。

今日は、昨日のこともあり、エッセーの資料を入念に整理することにする。2時間ほど続けて少し休憩。その間に日本の大学の友達とチャットをする。彼は、17日からオーストラリアのメルボルン大学へ留学する。アジア学に興味があるとか。で、現地に持って行くものを色々とアドバイスする。僕が日本を発つ直前にお別れ会を開いてくれたので、とてもイイ奴だ。で、メッセンジャーでチャットをしていると、日本の語学学校で一緒に勉強していた京都大学大学院の学生で、現在中国留学中の人からもチャットのお誘い。彼女と出会ったのは、受験浪人中の頃。5歳くらい年上のお姉さん。結構、そういう所属大学とは関係無い知り合いが多いんだな、僕。で、二人と(別々に)同時チャット。イギリス、中国、日本間でチャット。時代は変わりました。当たり前のように思うけど、よく考えたらスゴイことだ。そんなことをしていて、2時間が経ってしまった。まぁ、楽しかったからいいけど。

ウマいんだな、これが。チャット後は、資料整理を再開。エッセーの内容は、「NGO間のアドボカシーと平和構築」にしていたけど、資料を整理するうちに、NGOの「Capacity Building」の奥の深さを発見。これについてもうちょっと突っ込んだ内容にしたくなった。

夕飯は、作るのが面倒だったので、久しぶりに現地購入のレトルトカレーにする。ご飯を炊いて、ルーを温めるだけ。一人でワインも飲む。最近、お酒を飲んでいないので、妙に飲みたくなった。でも、一人。まぁ、いいけど。もちろん、酒を飲みながら勉強は出来ないので、飲み始めた時点で今日は勉強終了。この日記もサイトの更新も飲みながら。お酒って結構好き♪(酒乱じゃないよ) 日本の友達と飲みに行きたくなった。。新宿とか池袋で。

2004/2/14(土) 一日中エッセー執筆

今日はCRISのエッセー執筆に集中。12時から図書館へ行き、資料を探し出して、コンピュータールームで4時間ほど篭る。平日だと、コンピュータールームはとても騒がしい。差別じゃないけど、事実として、パキスタン系のイギリス人がうるさい。いつもペチャクチャ喋ってる。グループでいることが多いから、さらに音量が増大される。だから、普段はパソコン室ではエッセーなんて書けない。

エッセーのボディーを書こうと思うが、アイデアが頭の中でまだバラバラだと気づく。「文章」を書くことはそれほど難しくない。それよりも、様々なアイデアをどう組み合わせて、「文章」にするかということが大切。なので、今日は箇条書きでアイデアをエッセーの各パートに書き込んでいく作業で終わってしまった。もうちょっと資料を沢山読んで、情報とアイデアの整理が必要だと思った。

夜は、ブルースウィルスの『The Sixth Sense』を放送していたのでついつい見てしまった。よく内容は理解できなかったけど。

2004/2/13(金) セミナー2つ、ヨーロッパの身勝手、批判精神、エッセー執筆

今日は、午前中にセミナーが2つ。10時からCRISのセミナー。Protracted Social Conflicts (PSCs)について。要するに、紛争の原因は何か?という問題。今回は、何も話さなかった。あんまり言いたいこともなかった。

他の学生の発言を聞いていると、ヨーロッパ各国の「植民地主義」がどれだけ現代紛争に影響しているのかの重要性をあまり実感していないように思えた。半年ブラッドフォードで勉強してきて、最近思うようになったのは、現在途上国で起きている紛争は殆ど全てが植民地時代の遺産だといこと。60年代にアフリカ諸国が次々と独立したが、やはり「国家」は植民地時代の領土で分割されたまま。強制移住や言語の統一、宗主国で教育を受けたエリートと一般の貧困する市民。大国の干渉と内政の不安定。何もかもが、ヨーロッパの勝手な事情で決められてきたと言える。現在の貧困や対立構造なども、下を正せば植民地政策にある。そのことにもっと注目をしてもいいと思うが、今日の議論ではそういう文脈とは関係なく、エスニシティや階級対立などが原因としてある、というものだったような気が。ヨーロッパが途上国を利用してきたという「負の歴史」にもっと向かい合ってももいいのではないかと思う。紛争解決学や平和学というのも、所詮はヨーロッパ的な思想なのかもしれない。ヨーロッパの理論で問題を起こし、ヨーロッパの理論でそれを解決する。そんな風に見えなくもない。日本の植民地主義はどうであったのだろうか。現代にどのような影響を残しているのだろうか。ブラッドフォード大学は、アジア研究には向いていない。殆どがヨーロッパ、アフリカ、ラテンアメリカの研究だ。アジアを専門とする教授や授業が必要だと思う。

どんなに学問が客観性を求めようとも、イギリスで勉強していると、やはり物事の見方が西欧的になりがち。そういうものへは、積極的に批判精神を持っていないといけないと強く思った。ブラッドフォードで勉強してまーす!という姿勢は、誤りだと再認識。何事も批判的に。この考え方自体も西欧的なのかもしれないけど、これは正しいと思う。日本で批判的に物事を見ると、ひねくれてるとか、失礼だとか、終いには「空気が読めない奴」なんて言われてきたけど、そんな指摘はナンセンスで的外れ。まず疑うこと。これ大切。受け入れるのは簡単。疑うのは難しい。特に「当然」だと思っている事はなおさら。

11時からはナショナリズムのセミナー。他の学生と一対一で自分がナショナリズムを感じるモノや事を話す。パキスタン系イギリス人、白人イギリス人、スペイン人、日本人、韓国系アメリカ人、セルビア系ドイツ人、インド系アイルランド人などなど、様々な学生がいる。彼は、彼らなりに自分のアイデンティティを感じるモノや事があることを知った。人種とか民族というよりは、生まれ育った社会やコミュニティーに強い愛着を持つらしい。

午後は、CRIS(4000単語)のエッセー執筆。昨日に引き続き、イントロを書く。900単語くらい書いて、イントロはほぼ完成。次のパートを書き始めようとするが、イントロがある程度書けたので満足してしまったのが、全然進まず。でも、イントロを書いて、何となく全体的な構想が思い浮かんできた。明日は、図書館でもっと資料を見つけて、エッセーのボディーを書き始めたい。とりあえず、ドラフトが書ければ、その後は細かく情報を詰めていけばいい。だから、ドラフトで大体の方向性を決める必要がある。

