はじめに | ||→催眠状態 |浮く(催眠に入る)条件 |催眠現象 |
ここでは、催眠状態について説明する前に、説明のための言葉の説明です。
どうも、無意識とか意識とかいう言葉は、分かるようで分からない気がするので、もっと単純にと思っております。余計わかりにくくなったら、すみません。
一番、基本となるのは、人類の目的は、生き残ることだとしておきます。人類という種が生き残るよう、最大限の力をふりしぼっていると仮定します。
なぜそうなのかの説明は、誰かにゆずります。とにかく、どんな動物でも植物でも、生物に属しているものはみなそのようである、といった程度の説明でよしとしておきます。
つぎに、人類の目的がそうであるなら、もっとも基本的な手法は防御であるとしておきます。生き残ること、そのために身を守ること、そのために食べるし表面的には攻撃することもある。しかし、その基本的な方法は、あくまで防御である。というのが、ここでの説明の出発点です。
あなたが、それを信じようが信じまいが、そういう説明の仕方をするんだな、くらいに思ってください。
つぎに、一人の人間が、生き残るためにもっている機能を、二つの部分にわけます。
「自然な自分」と「社会的な自分」です。
こなれてない言い方で申し訳ないです。
「自然な自分」とは、生まれ持ってきた素の、遺伝的なものも含めた、生物的に生き残ろうとしている自分ということです。
「社会的な自分」というのは、社会の中で成長していく時に、経験的学習的に、覚えたり教わったりしてつかんできた自分、もちろんそのときに完全に遺伝的なものや、生物的なものを排除できないので、純粋には定義できないのだけど、社会生活をしていくために作り上げた自分、社会の中で生き残ろうとしている自分といった程度に考えてください。
わかりやすくいうと、「社会的な自分」=大人の自分、「自然な自分」=子どもの(時からの)自分というのも近い感じです。
さて、最初のところで、人間の機能を二つに分けると書いたように、それぞれの機能が重要になります。役目といった方がいいでしょうか。
この役目の基本が生き残り、その方法が防御であるということです。その防御のやり方として、「自然な自分」は、いわば本能的な反応の仕方を自動的に行う部分が多く、倫理とかルールとかよりもっと生物的なレベルで身を守ろうとします。法律的には、正当防衛といったような形でその部分が認められているかと思います。使う道具は体(感覚、感情、直感、催眠現象、統合、習慣化)です。
「社会的な自分」は、その社会で認められるやり方でおこないます。まわりがどう思うか、世間から認められるか、仲間外れにならないか、といったレベルで判断し行動されるもので、社会の中での自分の身や社会的な立場、身分、居場所といったものを守ろうとします。法律的には、その多くがこれにあたるだろうと思います。使う道具は、言葉(論理、知識、道具としての物、意識的な意志、分類・分析)です。
この二つの部分を比べると、能力的には「自然な自分」の方が大きい力を持っています。この部分にさからって何かを成し遂げる人を、努力の人、意志の人として賞賛する傾向が私たちにはあります。
しかし、賞賛しているのは、「社会的な自分」です。なぜなら、「社会的な自分」の関心は社会に認められることですから、「社会的な自分」が勝っている方がうれしいわけです。「社会的な自分」の能力は、小さく限定されています。何か新しいものを取り入れたり、外界の状況を分析したり、対処法を考えたり、会話したりするのが、基本的な役目です。
それにくらべて、「自然な自分」は、大きな能力を持っています。体のホルモンのバランスや、血液循環、血圧、体温、発汗その他、さまざまな身体的機能に関係しています。また、夢や、自動的な行動の制御、経験や記憶のデーターベース化、さまざまな行動の習慣化などなど、人間活動のほとんどの行動を制御しています。
この関係は、大きな人力で動く船にたとえられるでしょうか。
この船の船長が、「社会的な自分」にあたります。方向を決定し(そっちに行くのが本当にいいのかどうかは別にして)、船を漕ぐ人や他の船員に指示を出します。いろんな状況を考えて、どうすればいいのかを指示します。
これに対して、他の船員や漕ぐ人が、「自然な自分」にあたります。彼らは、ひたすら自分に与えられたことをやりつづけます。いろんな事を決定しているのは、船長(「社会的な自分」)ですが、実際にその船を動かしているのは、他の船員達(「自然な自分」)であるということです。
「自然な自分」は、子どもの時はそのまま大きな力を振るっており、一生を通じてそんなに大きくは変わりません。三つ子の魂百までというわけです。
これに対して、思春期ころから、「社会的な自分」が、主導権を握りはじめます。社会の中で認められ、大人として活動して行くためには、どうしてもそうなる必要があります。それに、すでに習慣化していることはいいのですが、新しく何かを覚えたり理解したり、新しい局面で判断しなければならない時など、「自然な自分」のやり方ではうまく行かないことが多くなります。そういった時、やはりどんな「社会的な自分」を持っているかが大きなかぎになります。
