戦艦 三笠
戦艦三笠 主要要目(建造時)
排水量 15,140t
全長 132m
巾 23m
吃水 8m
缶 25缶
速力 18kt
主砲30cm 4門
副砲15cm 14門
補助砲8cm 20門
その他 12門
機関銃 4門
水中発射管45cm 4基
艦歴
- ―建造から日露戦争終結まで―
- 明治31年(1898)9月26日 日本艦隊の主力艦として、英国ビッカース・ソンズ・アンド・マキシム社に発注される。当時の価格で88万ポンド。
- 明治32年(1899)1月23日 第四号甲鉄艦を「三笠」と命名。
- 明治32年(1899)1月24日 起工。
- 明治33年(1900)11月8日 三笠進水。
- 明治34年(1901)10月1日 本籍を舞鶴鎮守府と指定。
- 明治35年(1902)3月1日 竣工(軍艦旗を掲揚)。
- 明治35年(1902)3月13日 本邦へ向け英国プリマス発。
- 明治35年(1902)5月18日 横須賀到着。
- 明治35年(1902)7月21日 常備艦隊に編入。
- 明治35年(1902)11月5日 常備艦隊旗艦(司令長官、中将日高壮之丞)
- 明治36年(1903)12月26日 中将東郷平八郎が常備艦隊司令長官に就任。
- 明治36年(1903)12月28日 連合艦隊旗艦(司令長官、中将東郷平八郎)。
- 明治37年(1904)2月6日 戦地に向け佐世保発。その後、旅順方面において敵艦隊の攻撃、閉塞隊の援護、港湾封鎮の作戦に参加。
- 明治37年(1904)8月10日 黄海海戦、旅順を脱出南下したロシア艦隊を黄海に迎え撃ち、7時間に及ぶ激戦を交えて大損害を与えた。三笠も被弾二十余個に達し、後部砲塔は破壊され、メインマストも倒れそうな損傷を受け、戦死33名、負傷92名の被害を蒙った。
- 明治37年(1904)12月25日 呉に向け戦地(裏長山列島)を出発。旅順にあるロシア大平洋艦隊の主力艦全部の撃沈を確認した東郷司令長官は、戦況報告及び次期作戦打ち合わせのため上京した。その後、翌明治38年1月2日旅順が陥落し、日本艦隊の有力艦隊が修理のため内地に帰った。
- 明治38年(1905)2月21日 鎮海湾に進出(江田島、佐世保経由)。ロシア本国からの増援兵力たる太平洋第二、第三艦隊(通称バルチック艦隊)との決戦に備えて、連合艦隊は射撃・発射・運動など各種の猛烈な訓練を開始した。
- 明治38年(1905)4月18日 第二艦隊(司令長官、中将上村彦之丞)をもって、ウラジオストック前面に機械水雷715個を敷設。ロシア増援艦隊が4月9日シンガポール沖通過との情報を得て、要撃作戦の最終段階完成に必要な機雷原を構成した。
- 明治38年(1905)5月27日 東郷大将の率いる連合艦隊は、ロジェストウェンスキー中将の率いる太平洋第二、第三艦隊(38隻)を対馬沖に迎え撃ち、翌5月28日にわたる数次の戦闘により空前の大勝を収めた。 この海戦による三笠の被弾三十余個、戦死8名、負傷105名。
- 明治38年(1905)9月11日 正午過ぎに後部火薬庫に火災が発生し、佐世保港内に爆沈。殉職339名。
- 明治39年(1906)8月8日 午前6時に浮揚(午前2時に排水開始)、引き続き修理に着工。
- 明治41年(1908)4月1日 第一艦隊に編入(旗艦)。
- ―戦艦から記念艦へ―
- 大正3年(1914)12月1日 第二艦隊に編入。
- 大正5年(1916)12月1日 第三艦隊に編入。
- 大正7年(1918)10月2日 露領沿岸警備。
- 大正10年(1921)9月1日 一等海防艦となる。
- 大正10年(1921)9月16日 沿海州方面の警備行動中、アスコルド海峡で座礁。富士、春日などの救援により26日離礁し、ウラジオストックで入渠修理の上、11月3日舞鶴に帰着。
- 大正10年(1921)11月12日 ワシントン軍縮会議における「ヒューズ案」で廃棄艦リストに載る。
- 大正10年(1921)12月1日 本籍を横須賀鎮守府に改定。
- 大正12年(1923)9月1日 関東大震災で係留岸壁と触衝し前部に浸水。
- 大正12年(1923)9月20日 帝国軍艦籍から除籍。
- 大正14年(1925)4月6日 記念艦として保存のことに閣議(1月)で定まり、横須賀鎮守府司令長官に保存工事訓令。
- 大正14年(1925)6月18日 保存工事着手。
- 大正14年(1925)8月29日 財団法人・三笠保存会設立(6月25日、発起人会)。
- 大正15年(1926)11月10日 保存工事完了。
- 大正15年(1926)11月12日 三笠保存記念式(摂政宮殿下ご臨席)、「記念艦三笠」と呼称。
- ―荒廃から復元―
- 昭和20年(1945)8月20日 米軍により接収され、後日に兵装など撤去。財団法人・三笠保存会設立解散。
- 昭和23年(1948)1月9日 米海軍司令官が三笠の転用を横須賀市に許可。みかさは記念艦の性格を失い、以後極度に荒廃。
- 昭和33年(1958)11月4日 三笠保存会を再建し、記念艦三笠復元募金開始。
- 昭和34年(1959)4月1日 防衛庁所管となる。
- 昭和34年(1959)10月7日 復元工事着工。
- 昭和36年(1961)5月20日 復元工事完了(工費1億8000万円)。
- 昭和36年(1961)5月27日 復元記念式(義宮殿下ご臨席)。
- 昭和36年(1961)6月26日 皇太子同妃両殿下ご来艦。
- 昭和36年(1961)12月16日 アルゼンチン大統領フロンディッシ氏来艦。
- 昭和38年(1963)1月23日 秩父宮妃殿下ご来艦。
- 昭和40年(1965)4月28日 三笠宮同妃両殿下ご来艦。
- 昭和42年(1967)5月27日 東郷司令長官銅像除幕式(工費2000万円)。
- 昭和43年(1968)6月17日 天皇、皇后両陛下行幸啓
- 昭和47年(1972)6月16日 高松同妃両殿下、三笠宮寛仁親王殿下ご来艦。
- 昭和54年(1979)10月9日 アルゼンチン大統領ヴィデラ氏来艦。
- 昭和56年(1981)〜 復元20年目の大修理開始。
- 平成4年(1992)6月 英国世界船舶基金財団から海事遺産賞受賞。
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新規作成日:2002年2月24日/最終更新日:2002年2月24日