科目の略称:
CRIS=Conflict Resolution in International Society
CCR=Culture and Conflict Resolution
ACD=Arms Control and Disarmament
NEMP= Nationalism and Ethnicity in Modern Politics

+++ブラッドフォード大学平和学科留学体験記+++

−日記−
(日記を5ヶ月も続けてるなんて、僕にとっては快挙デス)

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2004/4/30(金) 他人任せ、試験勉強の方針

今日は午前中に2つのセミナー。

10時からはCRISのセミナー。今日は、Problem-solvingの有効性について、アラブ・イスラエル問題を事例に議論。セミナーが始まるなり、チューターが“今日のリーディングを読んできた人はいますかー?”なんて聞く。みんな当然読んでいるだろうと思ったら、“他にもセミナーがあって忙しくて…”なんて言い訳をする人が続出。なんじゃそりゃっ!イースター明けでみんな気がたるんでいる!セミナーの数なんてみんな同じじゃないか。。と、心の中で叫んでみた。

で、チューターは“じゃあ、否定・肯定に分かれて議論して。読んでない人は、読んできた人に説明してもらって。”なんて言う。僕は否定グループに入った。すると、僕のリーディングがマーカーで塗りつぶされているのを見て、ある学生が“じゃあ、あなた内容を説明して”なんて言う。そういうのを他人任せと言うんだな、日本では。英語で何て言うんだろうか…。仕方なく、数十ページの内容を一言で説明(←かなり雑だけど)。読んでない人が多いから、反論もなく受け入れられる。それにしても、僕みたいな明らかに英語が中途半端な「ガイジン」に平気で難しいことを聞くから、ここの学生は結構スゴイ。良い意味で「無差別」である。だから、その期待(?)に答えないといけない。結構、鍛えられる環境だ。で、議論をしていると、資料を読んでいるときは浮かばなかったアイデア(批判的意見)がポンポンっと出てくる。“紛争当事者のパワーバランスが非対称だ”とか“紛争の初期段階では有効なアプローチかもしれないけど、長期化・泥沼化している紛争ではどうなのか”などと、それらしいことが口から出てくる。他の学生も“そうだ、そうだ。あなたは正しい”なんて言う。そんな感じで、ちょっと調子に乗ってしまった。。

11時からはナショナリズムのセミナー。今日のセミナーの準備が何だったのか良く分からなかった。連絡が回っていたのかな…。で、チューターのWindは、“ナショナリズムに関係しそうな最近のニュースを報告して”なんて言う。日本人みたいに、みんななかなか言い出さない。誰も準備していないみたいだ…。でも、誰かが話し出すと、次々と話題が出てくる。日本人と違って、指名されると、それなりに話が出来るのがこちらの学生の特徴。日本人だと、一切話すのを拒むけど。黙るとか…。で、そんな感じで、Windと目が合う。何か言えという感じだったので、“ブラッドフォードで中国人に間違えられると、妙に“日本人デス!”とムキになってしまうことがある。これって、ナショナリズム?”なんて、どうでもいいことを言ってみる。韓国系アメリカ人のWindはちょっと困っていたけど、“ブラッドフォードだと中国人って思われやすいよね(中国人学生が多いから)”と答える。ナショナリズムとは関係ないということだろうか…。そのほか、“台湾問題はどうなの?”とか、“トルコのEU加盟がフランスに拒否されているのはナショナリズムなんちゃう?”なんて思いついたことをとりあえず言ってみる。何も準備をしていなくても、意外と話題には尽きないものだと思った。。

そんな感じで、2つのセミナーをこなす。

その後、近所でフィッシュバーガーと飲み物を買って帰宅。お昼を食べながら、ちょっとダラダラ。夕方まで、今後の試験準備について考える。考えるけど、何も思い浮かばず。で、メールで予約していた本が届いたとの通知が来たので、夕方に図書館へ向かう。本を収集して、コピーなどをして帰宅。途中、日本人のMA学生のMさんに会って、少し立ち話。その後、帰宅。

で、これまで無意識のうちに遠ざけていた試験の過去問を見てみることにする。試験問題を見ると、妙にキンチョーしてしまう。なので、見ないようにしていた。でも、見ないことには傾向と対策が分からない。もう試験まで1ヶ月を切ったので、そんなことは言っていられないし。で、じっくりと見てみると、そんなに難しい内容ではないように見えた。基礎的な概念をちゃんと理解していればよかったり、事実を記述するだけで十分だったり。そんなわけで、試験準備の方向が見えてきた。

今日で4月も終わり。明日からは5月だ。イギリスには5月病はあるのだろうか。ちょっと気になる。日本にいると、一年中、5月病な僕。こっちに来てから、そんな気分にはなったことはないな。不思議だ。