お昼と夕飯は、具沢山の味噌汁とご飯。買ったばっかりのニンジンがもう既に傷んでいた。質が悪い…。

2004/2/12(木) 紛争解決学×2、セミナー×1、エッセー書く、添削、自分の英語

今日は充実した一日だった。

まずは、午前10時からCCR(文化と紛争解決)の講義。講義の前半は講師の先生が黙々とハンドアウトを朗読。退屈し始めたところで、ハンドアウトには書いていないケーススタディを紹介。それはボスニアのある村の話。ユーゴの問題なので、興味津々。クロアチア系住民とムスリムが共存していた当時の様子を紹介された。で、互いに対立し合うようになった経過のことも。

講義終了後は、一度寮に戻り、昼食を食べる。その後、図書館へ。エッセーを書き始める。とりあえず、イントロとNGOの定義を書く。次の講義が近くなり、途中で終了。

午後2時からはCRIS(紛争解決と国際社会)の講義。今日は、元UNHCRのHasegawaさんによる講義。「紛争予防」に関する説明。前半は、「紛争予防」の概略とビデオ鑑賞。ビデオ鑑賞では、スロベニア(旧ユーゴ)におけるマイノリティ問題についてなど。後半のセッションでは、講義で説明された「紛争予防」について、学生間でのディスカッション。ディスカッションの前の15分休みで、殆どの学生がどこかへ行ってしまった。講義を聞いて終わりにしたようだ。ちなみに、この「ディスカッション」は「Essay Workshop」というもので、学生がエッセーを書くための参考にすることを目的としたセッション。だから、このテーマ(「紛争予防」)を書かない人は、出ていても仕方がないと考えたらしい。

仕方がないと言っても、色々と勉強になることはあるので、欠席するのはちょっともったいないような気がするけど。僕の場合は、「話す」機会が増えるので良いと思っている。で、50人くらい(2年生の殆ど)いた学生が15人くらいしか残らず。小さなグループでディスカッション。ケーススタディを使って「紛争予防」を考えろとのこと。で、講義では成功例とされているマケドニアでの紛争予防展開が紹介されていたので、これについて話すことに。ちなみに、マケドニアも旧ユーゴ。これまた、僕にとっては興味津々の話題。で、直接マケドニアには行ったことはないけど、NGOのスタッフの話を思い出して、色々と現状を知ったかブッてみる。「予防と言っても、あくまでも「予防」であって、「解決」ではないよ。武力衝突などの物理的な問題を「予防」しているだけであって、紛争の根本的な原因を「解決」するわけじゃない」なんて、分かったようなことを言ってみる。で、そんな僕の話でディスカッションは終了。“各グループのディスカッションの内容を紹介して”とHasegawaさんに言われる。当然、僕のグループは僕がずっと話していたので、“君が言いなよ”という雰囲気…。他の学生に聞こえるように説明しないといけなくなった。グループで話すくらいなら、別になんてことはないけど、「発表」となるとやっぱり緊張する。Hasegawaさんが日本人ということも結構緊張する(なぜか僕は日本人と英語で話すときは緊張してしまう)。とりあえず、自分の思うことを言ってみる。で、“「紛争予防」に関してはどう思う?”という核心的な質問をされて、少し戸惑う。こういう時は、「ハッタリ」をかますしかない。ここで何か言えないとみっともない。だから、“「紛争予防」は「紛争解決」ではないから緊急措置的な行為。それが「建設的」な意味を持っているのかどうかが気になる”なんていう、それらしいことを言ってみる。すると、“「建設的」かどうかね。なるほど。”と、Hasegawaさんは反応してくれた。良い手応え。結構、まともなことを言えたのかも。なんとかその場をしのぐ。そんなことで、CRISが終了。

1時間後にはCCRのセミナーがある。それまでに、昨日Davinaに頼んだ前期試験の添削をもらいに行く。彼女のオフィスに行くと、“あるわよ”と言われるが、“あげられないから、そこで読んで”とも言われる。で、添削内容を確認。コメントも書いてある。語学上の問題点にもちゃんとチェックが入っていた。論述試験で65%の成績をもらえた「人権」の回答には、語学上の問題点は一切なかった。奇跡。内容もGOODと書いてあった。点数が自分の予想以上に悪かったPCDの回答には、“ちゃんと***の内容を理解していない”なんて書かれていた…。“えー、分かったつもりでいたのに”と思う。他にも、“「武力紛争」と***との関連性が説明できていない”などとも。厳しい!!やっぱりJennyPearceは厳しい!Davinaには、“でも、PCDの点数は全然悪くないわよ。普通。それより、他の科目で65や60以上を取れてるのは優秀よ”と言われた。“そうなんですかー”と返事をしつつ、やっぱりPCDが気になった。

その後、5時からはCCRのセミナー。今日は忙しい。で、セミナーでは他の学生と共通する「文化的共通性」を話せとのこと。日本人2人、パキスタン系イギリス人、アイルランド人の4人のグループになった。パキスタン系の女の子は、イギリスで生まれ育ったけどインドに対する偏見があった。でも、大学でインド人の友達が出来たらそんなことは気にしなくなったと話す。アイルランド人の女の子は、アイルランド人はイングランド人が嫌い。ずっと何百年も前の歴史を引き合いに出して、イングランド人を嫌いだと言う人たちが多いと話してくれた。自分がイングランド(ブラッドフォード)の大学に行くことになって、色々と周りから言われたとか。と、そんな話を聞けた。で、なぜかまた旧ユーゴの話になり、“実は、僕はクロアチアに、短い期間だけど、住んでいたことがある”と言って、現地の人から聞いた異民族への意識を紹介。全然「文化的共通性」については話していなかったけど。セミナーは、そんな感じで終了。

今日は、色々と喋った。毎回、講義などはICレコーダーで録音している。普段は聞き直すことはない。パソコンに保存したまま。でも、ちょっと今日の内容を聞いてみた。“いったい自分はどんな英語を喋っているんだろうか?”と気になる。で、聞いてみると、なんだか恥ずかしい。意外とちゃんとした英語を話しているんだとは思った。「something---」「something like that」「you know」っていう言葉を多用していることにも気づく。あと、アクセントや発音がちょっとイギリス英語っぽかった。

今晩は、冬休みの間にパレスティナへ行っていたMAの日本人学生による報告会が予定されていたけど、疲れたので行くのをやめる。行きたかったけど。

2004/2/11(水) ACD講義、試験添削を求めて、「学校運営連絡協議会 協議委員」の依頼

午前10時からのACDの講義。今回は、キューバー危機を中心とした核戦略の話。まぁ、話の内容は分かったし、それは歴史の話だから、だから何だと言う感想はない。淡々と核戦略の話が続く。

