科目の略称:
CRIS=Conflict Resolution in International Society
CCR=Culture and Conflict Resolution
ACD=Arms Control and Disarmament
NEMP= Nationalism and Ethnicity in Modern Politics

+++ブラッドフォード大学平和学科留学体験記+++

−留学日誌−
(「日記」改め「留学日誌」になりました。でも、内容は今まで通り…。)

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2004/5/31(月) 最後の勉強@ナショナリズム

朝起きて、ミートソースを作る。最近、お腹いっぱいになるほどご飯を食べていない。作るのが面倒なので、適当にあるものを食べている状態。きっと痩せたに違いない。

ご近所のYorkに留学している日本の大学の友達から電話があった。去年、ブラッドフォードでの授業が始まる前に一度遊びに行ったきりだったので久しぶり。近いのに全然連絡していない。そんなものだ。

パスタを茹でている間にSkypeで日本の友達に電話をかけた。別に何も用事は無かったけど、時間つぶしに。数分だけ話すつもりが、パスタを食べながらも会話を続けたので、1時間以上も話してしまった。何でもタダになると、時間も資源も無駄に使ってしまうものなのかもしれない。

明日のナショナリズムに向けて一応最後の足掻きで勉強する。今から新しいことを勉強しても中途半端なので、少ないながらも既に学んだ分野を再確認。文章に書いたことがあまりなかったので、何度か書いてみる。試験の時は毎回やっていることだけど、確実に点数が取れそうなトピックの優先順位をつける。設問選びもこれに沿って行う。とりあえず、Modernism、Primordialism、Globalisation、中国・アフリカのナショナリズムは、そこそこ回答できそうな気がする。特定の分野に関する問題はこれらを答えて、一般的な問題はこれらをミックスして答えようと思う。何事も戦略が必要。テストなんて、きっとそんなもんだ。。

ベッドで勉強していたので、午後5時頃になって寝てしまった。起きたら8時だった。3時間も寝てた…。かなりダラダラしている。別に余裕こいているわけじゃない。

明日は、午後4時から試験が始まる。それまでも時間があるから、明日も直前までは頭の中をナショナリズムモードにするようにしようっと。

2004/5/30(日) シャワールーム、大丈夫なのか!ナショナリズム!、サッカーチケット入手

10時起床。授業がないので、最近は毎日こんな生活。社会で働いている方に申し訳ないと思う今日この頃です。すいません。。

高すぎるぞっ!!
ヒモは電気のスイッチ。その右隣にある小さな突起が問題の換気扇スイッチ。

シャワーを浴びようとしたら、シャワールームの電気がつかない。En-Suiteの僕の部屋は、トイレ、シャワー、洗面台が一緒なので、電気がつかないとちょっと暗い。洗面台の電気がつくからそれほど不便ではないけど。こんな時期に電気が消えるなんて。で、シャワーを浴びようと思って、換気扇のスイッチを入れると、動かない…。いつもは物凄い騒音を出しながら動作する換気扇がびくともしない。スイッチを入れても、うんともすんとも言わない。仕方ないので、薄暗くて、換気扇の動かない中でシャワーを浴びる。シャワールームは蒸気でスゴイことになった。ちなみに、換気扇のスイッチは、なぜだか、とても高所にある。2メートル以上高く、ほとんど天井の高さにスイッチがある。これ、理解不能。初めて寮に来たとき、換気扇のスイッチが見つからなかった。ふと上を向くと、スイッチらしきものを発見。そんな2メートル以上もあるものが換気扇のスイッチだと思わなかった。不思議だ。部屋の電気のスイッチは腰の高さにある。換気扇は、2メートル以上の高さ。イギリス人の設計のセンスを疑う。ちなみに、イギリス人のフラットメイトに聞いてみると、“水に当たらないようにそんな高さなのか、配線の問題でその場所なんじゃん?背が低い日本人には大変だよね。”と言われた。別に必ずしもシャワールームの換気扇のスイッチは、2メートル以上に設置しなければいけないわけじゃないらしい。で、毎日、シャワーを浴びるときは、ジャンプしてスイッチを操作している。あまりにも高いので、一度で手が届かない時もある。日本人の僕には、これが結構大変な作業だったりする。スイッチが利かないので、そんなことをする必要がなくなったかも。

午後から勉強。ナショナリズム。Mordernism、Primordialism、中国のナショナリズム、アフリカのナショナリズム、グローバライゼーションなどを再度確認。軍備軍縮みたいに「飽きる」ほど勉強していないので、ちょっと不安。時間がない。あぁー、結構追い詰められているかもしれない。嫌いな科目ではない。むしろ好きな方だ。でも、苦手な軍備軍縮に時間を費やし過ぎたかもしれない。学習計画を誤ったかも。それでも、とりあえず取り組む。

チケット夕方になって、開発学科のMAの日本人学生の方からメールが送られてきた。1日の日本代表対イングランド代表のサッカーのチケットを預かっているという。受け取りのため、図書館で待ち合わせ。一度お話をしただけだったので、ちょっと緊張。。僕は人見知りするタイプなので…。で、チケットを受け取る。てっきり、紙に印刷されたいわゆる「チケット」だと思ったら、プラスティック製の名刺サイズの「カード」だった。£22.50を立て替えて頂いたので、その場で支払う。今日は、日本代表対アイスランド代表が試合をしたらしい。話によると、スタジアムはガラガラだったみたいだ。そりゃ、日本代表とアイスランド代表なんて、イングランド人には興味ないだろう。1日の試合は、本場のフーリガンが見られるかもしれない!!(←なんてステレオタイプなんだ!)

2004/5/29(土) 一応ナショナリズムの勉強、論理性の大切さ

最後のナショナリズムの試験が火曜日だと言うのに、自身を持って準備できていると言えない状況。全くしていなかったわけではないけど、上手に、自分の言葉で説明出来ない理論がある。理解が不十分なのもあるし、それを避けてきたのもある。他のトピックに集中した方がいいようなきもするけど、それは必ず出るだろうと思われる重要な理論(Primordialism)。とりあえず、図書館へ行く。一時間ほど本を読む。すると、眠くなった。ほとんどの試験がおわたのだろうか。図書館はとても静かで、人が少ない。僕は、座り心地の良い椅子に座りながら、居眠りをしてしまった。1時間ほど寝た。起きた後は、頭が冴えてきて、本の続きを読んだ。とりあえず、ナショナリズムに関する議論の全体の復習は終わった。6時ごろに寮に帰る。帰宅後は、夕飯を食べる。その後は、ベッドに横になりながら、勉強。こんな感じで試験に間に合うだろうか…。最後の一踏ん張りだ。

最近、これまで投稿をしていた優良ブログが少し荒れ始めて、書き込みを控えていた。トピックは、例のイラクでの人質事件に関すること。誹謗・中傷の嵐と化して、嫌になった。そんな中、あるブログを見つけた。このブログには感銘を受けた。書いている人がすごい。

このブログは、「論理」によって物事を分析することを目的としている。イラクの人質問題、北朝鮮の拉致被害者家族問題などを「論理」によって考えている。書いている人の教養の高さと論理性が前面に出ている。僕がこれまで書いてきたこととほぼ同じことを言っているけど、その論理性や説明力は遥かに違う。素晴らしいというほかないくらい。そこには、考えさせられることばかりある。

「事実を提示しないで、概念的妄想に基づく「印象」を批判しても意味が無い」という考えはもっともだと思う。自分の頭の中で考え出された概念や印象を事実と混同して、それに基づく批判行為の愚かさを指摘していると感じた。特に現実社会における批評にとっては重要なことだと思う。

最近、僕のサイトへのアクセス数が増えた。僕がブラッドフォードへ来た頃はもちろん、4年前にブラッドフォードの存在を知った頃などは、ネットで検索しても情報は全くなかった。で、久振りにネットで「ブラッドフォード大学」と検索してみたら、かなりの数がヒットするようになっていた(このサイトが一番最初に来るんですね…)。で、ヒットしたサイトを見てみると、イラクで人質になった男の子が秋からブラッドフォード大学に留学するという報道を伝えるものが多かった。実際は、週刊誌の記事をそのまま書いているだけとかが多い。そんな中で、「ブラッドフォードは金を払えば学位をもらえる大学」とか「こんだけ世間を騒がして、留学するのかよー」などという中傷が多い。他にも、彼の“親が教師で、日教組で、赤旗を購読している。”ということがあたかも犯罪者のように書かれている。それ以上の説明も論理も無い。きっとこういうのが「概念的妄想」と言うものなのかもしれない。そこには論理も何もない。何もかもが妄想なのだ。「だから何?(so what?)」という以外の何物でもない。

論理性は大切である。イギリスの大学では、エッセーや試験の評価において、「論理性」が左右重要。内容の「正しさ」というものは重要ではないかもしれない。「正しいことを言う」のではなく、「論理性のあることを言う」。それが重要。「自分の意見を論理的に主張する」ことが出来れば、評価されるということになるのかも知れない。きっと、論理性の無い主張は無意味であり、論理性のあるものは正当な主張であるとされるのかも知れない。論理性が伴ってこそ、主張の正当性(正しさ)が生まれるのだろうと思う。

今日見つけたブログを読んで、「論理性の無い批判は不当である」ということを僕は改めて思った。しかし、論理性の有無を指摘すること、そして自分で論理性を示すことはとても難しいものだ。「理論武装」と言う言葉はあるが、これは必ずしもネガティブではないだろう(理論と論理は違うけど)。まともな論理を主張できない人が多い中で、「理論武装」する人が増えれば、少しは世の中が健全になるのではと思う(自分の論理の崩壊を理解できない人はどうなるのか?という問題は残るが…)。批判の中に論理性があるのか?これが問題の本質を見抜くためには必要なのかもしれない。

数学屋のメガネ:http://blog.livedoor.jp/khideaki/

2004/5/28(金) 思わぬ誤算、焦って勉強、政府の姿勢と非健全な民主主義

起床してすぐにクロネコヤマトUKに電話。日本人オペレーターが電話に出た。マニュアルっぽい、とても人間味のないしゃべり方だった。淡々と仕事をこなすという感じ。先日、KLM(オランダ航空)に電話したときは、オペレーターはとても楽しそうに、友達と話すような雰囲気だった。日本のカスタマーサービスのオペレーターというのは、やっぱりなんか無機質な感じが拭えない。で、クロネコヤマトの場合、今日中に申し込みをしないと、月曜日が祝日なので、4日までに集荷をすることができないとのこと。値段は安い方だったけど、まだ決めかねるので、とりあえず保留した。

で、行動を起こしてみた。一番重そうな荷物を郵便局へ持って行き、重さを量った。実際荷物はどれくらいの重さなのか?これがわからなければ、話が始まらない。日本から持ってきた折りたたみ式のキャリアに載せて、ガラガラと郵便局まで持っていく。で、量らせてもらう。量りのメモリは最大30kg。“30kg超えちゃうかな〜”なんて思ったら、16kgで針が止まった。“えぇー!針が一回りして、30kg超えちゃったのか!”と一瞬思うが、郵便局のおじさんが“16kgね。重いねぇー”と言う。なんだ、たった16kgだったのか。もっと重いと思っていたのに。ということは、他の荷物はこれより軽そうなので、大体の総量はわかった。ついでに、郵便局で段ボールを一箱買う。

持って行った荷物は再び寮へ持ち帰る。で、買った段ボールに小型の箱2つに入れていた本を移し変え、一箱にまとめた。そして、段ボールの封を閉めた。UPSで送ろうと決意したから。

そんなことで荷物の輸送手段を決めたと思ったので、図書館へ行く。試験勉強のため。2時間ほどナショナリズムを勉強する。ずっと軍備軍縮しか勉強していなかったので、思考が「軍備軍縮モード」。全く「ナショナリズム・モード」じゃない。図書館では、あまり勉強ははかどらなかった。

図書館を出て寮に帰る途中、日本人のMAの学生に会う。そこで荷物を送るのにどの会社を使うかを尋ねたら、「日通」を使うとか。詳しく聞くと、£200で、合計60kgで、集荷があって、航空便だと言う。なんとぉーー!信じられないようなサービス。詳しく話を聞いて、帰宅。早速、ネットで調べると、「Student Jetpack」なるサービスがある。確かに安い!これまで探した中で、一番安い。まずは、電話。イギリス人のオペレーターが出たので、無理やり日本語を話す人を出してもらう。でも、日本語のネイティブではなかったので、あんまり意味なかった。結局、日本人の担当者が不在で、来週の火曜日に電話してもらうことになった。

このサービスをよく調べると、集荷日の10日前までに申し込みをしないといけないらしい。4日までに集荷に来てもらうのは、それに従うと無理。でも、今日電話に出たイギリス人は、“タブン、ダイジョブ”とか言ってたけど、ちょっと怪しいな…。それに、旅行に出かけるので、4日までには集荷に来てもらわないと困る。無理を承知で、先方からの電話はまだないけど、ネットで申し込んでしまった。わがままを言って、4日までに来てもらわなければ。。もし日通がダメなら、UPS。UPSがダメなら、最悪の郵便局です。日通と郵便局では、費用が倍も違う。怖ろしいぃー。

荷物の運送手段をネットで調べていて気がついたことが一つ。日本語による留学情報サイトなるものは腐るほどある。でも、そこにある情報というのは、「日本からイギリスへの荷物の郵送」というものばかりで、「イギリスから日本へ〜」というのが無い。あっても、一言どの会社を使ったかが書いてあるだけ。仮に物事には始まりと終わりが必ずあるならば、「留学から帰るとき」の情報も書くべきだ。。留学することばかりに目が行ってしまうのは仕方ないけど、そこまで網羅しないと本当の「留学情報」とはいえない。ということで、妙な使命感が湧いてきた。このサイトでは必ず「イギリスから日本への荷物の郵送」情報は書きます!