2004/4/29(木) CCR講義、クロアチアの話、ロールプレイ

今日は9時40分頃起床。10時からCCRの講義がある。寝坊した。急いでシャワーを浴びて、何も食べずに寮を出る。10時ぴったしに教室には着いたけど、そんなに焦る必要は無かった。いつもの通り、5分くらい遅れてタラタラと講義が始まった。今日の内容は、僕がエッセーで書いているIntercultural Communicationについて。内容は、国家レベルでの話が中心だった。個人レベルでのアプローチでは無理があるぞ、みたいな内容だった。

講義後は一度寮へ戻る。昨日作り置きしたクリームシチューを朝食兼昼食として食べる。その後、メールをチェックしたり、ニュースを見たり。

午後2時からはCRISの講義。先週に引き続き、CCRを教えるRhys Kellyが担当。トピックはクロアチアにおける「下からの平和構築(Peacebuilding from Below)」について。課題のエッセーを提出したので、ほとんど学生は出席せず。Rhys曰く、“僕が学生だったときは講義は全て出席したのに。こんな態度はちょっと問題だ”とのこと。ついでに、“セミナーは参加義務なのに、講義はそうでないのはおかしい”とか。で、“今日は来てくれてありがとう”という言葉で講義を始めた。

内容は、エッセーのテーマとして書いたので大体理解している。事例もクロアチアで、ボランティア活動で関わってきたのでそれなりに現地の現状も知っている。授業中にいくつか質問してみたり、人が少ないので気楽に出来た。。

2時間の講義後は、5時のCCRのセミナーまで時間をつぶす。とりあえず、カフェへ行ってカプチーノを飲む。スタンプが溜まっていたので、今日は無料だった。特にサイズの規定はなさそうだった。でも、それに気付いたのは注文をした後。一番大きいサイズを頼めばよかった…。まったりと時間をつぶした後は本屋へ行く。読みたいと思っていた本を2冊買う。人権と真実和解委員会についての本。授業などには関係ないけど、時間に余裕のあるときに読もう。

5時からのCCRのセミナーでは、ロールプレイが行われた。先週の講義の内容に連動して、パキスタン系イギリス人夫婦の離婚問題について、紛争解決を試みるというもの。いくつか役柄がある中、僕はパキスタンから移住してきた伝統的な頑固夫の役を希望する。だって、簡単そうだったから…。で、“オンナは家を守っていればいいんだ!働く必要なんてない!オレは外で働いているんだ。文句あるかっ!”という典型的な頑固夫を演じてみた。ちなみに、ロールプレイの狙いは西欧的な紛争解決方法がどれだけ有効なのかを立証するものである。だから、そんな「非西欧的」な価値観を惜しげもなく披露してみた。西欧人に理解出来るかちょっと疑問だったけど、日本人ならではの役柄だ。。で、そんな頑固さを真剣に演じてみた。。時に感情的になってみたり。。相手のポルトガル人の女の子も結構役柄にハマっていた。お互い真剣に演じる。オスカー並みの演技である。

で、調停役はイギリス人とドイツ人。話し合いの始めに、“あなたの今回の目的は何か?”なんて聞かれる。僕が好きなように演じていいので、“別に理由なんて無い。ここに来いと呼ばれたから来た。特に理由は無い。”なんて答える。すると、“あなたは自分の自由意志でここに来た。だから、何か目的があるはずだ。”なんて言われる。正直困る…。そんな一方的なぁ・・・と少し思う。仕方ないので、“まぁ、何か状況に進展があればと思ってはいるが…”などと答える。で、その後、とても西欧的な紛争解決方法で話し合いが進んでいく。僕も意地になって、アジア的な頑固オヤジを演じる。で、“あなたが問題だと思うことを言って下さい”とか“相手(妻)に何を望むか?”と次々と質問を受ける。“あなたは最初に進展を望むと言ったが、次のステップに進む用意はあるか?”などとも聞かれる。“自分の主張が受け入れられば、先に進んでもいいが、それは進展次第だ。”なんて言ってみる。

そんな調子で、「解決」がしないままロールプレイは終了。チューターのMonicaは上出来と褒めていたけど、正直、文化的背景を考慮していない紛争解決方法だと思った。特に、調停役は考慮はしていたとは思うけど、やはり西欧的なスタイルから脱却できていない。ジェンダー問題を中心とした家父長的な文化、文化によって異なる伝統的な価値観への考慮が足らなかっただろう。と、そんなことはロールプレイの最中から分かっていた。特に“あなたの目的は何だ?”という質問は、議題設定をして、それに向かって話し合いをしようとする西欧的な方法論でもある。「自由意思」というのもクセモノだ。なので、そんな西欧的なアプローチに面と向かって対立してみました。。結構、楽しい経験だった。