また、催眠現象というのは、「自然な自分」が自分の身を守ったり、自分の状態をよくしたりするために、何かを訴える表現手段として使うものだということもできます。そういう意味では、夢もその一部であると、私は考えています。
「自然な自分」は、「社会的な自分」のような言葉による表現や、論理的な表現が得意ではありません。それよりは、絵や音楽、ダンス、夢、泣く笑うなどの感情表現、しぐさや表情といったものを使って自分を表現します。催眠現象と、これらの表現手段が絡み合って、「自然な自分」の独特な表現となって現れるというわけです。
ここで、気をつけてほしいのは、「自然な自分」と「社会的な自分」と分けて言ってますが、あなたが2人いるわけではありません。あなたの中で、常にこの二つの部分が干渉しあっていて、反発したり意気投合したり、その時々にいろんな状況の中で折り合いがついていきます。折り合いがつくまで、あなたは行動したり、考えを進めたりできません。そして、その折り合いのついた形が、その時のあなたという現象として表現されているわけです。
何を言ってるんだ、私は私で一人だ。他に誰がいるっていうんだ!!なんて言う人がいるかと思いますが、もちろんその通りです。あなたは唯一人です。ここでいっているのは、ただ現象を説明するための仮説にすぎません。
たとえば単純な話でいうと、いけないいけないと思いつつ、つい手が出たとか、やらなければと思いつつ、ついやらないできたとか、そんな矛盾した自分というのを感じたことは一度ならずあると思います。このいけないと思ったり、やらなければと思ったりしている自分を「社会的な自分」、手を出したり、やらないできた自分を「自然な自分」と名づけてみると、その矛盾した行動を説明しやすくなるというわけです。
つまり、この二つの自分の求める方向ややり方がかみ合わず、「社会的な自分」の意志に逆らって「自然な自分」が行動してしまった。そこで、「社会的な自分」は自分は一人という前提を守るために、その行動に「これくらい誰でもやってる」とか「今日は日が悪い」とか、自分やまわりに説明する合理的な理由を見つけるわけです。と、こんなふうに自分は一人でも、その自分が作られる前の二つの部分(二つの意味での生き残り方)の統合が試みられ、その結果が「一人のあなた」という現象として現れているというわけです。
以上で「社会的な自分」と「自然な自分」の役割がぼんやりと理解されたでしょうか。
ついでに言っておくと、思春期とは「社会的な自分」がその活動を本格化させる時期でです。そして、その新しい船長は、経験が浅くまだ船員たち(「自然な自分」)のことをよく知らないし、単に敵対したり、力でねじふせようとしたり、変に迎合したり、船員たちの反発や勝手な行動に手を焼いてしまう。それが、思春期の混乱といえます。また、今までほとんど「自然の自分」によってだけで行動してきて、「社会的な部分」の役割は親に任せてきたが、自分の内に「社会的な自分」を持とうとするために、親の存在をうとましく思い、その言うことに反発するようになります。そのくせ、他の大人の言うことにはけっこう素直だったりします。経験の足らないことをよく知っているからですし、「社会的な自分」を認めてもらわなければならないからです。などと、いろんな人間の行動の説明に便利です。
理論はしょせん仮説でしかありません、ならば単純で使い勝手のいい仮説が役に立つと思うのです。
もちろん、意識無意識という言い方の方がいい人は、社会的な自分を意識、自然な自分を無意識と読み替えてもらっていっこうにかまいません。
私があえて呼び方を変えているのは、二つの部分は、単に意識があるかないかというようなことではなく、その役目があると思うからです。また、意識的なものかどうかの区別は、もともと難しく無意味だと思うからです。あなたのある行動を、どこからどこまでが意識的なものか説明しろといわれても、たぶん困ってしまうと思います。
さらに、フロイトなどのいう無意識というものが本当にあるのかどうか、単に意識してないというよりもっと大きな意味を説明されても、もともと意識してないものですから、それを意識に納得しろとといわれても困ってしまいますよね。興味のある人は、彼の本を読んで見てください。説明に苦労して、意識無意識、前意識とか潜在意識とか、あるエネルギーだとか、また、ユングなどは集合無意識といったり、いろいろ複雑に別れていくだけで余計わかりにくくなっていく気がするし、自分が何か得体の知れない黒々したもののかたまりみたいに思えてきてしまいます。
それなら、自分の中の機能として、「自然な自分」と「社会的な自分」というのがけっこう、しっくりくるような気がするのですがどうでしょう?
また、今後、私が意識無意識という言葉を使うとき、それは単純に意識があるかないか、という意味しかないと思ってください。
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