で、ひとつ自分の誤算を発見。ひたすら段ボールをどのように入手するのかに気を取られて、業者探しを全然していなかった。すぐに見つかるだろうという根拠のない安心感がどこかにあった。でも、現実を目の当たりにして、ちょっと動揺…。判断を誤ったと後悔…。

夜は、とりあえずナショナリズムの勉強。既に資料はまとめてあるので、それの再確認と復習。その後、パソコンを使って過去問を解いてみる。かなりのハイスピードで数問の回答を書いてみた。明日は、荷造りはせず勉強をしよう。

今日は、オーストラリアに留学中の友達と一ヶ月ぶりにSkypeで話をした。オーストラリア人や香港人などとマージャンをやっていた。ジャラジャラとマージャンの音が聞こえる。よくマージャンなんかみんな知ってるなぁー。今日は、香港式のルールだったらしい。

日本のニュースを見ていると、北朝鮮拉致被害者家族へのネット上でのバッシングについて外務大臣がコメントをしていた。「遺憾」であるとのことだ。この発言を聞くと、政府のいやらしさが伝わってくる。イラクの人質へのバッシングに対しては、そんな配慮の発言など政府はしなかった。政治家を含め、誰一人として、彼らを擁護することはなかった。いや、むしろバッシングを一緒になって行っていたのだ。バッシングを黙認することによる不作為の意と配慮というコメントを出すことによる政府の姿勢を示そうとする意。とても政治的な感じがするし、とてもいやらしい戦略である。イラクでの邦人の人質事件や殺害事件と北朝鮮による拉致は違うという人がいる。前者は、被害者は危険を承知だったと言い、後者は不可抗力で政府の責任だと言う。一見もっともそうに聞こえるが、本当にそうだろうか。それが政府の国民へ奉仕という基本的原則を覆すほどの根拠になるのだろうか。僕はそうはならないと思っている。そもそも、自己責任がどうのとか、危険を承知だとかという理由で、困っている人、苦しんでいる人に手を差し伸べない、或いは事後に非難・中傷するということがどれだけ器の小さいことだろうかと思う。ネット上で非難・中傷する人たちのロジックや思考というのは、とても視野の狭いものであると思ってしまう。そもそも、いかなる理由であっても政府が国民を差別してはいけないことは明白である。その原則に背く政府の姿勢こそ非難されるべきだと思う。政府は常に批判される対象であるし、その批判を受けて国民サービスに反映する。政府を賞賛するばかりの国民がいる国家なんて、その方が異常だ。そんな国の状況がどうなっているのか。よく考えれば、「国民」にとって何が大切なのかは自ずとわかると思う。しかし、そこまで想像力を働かすことが出来ない人が世の中にはいるらしい。仮にも「民主主義国家」を自称するならば、僕たち日本人(政治家、役人、メディア、一般人)は「民主主義」とは何かを学ぶべきだ。(非民主的な国家ほど、国家名に「民主主義」が付いたりする。朝鮮“民主主義”人民共和国とか。高校の歴史の教科書を読めば気づくけど…)

2004/5/27(木) 課題:荷物の輸送方法

午前中に町へ出かける。町へ出かけたのは、1ヶ月ぶりだった。ずっと寮とキャンパスを往復する生活だった。

目的は、「量り」を買うため。既に梱包した荷物の重さを量りたい。「量り」と言っても、バネ式の小型のものを買うつもりだった。日曜大工天国のイギリスのことだから、すぐに手に入ると思ったけど、町中を探せど見つからない。なんでないんだ…。一時間ほど歩き回って探すけど、結局見つからなかった…。とりあえず、この「バネ式」の量りが「spring scale」と呼ぶことがわかった。次回は、この単語を使って、探してみよう。留学必需品のひとつとして、この「バネ式量り」を日本から持ってくるべきだった…。

で、帰宅後、ネットで配送業者を探す。昨日の時点では、RoyalMail(PercelForce)、DHL、UPSを見つけた。今日はそれ以外にもマイナーな業者を発見する。希望は、安すくて、確実な配送で、部屋まで荷物を取りに来てくれる業者。なにせ田舎なもので、大手の配送業者が来てくれるのかが疑問。リーズ/ブラッドフォード空港に配送業者はなさそうだし…。郵便局からの郵送は極力避けたい。理由は、高くて荷物が届かなそうだから。高いのは明らか。取り扱いの信頼はかなり低い…。

と、そんな悩んでいるところに、このサイトを見て頂いている方から「クロネコヤマト」のイギリスでのサービスを教えて頂いた。さっそく資料を請求する。明日、電話してみよう。

試験もあるので、こんなことに時間を掛けていたくない。でも、準備しないと、時間がないし…。悩ましい。

イギリスから日本へ「安くて、確実な配送で、部屋まで荷物を取りに来てくれる業者」をご存知の方はぜひ教えてください!

久しぶりに町に出て歩いたからなのか、ちょっと頭痛がする…。疲労感があるので、今日はナショナリズムの試験勉強はしなかった。とりあえず、日本の大学からもらった奨学金の報告書を作成。書ける部分だけ書いた。

そんな感じで今日は終了。引越しって面倒くさいなぁ。

2004/5/26(水) 軍備軍縮試験!、HateCrime@BD、荷物の輸送

昨日は、夕方から寝てしまったので、夜は午前3時まで眠れなかった。今日は、朝8時に起床。普段よりかなり早い。

朝食を食べて11時には寮を出る。まずは、図書館で本を返却。その後、眠気覚ましにカフェでカプチーノを飲む。そのまま、InternationalOfficeへ行き、日本の実家の住所を確認。帰国後の連絡先を再確認した。IVSP担当のキャットが“帰る前に一度挨拶に来てね”と言ってくれた。一時的な成績も教えてくれるとのこと。

そして、図書館へ行く。直前まで試験の範囲を復習。でも途中で飽きてしまい、図書館にある日本語の本を読む。30分ほど読書をして、図書館裏のCommunalBuildingへ向かった。

多くの学生でごった返していた。まるでパーティーでも開かれそうな勢いだった。友達も集まっていた。カナダ人のJeffとベルギーに住んでいるイタリア人の学生と少し話す。“CRISのエッセーの成績はどうだった?”と聞かれたので、正直に“63だよ”と答えたら関心されてしまった。会場になっている地下ホールへ下りると、そこには色んな学科の学生が集まっている。広い会場で同時に異なる試験を行うらしい。そういう発想は、合理的と言うか、大雑把と言うか…。隣の列の人は別の学科の別の試験を受けている。よく混乱しないものだと関心してしまった。。

午後1時より軍備軍縮の試験が開始する。問題は全部っで9問。そのうち3問を選んで書く。昨日のうちに、自信を持って答えられる分野をリストアップしておいたので、それにそって問題を選ぶ。僕が選んだのは以下の問題。

  1. Outline the arguments for strengthening the 1972 Biological and Toxin Weapons Convention.
  2. What are the main problems affecting the control of the spread of light arms?
  3. Has the nuclear age past its peak?

最初の二つはきっと一番簡単な問題。みんな選んだかも。3つ目は、一般問題。YESかNOで答えて、理由を示せば良いだけだと思ったので、これを選んだ。どれも堅実な選択だと我ながら思う。点数を取り易そうな問題を選んだ。どの問題もそれぞれ3ページ書いた。解答用紙は全部使い切った。最初の2問はそこそこ自信がある。これまで何度も繰り返して書いていた内容を書いただけなので。3つ目の問いは、元々苦手な核兵器についての設問には答えないつもりだったけど、吟味したらそれ以外に書き易そうな設問がなく、仕方なく選んだ感がある。ただ、専門的というよりは、過去と現状を比較して、自分なりの判断を書けば良いので、理屈さえ通っていれば答えは自由である。試験終了15分前にすべて書き終わる。その後、英語の確認。いくつかミスを見つけて直したけど、最初の2問分しか修正出来なかった。きっとパスはするだろう。60以上の評価かどうかはわからない。採点する教授の基準も実際よくわからないし。60以上であることを祈るしかない。結果はどうであれ、一つ試験を終えたと言う達成感と開放感は気持ちが良い。ハッピーな気分になった。

その後、大学の廃品回収の部署で頑丈そうな段ボール箱を拾う。帰国の荷造りのため。寮へ帰る途中、その段ボールを持って歩いていると、パキスタン系の若者が車の中から僕に向かって大声で叫んでいる。きっと何か罵倒しているのだろうと思って無視。ブラッドフォードでは、極東系の人間を見ると、一部のパキスタン系の若者が“Chinese!”とか言いながら罵倒することが多々ある。最悪の場合、水風船のようなものを投げつけられたり、強盗にあったりという事態にもなる。一部はギャング化しているらしい。正直、そんなに治安の良い町ではありません。

平和学で有名なブラッドフォードだけど、町自体はそんなに平和でもない。警戒していれば、犯罪に巻きこまれることはないけど、危険はある。先日は、大学内に女泥棒が侵入して、教授の部屋からパソコンが盗まれ、キャンパス内で逮捕された。で、身元を調べると、殺人の指名手配犯だったらしい。ちなみに、この犯人が警官に尋問されているところを僕は目撃。ホームレスなのかなーなんて思っていたけど、あとから話を聞いたらそういうことだったらしい。恐ろしい。で、今日は夕飯にピザを買いに言ったときも、車の中から頭の悪そうな白人のオネーチャンたちが僕に向かって何かを叫んでいた。きっとあれもHateCrimeの一種なのだろうと思った。彼ら、彼女らは田舎くさい英語をしゃべるので、僕には理解できないけど。理解出来なくて幸せだと思う。何を言っているのかを分かったら、かなり凹むような気がする。特に極東系の人間に対してのみ行われるHateCrime@BD。白人に対しては何もないということは、何か理由があるのは確か。ギャングなパキスタン系の人間にしてみれば、極東系はひ弱でバカにし易いのかもしれない。イギリス国内では彼らはマイノリティであるから、さらにマイノリティな極東人に対して何か優越感でも抱いているのだろうか。日本にいる限り、日本人に対する差別は基本的にない(当たり前だけど)。逆に、日本人は差別をする側である場合が多い(在日朝鮮人やその他外国人に対して)。被差別経験がどれだけ辛いものかは、それを経験しないと理解できないこともあるかもしれない。

今日は帰宅後に荷造りを進める。もうほとんど文献は段ボールに詰めていい状態。問題は、輸送方法。既に文献だけで段ボール6箱にもなっている。帰国便に荷物として預けたら、重量オーバーは明白。超過金として、1キロ毎に6000円前後は確実に取られる。帰りは重量制限に超厳しいことで有名なKLMなので、「おまけ」はありえない(去年、来るときに苦い思いをした…)。なので、別途郵送で送るしかない。で、料金の検索。まずは郵便局のサイトをチェックする。RoyalMailのサイトはいつも重い。ぜんぜんつながらない。なかなか表示がされなくて、遅い。遅いのは配達だけじゃなくて、サイトもだ。働いてる人間もやる気ないだけじゃなくて、サイトもそうかと思うと、なんか悲しい…。で、なんとか接続して料金を調べると、最大20Kgで、航空便だと£132。船便だと£111。配送時間が4週間の差もあるのに対して値段が変わらないのが不思議だ…。で、フラットメイトのイギリス人のおじさんPaulに質問。値段を言うと、“はっ?!£100?信じられない。ホントにそんなするの?ヨーロッパ内なら数ポンドだよ。そんな大金あったら、色んなところに旅行出来るよ。ホントに信じられない…”と、一人でブツブツ言っていた。すると、ドイツ人のフラットメイトがDHLとUPSを紹介してくれた。なので、その会社も調べる。確かに、UPSの方が易いような気がする。それでも£400くらいはかかりそう。ただ、荷物の実際の重さが分からない。計がない。寮の守衛さん(Porter)に聞いてもないと言うし、誰も持っていない。重さが測れなければ料金比較が出来ない。

明日は、ポンドショップで計を買おう。あとは、6月1日のサッカー観戦ようの双眼鏡も買うかも。

2004/5/25(火) 試験日前日、日朝交渉の紛争解決学的見方、「リーダーシップ」

明日は軍備軍縮の試験。今日は、会場の下見に行った。

昨日平和学科のオフィスで確認した通り、やっぱり普段は週末にディスコになるホールのようだった。そんな場所使うほど、学生の数は多くないと思うのだけど…。

その後、図書館で勉強。過去問を解く。既に何回も解いた問題。文章に書くことに慣れておくことと、自然に関連の知識が思い出せるように頭を慣れさせておくことが目的。もちろん、その理解が合っていればの話だけど。

4時くらいに帰宅。なんとなくダラダラとしてしまい、いつの間にか寝てしまった。試験の前日だというのに、なぜか緊張感がない。やっぱり前期の方が未知の体験だったので、真剣に取り組んでいたように思う。でも、これ以上勉強しても大きな変化はないので、リラックスした方が良いだろうと思う。一応ちゃんと勉強しているつもりなので、よっぽどのことがない限り、試験にFailすることはないという自信はある。要は、平均以上の結果が出せるか否か。それはこれまでの努力に拠るので、今日一日の問題ではないと思う。

朝日新聞のサイトを見ると、イラク人質へのバッシングにも似た中傷が北朝鮮拉致被害者にも行われていると伝えられていた。この記事のロジックは、やはりイラク人質へのそれと基本的に同じであると思う。きっとこんなことをしている人は同一人物なのでは?と思う。意外にも「世論」(あまり信用はしていないけど)は今回の訪朝結果を支持している。“とりあえず、5人が帰ってきたのだから良いだろう”という理論らしい。で、“政府はがんばってくれたのだから、文句を言わず、感謝しろ。”と言うのが上の批判の根拠らしい。そもそも、拉致をしたのは北朝鮮であって、被害者とその家族の帰国は当然のこと。政府が家族全員を引き取れないこと自体が本末転倒だと思う(アメリカとの関係は別の話)。イラク人質問題と同様、お上意識の強い日本人的傾向が出ているように思う。加えて、メディアの報道姿勢にも問題があると思う。メディアリテラシーが日本人には本当に必要だと思う。そもそも、こういうロジックで批判をする人には、苦しむ人への「共感」が全く感じられない。それこそが一番悲しいことだ。

今回の首相の訪朝の成果に関しては様々な賛否がある。ただ、日本人にありがちな「お人好しさ」がどれだけ外交という面で有効なのかは少し疑問でもある。僕は、「お人好しさ」は否定しない。でも、現実的な面で、今回のゲーム理論的且つ日本のボトムラインを見透かしているような北朝鮮の「交渉術」の前に、そんな日本の健気な姿勢がどれほど意味があるのかと思う。小泉首相は、平壌宣言の精神に基づく「誠実な態度」で相手と向き合うつもりらしいけど、そんな彼の「誠実さ」がどれだけ真剣に相手に受け入れらているかは非常に怪しい。そんなことを期待できる下地や根拠がどこにあるのだろうか。性善説的な彼の態度は少し気にかかる。

学問的に言うと、紛争解決学においては、「negotiation(交渉)」と「problem-solving(問題解決)」は違う。前者は「相互的譲歩」であり、後者は「共同の解決策を生み出すこと」だ(*1)。これまでの日朝交渉と言うのは、決して「problem-solving」ではない。それは、「人道支援」と言う名の見返り(incentive)などを含む「Negotiation」だ。加えて、交渉チャンネルが非常に少ないという点で、高いレベルでの接触しかできない。様々なレベルのアクターとの接触を通して交渉を進めていくということが出来ない。相手が特殊な国家体制である所以だ。(西欧的紛争解決的見方だけど)日本と北朝鮮が対等な立場に立っているか。これらの定義に従えば、そもそも相互的譲歩が出来ていないと思えるような今の状況で、日朝交渉が「交渉」として成立しているのか?ということが気にかかる。

話は変わるけど、昨日読んだ『集団の心理学』の内容を思い出した。それは、「集団の目標」と「個人の目標」の関係である。人間は集団を形成する。元々は個人の目標を達成するために集団を形成するものだけど、時間が経つと集団の目標というものも出てくる。すると、集団を構成する個人の目標との間に乖離が生じる。それをいかに調整していくのか。それが「リーダーシップ」だと言う。個人は集団に優位である。それが民主的且つリベラルな考え方。集団の利益のために個人がないがしろにされることは、本末転倒である。ここで言う「目標」とは非常に多面的な意味を持つ。個人の「目標」の場合、精神的充足感、物質的利益など様々。個人は集団の中で独自の「目標」を持っている。それと集団の目標が衝突すると問題が生じる。「リーダーシップ」とは特別な能力ではないと言う。誰でもリーダーシップを発揮する能力を持つ可能性はあるという。なぜなら、個人の「リーダーシップ能力」とは状況や環境において大きく異なるからである。現在、僕が手伝っている組織では、個人の「目標」と組織(集団)の目標との間に乖離が生じている。“最近の若者は自己中心的になった。幼稚である。”ということが良く聞かれる。見方を変えれば、個人と集団の目標を調整する「リーダーシップ」がないからではないかと思う。責任回避のためか、或いは他人に無関心なのか、「リーダー」なる立場に立つのを嫌がる傾向が人々の中にあるのは事実だ。

明日は試験。平常心で取り組もう。。

*1: Hopmann, P.Terence. 'Bargaining and Problem-solving: Two Perspectives in International Negotiation', In: Cracker, Chester, et al., 'Turbulent Peace: the Challenges of managing international conflict'. US-Institute of Peace Press, 2001. pp.445-468.