講義の後に、前期試験で自分が書いた解答の返却を求めてキャンパス中を右往左往。まずは、International Officeへ向かう。ここに送られていそうな気がした。でも、IVSP担当のCatは知らないと言う。“パーソナルチューターが持ってるんじゃない?”と言われる。じゃあ、IVSPの学生担当のパーソナルチューターのDavinaとうことか。で、とりあえず平和学科のオフィスへ行く。でも、水曜日は閉まっていた。で、仕方ないので帰ろうとしたら、Davinaにばったり出会う。で、“ダヴィーナ、試験の添削はもらえるの?”と声を掛ける。すると、“あなたのパーソナルチューターが持ってるわよ。チューターは誰?”と言われる。“あなた…”。IVSPの学生なんて片手で数えられるくらいしかいないんだから、顔くらい覚えてよっ!で、名前とメアドを教える。後から連絡をくれるとか。

その後、帰宅。まだ12時過ぎ。勉強の前に昼食を食べる。日本とネット電話で話す。サイトの更新もする。日本人の友達から、ナショナリズムのセミナーに、自分がナショナリズムを感じる「モノ」を持って来いという指示が出ていることを教えてもらう。流れてきた告知メールをよく読んでいなかったので、初めて知った。“何だろうな、僕がナショナリズムを感じるモノって?”と思う。サムライとかキモノとかを見ても、別に何とも思わない。それよりは、「東京の風景」に何かを感じる今日この頃。映画『Lost In Translation』を見て以来、妙に「東京の風景」に敏感に反応してしまうようになった。あんまり好きじゃなかった日本が好きになってきた。だから、セミナーには日本から持ってきた自分で撮った東京の写真を「自分がナショナリズムを感じるモノ」として持って行こうと思う。そんなことをしていて時間が経っていく。

一応、CRISの4000単語のエッセーのために集めた資料は、今日中に予定通り読み終えた。なんとなくエッセーの方針が見えてきたかも。明日、明後日のうちに本格的な構想を練らないと。ちょっと焦った方が良いような気がしてきた。

日本からメールが来る。高校の先生から「学校運営連絡協議会」の協議委員の依頼だった。(日本の)学校運営のために色々な人から意見を聞きましょう、というものらしい。学校外の人間からも委員が必要だそうで、生徒的な視点が欲しいとのこと。色々と考えて迷ったけど、引き受けることにする。僕は特に「教育」が専門ではないけど、色々と事情があって、アメリカの中学校の卒業資格を持っていたりする。今は「紛争」などを勉強しているけど、元々は「教育」に興味があった。正直、日本の学校システムとは僕は相性が悪い。もっと日本の子どもが生きやすいような学校システムが日本には必要だと思っていた。今回の依頼は何かの縁だと思う。正式に決まったわけではないけど、何か自分に出来ることがあればお手伝いしたい。もう自分は子どもじゃない。自分は精神的には高校生のときと何も変わっていないような気がするけど、やっぱり大人になった。だから、大人として社会に貢献できることが何かあるはず。実際は、そんなに大したことをするわけじゃない。定期的に会議などに参加して、意見を言うことが主な目的だそうで、とってもローカルな活動の模様。活動は、帰国する6月から。

僕のモットーのひとつは「何事も経験」。必要とあれば、世界中どこにでも行きますョ。

2004/2/10(火) コピー業務、ナショナリズム講義、料理

今日は、午後2時からナショナリズムの講義だけ。


午前中に図書館へ。本の返却と資料のコピーのため。大体、毎日することは同じ。典型的な一日は、講義出席、図書館で資料のコピー、帰宅、読書、夕飯、読書、寝る。このパターンがほぼ毎日続く。別に嫌いじゃないし、苦痛ではないのでないので、なんてことはない。他に煩わしいことを考えなくて済むから、僕にとっては精神的には楽。そんな自分もどうかと思うけど、そういう性分なので仕方がない。こういう人間を世間一般では人付き合いが悪いと言うのかも。でも、こちらの大学や大学院で勉強している人の生活って、大体同じだと思う。

今日のナショナリズムの講義のテーマは、「近代的現象としてのナショナリズム」だった。先週のうちに資料は殆ど読んだけど、書いてある内容が思い出せない。あまり早く読みすぎても、それが思い出せなかったら意味ないじゃん、と思ったけど、先生の話を聞いている間に思い出した。やっぱり、何も予習しないよりは、した方が良いに決まっている。

で、主に近代論者(Modernists)についての説明だった。代表的な学者がイギリス人のベネディクト・アンダーソン。ナショナリズムの学問では、この人が代表格なのかと思っていたけど、意外とそうではなかった。有名なことは有名だけど、別に彼が一番とかそういうことではないらしい。もっとキーな学者が沢山いるらしい。実際、予習のときにも色んな個人名が出てきた。講義でも、彼の説明は一番最後。日本の大学でナショナリズムについてちょこっと勉強したときは、彼がナショナリズムを定義した人で、支配的な思想なのかと思ったけど、そういうわけではないらしい。もちろん、もうちょっと勉強しないと判断は出来ないけど、日本だと彼の『想像の共同体』が頻繁に取り上げられるから、そんな錯覚に陥ってしまいそう。

講義終了後にもまた図書館へ。資料のコピー。資料が手元に沢山。自分で自分に課題を出している感じ。やることがあるから飽きずに半年過ごせた。だから、残りの半年も同じように過ごす。毎日、何ページくらい読んでいるんだろう、と思った。ひとつの資料は20〜50ページくらい。それを毎日4〜5つくらい読んでいることが多いから、結構な量かも。でも、全部じっくりと読んでいるわけではなくて、要点だけを拾って読む。そうでないと、全部なんか読めない。やっぱり「コツ」なんだな、何事も。でも、分からない単語は、それが頻繁に出て来ない限り辞書を引かないので、意味が分からないまま。頻繁に出てくる言葉であれば、調べる。そうでないものは、調べない。調べても、大した言葉じゃなかったりするし。そうゆう時は、労力と時間の無駄だとつくづく思う。大切なのは、資料の内容を理解すること、と自分に言い聞かせて、というか、言い訳して、面倒なことをしない自分を正当化している。でも、やっぱり沢山読まないと、理解できない。「量より質」というが、今の自分には「量」が大切なのです。「質」を見分けられるほどの能力は、今の僕にはありましぇーん。

