帆走経 巻五
「セーリングとは何か」 突然こんな質問を発したものだから、師は困ったようだ。大きな顔を 大きな手で掴むようになでてから、破顔一笑、「只のセーリングじゃ、 セーリングの為にセーリングすることじゃ。人をつくる為でもなく、 勝つ為でもなく。ましてや名聞利養のためでもない。何ものにも汚され ぬセーリングじゃ」 私が抱いていた疑問とは、修行と悟りにかんするもので、仏行として のセーリングとはいかなるものか悩んだ末、師をたずねたというわけな のです。 私は更に細かにたずねた。 「仏行としてのセーリングとは」 「輪空よ、集合乃至解散がセーリングに他ならない。集合もセーリ ング、服装もセーリング、艤装もセーリング、中止もセーリング。それぞれ が等しい価値を持つ行持(ぎょうじ)なのだ。」 「師よ、海には何がありますか」 「輪空よ、何もありはしない」 「でも」と言いかけたが、師は続けた「その辺が分からなければ、 いつまでも迷うばかりだ。只々帆走を護持しなさい。護持する者をみ仏は 守りたまう」 私は大きく頷いて礼拝した。 聖衣輪空
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