2004/5/24(月) 飽きてきたけどそれでも試験勉強、試験会場、日本の本@図書館

朝食兼昼食を大学の食堂で食べる。最近、本当に食事を作るのが面倒になってきた。生きるために一番必要な「食事」をかなりないがしろにしているような気がする。

その後、カフェでスタンプが溜まったカードでカプチーノの特大サイズをタダで注文。平和学科の建物のラウンジで一服しながら資料を見る。1時間ほどそこで軽く勉強した。ラウンジでは、ほかの学生も試験勉強をしていた。友達に、“今は何を勉強しているの?”と聞かれたので、“軍備軍縮”と答えた。“わたしもー”と言われる。気になったので、みんなどんな勉強の仕方をしているのかを聞く。勉強方法は人様々。ひたすら資料を読んで、リストに書き出す人もいれば、過去問を解く人もいる。気になったので、“試験で何ページくらい書く?”と聞いてみると、“2〜3ページくらい”だそうだ。僕と同じ。ある人は、前期の試験で48という点数を取ったと言う。“ネイティブなのにそんな点数を取ったのか…”と正直内心で思う。と言うことは、ネイティブと同じだけ回答の量は書いて、60とか65の点数を取れている僕と言うのは、結構ちゃんと出来ている人なのかもしれないと思った。ある意味安心。ちゃんと勉強しようという気になった。。

平和学科のオフィスで二日後の水曜日に軍備軍縮の試験が行われる「Communal Dance」という場所はどこかなのかを聞いた。これまで聞いたことのない場所だ。「Dance」というから、もしかしてパブや週末にディスコになる学生ユニオンがあるCommunalBuildingのことかと思っていたら、本当にそうだという。で、「Communal Dance」は、やっぱりディスコ会場にもなる場所らしい。そんなところで試験をやるのか…。ちなみに、ほかの科目では「Communal Coffee」という場所が試験会場になっている。カフェで試験ということなのか?!想像がつかない…。とりあえず、明日は場所を確認しておこう。

その後、図書館へ行く。適当に場所を見つけて、勉強を開始するつもりが、日本語の本を読み始めてしまった。ブラッドフォードの図書館には日本語の図書がある。建物一階(日本で言う二階)の一角にきっと寄付であろう日本の本の棚がある。専門書もあれば、漫画やさくらもものこのエッセー、イギリス留学案内やTOEIC対策本、なぜかチャート式の数学Tの学習参考書があったりする。で、講談社の『集団の心理学』という本が気になり30分ほど読書。専門書というわけではないので、とても読みやすくて面白かった。縦書きの本を読むのも久しぶりだ。

読書後は試験勉強開始。軍備軍縮の過去問を解く。既に何回も解いてみたけど、書けば書くほどアイデアが出てくる。だから、何度も繰り返して一番良い回答を見つけなければ。そんなことを3時間ほどする。集中力も切れて、体力もなくなってきたので、とりあえず帰宅することにする。時間は6時だった。簡単に夕飯を食べたり、日本のNGOの友達とチャットで少し打ち合わせ。その後、また勉強開始。大学のメーリングリストで回ってきたアメリカのミサイル防衛システムに対する批判の新しい資料が発表されたということを知る。それをダウンロードしてプリントアウト。また新しいアイデアが増えた。この資料の内容を使えば、かなり立派な議論を回答で書けそうだ。

今日は、チャットで日本の大学の友達が帰国祝いの焼肉パーティーについて進展状況を教えてくれた。帰国日当日にパーティーを開いてくれることになりそうだ。。成田に到着するのは午前。一度家に帰って、身なりを整えてから大学に行こうと思っている。うーん、ホントに嬉しいな。そういう優しさに感謝感謝。。それを糧にちゃんと勉強をしなければ。。

2004/5/23(日) 飽きてきたけどやっぱり試験勉強

すし太郎今日は、午前中に「ちらし寿司」を作った。ご飯を炊いて、そこに「すし太郎」を入れる。ちょうど二人前。お酢が嫌いなので、普段は積極的には食べないけど、食材消費週間なので仕方がない。

お昼から図書館へ向かう。勉強。ちゃんと問題を文章に書いて解いてみる。手が疲れた…。書くアイデアはある。どんな文章が「それらしい」のかを模索。もちろん、過去問と同じ問題が出るはずはないので、ある程度は頭を柔軟にしておく必要はある。だから、重要な論点を忘れずにちゃんと記憶。

エッセーとは違って、論述試験は基本的に「暗記」だと思う。出題内容も授業で触れた内容の範囲内なので、11回の講義なので、単純に計算すると11個のテーマ。軍備軍縮の授業では、核兵器、生物兵器、化学兵器、レーザー兵器、宇宙の軍事化、ミサイルの拡散、小型武器・小火器、アメリカの近年の軍縮政策、アメリカの核政策決定が中心的な話題。正直、試験対策と割り切ると、歴史の浅い生物化学兵器、ミサイルの拡散、小型武器小火器、アメリカの政策関連が勉強しやすい。PaulRogersには悪いけど、彼の専門の核兵器は苦手です…(わざわざ看板教授の授業を受けている意味ないかも)。

2時間ほど図書館で勉強して帰宅。帰宅後も勉強をダラダラとする。でも、ほとんど進まない…。あぁー、飽きたっ!と大きな声で言いたい。とは言うものの、「飽きた」と思うほど、試験に対して自信があるわけでもない。そういう自信のある「飽きた」ではない。単に飽きただけ。

夜は、テレビを見ながら、パソコンを使って模範解答を書いてみる。手書きより楽だけど、本番ではパソコンで書くみたいにスラスラとは書けない。スペルの記憶が怪しい単語の場合は、工夫して表現を考えないといけないし…。とりあえず、明日も勉強は続けよう。ダラダラでも続けることが大切だ。継続は力なり。これモットーのひとつ。

昨日メールをくれた留学から帰国した高校の友達がこんなことを言っていた。“一年間の一人暮らしになれてしまって、実家での親付生活が少しうっとうしいと感じています。” 確かにそうかも。僕は、一人暮らしは今回が初めて。一人でいるのは別に苦痛じゃないので、かなり気楽な一人暮らしになっている。食事を作るのが面倒なくらいで、それ以外には今のところ特に問題はない。この前一時帰国したときも、実家での生活が少し面倒くさくも感じた。東京に帰ったら一人暮らしをしたいかも。でも、都内に住んでいて、都内の大学に通うなんてお金の無駄とも思う…。そうは思っても、一人暮らしは気楽でイイ。。(食事の問題が解決されれば尚良い)

2004/5/22(土) 飽きてきたけど試験勉強

今日も試験勉強。軍備軍縮。とりあえず、本番を真似て「書く」ことにする。でも、あんまりやる気が出ない。昨日書いたりしたマインドマップをみながら回答を書く。とても面倒くさい…。本番のような緊張感がないので、やっぱり書いていて面倒くさいと感じてしまう。集中力も持たず…。数行書いては休憩ということの繰り返し。別に書けないわけじゃない。やる気になれば書ける。ただ、書こうという意思が弱いだけ…。でも、試験まであと4日。そう思うと、やらなければ!と思う。そんなダラダラとした時間が過ぎていった。

途中、近所にビスケットを買いに行く。こちらに来てから、いつもチョコチップ入りのビスケットを食べている。これ美味しい。インスタントのカプチーノと一緒に食べながら勉強。これ基本。僕はいつも何かお菓子を持っている。特にチョコレートが好きだ。どこに行っても、みんなに“いつもお菓子食べてるよね”と言われる。そういうキャラらしい。間食が多い。でも、太ってはいない。細い方。勉強すると脳を使う。脳を動かすには糖分が必要。だから、お菓子は大切。この三段論法である。

今日は、三食とも日本そばだった。日本から送られてきた日本食を消費しよう週間なので、今日はソバ。キッチンでそばを茹でようとしたら、イギリス人のフラットメイトPaulに“それは何?”と聞かれる。“じゃぱーにーずぬーどる!”と答えると、“靴ひもみたい”と言われた…。そんな風に見えるらしい、日本そばは。。

夜も勉強を続ける。とりあえず、机には座っているけど、特に何もしていない。マインドマップを見てみたり、過去問を見ていたり。回答を書いてみたりも少しする。

そんな感じで時間が過ぎていると、友達から電話がかかる。軍備軍縮に関しての質問。ネット上で手に入る資料を教えてあげたり、どうでもいいことを話したり。気分転換になった。

寝る直前になって、日本の大学の奨学金報告書のことを思い出した。合計3回書かないといけない。一回目は前期終了後に提出。2回目の分は、後期終了後に書く予定。でも、ちょっと書いてみた。3回目は、きっと帰国後かも。一応、それなりの大金を苦労もなくもらってしまったので、報告書くらいはちゃんとしたものを書かなくては。。

オーストラリアに留学していた高校の同級生からメールが来た。先週日本に帰国したとか。。チャットをしようと思ったけど、技術的な問題で出来ず。残念。

明日は、図書館にでも行って勉強しようかな。。きっと、自室にいるのがいけないのかも。

2004/5/21(金) 飽きてきた試験勉強、新しい生活に向けて…

今日はお昼から活動開始。とりあえず、朝食兼昼食のため、大学の食堂に行く。寮の冷蔵庫にあまり食べ物がないので、食堂が便利。イギリスの料理は基本的に美味しくはないけど、最近は慣れてきた。結構頻繁に食堂で食べているけど、こちらに来た当初ほど不味いとは思わなくなった。美味くはないけど、食べられなくはないという感じだ。慣れというのはこわい…。でも、やはり食べ物は日本が一番。これは普遍の定理だ。

今日も一応勉強。来週の水曜日に迫った軍備軍縮の勉強。今日は、1945〜60年の核兵器の発展(Development)について。すでにずっと繰り返し勉強していることなので、新たな発見はない。このところ生物化学兵器とレーザーなどのエネルギー兵器と宇宙兵器に集中していたので、核兵器にまったく手をつけていなかった。あまり核兵器に興味がないのが理由でもある。そんなに好き好んで熱心に勉強したいと思う内容ではない。なぜなら「核兵器への恐ろしさ」というものを感じることができないから。でも、一応、試験対策と割り切って勉強する。

これまでにすでに調べてまとめた論点を再び書き出す。マインドマップなどにして表現してみると、なんだか大した論点ではないような気がした。で、ためしに文章を書いて解答のシュミレーションをしてみた。すると、意外と論点が貧弱そうに見えたにも関わらず、文章にしてみたらかなり長いものとなった。これなら本番でも、見た目は立派な回答が書けそうな気がした。

と、そんなことをしていたけど、やはり飽きてきた。前期もそうだったけど、試験準備というのはかなり単調で、同じことの繰り返しになる。すでに学んだ内容を反復しているだけでなので、特に新しいことは出てこない。これが退屈だと僕には感じる。新しいことを学びたい。それが今の僕の欲求かもしれない。今日は、本屋で試験勉強とは関係のない本を買った。『Conflict Mediation Across Cultures』という文化的違いを中心において紛争調停に関する本。気分転換に本の冒頭を読んでみた。そこに面白い言葉があった。「知識を得るとは、それまでの自分の中にある偏見や前提が崩されることである」。確かにそうだ。まさに僕が勉強が楽しいと思えるときは、このような瞬間だ。だから、試験対策の勉強はそんな経験を自分にもたらさない。なので、退屈だ。

最近僕が興味を持ち始めた分野は、哲学や思想だ。前期では、「人権」の授業で様々な思想体系を学んだ。もともと思想系は嫌いだったけど、この人権の授業を通して学び始めた様々な思想はとても面白かった。そして、後期に入ってからもナショナリズムや異文化コミュニケーション論などで、様々な思想に触れることになった。もちろん、僕の興味の中心にあるのは(広い意味での)「紛争」だ。“なぜ人は喧嘩をするのか?”。そんな単純な疑問だ。この疑問への答えは様々。でも、中心にあるのは、やはり人々の思想だ。思想とは、全く難しいものではないものだとブラッドフォードに来て知った。「人間の物事の見方」。これが思想だ。その思想が対立したとき、人々は紛争を起こす。では、“なぜ人は喧嘩をするのか?”という問いへの回答として、「思想」を学ぶことが必要ではないか。そう思うようになった。「オレたちは一生分かり合えない」などという捨て台詞で「対話」を拒否したり、断絶したりする人が世の中には多い。僕はそんな風には思わない。それはただ相手を理解する努力を放棄しただけだ。「思想」を学ぶだけでも、「異なる者」と自分が思っている人間に対して理解をしようという姿勢が少しでも生まれる。だから、やはり思想は大切だ。他者を理解し、寛容になるステップとして、思想を学ぶことに意義はあるだろう。