料理は上手くなったよ。夕方から夕飯を作る。このところ、日本から送ってもらったラーメンなどを作っていたけど、あんまりお腹に溜まらないので、「ちゃんとした」ものを食べたいと思った。で、ミートソース。ひき肉、玉ネギ、トマト、ケチャップ、日本のブルドックソース、コンソメ、ショウガ汁を入れるだけ。簡単。レシピはネットで発見。何度も作ってるから、作り方はもう覚えた。途中洗濯もして、完成。パスタはやっぱりお腹いっぱいになる。炭水化物って満腹感を即効で味わえるんだね。

夜も読書。寝る直前になって、ネット電話で日本の親から電話が掛かる。日本は今日は(11日)は建国記念日で休日だそうだ。忘れてた。でも、父親も母親も仕事に行くとか。働き者。僕の授業料を払うために働いている。こんなに教育費に投資してもらっても、「元」を取れるのかは怪しいんだけど…。お金を稼ぎたーい!という気持ちが全然ない、僕。“こんな僕を許してください、お父さん、お母さん”、という感じです。

2004/2/9(月) 前期試験成績発表!色々と考える。

今日は朝起きて直ぐに、パジャマのまま、シャワーも浴びずに、1時間半ほどエッセーの資料整理をした。昨日から資料を読んでいて、「NGOの問題点」が気になってきた。というか、元々NGOの限界や現状を現場で見てきたので、根拠もなく“NGO万歳!”のような考えは全くない。でも、そういう批判的なNGO分析が行われていないことに結構不満があった。なので、エッセーの公式テーマは「平和構築に重要な要素とNGOの貢献」だけど、担当教授のTomWoodhouseに相談して、若干テーマを変えさせてもらいたいと思った。

平和学科のオフィスからメールが送られて来る。午後2時から平和学科建物のピジョンホールに前期の成績を投函しておくよーというもの。図書館で本を返却するついでにもらいに行く。平和学科の建物入り口のピジョンを見るも、僕宛の封筒がない。オフィスに行ってEmmaに聞くと、InternationalOfficeに送ったとのこと。前回のエッセー返却と同じパターン。で、InternationalOfficeに行くと、IVSP担当のCatがお昼に行ったところだった。仕方ないので、キャンパス内のカフェで時間を潰す。

3時にもう一度InternationalOfficeへ行くけど、まだCatは帰ってこない。5分ほど待っていると、Catが現れる。で、“成績ちょーだい”と頼む。でも、“まだ来てない”と言われる。“平和学科のオフィスで言われたんだけど…”と伝えると、直接Emmaに電話で確認してくれた。で、パソコンをカチカチやって大学のネットワークから僕の成績が現れる。最初の画面では全ての科目に「P」と書いてあった。「Pass」だそうで、それだけで安心。“点数は??”と聞くと、さらにカチカチやってくれて、画面に現れる。プリントアウトしたものをくれる。IPSのエッセー返却のときは、興奮してイギリスの大学の成績評価基準の説明を忘れてしまったので、今回はメモしてもらった。

“最近知人からのアクセスが増えたこのサイトで発表するのもどうなんだろう…”と少し思うが、前回のエッセーの結果であんなに喜んでいたので、論述試験の結果も発表しないとバランスに欠くということもあるし、それだけ発表しないのも何か不自然ということもあるし、変な推測をされるのも嫌だし、ここまで来たら発表しないといけないような状況にもなっているしと、色んなことを思い、発表します(回りクドイ!)。

こんな言い訳がましいことを言ってみたけど、別に恥ずかしい点数ではなかった。意外と良い点数もあり、意外と低い(悪くはない)点数もあった。で、結果は以下の通り。

僕の場合
    
英国統一基準(イングランド)
科目
評価(%)
   
ランク
評価(%)
備考
平和学入門(IPS)
65
   
1:1
(First Class)
70+
全体の10%程。頭の良い人達らしい。
人権(HR)
65
   
2:1
(Upper Second)
60-69
大学院に進学するに必要な最低条件。平均以上(?)
グローバル&
南北間安全保障学(GNSS)
60
   
2:2
(Lower Second)
50-59
平均(?)
平和、紛争、開発(PCD)
51
   
3rd
(Third)
45-49
普通に勉強しているネイティブなら
取ることはない点数(?)。この点数を取る方が難しいとか。
       
NoHonours
40-44 パスだけど、Honour(ランク)にもならない。

     
Pass
40+
とりあえずパスはする。Failじゃない。
       
WIKIPEDIAより
成績により学位(学士)がランク付けされるらしい。ブラッドフォード大学の場合

と、こんな感じでした。どれだけこの成績が良いのか悪いのかが、やっぱり未だにピンとこない…。なので、ネットで色々と検索。こんなサイトあんなサイトがあった。多分、結構良い方なんだと思う。でも、やっぱり分かんない…。なににしても、帰国してから日本の大学に単位互換を申請することが出来る。こっちに来る前に、日本の大学の職員の人には、“留学しても単位を互換できるだけの成績を取れない人が多い”と言われていたので、ちょっとビビっていた。ちゃんとやっていれば、これくらいの成績は取れるものなんだと分かった(*正確には、教授会で承認されれば単位互換ということになるらしい。成績の良し悪しはあんまり関係ないらしい)

で、この成績を見て色々と感想が出てきた。IPSは既に述べた通り。

  • HR(試験)は、全く素養のなかった僕には、ゼロからのスタート。人権の歴史や思想などを勉強するために、多くの時間を掛けた。でも、抽象的な内容が多くて、正直Passすれば良いと思っていたけど、IPS並みにこんな高い点数をもらってしまった。
  • GNSS(試験)は、担当教授の授業やセミナーの仕方などに不満が出てきて、前期後半はほとんど講義を聞き流す状態だった。試験勉強もPCDと内容が似ていたので、そのついでに準備した程度。その割には、結構良い点数をもらえた。
  • PCD(試験)は、他の科目の中で一番自信があったのに、こんな点数だった…。この点数は、最初はHRの点数かと思ったら、なんとPCD…。正直、これはちょっとショックだった。文字が汚かったのか、英語が変だったのか…。それとも、あまりケースタディを使わないで回答を書いたからなのか…。担当のJennyPierceは見た目と違って厳しいらしいので、それが評価に反映されたのか…。まぁ、仕方がない。全てが上手く行くことなんてないし。“全科目60以上!”なんていうのは、少し調子に乗り過ぎなのかな…。

