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「うむ、それは縄文時代で、食料としての馬です。」
「そうです。貝塚から馬の骨が出土しています。縄文時代は乗馬の習慣はなかったようです。馬はどこから日本列島に来たかと言うと、氷河時代は大陸と地続きだったので、歩いて渡ったようです。その馬は前に話したように小型の馬だったようです。」
「縄文時代の人って貝ばかり食べてたんじゃないんですね。」
「そうです。ウサギや鹿、イノシシなど、狩れるものはみんな食べたようです。」
「先生は乗馬をやっているので、まさか、食べませんよねえ。」
「いえ、好物の一つです。霜降りのところをショウガ醤油かニンニク醤油で食べるとおいしいです。桜鍋もいいです。馬肉は桜のようにきれいな色をしているので桜鍋といったようです。ちなみに、しし鍋のことをボタン鍋といいます。江戸時代は一般に獣の肉を食べなかったことになっていますが、ももんじ屋という店があって、イノシシや鹿の肉とともに馬も調理して出していたようです。ももんじ屋は体が弱っている人が精力を付けるためにありました。」
「先生って、馬を食べて平気なんですか?」
「ええ。君も食べて見たら。馬肉専門のレストランもあります。」
「ああ、そうだ。前回煙草の話をしたけど、君はまだ吸っているようですね。喫煙は肌荒れやシミのもとだと言いましたけど、ホースオイル、つまり、馬油って知っていますか?」
「知らないんなら、教えてあげる。馬油を化粧品として使います。シミ・小ジワ・肌荒れ・日焼け・アトピー性皮膚炎・便秘・肩こり・腰痛・生理痛・神経痛・水虫等に効果があるそうです。ああ、それから馬油石鹸なんていうのもあります。」
「使って見ようかな。空気が乾燥してきたせいか、このところ、肌がかさついて。」
「あ、そうだ。お酒も馬から造れるんですよ。馬乳酒といいます。馬のミルクから作るんです。この間知り合いがウルムチへ行った時飲んだそうです。まあ、あまりおいしくはなかったそうですが。馬乳酒は野菜代わりに飲まれているらしいんで、まあ、そんなところかも知れません。」
「ううん、それは、遅くとも5世紀と言われています。この頃になると古墳の副葬品に馬具もふくまれました。高句麗と倭の国は交戦したことは高句麗の好太王碑文に書いてありますが、高句麗は馬を使った戦をやりました。その結果、倭の国は負けました。それで、以後、倭の国でも、否応なく乗馬の練習をせざるを得なかったようです。」
「天智天皇の時代になると、賀茂神社の中に牧場ができて、馬の調教や競馬をやっていたようです。時代は下がって、平将門の時代になると、かなり、盛んに乗馬が行われていたようです。例えば、奥多摩の六石山(むついしやま)の山頂近くに”将門馬場(まさかどばんば)”と呼ばれる緩やかな斜面があります。将門がここで乗馬の練習をしたという伝説があります。堂所(どうどころ)という地名もありますが、こちらは将門とは関係なく、別名を”ばくち場”といい、近世になってから、こっそりばくちをする場所だったようです。」
「あ、ずいぶん話が長くなってしまいましたね。では、練習を始めましょう。」
「練習が終わったら、ミルク酒を飲みながら、馬刺を食べたいな。今日は少し寒いので、しし鍋も悪くないな。」
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