あと、3週間ほどすると、僕は日本に帰る。また、新しい生活が始まる。去年までいた場所に戻るだけだけど、きっとそこにいる人間も環境も変わっているだろう。もちろん、変わらないものもあるに違いない。そこで僕は何を始めようか。そのことも考えなければいけない。何も計画を立てなくても物事は進んでいくけど、何か楽しいと思いたいなら自分で行動を起こさないといけない。何が僕にとって楽しいのかな。。とりあえず、思想を勉強したくなった。日本に帰ったら、それをまず始めるかもしれない。出来れば、また別の国の大学で勉強したい。学ぶ「環境」は大切。日本で足りるならそれで構わないけど。日本の大学の交換留学に申し込む資格は僕にあるのかな…。奨学金はいらないから、授業料免除になる海外の大学に行きたい。。無理かなぁ〜。

勉強って、すればするほど、いろんな興味や好奇心がわいてくる。その興味や好奇心をすべて満たすことは出来ないし、満たしたとしてもまた新しいものが出てくる。きりがないものなのかも。「自分が疑問に思うこと、悩んでいることを考える学問がある」という関わっているNGO代表の言葉が気にかかる。自分の悩みや疑問を解決する方法として、僕には勉強があるのかもしれないとさえ最近は思うようになった。寿命はいくらあっても足らないな。。自分は、いつまでこんなことを言っていられるのだろうか。。学生って、本当に幸せな身分だ。勉強できる環境でしないなんて、本当にもったいないと思う。自分自身のことを勉強と関連付ければ、どれだけ楽しいことか。。そんなもったいない生活を日本で送ってしまいたくない。あぁー、何をしようかな、帰ったら。。とりあえず、大まかな行動計画だけは決めておこう。あとは、成り行きで通りがかった船に乗れたらそれでいい。。

2004/5/20(木) 日々是勉強、日本代表vsイングランド、BBCの社歌

今日も昨日に続き勉強。今日は軍備軍縮について。もうほとんどずっと同じ作業を繰り返しているだけ。すでにまとめた論点をマインドマップに書き出す作業。必要なアイデアやポイントを忘れないようにすることが目的。実際に文章を書く作業は、それほど重要ではないかもしれないと思うようになり、あまり積極的には行っていない。書かないよりは書いた方がいいけど、結構な集中力と体力がいる。書いてばかりいてもただ疲れるだけでもあるので、マインドマップに取り組んでいた方が有効かもしれない。正直、「書く」のは比較的簡単。それは単なるテクニック。大事なのは内容。だから、アイデアの整理と理解の方が優先順位は高い。

日本人学生のM子さんからメールで6月1日にマンチェスターで開催される日本代表対イングランドの国際親善試合のお誘いをもらう。チケットが余ったらしく売ってくれるらしい。彼女は日韓共催ワールドカップでは、来日した外国人に「日本を体験」させるための団体を設立した人。サッカーは好きらしい。で、一応、僕もワールドカップ元関係者。JAWOCという日本の組織委員会に関わっていた。正直、サッカーとかスポーツは興味ない。ベッカム、中田英寿、三浦和義(古っ!でも、僕がザグレブ(クロアチア)に滞在していたときは、彼はとても有名でした)くらいしか知らないスポーツ音痴。でも、イベントは好きだ。せっかくの機会なので、行かなくては。フットボールを見ずして、在英日本人は語れない。。ネットで調べたら、この試合のために旅行会社がツアーを組んでいたりする。。大体20万円前後の費用がかかるらしい。ブラッドフォードからだと、コーチで移動費2000円、チケットは4000円。合計6000円くらい。ちょっと得した気分。でも、1日は試験最終日だ。。

BBCのAsia&Pacific欄を見ていたら、日本発の面白いリポートを見つけた。マジメと言えばマジメな内容だけど、“そこに食いついたかっ!”という内容でちょっと面白い。内容は、日本の企業で社員の愛社精神を育成するための「社歌」が復活しているというもの。で、リポートで紹介されている会社のひとつが「日本ブレイク工業」。確か、この企業はテレビ朝日の「タモリ倶楽部」でそのナントカ戦隊風の社歌が面白いと取り上げられて、ネットでブレイクし、CDも出し、ふりかけなどの関連商品も出したという、かなりマニアックな会社だ(ちなみに、この企業は「解体業」)。そんなマニアックな、2ch並みの話題に、BBCが食いついたと思うと、なんか面白い。で、レポートでは、特派員が依頼してBBCの社歌が完成している…。

レポート::『Japanese revive company songs』(ビデオでも見られる)
BBCの社歌(日本語):『BBC's company song』 (かなりイケてます)

2004/5/19(水) 意外と爽やか、ナショナリズム勉強

今日はお昼から来年度の日本人IVSP留学生と待ち合わせをして、食堂で話をした。メールで事前に連絡をしていて、何度かこのサイトも見てくれていたようだった。

話をしていると、“意外と爽やかなんですねぇー”と言われた。「意外と」ということは、今日までは爽やかではないイメージを僕に持っていたようだ。確かに、この日誌だけ読んでいたり、返事のメールなどは、ちょっと冷たいというか、暗そうな感じが自分でもする。ということで、僕と面識のない人は、きっと僕のことを「爽やかではない」と思っているのだと知った。で、さらに話していて、“帰国したら何をするんですかぁー?”とも聞かれる。特に何も考えていないので、”なんとなく成り行きで、なんとなく決める”などとと答えたら、"意外とテキトーなんですねぇー”と言われた。「意外と」ということは、今日までは適当でないイメージを僕に持っていたようだ。

自分が人からどんな風に思われているのかがちょっとわかった。でも、周りの人が思っているほど、僕はそんなに難しいことも考えていないし、そんなに計画的な人間でもない。気分屋でもあるから、気が変われば行動も変わる。自分ではそんなに頭の固い人間ではないと思っている。もちろん自己イメージと他者からのイメージは違うものだけど。でも、良いイメージが悪いイメージに変わるよりは、悪いイメージが良いイメージに変わった方がいいだろう。

4時過ぎから図書館へ行く。2時間ほどナショナリズムに関しての勉強。「ナショナリズム百科事典」なる本を片手に、講義のプリントを使いながら勉強。6時過ぎに帰宅して、夕食を食べ、洗濯をする。その後、また勉強。勉強時間は短いけど、結構はかどったような気がする。

2004/5/18(火) テレビ電話、勉強@図書館、ナショナリズムExamRevision

図書館へ出かけようと思って部屋を出ようと準備をしていたら、ふとSkypeでオンラインになっている友達を発見。一言声を掛けて出かけるつもりだったのに、他の友達がWebカメラを買ったということで、その人を交えてテレビ電話をすることになった。30分ほどで終えるつもりだったけど、1時間半も話してしまった…。技術の発展はやっぱりスゴイ。面白い。意味も無く、徒然なるままに話をしたり、カメラ越しに身の回りのモノを見せてあったり。ホントに意味無いことをしてしまった…。自分から声を掛けているのだけど。。

その後、図書館へ行く。よく考えたら、もう26日の軍部軍縮の試験まで1週間をきっていた。だから、試験モードで勉強しなければ。図書館に行くと、どこの席もいっぱいだった。日本と同じで、いつもは空いている図書館も試験間近になると混む。万国共通。なかなか自分の場所を見つけられず(←最近、こう言う人が多いですが)、やっとのことで空いている席を確保。回りを見ると、僕と同じように自分の居場所を捜し歩く学生がいた。

もう資料の整理などはしないで、試験問題を手書きで書いて、本番のような対策を始める。大体アイデアは頭の中で整理できていると思ったので、本番のようにどれだけそのアイデアを思い出せて、同時に文章に出来るかというシミュレーション。とりあえず、ブッシュ政権発足後の軍備軍縮政策の変化について書いてみた。中心的なアイデアが少ないトピックなので、書きやすかった。とりあえず、15分ほどでA4用紙3枚程度にまとめられた。

そんな風に勉強していると、突然声を掛けられる。中国人の学生が中国語で声を掛けてきた。英語じゃなかったので、一瞬何を言っているのか分からず声が出なかった。キョトンとしている僕を見て、気が付いたのか、彼は英語で僕が荷物を置いていたイスを借りてもいいかと聞いてきた。今日の教訓:「東洋人を見ても、中国人と思うな」。確率的には中国人である場合が高いけど、そうでない場合もある。注意されたし。

勉強をしていたら、吹き抜けの天井から見える天気の良い空を眺めてしまった。ちょっとボーっとしてしまった。久しぶりに「手書き」をしたので、すぐに疲れた。お腹も空いたので、図書館を出て売店へ行き、チョコマフィンとアップルジュースを買って、休憩。とても天気が良くて暖かい日だったので、みんな図書館隣の芝生で寝転がったり、BBQをしていた。授業はもうないし、エッセーも出したから、みな開放感に浸っているのかもしれない。

午後5時からは、ナショナリズムのExamRevisionという、一種の試験対策講座。セミナーチューターが授業で習ったナショナリズムの理論をそれぞれ簡単に説明して、質問も受け付けるというもの。わざわざ試験のためにこんなセッションを開く大学って、親切なのか、それとも試験で落ちる人がそんなにいるのだろうかと思う。普段は、「自習」を学生に要求しているけど、一応こういうことも行って勉強のお手伝いのつもりなのだろうか。やっぱり、イギリス人の考えることはまだよく分からないな…。

2004/5/17(月) トモダチ、料理、軍縮勉強、ブラッドフォード大学での勉強

朝遅くに起きてメールチェックをすると普段よりも多くのメールが来ていた。少ないけれど、何人かの友達には帰国の日程を教えていた。すると、帰国したらお祝いの会を開いているくれるという。この前、一時帰国したときに食べた焼肉のことをしつこく話していたら、その帰国祝いを焼肉屋で開いてくれることになった。日本の大学の友達で、中国人、韓国人の留学生も来てくれるそうだ。焼肉屋は、韓国人の友達の推薦で新大久保(東京)の美味しい店になるらしい。さすが。。アメリカに留学していた友達も既に帰国していたり、今年の夏からイギリスへ留学する友達もいる。とりあえず、焼肉で交流を深めよう。。

お昼から料理をする。気分転換。スパゲッティミートソース。最近、買出しに行っていないので食材が少ない。トマト缶と玉ねぎとひき肉があるので、調味料を使って作る。一度作っておくと、一日と半日はパスタで生活することになるけど…。

今日も軍備軍縮について勉強。試験は、2〜3年向けで、僕が受けるのは2年生の問題。基本事項を押さえていれば、それなりの点数がもらえるということは前期の経験から分かった。2時間の間に3問を解く。一問に45分かけて、600〜800単語くらいの回答を書く。必要な情報を詰め込むと言う感じ。しかも、回答では“自分には知識があるんだぞ!”・“勉強しているんだぞ!”ということをアピールしないといけないらしい。だから、情報を詰め込みつつ、ちゃんと構成も考えないといけない。でも、そんな風に説明されたけど、実際は「建前」っぽい。正直、どんな回答が「良い」のかは分からない。あまり良い点数を取ることを意識して試験に挑んでも、意外と評価が低い場合もある。なので、何も期待しないで、コツコツと勉強して、それを文章にできるように繰り返し練習するしかない。でも、僕はエッセーを書く方が好きだ。一つのテーマについて、色んな資料を探して、読んで、理解して、自分のアイデアを考えながら、それらを文章として表現する。この一連の作業が好きだし、この方が「勉強」した気分になれる。試験勉強は、やっぱり結局、基本的に「記憶して書く」というものであることで万国共通のような気がした。記憶力は良い方なので、別に苦ではないのだけれど。。

ほぼ10ヶ月、ブラッドフォード大学で勉強してきて、色々と気付くことがある。ひとつは、勉強する内容がとっても専門的ということ。特定の分野に集中した学科を持っている大学がイギリスには多いからなのか、日本の大学のように他の大学と学部学科の構成が似通っているということはあまりない。だから、イギリスだと、自分の学びたい分野が特に決まっている人にはある意味嬉しい環境かもしれない。各学期の科目数が少ないからなのか、特定の分野を集中的に勉強できるような気がする。でも、一方で、「平和学」の場合、それがいわゆる「学際的」だからなのか、科目数が少ない割には、何か沢山のことを学んだような気にもなれる。悪く言えば、広く浅くかもしれない。でも、一科目での学びは、日本の大学よりも深いのではないかとちょっと思う。日本に帰ったら、改めて比較してみたいと思っている。

二つ目は、イギリスの大学の1年生について。去年の夏、Pre-sessionalCourseに出ていたときに、授業で「どうしてイギリスの大学1年生は楽なのか?」という資料を読まされたことがある。そのときは、イギリスの大学の実情なんて知らなかったので、“えっ?そうなの?”としか思えなかった。でも、実際1年生のカリキュラムを見てみると、確かに「楽」である。僕は前期に「平和学入門」という1年生向けの授業を受けただけで、それ以外は2〜3年生向けの授業を受けている。その授業と評価の感想から言うと、ホントに「楽」。「楽」というか、「甘い」というのが正しいかも。例えば、提出エッセーの長さも短いし、(他の学年でもそうだけど)エッセーさえ出してしまえば基本的に授業は出なくていい。リーディングリストの量も少ない。ガイジンの僕でも「楽」に見えるくらい。で、最近さらに気付いたのは、イギリスでは、大学在学3年間のうち、学位の評価に直接関わるのは2〜3年生の成績だということ。だから、よっぽど「Fail」の成績を取らない限り(というか、取る方が難しそうだ)、1年生の成績って関係ないのかもしれないと思った。で、いくらでも良い点数をあげてもいいわけだ。。

表面的なことしか知らないので、内情は知らないけど、一見するとこんな風に思ってしまうイギリスの大学。イギリスと日本。どちらが「良い」のだろうか。結局、個人の好き嫌いと相性の問題かもしれない。大学選びは、やはり相性と目的に合うようにしないといけないのかも。。僕は、どっちが好きかな…。今のところ、イギリスの方が好きかも知れない。だって、好きなことを勉強できるから。でも、「勉強」というだけで、他の面では日本にも良い面はあるかもしれない。。両方の良さを知ることは、少しは意味があるかも。イギリスの大学は、ヨーロッパの中では学生に甘いで有名らしい。他の国はどうなのだろうか。。最近、ちょっと気になってきた。

2004/5/16(日) 軍縮勉強、マザーテレサの言葉

夕方から活動開始。軍備軍縮の試験対策をする。40年代から60年代における核兵器の発展について。技術的、政治的観点から短くまとめてみた。

最近、あるサイトでイラクでの人質事件について「自己責任」を論ずる人に対して反論の投稿をした。結局、僕の主張は理解してくれたけど、ひとつ気になったことがあった。それは、人質被害者へバッシングを行う人々が口を揃えて引用するある言葉のことだ。

  • 「大切なことは、遠くにある人や、大きなことではなく、目の前にある人に対し て、愛を持って接することだ」
  • 「日本人はインドのことよりも、日本のなかで貧しい人々への配慮を優先して考えるべきです。愛はまず手近なところから始まります」
  • 「 「汝、隣人を愛せ」とは愛が身近な人々から始まるということであり、日本の貧困を見捨てて海外の貧困を救済するの輩は偽善者なのである。日本人なら、まず 日本人に手を差し伸べるべきである。」

マザーテレサの日本人への提言』(1982)

バッシングを行う人は、これらの言葉を引用して、被害者の活動(NGO・ボランティア活動)を否定している。彼らの活動が偽善であると言う。“イラクの人々のことなど何も考えていない”・“日本にも困っている人はいる。なぜイラク人なのか”などと言う。

マザーテレサがどのような意図で、どのような文脈でこの言葉を残したのだろうか。それが問題である。これは、人質被害者を糾弾する根拠となるのだろうか?