結果は、全体的には良いもので、“まぁまぁ”と言えるものだと思う。自分の(広い意味での)能力がどの程度なのかも分かったし、後期の勉強の目安にもなる。もっとがんばれば、もっと良い点数が取れそうな気もする。何にしても、自分の好きなこと、興味のあることを勉強できて、それを評価してくれるのだから、それだけで今の自分が幸せな環境にいると思える。まだまだ知りたいことはあるし、後期もちゃんと勉強しようと思う。何事も真面目に取り組めば、結果は後からついてくるものだと信じている。

2004/2/8(日) エッセーへ取り組む&パーティー

今日は10時半まで寝ていた。快眠。

お昼から図書館へ。もうそろそろCRIS(4000単語)のエッセーのテーマを決めたい。「平和構築に重要な要素とNGOの貢献」というテーマにとりあえず決める。悩んでも仕方ないし。

で、昨日読み終えた参考文献は、NGOと平和構築との具体的なケーススタディについての内容だった。長いエッセーなので、初めの導入と用語の定義などが重要。なので、改めて“NGOとは何か?”という視点から攻めることにする。もちろん、“平和構築とは何か?”ということも必要。デカルト的な考え方からすれば、難しい問題は難易度の低いものへと分割していくことが必要らしい。その手順でエッセーの準備(資料収集)をすることに決める。あと、「文化と紛争解決」のエッセーの計画も立てないといけない。こちらは2000単語。CRISよりは書きやすそうだけど、だからと言って数日では書けないので、これも準備を進めないといけない。

夕方まで図書館で資料収集をする。館内でKyoさんに出会った。昨日バーミンガムに行っていたそうで、そこで僕が日本のBritishCouncilでイギリスに来る直前まで授業を受けていた人とお会いしていたそうだ。ネット上のHNだけは知っていたけど、まさか一緒に英語を勉強していた人だったとは…。世の中狭いものだ。。

Chinese&Taiwaneseは料理が上手い!+美味しい!5時からは、夏に語学コースで一緒だった台湾人と中国人、日本人でのパーティー。アルコールがあるかと期待したけど、誰も持ってこなかった…。残念。でも、食事は料理の鉄人中華系留学生の使った料理がおいしかった。あと、日本人作のお好み焼きも。お腹いっぱい。僕は何も持って行かず。食べる係り。

午後10時過ぎに帰宅。その後、CRISのエッセーの資料整理を行う。明日は授業がないので、エッセー執筆を進めたい。

2004/2/7(土) HMV、資料を読む

今日は、午前中に街中へCDを買いに行った。昨日観た『Lost in Translation』のサントラCDが欲しくなった。

Virginレコードが街中にあった記憶が。直ぐにお店は見つかる。でも、CDはなかった。他にもレコード屋があったはずなので、少し歩いて探してみると、HMVを発見。そこにはCDがあった。£11.99。

ブラッドフォードは退屈な町と言う人は多い。僕もそんなに面白い町だと思っていなかったけど、最近は生活に慣れてきたのか、住めば都なのか、それなりに楽しめるようになった。客観的に観てもブラッドフォードは決して「田舎」ではない。スタバ、マクドナルド、ケンタッキー、Vriginレコード、HMV、ショッピングモール、映画館などなど、結構にぎわっている。パソコン屋も結構ある。広くはないけど、必要なものは手の届く範囲にある。住み易いと言えば住み易い。物価もイギリス一低い。半年ほど経ってやっと気がついたかも。

大学のキャンパスや寮は、町の中心から少し離れたパキスタン人街の近くにあるので、そこだけは雰囲気が違う。街中はとってもヨーロッパ的。でも、キャンパス周辺は若干違う。それも面白い。もう慣れたし。

図書館でエッセー用の資料を読もうかと思ったけど、CDが聞きたくなって帰宅してしまった。CDを聞きながら、ケースに入っているFryerを見てみると、映画の場面の写真が何枚か。親戚の叔父さんのマンションが映った新宿の風景の写真があった。

CRIS用の資料を今日は全部読み終えた。NGOの平和構築への貢献度についての資料。テーマ別に参考図書がしめされているので、このテーマの資料は全て読んだ。要するに、“どれだけNGOは平和構築に貢献できるのか?”という問いである。ケーススタディを使って4000単語で書く。このテーマに決めようか、今日も決められなかった。他のテーマについての参考図書を読んでみようかな…。でも、このNGOのテーマでも良いけど。

2004/2/6(金) 原爆展@マンチェスター、Littleborough &映画『Lost in Translation』

今日は、午前10時前に寮を出て、マンチェスターの原爆展へ向かった。

マジメに答えています@自室ブラッドフォードの駅で電車を待っていると、NationalRailの職員の上品そうなおじいさんに利用者アンケートに協力してと声を掛けられる。簡単な質問に答えて、封筒と一緒にアンケート用紙をもらう。記入したらそのままポストに投函してとのこと。電車の中でもらったアンケート用紙を見ると、なんと50問もある!せいぜい10問程度かと思っていたら、かなり本格的なものだった。「車内はキレイでしたか?」とか「電車は時刻通りに来ましたか?」などなど。どれも最低ランクにチェックを入れたけど。。で、途中で面倒くさくなってきた。おじさんに名前は教えたけど、電話番号は教えなかった。正解。送らなかったら電話が掛かってきそうだ。

[Littleborough]
電車は10時半頃に出発。途中、「Littleborough」という小さな駅に止まる。なんの変哲もない小さな「労働者の町」という感じ。観光地でもない。日本人にはなんの縁もないところ。でも、ここは僕の高校の友達が一年間留学していた町だった。ブラッドフォードからは電車で30分くらいの場所。彼女は、“イギリスはチョー退屈。もう二度と住みたくない”と言っていた。ちなみに、彼女はイギリス留学前にドイツにも一年間留学していた。海外には慣れている人だったけど、そんな彼女でもイギリスは気に入らなかったらしい。そんな話を聞いて、“イギリスって退屈なのか?”と僕は思っていた。ブラッドフォードに来ても、「退屈」と言えばそれまでだけど、嫌になるほどではなかった。で、この「Littleborough」を車窓から見てみたら、「嫌い」になりそうなくらいの町だった。娯楽はパブくらいしかないような、BBCのソープドラマの舞台にでもなりそうな、「退屈な町」の典型のようなイギリスの田舎。ここで1年生活したのは、さぞかし辛かっただろうと思った。特に東京から来た日本人高校生なら、そういう「イギリス」が好きでない限り、そう思うのは当然。ブラッドフォードは、Littleboroughと比べたら、十分住み甲斐があると思った。