まず、最初に確認しておかなければならない事実がある。それは、マザーテレサは、マケドニア共和国(旧ユーゴスラビア連邦)出身のアルバニア人であり、その後インドに帰化して、貧しい人々、病気の人々を対象とした活動を行い、インドで一生を捧げたということだ。そして、次のような言葉も残している。

「恵まれない人々にとって必要なのは多くの場合、金や物ではない。世の中で誰かに必要とされているという意識です。見捨てられて死を待つだけの人々に対し、自分のことを気にかけてくれた人間もいたと実感させることこそが、愛を教えることなのです。 」(*1)

このようなマザーテレサが今生きていたとして、人質被害者に何と言うのだろうか。“あなたは日本人なのだから、あなたには関係のないイラク人は忘れて、国内で活動しなさい。外国で起きている余計なことには関わるな”とでも言うのであろうか。他国の人々のことを気にかけることは他者への「愛」でもある。直接利害関係のない人々に対して、戦争で傷つき、全く報道されることのない人々に対して、国籍・人種・宗教を超えて活動を行うことをマザーテレサは否定するだろうか。もちろん、そんなことはないはずだ。

僕はこう思う。マザーテレサは、「身近な人間に気を向けることが出来なければ、遠くの人に愛を持って接することは出来ない。身近な人間に優しく出来ないのであれば、遠くの人間にも優しく出来ない。」と言いたいのではないか。そして、特に「援助」や「奉仕」という言葉だけに踊らされている人々に対する戒めであるのではないだろうか。ただ、それだけであって、海外での活動が不要などとは意味していないはずだ。そうでなければ、彼女は自分の活動・一生を自己否定することになる。

このように考えると、このマザーテレサの言葉を引用して人質被害者をバッシングする人は、自ら「身近な人」への愛の無さを自己証明しているのではないか。本当にマザーテレサの言う「愛」の意味を理解しているなら、同じ日本人である被害者に無常で非人道的な誹謗・中傷を行うはずがない。ゆえに、マザーテレサの言葉を引用して被害者をバッシングする人間こそが「愛」を語る偽善者ではないかと思ってしまう。

日本では、NGOやボランティアという市民運動(civil movement)を左翼的だとか共産主義者だとして批判するものが多い。ナンセンスである。少なくとも、ブラッドフォードで学ぶ限り、そのように捉える人間は一人もいない。欧米社会でも誰もいない。国連もNGOを対等なパートナーとみなしている。では、中国や北朝鮮に市民運動があるだろうか。そんな日本での批判は、非常に世界の流れから孤立したものだ。「市民運動」とは、右翼・左翼といった旧来のイデオロギー論だけでは語れない人道的な面も含むものだ。いや、「人道(ヒューマニズム)」というものを日本人は十分議論したことがあるだろうか。

僕がお世話になっているNGOの代表にある言葉を教えてもらった。それは、「死に至る病とは絶望である」(*2)という哲学者キルケゴールの言葉だ。身近な者への愛、遠くの者への愛。それは、絶望の淵に立つ自分のことを気にかけてくれる人が世界にはいるという「希望」でもある。その「希望」こそが人々を救う力ではないか。それは、助ける側、助けられる側という上下関係を意味するわけではないのかもしれない。

人質被害者に「身近な者への愛」があるのか。それは、会ったこともない見ず知らずの人間が語れることではない。しかし、そのことを無視して、彼らをバッシングする人間に、近くであろうと、遠くであろうと、他者への「愛」があるのかと言えば、非常に怪しい。そして、市民運動(活動)とは何か?そんな基本的なことが、日本で今必要とされている議論ではないのだろうか。一連のバッシングを見て、少しでも被害者が可哀想だと思った人がいれば、その人には小さな「愛」があり、「希望」をもたらしたと言えるのかもしれない。

*1: http://www.eva.hi-ho.ne.jp/yasuhiro-goto/teresa.html
*2: http://homepage.mac.com/berdyaev/kierkegaard/kierkegaard_1/kierkegaard17.html

2004/5/15(土) チケット確認、試験勉強、BDの問題

朝起きたら11時だった。寝すぎ…。

午前中に航空会社に電話して、昨日予約した帰国用のチケットの確認を取る。無事ちゃんと取れていた。これで、帰国日程が決定。6月中旬に帰ることになった。詳しくは、必要そうな人には個別に連絡します。。知りたい人は、連絡下さい。そうでないと、突然あなたの前に現れたりします。。

だらだらとして、午後2時から図書館へ向かう。試験勉強のため。今日は軍備軍縮について勉強する。1時間半ほど勉強したら、集中力が切れてお腹が空いてきた。。なので、一度図書館を出て、売店でチョコマフィンとアップルジュースを買う。ついでに、レジのお姉さんに段ボールが買えるかを聞いたら、大学の売店では売っていないと言われる。“そういうものはどこで買えるの?”と聞くと、“買ったことないから分からない”と言われた。…。

その後、また図書館へ向かう。勉強に取り掛かろうとするけど、満腹感で眠くなり、うたた寝してしまった。図書館にいると、よく眠くなる。30分ほど寝る。昼寝は、脳を活性化して、仕事の効率を高めるそうだから、僕は積極的にこの方法を導入している(←偉そうに!)。その後、勉強を再開する。

でも、パキスタン系の学生がこそこそと話し始めて、騒がしくなる。回りの白人の学生はその煩さに腹が立ったのか、すぐに席を変えていた。静かな空間でのコソコソ話と言うのは、非常に気なるものだ。しかも、それが笑い声だったりするので、耳障りを越えて、腹さえ立つ。マナーもへったくれもない。図書館でのパキスタン系の学生の騒がしさは、彼らの評判をかなり落としているような気がする。そういうことに本人たちは気付いているのだろうか。。きっとこういう日常の些細なことが、ステレオタイプなイメージの形成とネガティブな感情の原因なのだと思う。もちろん、彼らの中にも友達はいるのだけれど。

2004/5/14(金) チューター現れず、後期講義・セミナー終了、チケット手配、RedPurge@日本

午前10時からCRISのセミナー。時間がなくて事前のリーディングを読まなかった。なので、一言も発せず、セミナー終了。内容は、紛争解決と和解のジレンマについて。全く入れない話題ではなかったけど、予備知識がそれほどないので、今日はかなり消極的になってしまった。

11時からは、ナショナリズムのセミナーでベトナムのナショナリズムについてプレゼンする…予定だったけど、何分経ってもチューターが現れず。そのうち学生は帰り始める始末。誰も学科に確認しに行こうとしない。“チューターが来ないなら帰る”。分かりやすい…。でも、一応準備してきたのもあるので、平和学科のオフィスに行って事情説明。学生には連絡がなく、他の日にプレゼンをするとか。で、今日はセミナーは中止らしい。話によると、チューターが家の階段で足をつって、痛くて来られないとか。不可抗力らしい。

と、そんな感じで後期の講義とセミナーが終了。2週間後の26日に軍備軍縮、6月1日にナショナリズムの論述試験がある。それまでは自由時間。試験対策期間でもある。あんまり試験対策が進んでいない気もする…。本腰を入れなければ。

今日は、試験後の旅行日程が決定したので、それにあわせて日本への帰国便の手配をする。オープンチケットなので、既にチケットはある。出発日を決めるために、ロンドンにある航空会社に電話。この手の手続きは全く知らないので、何をどうしすればいいのか分からない。とりあえず、電話に出たオペレーターに自分のしたいことを伝える。で、チケットに書いてあるナントカを教えてくれと言われるけど、見つからない。すると、近所の旅行会社で教えてくれると言われる。なので、一度キャンパス近くのSTAtravelに行き、アドバイスをもらう。で、その後、また電話。普段は、電話での会話はあまり得意ではないと思っているので、メールで事が済むならそれで済ませていた。でも、今回は電話しないといけない。ロンドンの英語だからなのか、とても分かりやすくて、普通に会話できた。ヨークシャー訛りじゃなくて良かった。。

STAtravelで、ピースの学生にあった。木曜日のCCRの授業とセミナーで一緒だったイギリス人の女の子だった。イギリス人には珍しく、シャイではにかむ子だ。雰囲気が妙にイギリス人らしくない。で、話をしていると、夏にクロアチアにボランティア活動をしに行くらしい。。こんなところでクロアチア仲間を発見!クロアチアには行ったことある?とか、クロアチア語は勉強した?とか色々と聞いてみる。。やっぱりヨーロッパ人にはバルカン半島は今でも関心が高い地域みたいだ。

日本のニュースを見ていると、年金未加入・未納問題がもはやRedPurge(赤狩り)的な状況であると感じた。有名な政治家やジャーナリストが年金未加入・未納で、「謝罪」している。もちろん、建前上“みんなで決めた法律は守らないといけない”から、大きな顔して“私は払っていません!”とは言えない。法律を作っている政治家はもちろん、そういう人の未加入・未納を批判するジャーナリストなら社会的期待は大きい。でも、辞職した前官房長官は、“払わなくても、罰則はないんだから、犯罪じゃない”と述べたし、未加入・未納が判明した首相も「任意」加入の時期に加入していないことは別に悪くない、と言っている。だから、結局、年金が未加入・未納でも、誰も謝る必要はない。前官房長官・現首相がそのように言っているのだから。ある意味、未加入・未納者に対してお墨付きを与えている。というか、墓穴を掘っている。なぜなら、「国民みんなで助け合う年金」というスローガンと前官房長官・現首相の発言は矛盾するし、明らかにダブルスタンダードだから。結局のところ、一般感情からすると、政治家(それ以外の人間はそんなに重要ではないと思うけど)の未加入・未納は、「道義」の問題なのだ。

で、そんな一般感情の憂さ晴らしなのか、それともネタとしてスクープし易いのか、なぜか今の日本のメディアではRedPurge花盛りだ。“次は誰が払っていないんだぁ〜?”とメディアは必死になって「未納兄弟」を見つけ出そうとしている。新たな兄弟を見つけては、“ほらぁ〜、こいつも払ってなかったよ。ぷぷ。”と言わんばかりのさらし者状態。そういう報道が無駄だとは思わないけれど、いつまでこれが続くのかとも思う。

そんな「兄弟」を増やされても困るし、そもそもキリがない。年金払っている=善/年金払わない=悪。問題の本質はそんな単純なことではないないだろうと思う。別に未納兄弟を擁護するわけではないけど、「うっかり」だろうが、「意図的」だろうが、そんな「兄弟」が増え続けている現状は、色々な意味で年金制度に「構造的問題」があるわけで、それを是正しないことには話は始まらない。“制度が悪い”。これは、多分、きっと、間違いなくそうなんだろう。ナントカ年金にナントカ年金が上乗せされて、かつ業種によってナントカ年金という種類になる、というのはホントに分かりにくい。でも、とりあえず、会社員や公務員は源泉徴収で、さらにその保険料は値上がりして、受給料は減る。極めつけは、そんな切迫した財政状況なのに、高級官舎を作ったり、赤字続きのレジャー施設を存続させたり、はたまた(何の目的かは知らないけど)株式投資に失敗して、年金の運用資金を無駄に使っている(政府にとっては、邦人人質の生命を守るための救出費用は無駄で、こういう税金の使い方は無駄じゃないらしい)。おまけに所管官庁の長は、汚職事件で逮捕。こんな中で、選択肢は二つしかない。1.制度が不備で、それを信用できないで不満だから、「払わない」。2.制度が不備で、それを信用できないで不満だから、みんなが納得して年金を納めるようなものに「是正」する。世論がそういう話題に注目する方が健全であって、今のRedPurgeは建設的ではない。本当に国民に対して申し訳ないと思っているなら、「兄弟」呼ばわりされている政治家たちは、その兄弟愛で一致団結して、年金問題の解決に努めればいいじゃないか。そうすれば、支持率は上がるだろう。これは、誰も「泣かない」結果になるとと思うけどな。メディアはもっとそいうことを伝えるべきだ。とは言うものの、この問題をきっかけに年金制度を調べることにもなったので、少しはためになったような気もする。でも、年金を払うべきなのか?という疑問への答えが出ているわけじゃない。

ところで、自衛隊のイラク派遣問題はどうなったのだろうか。「人道支援」や「国際協力」とは何か?という議論がされたのか。もうみんな飽きてしまったのだろうか。。某ネット掲示板の話題じゃあるまいし、そんなことでいいのだろうか。イラクの人質への自己責任批判でもそうだったけど、どうしてこんなに全体主義なのだろうか。見ているだけで気味が悪いくらいだ。。結局、この「兄弟騒動」も一通り騒いでみんな飽きてしまうのかも。きっと次は北朝鮮拉致問題の進展にメディアや社会の関心は移っていくのだろう。で、忘れたころにイラクの自衛隊に何か問題が起きたりして、注目が移る。そんなことの繰り返しかも。でも、何も問題は解決していない。問題の本質(構造的問題)を議論しないで、それを解決しないまま、論点のズレタところで騒ぐ。それって、意味ないと思うけど。

2004/5/13(木) 意外と親切な大学、「平和学」、対人コミュニケーション、荷詰め

今日はCCRの授業は、講師のRhysKellyが親戚のお葬式だそうで、休講。日本の大学だと休講は珍しくないけど、こちらではかなり珍しい。

午後1時半から、軍備軍縮の試験に関する説明がPaulRogersにより行われる。Exam Revision Sessionとかいう大そうな名前である。中身は、試験の内容、どのように準備して、どのように回答すべきかなど、結構詳しい。というか、とても親切に教えてくれる。メールでも試験の受けた方に関する案内が回ってくるくらい。そんなにしつこく説明しないと、試験に落ちる人がいるのだろうか…。前期は、ホントにうるさいくらい試験の準備は云々と説明を受けた。学生のメンタルな面まで気にするほどだった。普段は、あんなにほったらかしなのに。。でも、実際はそんなこと言われなくても、自分で適当に勉強方法を見つけて、無事試験を乗り越えたけど。ガイジンの僕でも何とかなるんだから、イギリス人には必要ないだろうに。。ちなみに、PaulRogersは近日日本に行くらしい。だから、試験に関する質問はもう出来ません、と言われた。多分、ロタリー関係だな。。