[原爆展@マンチェスター]
マンチェスターには、1時間で到着。市内を走る無料バスが駅前から出ているのを発見。原爆展会場の市庁舎まで行く。マンチェスターに来るのは2度目。前回は、2年近く前の夏だった。ブラッドフォードを見学するために、一人で来た。ランカスター大学も見学した。で、2年振りのマンチェスター。全然変わっていなかった。

市庁舎の中に入って、原爆展を視察。古い市庁舎の一階部分のスペースにパネルがいくつか。思っていたより小規模。ビデオ上映や当時の写真、現在の被災地、被災者の絵などが展示されていた。隣の図書館でも衣服や時計などの展示も行われていた。図書館では、廊下にショーケースに展示品が置かれていた。

  
  
  

全体的な感想は、「規模が小さい」ということ。ふらっと立ち寄って、ふらっと観て行ってください、という感じ。正直、無視できるくらいの規模なので、見るだけなら数分で終わってしまう。せめてもっと多くの写真があった方が良いと思った。チラシなどの案内には「小さなお子様には向いていません」と掛かれていたけど、僕たち日本人なら小学校などでもそういう写真などはもっと見るし、NHKのドキュメンタリー番組でもよく見る。自分がそうゆうのに多少慣れているからなのか、展示品の写真などがどれだけ現地の人にインパクトのあるものなのかの判断が出来なかった。ビデオ上映をきっちりと見ればインパクトが伝わるのかも。パネル展示だけを観るのでは、少し微妙かも。

正直言うと、僕は日本の平和記念間に行ったことがない。話しによれば、もっと痛ましい写真などが展示されているという。今日の原爆展は、きっとそれほどのインパクトはないのかもしれない。どうしようかな…。とりあえず、M子さんに感想を伝えよう。

[映画『Lost In Translation』]
2時過ぎにブラッドフォードに到着。そのまま寮に帰ろうかとも思ったけど、このまま帰宅しても疲れでダラダラとしてしまいそうなので、映画を観ることに決める。最近、ブラッドフォードの日本人留学生の中で話題になっているのは『ラスト・サムライ』と『Lost in Translation』。既に『サムライ』は観たので、今日は『Lost in Translation』を観ることにする。今年のゴールデン・グローブ賞を受賞したらしいけど、まだ日本では公開されていないと聞いた。観なければ。

これは東京を舞台にした、アメリカ人の映画スターが日本のサントリーのCM撮影のために来日するいう話。日本では、ベッカム(エステ)だとかニコラスケイジ(パチンコ)などがCMで見られるが、実はあれは日本だけでの放送を条件に高額のギャラで出演しているとか。『Lost in Translation』では、そういうスターが東京(新宿)に滞在している間に、夫の仕事で一緒に来日して退屈な日々を送っているアメリカ人の女の子とのカンケイの話。

新宿満載の映画だった。東京出身で、日本の大学は都内にあって、毎日新宿を利用している僕としては、何もかもが懐かしかった。親戚の叔父さんのマンションが何度も映ったり、どこも馴染みの場所ばかり。それだけで、なんか嬉しい。

内容も重すぎず、分かり難くもなく、最後はとてもさっぱりとした感じ。恋愛映画っぽくもあるけど、友情を描いているようにも思える。どう解釈するかは、観た人次第かも。「トーキョー」が舞台である必要があるのかどうかはよく分からないけど、混沌とした「東京」という場所がこの映画では重要なのかも。

この映画を日本で観るのと外国で観るのとではきっと感想が違うんだと思う。大きなスクリーンで映し出される新宿の風景を1時間半見た。日本人で、東京で生まれ育って、半年前まで毎日行き来していた新宿は、僕には疑いなく受け入れられる。イギリス人には、きっと高層ホテルの一室から見える地平線の彼方までも広がる東京とその多様性は物珍しく映るのかもしれない。(確かに、外国の人には「トーキョーは広い」という印象が強い)
(追記(7日):ちなみに、映画の中で、話される日本語全てに字幕(英語)がない。見ているイギリス人は日本人が何を話しているのかが分からない。だから、日本語が分かる僕とそうでない外国人とでは、やっぱり映画の印象は違うのかも)

故郷「東京」を満喫して映画館を出ると、そこはブラッドフォードだった。映画を観ていて僕の頭の中は「東京」に戻っていた。自分がイギリスにいることを全く忘れてしまっていたみたい。イギリスでこの映画を観られて良かった。日本に居るときとは感想が違うはず。ちなみに、ブラッドフォードの知り合いの日本人学生にも評判が良い映画(イギリスにいるからかも)。オススメです。

アカデミー賞にもノミネートされているそうだ。日本での公開はゴールデンウィーク。DVDが出たら買おうっと。

『Lost in Translation』公式サイト:
■http://www.lost-in-translation.com/ (英語)
■http://www.lit-movie.com/ (日本語)

■http://www.v2records.co.jp/special/o011_sc/030804/ (日本語。現在はこちらの方が詳しい)

夕飯は映画の帰りにケンタッキーでフライドチキンを買った。こんなジャンキーなものを夕食にはしたくないけど、とてもお腹が空いていたので買ってしまった。で、寮に戻って冷静に見てみると、3人前くらいの量…。食べきれないよぉー。お腹が空いているときに買い物はしてはダメ。

今日は移動中にもエッセーの資料を読んだ。マンチェスターのスタバでも読んだ。すると、ユーゴのNGOで、お世話になった団体の名前が出てきた。急に親近感が湧いてきた。早くエッセーのテーマを決めないと。明日は、関連資料を全て読み終えたい。

2004/2/5(木) 核兵器の実感とは

今日は、午前中に「文化と紛争解決」の講義。担当はPh.Dを取ったばかりの若いお兄ちゃんで、まだ教えるのが上手くない。メモを某読みしていた。で、30分で終了。60分の授業なんだけど…。

午後は2時から「紛争解決学と国際社会」の3時間の授業。先週のTom Woodhouseとは違い、今日は僕の大好きなOliver Ramsbothamが2時間の講義を行った。やっぱり話が上手いし、分かりやすい。聞いていて楽しい。残りの1時間は「EssayWorkshop」というセッション。前半の講義の内容に沿って、エッセーを書くための論点をグループで話し合う。チューター役の日本人のリサーチャーのHasegawaさんがリードする。