その後、午後2時からCRISの講義へ。もう学生は殆どいない。今日は、コースアウトラインには予定されていない企画。平和学科の講師による「Constructing Peaceful Communities」について。北アイルランドとパレスティナに実際にある「平和的なコミュニティー」の紹介。今日プレゼンをしてくれたある講師の話は面白かった。というか、僕が思っていることにとても近くて共感が持てた。“平和学なんて、それを現実で実践しなければ意味がない。時間の無駄。”・“紛争解決学を学んだからといって、紛争なんて解決できない”などなど。

僕は、“平和、平和”と言う人が苦手だ。世界平和の実現が云々と言う人がいる。それはそれで良い志だとは思うけど、やはりillusionの域を超えられないものばかりだし、全く現実を知らないで、或いは、知ろうとしない(勉強しない)で「平和」を叫んでいるように聞こえ、虚しくも感じる。“人のために何かしたい”という人も多いけど、どれもこれも自分の能力や限界を知らないで、気持ちだけが先行する感もある。そもそも「平和」とは何か?という問いや“人のため”が“誰のため”なのかもはっきりしないのに、そんな話をしてもやはりillusionなのではないかと思ってしまう。こんな風に言うと、「冷たい人間」のように思われるけど、実際に少しでも行動に移してみればそれは誰でも気付くことだ。

こんな風に思っている僕には、今日のCRISの話はとても共感を持てた。勉強だけでも不十分だし、ただ「現場」へ行くだけでも不十分だということを改めて知った。じゃあ、自分は何をするのか?と思う。とりあえず、今は勉強。学生の僕に出来ることは数少ない。でも、今出来ること、今自分に必要だと思うことに取り組む。緒方貞子も言っている。本当に平和のために何かしたければ、学生は勉強しないさい、と。僕も、平和、平和と叫ぶよりも、そうすることの方が大切だと思っている。「無知」は自分自身が恥ずかしい思いをするだけじゃない。ときに人を傷つけることもある。それをもっと多くの人が気付くべきだ。

午後5時からはCCRのセミナー。異文化間のミラーリングイメージについて、2〜3年前にブラッドフォードで怒ったパキスタン系と白人住民の間での暴動を例に、パキスタン系、白人、警察の視点から、それぞれのステレオタイプなイメージを考えようというもの。結局、どの主体もお互いに同じようなイメージを持っていることが見事に証明される。ちなみに、エッセーでこの分野に関して勉強したので、かなり興味はある。対人コミュニケーションを勉強することは、他人を理解するとともに自分を理解することにもつながる。どういう状況で、何が原因で、人間は人間を憎んだり、好きになったりするのか。それは、やはり「紛争」の根本的な問題であると思う。そして、冷静にそんなことを考えられるようになれば、自分自身の心理を理解出来るし、感情をある程度コントロール出来るかもしれない。何事にも動じない、落ち着きのある人間になる第一歩だと思う。自分自身に余裕があれば、何事にも寛容になれるはずだし。そういう人に私はなりたい。。

今日は、昨日に引き続き日本へ送る本を入れる段ボール箱を確保した。大学の廃品回収部署で、段ボールを探す。数十キロあるだろう本を入れても丈夫な段ボール。適当なものを3つほど確保。帰宅後、早速詰めた。今日までに全部で段ボール4箱。帰国準備はボチボチだ。でも、まだ本や資料はある…。送料だけかなりの費用になるかも。

2004/5/12(水) 小型武器、打ち合わせ、試験勉強順調、パソコン褒められる、寮追い出し日。

午前10時からは軍備軍縮の授業。ここ数週間は、平和学科の看板教授PaulRogersは講義をしていない。助手に任せきり。別に不満はないけど。今日は、小型武器に関して。前期の1年生向けの平和学入門の授業で、小型武器に関するエッセーを書いた。なので、十分理解している内容。なので、途中で飽きてしまった。

その後、金曜日のセミナーでのベトナムのプレゼンのための打ち合わせの資料を取りに寮へ戻る。すぐに資料を取って、近所でハンバーガー買ってから、平和学科建物の共有ルームへ向かう。12時から、友達と3人で打ち合わせ。とりあえず、それぞれがリサーチした各年代のベトナムにおけるナショナリズムの特徴を各自が2分を掛けて説明することで合意。本番は金曜日だ。

その後、本屋で本を一冊購入。日本へ送る本を入れるためのダンボール箱をもらえるかを本屋で尋ねたら、商品返品のために使うからあげられないと言われる。う〜ん、では、どこかでダンボールを探してこなければ。。

そして帰宅。今日は試験勉強が結構はかどった。ナショナリズムに関しては、既にある程度資料をまとめていたので、そのメモに従って過去問を解いてみた。そこそこ、それなりの回答が書ける。この調子でがんばろう。よく考えると、軍備軍縮の試験は26日。もう2週間しかない。焦らなければ。。

勉強途中、カプチーノを作るために部屋を出ると、向かいの部屋のドイツ人のフラットメイトに出くわす。で、“パソコン持ってる?”と言われる。もちろん、持っているので事情を聞くと、USBメモリの内容をメールで自分宛に送りたいとか。ということなので、部屋に呼んで僕のパソコンを使わせてあげた。で、僕のパソコン(ThinkPad x30)を見るなり、“ちっちゃいねー、いいねー、これー”という。日本人の小型化技術が褒められました。。たしかに、こちらで売っているノートパソコンは、A4以上の大型のモノが多い。日本だと、僕が使っているA5サイズのパソコンはいくらでもあるけど、こちらでは珍しい。みんな数キロありそうなノートパソコンを持ち歩いている。でも、日本人にはA5サイズでも問題ないと思うけど、手の大きいこちらの人間には入力が面倒そうで、あまり売れないだろうな。。

今日は、大学の寮の担当部署に送ったメールの返事が来た。寮を引き払う手続きの問い合わせ。すると、寮は6月12日までに出ないといけないらしい。知らなかった。6月いっぱいいられるものだと思い込んでいた。で、旅行を計画中で、11日にブラッドフォードに戻る予定。ぎりぎりだ。12日を過ぎると、僕は家なき子だ。ということは、帰国のフライトも12日前後に調整しないといけない。早く決めちゃわなくては。。とりあえず、日本から持ってきた日本語の本をダンボールに詰めてみた。結局、読まない本ばっかり。わざわざ日本から持ってくる必要はなかった…。送料確認のために、今日詰めた本だけでも日本に送ってみようかな。。

日本の友達からチャットで話しかけられた。相当酒に酔っているらしく、文章の日本語がおかしい。普通、酔うと呂律(ろれつ)が回らなくなるけど、チャットだとキーボードでの入力が覚束なくなるらしい。なんか面白い。。

2004/5/11(火) ナショナリズム講義、勉強のコツ、帰国準備の手始め

昨晩は、ベッドに入ってからテレビをつけると、日本映画『バトル・ロワイヤル』が放送されていた。これまで観たことがなかったので、ついつい観てしまった。イギリスでは、外国映画は字幕放送が中心。なので、『バトル・ロワイヤル』も字幕放送で、それ以外は全て日本語。日本語はもちろん理解できるけど、ついつい英語字幕を見てしまう。僕は、日本で映画を見るときも、日本語字幕を読みながら、英語の台詞を聞いてしまう。どちらも同時にある程度理解出来る。英語台詞+日本語字幕の場合は字幕の方が優勢だけど、日本語台詞+英語字幕ならどちらも殆ど同じ程度に頭に入ってくる。これって、特技かもしれないと密かに思っている。でも、そんな能力は何の役にも立たない。

午後2時からナショナリズムの講義。今日は、グローバライゼーションとナショナリズムについて。グローバライゼーションは人々に新たなアイデンティティを作り出させると同時に反グローバライゼーションというスタンスからの強固なナショナリズムを生み出すという二面性があるらしい。他には、例えばイギリスの場合、その人種、民族、文化の多様性から、「Nation」から「a community of communities」という、従来の「nation」という概念とは異なる状況が起こっていると指摘する人もいる。確かに、アジア系(パキスタン系)がマジョリティのブラッドフォードを見てみれば、イギリス人=白人という固定概念はすぐに崩壊する。イギリスはもはや白人国家ではない。アメリカ並みの多様性のある国だ。そんな身近な生活の場で、グローバライゼーション(この言葉自体かなりトリッキーだけど)の影響が見えてくる。

帰宅後、軍備軍縮の勉強をする。シロクマさんから教えて頂いた勉強方法を試してみる。それは、教授の話が難しくて理解出来なかったら、その人が書いた短めのジャーナルを読むという方法。その教授が書いた難しい本を要約したようなものが多いので、それが理解しやすいそうです。で、www.opendemocracy.netでPaulRogersの軍縮に関するアーティクルを見つけ出し、印刷する。確かに分かりやすい。要点が凝縮されている。これをそのまま試験の回答として書けば、完璧かもしれない(そんなこと出来ないけど)。

今日は、講義のあとに大学の廃品回収の部署へ行って、ダンボールをもらってきた。帰国用の荷詰め作業のため。もちろん、帰国は1ヶ月以上先だけど、今からパック出来るものは始めておきたい。理由は、試験が終わったら、帰国前に旅行に行く予定だから。試験が終わってから旅行までにそれほど日が無いので、とりあえず、今はもう不要になって最近整理した資料をダンボールへ入れる。かなり重い…。タンボールの底が抜けそうー。もっとしっかりしたダンボールが必要かも。せっかちと言うか、エッセーしかり、試験勉強しかり、何事も手をつけるのが早いので、こんな時期から帰る準備をしたりして。別に、早く日本に帰りたいとかという理由ではない。「慌てる」のが大嫌いなんだな。。こんな人間です、僕は。

2004/5/10(月) CCRエッセー提出、CRISエッセー返却

昨晩は、ベッドに入ってから映画「Seven Years In Tibet」を観ていた。ブラッド・ピットがドイツ語訛りの英語を演じていた。でも、ちょっとベッカムっぽいイギリスの田舎の訛りにも聞こえたけど…。

今日は10日。朝起きて気が付いた。今日がCCRエッセーの提出日。とっくの前に書き終えていたのに、提出し忘れそうなくらい今日のことを忘れていた。というか、日にちの感覚がない。

午前11時からナショナリズムのセミナーでのプレゼンでのために友達と打ち合わせ。数分で終わったけど。

その後、平和学科のオフィスへ行き、CCRのエッセーを提出。サインをして、レシートを受け取る。すると、受付の人が4月のイースター明けに提出したCRISのエッセーを返却してくれた。添削が返却されているのは知っていたけど、筆記試験が終わるまでに成績を知りたくなかったので取りに来るつもりはなかった。なのに、頼んでもいないのに受付で返却される。ドキドキ。ゆっくりと点数を見てみる。…62。一安心。60−69はUpperSecondという平均以上の成績。日本で言う、「優」くらいの成績。70以上のFirst Classというのもあるけど、これは本当に頭のいい人が取る「超優」くらいのランク。UpperSecondであれば、十分な成績だ。。添削による講評は以下の通り。

講評:「A comprehensive discussion of the strengths and weaknesses of NGOs in peacebuilding, supported by a good bibliography. You have obviously read widely on the topic. You could have paid more attention to the first part of the question - identifying the key elements of a peacebuilding process. Had you done so, you would have had a clearer framework for discussing the specific roles of NGOs. Nevertheless, some good work here.(良い文献資料により裏打ちされた平和構築におけるNGOの長所と短所の包括的な議論である。このトピックに関して、あなたは明らかに広く(文献資料を)読んでいる。あなたはもっと質問の最初の部分−平和構築の過程の重要な要素−に注意を払うべきであった。もしそれができていれば、NGOの独自の役割を論じるためのさらに明確な枠組みが持てただろう。とは言うものの、これはなかなかの研究である。(by Rhys Kelly & Karen Abi-Ezzi)」

やはり4000単語ということで、懸念していた通り、若干テーマから外れたようだ。でも、そんな問題や語学的問題を差し引いても、62という点数をくれたのは嬉しい。一応、各科目の成績は60以上を取ることを目的にしている。前期は、4科目中3科目がUpperSecondで、1科目がLowerSecond。こちらでは、UpperSecondの成績でないと大学院に進めないそうなので、60以上がある種の目安。自分もそれくらいちょっと厳しいノルマを課して勉強しないと、マジメに取り組めない。明らかにおかしい英語もあるけど、それでも内容を見てくれて、この点数。学問はそういう意味で誰にでも平等だ。ちゃんと勉強すれば、それなりに評価してもらえる。それに加えて、思い入れのあるクロアチアをケーススタディにお世話になった現地NGOの人たちを取り上げることができたのが、何よりも嬉しい。

とりえず、サイトにエッセーなどをアップ。その後、そこそこの点数をもらって気が抜けたのか、友達とチャットを始めてしまった。。自分から誘っている時点で、怠けだ。3時間ほど楽しんで、勉強を始める。化学兵器禁止条約について。すぐに終わるような内容にダラダラと時間を掛けてしまった。ダメだ。ちゃんと取り組まないと…。

2004/5/9(日) 資料コピー、生物兵器禁止条約、罰金の抑止力、世界のメディア比較

昨日は酔ったまま就寝。お酒のおかげでよく眠れた。

お昼から図書館へ資料をコピーしに行く。先週、CRISの授業で「Truth Commission」について勉強して、興味が沸いてきた。CRISは試験はないので、別に勉強する必要はないけど、リーディングリストにある資料だけコピーして、時間に余裕のあるときに読もうと思った。

帰ってきてからは、試験勉強を始める。昨日発見したとおり、核兵器関連以外の分野は比較的勉強しやすいので、簡単な方に集中して取り掛かることにした。これまで、あれもこれも手をつけようとして、どれも中途半端に終わっていた。しかもトピックが少ない軍備軍縮なのに。だから、今日は生物兵器禁止条約について、じっくりと勉強。とりあえず、回答のシュミレーションを書けるくらいまでの情報の整理をする。実際に模擬回答も書いてみる。そんな感じで時間が経っていった。

夕方、キッチンで夕飯を作りながら、フラットメイトのイギリス人のおじさん(Paul)と話していた。で、“一昨日くらいに、夜中にセキュリティーを呼んだ?”と聞かれる。呼んでいないと答えると、“じゃあ別の人だな”と言う。話によれば、例の音楽爆音のギリシャ人に業を煮やした誰かがセキュリティーに通報したらしい。で、そのギリシャ人が£50の罰金を払ったとか。それが理由だったのか、確かにここ3日ほどはとても平穏なフラットだった。でも、今晩も少しの間だけ以前と同じ爆音が聞こえてきた。罰金の抑止力はいつまで続くのだろうか。。でも、それなりに効果のあるものだと言うことは実証されたようだ。£50と言えば、1万円。ブラッドフォードの物価からするとかなりの出費だ。全く抑止力が無いはずがない。セキュリティーも頼りがいがあるもんだ。。

夜8時頃、勉強を続けていたら、警報機がなった。久しぶりの火災報知器だ。急いで部屋の鍵を閉めて、外に出る。すぐに部屋には戻れた。その後、日本の親に「国連英検」の申し込みを頼むメールを送った。今度の試験は6月20日。多分日本には帰っている時期だ。こちらで読む文献に慣れていれば、結構簡単かもしれない。レベルは特A級とA級。高校生のときにB級を取った以来だから、何年ぶりだろうか。かなり昔。あと、語学試験関係で、親からTOEIC申し込みの通知メールがFWされてきた。それを読んでみると、スコアー証明書には、受験票に貼る写真が印刷されるらしい。知らなかった…。TOEICを受けたのも3年くらい前の昔。当時は、写真なんか印刷されていなかった。単なるレシートみたいなスコアー通知だったのに。受験者数が増えてそんな細工をするくらいお金に余裕があるんだな。。TOEICの会社はかなり儲かっていると推測。。でも、そんな国連英検やTOEICを受けても、留学するには何の意味も無い。やっぱりIELTSかTOEFLを受けなければ。。むしろ、こっちの方が僕にとっては大切。

最近、日本のメディアを注意深く分析したりしているうちに、海外のメディアもちょくちょくチェックするようになった。言葉の壁があるので、英語版のウェブサイトを開設しているメディアに限られるけど。で、イラクで人質となった18歳の男の子を取材したドイツのメディアがあった。日本語の翻訳文が別サイトにあって、本サイトで動画などが見られる。現状では日本のメディアには出来ない取材だと思う。こういうメディアの国際比較は面白い。やっぱり注目する問題や地域が、日本のメディアとは大きく違う。BBC,CNN,LeMondeなどなど。色々と面白い記事はネット上にはある。自分が面白いと思った記事を日本語化して紹介したいという気分もあるけど、全てを紹介できないので残念。

そんな中でBBCのある記事が面白い。それは、「US powerless to halt Iraq net images」という見出しの記事。要約すると、米軍の兵士が個人的に持っているデジタルカメラによる軍の内部情報流出が避けられないと言うもの。記事によれば、もちろん最前線で戦っている兵士は写真などを取っている暇は無いけど、後方支援などで従事している兵士はその余裕があるという。で、軍内部にはそういったデジタルカメラなどを規制する規則がないらしく、メールなどで兵士が家族などへ向けて送信するそうだ。その結果として、最近のイラク人捕虜への拷問行為が明らかになったと言う。記事の結論は、米軍がこういった事態に対応するには、結局は拷問を正すことしかないという。つまり、本質的な問題をなくさないと、何もかもが外部に漏れてしまうんだぞ、という訓戒かもしれない。高度に情報化した社会では、国家による個人への監視社会が想像されるけど、実際は、この記事のように政府も「情報統制」が出来ないほど監視されているのかもしれない。で、結局は「悪いこと」はお天道様が全てお見通し、ということなのかもしれない。とは言うものの、政府対個人という問題ならまだしも、これが個人対個人の問題だったら非常に問題。みんなカメラを常備携帯している(携帯電話)時代だから、勝手に写真を取られて、ネットで不特定多数の人に見られてしまう。一度、ネットで公開したものは半永久的に残る。それを考えただけでも怖い…。ということで、ここで掲載する写真は、個人が特定されないように小さめに縮小したりしています。。

2004/5/8(土) 試験勉強、PeaceStudiesSocietyParty

今日も試験勉強をする。昨日、今日はちゃんと取り組もうと決意したので、なんとか気合を入れる。

とりあえず、軍備軍縮。過去問を見て、今の時点で解けそうな問題を考えてみるけど、小型武器くらいしか書けない。仕方ないので、またまた資料を読んで、マインドマップなどを書いてみる。そんなことをしながら時間が過ぎていった。

問題の傾向として簡単そうなのは、条約の説明など。例えば、生物・化学兵器禁止条約の発展と内容、問題などは、比較的近年の話題なので、範囲が狭い。だから書きやすい。一方、「核兵器の発展」などという問いは、つかみ所がない。技術的、戦略的、国際法的、政治的話題など多岐に渡る。だから、何に手を付けていいか分からない。なので、核兵器問題になると、勉強がなかなか進まない。今日はそんなことを発見した。

夕方からは、PeaceStudiesSociety主催のパーティ。普段はこの手のイベントには全くで出ないけど、先週に友達に誘われて£2払ったので、行かなければ。。

会場には、世界中から集まった学生が持ち寄った世界中の食べ物があった。これだけでも価値がある。BA,MA,PhD、Researcherなどかなりの数の学生が来ていた。大体がMA以上だったようだ。7時から11時まで、学生による歌や詩の朗読、インターナショナル・ファッションショーなどが行われた。普段は、セミナーなどでチューターをしているPh.D.の学生などがはしゃいでいてとても面白かった。

歌あり
ファッションショーあり
合唱あり

お酒を飲んだので、帰宅後はそのまま寝てしまった。

2004/5/7(金) 朝起こされる、小型武器、人生の選択肢

朝、部屋のドアをバンバンと叩く音が…。時計を見ると、8時半。まだ寝ているのですが…と思いながら、パジャマのままでドアを開けると、おじさんがいる。ヨークシャー訛りで何か言っている。全然、聞き取れない。眠いし…。“なに?”と何度か聞きなおすと、ベッドの周りの壁に貼り付けてあるマットがどうのこうのと言っている。なんかよく分からないので、とりあえず部屋に入れて見せてあげる。で、“なんか部屋に問題はないか?”というので、“ありましぇーん”と答える。と言うか、問題は、寝てるのを起こされたことだっ(怒)!人間、眠い時とお腹が空いた時が一番機嫌が悪いと聞いたことがあるぞー。おじさんが帰った後、また寝る。二度寝。次に起きたのは10時半だった。

今日中に返却しないといけない本があるので、お昼過ぎから図書館へ行く。返却が遅れると、容赦なく罰金を取られる。期限は守らなければ。とは言うものの、本を全部読みきっていなかったので、各章の結論だけコピーして返却した。これが本を読むコツの一つ。要は結論が分かればそれでよかったりする。

その後、売店でサンドウィッチとコーラを買って、図書館隣の丘でお昼を食べる。食べながらボーっとしていた。5月だというのにまだイギリスは寒い。暖かい日があったり、涼しい日があったり、ちょー寒い日があったり。基本的にイギリスは「夏」がと言える時期はとても短い。夏服は持ってこなくも済むくらいだ。

その後帰宅して、大学のMLで回ってきた来週の軍備軍縮の講義のための資料をネットからダウンロードしてプリントアウトした。テーマは小型武器。前期にエッセーで書いたので、知識はそれなりにある。軍備軍縮の試験では、小型武器の設問を選ばなくては。。

今日は、図書館で取ったコピーを読んだりする程度で、ほとんど勉強せず。なんかやる気が出ない…。無駄にネットをカチカチやっている。先日、親に帰国後の6月26日にTOEICのテストを受けるため申し込みを頼んだ。今日は、IELTSとかTOEFLに少し興味が出てきた。帰国して直ぐに受ければ、結構点数が高いかもしれない。今年中にスコアーを取っておけば、日本の大学を卒業したときにMA進学の際に使えるはずだ。

何事も人生の選択肢は増やしておくべきだと思う。例えば、外国語能力。別に英語じゃなくてもいい。ドイツ語でもフランス語でも中国語でも韓国語でも。外国語が話せればそれだけ行動範囲も広がる。「留学」だって同じだと思う。一人で外国に住んで、勉強して、生活をするという経験は、無いよりあった方が人生楽しいだろう。学生のうちは色んなことを経験して、色んな能力を身に着けたい。正直、日本で大学やバイトだけが中心の学生生活は詰まらないと思っている。4年間同じ大学にいても、結局毎日同じような生活になってしまう可能性だってある。だから、市民活動や留学をしていた方が、僕にとっては学生だから出来る生活だと思っている。かと言って、ずっと同じ場所にいるのが苦手な僕にとっては、機会があれば色んな組織や地域に関わりたいと言う想いも強い。そうすると、(日本では特に)所属する個々のコミュニティーでの人間関係が中途半端になってしまう。そういうフラフラした人間は、日本ではあまり好意的には受け入れらないので、人間関係を築くのが苦手になりがちだ。もちろん、自分が何をしたいのかもはっきりさせておかないと、そんな生活は孤独で辛い。…結論、どんな生き方でも、それぞれ大変だ。(←当たり前!)

とりあえず、近い未来の僕の人生は、試験を無事に終わらせることだ。明日は、ちゃんと勉強しようっと。

2004/5/6(木) 遅刻、負の遺産、宇宙における兵器化??、「男子」・「女子」

今日は、午前10時からのCCRの講義に遅刻した。間に合うと思ってゆっくりと歩いていたら、5分遅刻した。こちらに来て初めての遅刻かも。ちょっと気が抜けてきたのかも。。いかんいかん。講義の内容は、ボスニアをテーマに、いかにして紛争解決が文化的違いを克服するかというもの。

講義終了後、一度寮へ戻る。朝食を食べなかったので、お腹がめちゃくちゃへっていた。朝食兼昼食を食べたあとは、NGOの友達とチャットする。今後のプロジェクトについてちょこちょこと話す。1時間半ほど会話をして終了。キャンパスへ向かう。

午後2時からはCRISの講義。今日は、戦争犯罪法廷(Criminal Tribunal)と真実委員会(Truth Commissions)について。エッセー提出をして既に3週間が経過。ほとんど学生は出席していない。ドイツ人2人、フランス人1人、日本人2人、イギリス人3人。40人くらいいた授業なのにな…。ここまで来ると、講義というよりは、講師のRhys Kellyと学生がディスカッションをしているという感じだった。1時間目は普通の講義、2時間目はディスカッション。今日のディスカッションは、Truth Commissionsの役割について。話をしているうちに、ドイツの戦後処理の話題に移る。イギリス人やアメリカ人が自国の国旗を掲げても何も言われないのに、ドイツの国旗を掲げると「ネオナチ」とレッテルを貼られるとドイツ人の男の子が言っていた。イスラエル批判にも少し躊躇するとか。なんとなく日本と状況が似ていたので、僕も発言。ドイツと日本の話が中心になってしまった。

4時に終了。5時からの軍備軍縮のセミナーに向けて、事前に読む資料を平和学科のオフィスへもらいに行く。資料が配布されているのを今日知った。資料を受け取って、図書館へ行き、15分かけて3本の論文を読んだ。その後は、売店でチョコマフィンとジュースを買ってマッタリする。だりぃー、と思いながら。なんか疲れがあるのかも。。

5時からのセミナーでは、宇宙における軍事化の話題。スターウォーズ計画やSDI構想と呼ばれる、衛星やレーザーを使った軍拡競争について。アメリカが真剣になって開発を進めていて、中国はそれに対抗しようとしているらしい。正直、SFな話題で実感が沸かない。でも、各国が真面目に取り組んでいる計画らしい。

一応、関連分野は一通り勉強したので、予備知識はある。でも、そんな宇宙での軍事力というのがそんなに意味のあるものなのかという疑問が頭の中でぐるぐると回っている。精確に敵を捕捉する精密性や宇宙からのミサイル、レーザーなどなど。こんなものが必要なのか?と思う。それは別に平和への脅威だ!という理由ではなくて、地球上には既に様々な「脅威」が存在している。だから、「宇宙からの脅威」が加わってもあまり意味がないのではないかと。で、チューターに質問。“この宇宙構想は、兵器の正確さ(accuracy)の問題なのか?それとも、兵器の破壊性(destructiveness)の問題なのか?地上には、ある国を破滅させるだけの核兵器がいくつもある。地上から、海上から、上空からいくらでもそんな大量破壊兵器を使用できるじゃないか。宇宙からそんなものを落とす必要があるのか?”と。チューター曰く、“良い着目点”らしい。で、戦争(戦闘)の種類によって、これらの宇宙構想の意義が異なるらしい。・・・・。正直、この手の話題は苦手だ。そもそも「軍備」と「軍縮」の意味は違う。前者は兵器を肯定する。後者は兵器を否定する。リアリズムの影響が強いこの分野では、やはり前者が優勢だ。もっと他の視点が必要だと思うな。

昨日「ジェンダーフリー」について考えて、日本の大学でのことを思い出した。特にジェンダーとは関係ないのだけど、ある日のこと、ゼミでの研究発表のためのグループ決めをしていたとき、ホワイトボードに男女別に名前を書き、「あみだくじ」を作っていた。で、男の子の名前のあるホワイトボードには「男子」、女の子の方には「女子」と誰かが書いた。正直、成人している僕には、「男子」・「女子」という言葉が妙に気恥ずかしく感じた。小学校以来の単語である。こういう言葉を大学生になっても使っているのって、ちょっと幼稚だなぁーと思った。ちなみに、僕の日本の大学は、東京の某私立大学。世間的には、幼稚園から大学まで続く、金持ちーで、保守的なイメージのある大学だ。そんなイメージ通りというか、お坊ちゃん・お嬢ちゃん的なものの象徴として、この「男子」・「女子」という言葉が僕の頭の中にある。この言葉は恥ずかしくて普段は使えない。でも、それ以来、ジョークで使ったりする。ジェンダーとは本当に関係ないけど、オトナになってから使うには恥ずかしい日本語No.1かもしれないと密かに思っている。

今日は、妙に疲れが出てきた。身体に無理を強いるのは、身体的にも精神的にも良くないことを自分自身で理解しているので、ベッドで横になる。で、ベッドで寝ながらBBCを見ていたら、世界中の猿を紹介する番組をやっていた。で、ニホンザルが温泉に浸かったり、子ザルが雪で遊んでいる映像が流れる。他の国の猿も見たけど、ニホンザルが一番かわいかったな。。どーでもいいことだけど。

2004/5/5(水) 化学兵器、勉強@図書館・自室、ジェンダーフリー/差別とは

午前10時から軍備軍縮の授業。今日のテーマは化学兵器禁止条約について。最近試験勉強を始めてある程度勉強していたので、話は分かりやすかった。後期になってからあまり積極的にはやっていない「予習」。慣れが出てくると、適当に気が抜けるになるものだ。。

講義の後は、一度寮へ戻る。キャンパスでバインダーを買ってきたので、昨日に引き続き資料整理。資料をバインダーに収められて、なんか気分が良い。几帳面な性格なので、「整理」は好きだ。普段は結構雑にモノを置いているけど、ある日突然整理し始めるのが好きだ。ちょっと爽快な気分になれる。