そして、5時からはACD(軍備軍縮)のセミナー。今日が初回。事前に読んだ資料について議論をするのかと思ったら、これがヒドイ進行だった…。セミナーチューターはPh.D過程のお姉さん。英語の訛りと雰囲気から、ロシア系ぽかった。で、ただひたすらに事前に読んだ資料の内容を確認しているだけ。しかも、学生とチューターが話しているだけなので、学生間のディスカッションがない。正直、セミナーの意味がないじゃん、と思った。「講義」と大して変わらないし。

で、昨日期待していた学生の原爆についての認識も、やっぱり現実味がなくて、他人事という感じに聞こえた。核兵器に限らず、ブラッドフォードで勉強することは、普段の生活ではあまり実感の湧かないことばかりなのは、仕方がないと言えば仕方がない。僕自身だって、実感の湧かないことばかりだ。「現場」を知っていたり、何かしらそういう分野に関わっていないと、どれも「他人事」と言えばそれまでなのかも。あと、個人的には、前期の人権のセミナーで一緒だった、僕の苦手なオバサンの学生とまた同じセミナーになってしまった…。今日も彼女のキャラが前面に押し出されていた。セミナーの最後で他の学生と言い争いにもなっていたほど(“アノ人が嫌い”とかいう陰口みたいなことは言いたくないんだけど、やっぱり「苦手」…)。彼女の言い振りもやっぱり「他人事」。

そんな感じで、自分が何を勉強したいのかがよく分からなくなってきた。で、今必要なのは、“ピースの学生”(平和学科の学生のことをこんな風に読んでいる)に原爆被害の実態を知らせることなのかも、と思うようになった。別に説教がましいことを言いたい訳ではないけど、一見は百聞に如かず(seeing is believing)。原爆展示会などを見れば、嫌でも何か考えて、感じることはあるはず。核兵器への認識も変わるだろうし。「知る機会」と「考える機会」を作ることには意義があるだろうし。

で、今日のセミナーで一緒だった日本人のM子さんとちょっと話し合い。ピースの学生と一緒にマンチェスターの原爆展に行く、という企画を立てたいね、という結論。でも、“原爆被害の日本人が開催”というようなレッテルは嫌だね、という認識も。単純に「原爆について話す機会」が欲しいだけ。実は、こんな人がブラッドフォードに在学中だそうです。コンタクトを取ってみようかな。まずは、明日一人でマンチェスターに行って、現場の視察・下見をしてくることに決める。

2004/2/4(水) 冷蔵庫入れ替え、核兵器って…、エッセー

今日は朝から寮が騒がしい。キャンパスへ向かう前に確認してみると、冷蔵庫と冷凍庫を入れ替えていた。先月にお知らせが来たアレだ。やっと「極東」から届いたのかと思った。これまでの一人暮らしサイズの小さな冷蔵庫から、住居者7人に相応なサイズのモノが来た。ドイツ人のフラットメイトがとっても喜んではしゃいでいた。。で、別に何も問題のなかった冷凍庫も入れ替え。これは以前の方が大きかったような気がするんだけど…。まぁ、何はともあれ、冷蔵庫が一人一段を使えことになったので、良しとしよう。

びふぉあー
 
あふたー

午前10時から軍備軍縮(ACD)の講義。先週は、初回の講義でもあり、「核兵器の仕組み」についてだった。物理の授業となり、正直わけが分からなかった…。今日は、核兵器開発の歴史について。全然予習をしなかったけど、話は分かった。PaulRogers教授の話は難しいけど、分かり易い。あと、なんか妙にオーラが出ていて、とても緊張感がある。“ちゃんと話を聞かなくちゃ”となぜか思ってしまう。

で、当然核兵器の話題なので、日本が出てくる。広島・長崎はもちろんのこと、ビキニ環礁での「第五福竜丸」の被爆まで(Paulは「Lucky Dragon」って呼んでた)。核兵器の開発の過程を説明されるのだけど、正直、実感が湧かない。ここイギリスには核兵器がある。イギリスは核保有国だ。近所のフランスも持っている。で、そんな国で住んでいる現地人(イギリス人とかフランス人)の学生はどう思っているのだろうか。きっと彼らにも“自分の国が核で武装している”という感覚は無いと思う。日常生活で実感することだってないだろうし、そもそも最高国家機密でもあるだろうし。どんなに何回も全人類を絶滅させられるだけの核兵器が地球上にはあると言っても、人間というものは経験をしたことのないことは自分のこととして考えることは難しい。

と、そんな状況で日本人の自分はどうなのか。「唯一の被爆国日本から来た」というレッテルはあるけど、自分自身が経験したわけではない。クロアチアで原爆記録映画を翻訳して、現地の学校でプレゼンをしたけれど、そんな経験がどれほど意味があるのか。ちょうど、ブラッドフォードから電車で1時間のマンチェスターで、広島・長崎の被爆展が行われている。色々な国からの学生がいるから、そんな人たちと一緒に見に行って、話がしたいと思った。イギリス人、フランス人、アメリカ人、中国人、ロシア人、パキスタン人、インド人…。核を持っている国から来た「平和学科」の学生は、どんな感想を持つだろうか。別に、核兵器反対!と言って欲しいわけではない。どんな風に考えているのかを知りたいだけ。明日はACDのセミナーがある。みんながどんな風に思っているかを知られる良い機会かも。

講義の後は、図書館でナショナリズムについての資料集め。いくつかの資料を簡単に読んでから帰宅。

夜は、CRISのエッセーについて考える。昨日の件もあるので、悩む。結局、「戦後の平和構築に必要なこととNGOの貢献」になりそう(資料が沢山ある)。明日、これに関する資料を探してみよう。

2004/2/3(火) CRIS資料収集、ナショナリズム講義、Tom Woodhouseからの返事

今日は曇っているけど、寒くなかった。日本で冬から春に変わるときのような少し湿っぽい感じ。

午前中は、昨日に引き続き図書館でUNHCRに関する資料集め。なんとなく方針が決まってきたような気がした。でも、ひとつの重要な疑問が。「UNHCRは調停者(Mediator)なのか?」。これが重大にして、決定的な問題。エッセーのテーマを“紛争における調停者の評価”であるから、その前提としてのUNHCRの役割に疑問が・・・。昨日読んでいたUNHCRの評価レポートには「Mediation」の文字が。なので、無理な問題設定ではないんではないか、と思う。で、発想を変えて、“UNHCRは、調停者だったのか?”というテーマにしてしまえば良いのではないか、と思う。我ながら良い発想だと思った。でも、担当教授に確認しないといけない。