その後、隣のギリシャ人の部屋から音楽が聞こえ始めたので、図書館へ行き勉強することにする。図書館は、試験を意識し始めた僕のような人たちが勉強を始めていた。なので、個室は満室。適当に席に座る。1時間半ほど集中するも、なにやらパキスタン系の学生が騒ぎ始めて、ちょっとイライラ。なので、場所を変える。別のフロアーに移るときに、図書館員に騒がしい学生がいることの苦情を言ってみた。実は、図書館での騒音はかなり苦情が多いらしく、以前大学のMLで図書館側が何かしら対策を講じるという通知が来ていた。でも、まだ何も成果が出来ていない模様。別のフロアーに移ったあとも勉強を続ける。ナショナリズムの勉強だったけど、かなり進んだ。。良い感じだ。

4時ごろに帰宅。すると、この日誌(今月から「日記」から「留学日誌」へ改名)を熱心に読んでいるある方からメールが来ていた。その人によると、僕が「女の子」という表現を使っているので、無意識の中のジェンダー的差別があるのではないか、という指摘。ということで、今日は「ジェンダーフリー」とは何かを少し考えてみた。

まず、僕が「女の子」という言葉を使う際、そこには特別な意図はない。「男の子」という言葉も使用頻度の差はあれ、使うことはある。強いて言うと、“年下の子”や“あまり親しくない人”に対して、「女の子」・「男の子」という言葉を使用する傾向が僕にあるというのが自己分析。で、そんなジェンダー上の問題を指摘されて、色々と考えた。一応、曲がりなりにも、ジェンダー問題やフェミニズム論はこちらでも少し勉強しているので、何も知らないわけじゃない。だから、ちゃんと考えてみようと思う。ここで取り上げるのは、ひとつは「ジェンダーフリー」とは何か?という問いであり、次に「差別」とは何か?という問題だ。

端的に言うと、ジェンダー問題とは性差によって、相手を不当に低く評価したり、相手に特定の役割を期待したり強要することだ。そして、それらを社会的・文化的文脈の中で、「男らしさ」・「女らしさ」として押し付けられることへの疑問がジェンダー問題の根本にはある。そして、「ジェンダーフリー」とは、つまり、そういう性差を理由とした不当な評価からの自由であり、特定の役割を期待されない・強要されないという自由である。ということで、理論的には、「女の子」とか「男の子」という「性差」を表現すること自体は、ジェンダー問題ではないし、それを否定することが「ジェンダーフリー」ではない。あくまでも「性差」を理由とする上記のような問題が焦点なのだ。近年においては、「性差=性差別」と捉える人は学術的には少ないらしいが。(*1)

次に、「差別」とは何か?という問いである。これは非常にシビアな問題であり、ある種タブーな話題に触れることでもある。例えば、「それは差別だ!」と糾弾することは容易であるが、「これは差別ではない!」と説明(弁解とか弁明と呼ばれる)することは非常に難しい。ある意味、差別だ!と言った者勝ちという感もなくはない。…と、このように「差別だ」という自身への指摘へ反論することが多いかもしれない。しかし、本当に自分が「差別意識」が無いということを証明することは実際的には難しい。なぜなら、人は多かれ少なかれ、ステレオタイプなイメージを物事に対して持っているし、何事も「区別」することで「認識」というものが成立して、且つ「自尊心」というものが形成されるから。差別とはあくまでも、相手を分類化して、相対的に自分を高めようとするアイデンティティの補償であるのだから(*2)。だから、自分が差別をしているかしていないかということよりも、自分がどのような基準で人を区別したり、認識したり、そして、それらが対人関係の中でどのような言動として現れているのかを考えなければならないのではないか。

近年において、「ジェンダーフリー」や「差別撤廃」は、欧米諸国においては、行動規範(code of conduct)であり、倫理(ethic)でもある。だから、そのような規範的期待(normative expectation)による人々へのプレッシャーは強い。特にそのような「規範」を破ることは、社会的なレッテルを貼られることになり、“ジェンダー上問題のある発言だ!”とか“それは差別だ!”という指摘は、個人にとっては恐れるべきものである。もちろん、このような運動に対しては、個人的には何も異議は無い。しかし、もしこのような状況が過度に、特に「ジェンダーフリー」や「差別」の意味を理解しない、或いは深く考察したことのない人々によって、ある種の赤狩りのような脅迫観念にとらわれた、人々の間での監視行為のようなものになったとしたら、それはとても恐ろしい。例えば、僕が「女の子」という言葉を使ったことで、“性差を不必要に強調するべきではない”とか“友達を女とか男として意識すべきではない”とか言う人が出てくるだろう。これを飛躍させると、僕が「女の子」という言葉を使った理由として、僕が「女が好きだ」という異性愛者であるということを示すことが、“「愛とはオトコとオンナの間で成立する」というのはジェンダー的問題であり、多様な「愛の形」があるのだから、そのような発言は同性愛者やバイセクシャルな人たちを否定するものだ!”ということになるかもしれない。・・・と、そんなことで、結局、僕が「女の子」という言葉を使ったことで、或いは、「男の子」という言葉を使うことが同性愛者的な雰囲気を醸し出す故にそれをあえて使わないということが、僕が異性愛者であるという信条なり、ある種の「価値」を表現する行為自体がはばかれる事態に陥るかもしれない。つまり、「ジェンダーフリー」・「差別」というものが人々に正確に理解されないまま広まったとしたら、社会的・文化的差別とは異なる「個人の好み」や「単純な認識上の区別」を表現できない社会になってしまうのかもしれない。

ある調べでは、他国と比べると日本の高校生の性差意識は低いらしい。個人的には、これが本当に人々の「本音」なのかと疑わしく思う。このような結果が出たのは、ジェンダーフリー思想と屈折した平等主義が若い世代に規範的期待として答えさせたアンケート調査の結果であると考えることも出来るからだ。

で、こんな長々と理屈をこねたのは、正直、「自己防衛」。。つまり、僕の中での性差は性差別と同じではないし、自分のアイデンティティの不安を解消するための補償としてのジェンダー意識もない。もちろん、無理にリベラルを気取って同性愛やバイセクシャルを認めているわけでもないということを言いたいだけデス。そして、はっきり言うと、今後も「女の子」という言葉を使わせて頂きたいので、屁理屈をこねてみました…。もし僕に「女の子」と呼ばれて、“おめぇーにそんな風に言われんのは腹立つだんよっ!(怒)”・“アンタに異性として見て欲しくなんじゃ、ボケっ!”という「女の子」がいたら、是非文句を言ってください。普段は、別にそんな特別な理由もなく「女の子」という言葉は使っているので…。「女性」という言葉の方が、僕としてはなんか使いにくい言葉なので、「女の子」の方が単に気楽に使えるだけだから。。

と、弁解でした。。それにしても、とても難しい問題だ。。自分の性差意識を考えるには良い機会かも。。何度も言うけど、深い意味はないんだよ、「女の子」って言う言葉には…(←クドイ)。

(*1):http://www.netlaputa.ne.jp/~eonw/sign/sign.html
(*2):Ibid.

2004/5/4(火) ナショナリズム講義、プレゼン打ち合わせ、資料整理、紛争発生中

今日は、お昼を大学の食堂で食べる。チキンの串焼きがドライカレーと一緒になっていた。美味しかった。

午後2時からナショナリズムの講義。インドのナショナリズムについて。全然、背景を知らないので、全く分からず。意味プーでした。最初はノートを取っていたけど、途中でなんか嫌になった。だって分かんないんだもん。

講義の後は、ナショナリズムのセミナーでグループでプレゼンをするため、他の学生と食堂で打ち合わせ。同じIVSPの日本人のRちゃんとインド系の女の子。テーマは、「ベトナム」のナショナリズム。イースター前から決まっていることなので、とりあえずお互いに調べた情報を交換。プレゼンは再来週なので、それまでに準備することを確認。僕は、ベトナム戦争後のナショナリズムについて。時代ごとに比較してみようという計画。

帰宅後、ネットでベトナムのナショナリズムについて検索するも、全然出てこない。あまり研究されていないみたいだ。仕方ないので、「アイデンティティ」で検索すると色々と出てきた。使えるかもしれない。

夕方に前期の資料の整理をした。今日クリアファイルとバインダーを買ったので、コピーした資料をまとめていく。これまでダンボールにまとめて入れて置いただけだったので、これで資料整理が出来そうだ。資料が多すぎて、各科目一つのバインダーが必要そう。今日は一つしか買わなかったので、買い足さなければ。

夜、隣のギリシャ人が今日も爆音で音楽を聴いている。音が大きいだけなら、耳栓をすれば耐えられるが、最近は低音で振動が伝わってくる。で、本当に最近になって、一日中爆音が聞こえる。部屋にいるときはかならず音楽を掛けているし、友達が来ると大きな声で話している。しかも、寝ているのか留守なのか分からないけど、昼間と夜には目覚ましが延々と数時間鳴り響いている。なので、一日中、夜中にさえ音が聞こえる。こんな環境はかなり前からだけど、最近になってから更にひどくなった。他の住人は物静かな人なので、このギリシャ人だけが迷惑なのだ。今日、イギリス人のPaulに“彼に文句を言ったことあるの?”と聞かれた。ありましぇん…。“一緒に文句言おうよ”と誘ってみる(一人はなんか嫌だし…)。で、今日は、耳障りな目覚ましの音が相当ノイローゼになったのか、いつも朗らかなドイツ人が“F○○K”とF単語を言って、寮を出て行った。かなりキテいるらしい…。これは紛争発生中である。住民間の憎しみに発展しないように、早い段階での紛争解決が望まれる。それって、やっぱり、紛争解決を勉強している僕の役割なのだろか・・・。Paulは暗にそれを期待しているように見えた…。既に、僕の中にも「ギリシャ人」にはかなりネガティブなイメージがある。“あんなギリシャ人なんだから、オリンピックの準備が間に合わなくて当たり前だっ!”と真剣に思っている。だらしないんだよな、ギリシャ人は…。それにしても、みんな文句を言わないのだから、忍耐力があるな(そういう問題ではないけど)。

2004/5/3(月) ナショナリズム勉強、ちょっと飽きてきた

今日は、お昼過ぎからナショナリズムの勉強。とりあえず、これまでに読んだ資料をもう一度読みなすことにした。既にマーカーなどで要点はチャックしてあるので、それを追って読む。でも、量が多すぎて読みきれず…。

途中、ナショナリズムのセミナーでグループ発表をすることになっている「ベトナムのナショナリズム」について、ネットで調べる。いくつか資料をコピーする。明日、講義の後に友達と打ち合わせをする予定。

今日はひたすら資料の読み直しをしていた。でも、タラタラとやったので、全部は終わらなかった。資料を読んでばかりいて飽きてきたので、試験の過去問を見ながら、回答を書くためのマイドマップを書いてみた。とりあえず、自分が今理解していることを確認するため。

そんな感じで今日は終了。どこにも出かけず、ひたすら部屋にいた。うーん、退屈ー。そろそろ、こうゆう生活に飽きてきた。一年よくがんばったよ、僕。自分で自分を褒めたい(?)かも。。でも、あともうひと踏ん張りなので、最後まで真剣に取り組まなければ。。でも、日本でもイギリスでも、試験勉強というのは厄介なものだ。。

あぁー、どこか地中海の島にバカンスにでも行きたーい。まだマルタ島への想いが捨て切れていない…。

BBCのウェブサイトを見ていたら、日本の女子高生の援助交際についてのレポートがあった。日本のメディアとは違って、ちゃんと「売春」って言っている。それにしても、BBCって、同じトピックで何度も同じようなレポートをたまにしているな、と少し思う。あと、日本政府の非人間性がまたしても発覚。ホントに嫌な感じである。にくたらしー。

2004/5/2(日) 中国とチャット、軍備軍縮勉強

昨晩は、ベッドに入ってから映画を見始めてしまい夜更かし。今日起きたのは10時半だった。でも、今日はちゃんと勉強するつもりだったので、朝食を早く食べ、1時には人間活動を開始できた。

でも、勉強し始めると、メッセンジャーに中国にいる友人がログインした。久しぶりだったので、ついついチャットを始めてしまった。勉強を片手間にチャットを行う。その人は、現在中国で河川開発の実地調査をしている日本の大学院生。今日は色々と個人的な相談に乗ってもらった。感謝感謝。。

世界への窓口:デスクトップ(まさにWindows!)最近チャットをすることが多くて、不思議に思うことがある。それは、僕のブラッドフォードでの行動範囲が寮とキャンパス間の数百メートルなのに、日本やオーストラリアとは頻繁に連絡していること。自分の世界が広いのか狭いのかよく分からない。そんな21世紀な生活。。

今日はもちろん勉強もした。昨日の続きで、核兵器の国際的規制枠組みや宇宙における軍拡競争、エネルギー兵器の開発から生物化学兵器の関連条約など。兵器、兵器、兵器…。今日はかなり広範囲な勉強をしたので、どれでも頭に入っていないような…。書いたメモをちゃんと文章に出来るようにしなければ。。

明日は、イギリスはバンクホリデー(Bank Holiday)。いわゆる、国民の休日。でも、月曜はいつも講義もセミナーもないから、僕には関係無い。

2004/5/1(土) 日本とチャット、企画書作り、ちょっと勉強

今日は10時頃に起きる。休みなので、人間活動をなかなか始められずダラダラとしてしまった。

午後は日本の友達とチャットをしてみたり、NGOの友達ともチャットで打ち合わせをしたり。あと、親から電話が掛かってきた。日本はゴールデンウィークなので、親戚が北軽井沢の別荘に集まっているらしい。いいなー。こっちは、まだまだコートの必要なほど寒いのに。結局、今日はチャット三昧の日だった。まぁ、一日くらいそういう日があってもいいだろうけど。

NGOの友達とチャットで打ち合わせをした後は、夕飯を食べる。もう今日で5月。たっぷりとある日本食を食べきらないと、全て消費できないと思った。なので、ふりかけとか佃煮を食べる。

その後は、NGO関係のプロジェクトの企画書を書く。東京の大学で平和構築に関する講演会をクロアチアの現地NGOのスタッフを招待して行いたいと思っている。なので、企画書を書く。

その後は軍備軍縮の勉強をちょこちょこ。何を勉強しないといけないかは分かっている。ただ、それを始めるかどうかの問題。手をつけないのは、単なる僕の怠けなんだな…。とりあえず、核兵器関連の主要な条約と国際法的枠組みについて論点をまとめる作業をした。

今日はこんな感じで終わる。試験は26日と来月1日。急いで試験勉強を本格的に始めなければ。。

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