午後2時からはナショナリズムの講義。ちゃんと予習したので、講義の内容は大体分かった。初めて聞くような固有名詞がいくつか出てきたので、調べないと。。

講義終了後も図書館で資料収集。本屋で『The Balkans: Nationalism & Imperialism』という本を購入。その後、夕方に帰宅。夕飯は、昨日沢山作った具沢山の味噌汁にご飯を入れて食べる。昨日の晩から繋がらなくなったブロードバンドが回復していた。でも、内線電話が使えなくなっていた…。なぜだ…。何もかもショボイ国だ、イギリスは。

資料の整理などをして、エッセーの構想を具体的に練っていく。ふと、CRIS担当教授のTomWoodhouseにメールを送ってみようと思う。知り合いのMAの日本人からは、直ぐに返事をくれる人だと聞いた。で、自分の疑問とエッセーの内容としてUNHCRがふさわしいかの質問を送る。

7分で返事が来た。早過ぎっ!で、それによると、UNHCRを調停者とするのは難しいとのこと。タイトルを変えて、“UNHCRなどの人道支援機関のユーゴ紛争におけるパフォーマンスの批判的な分析”にしたらどうか、との提案。。加えて、“そんな風に書けばいいけど、自分で文献を調べないといけないよ”とも書いてある。。きっと、授業の内容と違っちゃうよ、と言っているのかも。でも、結局は自分で個別に調べないといけないから、実際は違いはないと思うけど…。

そんな感じで、今日もテーマが決まらず…。昨日良いなと思った“戦後の復興と平和構築のために必要なこと”についてのエッセーにしようかとまた迷う。あぁー、どうしよう・・・。早く決めたい。

で、今日はこのサイトに沢山の知り合いが来てくれたようで、BBSにも書き込みがいくつか。こっそりと公開していたので、少し気恥ずかしい…。来たら是非何か一言でもメッセージを残してください。。

2004/2/2(月) 資料、CRISエッセーのテーマ…悩む。

お昼から図書館へ。今週の講義の予習に必要な資料は週末に大体読んだ。なので、余裕があるのでもっと読む。

図書館内では、バイトなのかボランティアなのか、学生が館内の見回りをしていた。で、今日は目つきが厳しい。パソコン室で禁止されているジュースを飲んでいた学生に注意をし、学籍番号を控えていた。で、近くでケータイが鳴ったら、その人の学籍番号も控えていた。なんなんだろう?気になる。罰金なのか。それとも、複数回繰り返すと、何かしらのペナルティーが課されるのか…。とても気になった。。

飲み物やパンなど買ってから、夕方に帰宅。その後何もしないで、ボーっと過ごしてしまった。夕飯を作り、食べる。

夜9時くらいになって、エッセーのことが頭に浮かぶ。早くテーマを決めてエッセー執筆を始めたい。CRISの4000単語のエッセーが重要である。ユーゴにおける戦後の課題について書こうと構想を練り、イントロを書いてみた。

イントロを書いてみて、気分が変わる。書きやすそうなので「戦後の課題」を安易に選んでしまったけど、やっぱりUNHCRについて書きたい。なので、UNHCRのサイトなどで資料を検索。UNHCRのユーゴにおける活動の評価レポートを発見。エッセーのテーマの選択肢の中には、紛争のMediatorを評価せよ、というものがある。このテーマにしようかな…。でも、UNHCRが独自に「評価」をしてしまっているし、緒方貞子も著書の中で自我自賛なので、僕が書きたいことは既に書かれている。アプローチを変えないと、オリジナリティのあるものが書けない…。

と、そんな風に悩んでいると、ネットの調子が悪くなった。ブロードバンド(と言ってもたった512KBだけど)が繋がらない…。資料を探している途中なのに…。仕方なくダイアルアップで接続。遅い…。イライラする。世の中、何メガもあるファイルがあるのだから、ダイアルアップでは厳しい…。

そんな中、日本からメールが。小学生のイトコが受験して、第一志望の某有名中学校に受かったと言う。そうか、そんな時期なのか日本は。。受験なんて結構昔のような気分。と、なぜか郷愁に浸ってしまった。

とりあえずは、UNHCRの評価レポートを吟味。突っ込みどころを探してみる。今日は、それでタイムアップ。明日は、午後2時からのNEMPの講義の前に、人道支援についての資料を探してみようと思う。

2004/2/1(日) パソコンカチカチの一日

今日は、9時半まで寝てた。

朝起きてから、メールチェックとともにネットをカチカチ。で、SkypeというIP電話ソフトを発見する。MSNメッセンジャーを使って文字チャットやビデオチャットは利用できるのだけど、これまで「音声通話」が出来なかった。部屋からは一応「ブロードバンド」でネット接続しているけど、LAN経由なのでネットワーク上の制限があるらしい。Skypeは、その「制限」に引っかからないので、通話が可能。親にメールを送り、日本でも同じSkypeをインストールしてもらう。

で、なんとか日本と通話が出来るようになった。とっても便利。通話料無料。全部タダ。MSNメッセンジャーでビデオを使って、Skypeで会話。「テレビ電話」になりました。これで、電話料金が掛からない。早く見つければよかった、このソフト…。

でも、突然パソコンがハングアップ!起動しようとしても、またハングアップ!OSが再起動せず…。Skypeを入れたなのか…。ちょっと焦る。大切なデータは外部ハードディスクに毎日バックアップしてるから大丈夫だけど、復旧には時間が掛かる…。とりあえず、シャワーを浴びてから対応を考えることにする。

15分くらいシャワーを浴びて、パソコンを起動したら、問題なかった。よかったぁー。

その後、サイトを更新。「LIFE」に「便利なパソコンソフト」を追加しました。他には、日記のページを更新。全ての日の日記のタイトルをリスト化。どうなんでしょう。見やすいのかな…。タイトル毎にリンクを張りたかったけど、面倒くさいので、とりあえず延期。どんなことが書いてあるのかが、とりあえず分かるのでいいか。。

そんな風にパソコンの前で一日が終わっていく。勉強以外にすることと言えば、パソコンで遊ぶくらいなんだな・・・。日本から持ってきたバイオリンも弾きたいけど、大学の音楽室まで行くのが面倒…(Music Societyのメンバーになってるのに!)。

一応、読もうと計画した資料は全部読んだ。他にも読みたい資料はあるけど、手元にないので、明日図書館で手に入れることにする。学習計画としては、無理なく進んでいるかも。。(なので、パソコンいじりで今日は終わってしまった) エッセーの計画は何も立たず。もう少し授業を受けたり、紛争解決学を勉強してからじゃないと、書けないような気がしてきた。。

こんなカンジでサイトを作っています。。   ThinkPad x30

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