2004/4/28(水) 生活範囲、生物化学兵器、4者会議@ネット電話、分かりやすい話

今日は9時半に起きる。10時から軍備軍縮の授業がある。急いでシャワーを浴びて、朝食も食べないままキャンパスへ向かう。寮からキャンパスまでは徒歩数分。とても楽だ。通学なんて言うほどのものでもない。この距離は、東京の実家からその近所のスーパーに行く程度の距離。ほとんど毎日半径数百メートル以内でしか生活していないことになる。二週間前に日本から帰ってきて、まだこの半径を超えたことが無い。というか、大学と近所のスーパーしか移動していない。でも、授業では世界の紛争について勉強している。うーん、気持ちとしてはとても不協和だ。

今日の軍備軍縮の授業は、先週に引き続き生物化学兵器(BCW)について。今日はその国際法的枠組みについて。結論、どれもこれも不十分です。と、にっちもさっちも行かない状況なのが国際社会。話を聞くだけで、鬱になりそうな内容だ。ちなみに、寮の隣室のギリシャ人はとてもだらしない。何日もガスレンジに鍋を放置したりする。たまにその中がどうなっているかと気になり覗いて見ると、・・・・・生物化学兵器の恐ろしさが身にしみて分かる…。キレイにキッチンを使うというルールと、その確実な実行のための監視活動、そして、それを遵守しない人間の罰則と言う、実効的な枠組みが必要だ!(←とても切実な問題)

今日はこれで授業は終わり。図書館で資料探しをするが、目当てのものが見つからず。そのまま帰宅。で、パソコンをつけると、昨日マイクを買いに行くと言っていた友達がSkypeでオンラインになっている。なので、電話を掛ける。すると、昨日は出来なかったけど、今日は問題なく会話が出来る。で、色々と友達を募り、オーストラリアとイギリスと埼玉から合計4人で同時通話を開催する。うーん、楽しい!音声もキレイだし、電話という感覚もなく、みんなと話せる。これは便利だ。。そんな感じで、あっという間に4時間が経った。勉強もせずにぺちゃくちゃと話してしまった。日本では明日からゴールデンウィーク。僕はCCRのエッセーがほとんど終わったので、ちょっと気持ちに余裕がある。なので、こんなに話した。もっとSkypeユーザーを増やせば、世界中どこにいてもタダで通話が出来る。。

夜は、夕飯におなべ一杯にクリームシチューを作る。これで明日の朝食、昼食、夕食の三食を確保。。夕食の後は、セミナーのリーディングを読んだりしながら、ニュースチェック。日本にいるときより、日本のニュースはチェックしている。全国新聞全てと民法キー局全て、そしてBBCなど。積極的に世の中の情報を集めないと、ブラッドフォードでの生活はとても世界の狭いものになりがちだ。

で、今の日本では、イラクでの人質被害への卑劣な自己責任批判の次に年金未納議員問題が花盛り。昨日も思ったけど、もうなんかどうでもいい…と思ってしまうほど、どうしようもない状態だ。実際、みんな払っていないのだから、“年金払わないなんてフテイ奴だ!”という正義の鉄建を振りかざすことの出来る人は少ない。そんなあってないような「制度」はもはや制度じゃないと思う。で、結局、「個人情報」を理由に閣僚の年金支払い状況の公開を拒んだ理由も、それを拒む人自身が払っていない。ついでに、それを糾弾する人もまた払っていない。年金制度の状況は、とっても分かりやすい話だ。

年金が一種の「投資」であるなら、その投資先の「政府」には信用が必要。政府を信頼して、年金を納めて、老後に返してくれる。年金制度のことは良く知らないけど、単純な話、ただそれだけのことだと思う。純粋に年金の財源は年金だけに使うなり、堅実な運用をしようと心がけるだけで十分なのに。そこに官僚的な思惑が関与するからいけない。天下りとか汚職とか。ちなみに、ある調査によると、日本の「汚職度率」はイスラエルと同じ。そんな風に言われてもピンと来ないけど、順位で言うと、世界21位のクリーン度らしい。20位はチリ。それ以降は北欧や西欧諸国がランキングを占めている。基準が分からないけど、そんなに名誉な順位ではないと思うな。ビミョーだ。

2004/4/27(火) 中国ナショナリズム、言い値?、ネット電話、親切なPaul、「開き直り」

12時過ぎにチューター役のDavinaのところへ行き、エッセーについて質問。Second-hand quotationという、「引用された引用」をどのように示すのかを教えてもらう。

その後、図書館へ行き資料のコピー。そのまま食堂へ行って、お昼を食べる。今日はチッキンとコーン。結構美味しかった。お腹一杯になったので、少しボーっとしながら休憩。

午後2時からナショナリズムの講義へ出る。今日は、中国のナショナリズムについて。イデオロギー的色彩が薄れ、現在は人々を動員するためのInstrumentalなナショナリズムが流行とか。反米・反日感情を利用したナショナリズムであるが、国内に内包する民族問題・領土問題から人々の注目を反らすという目的が見え隠れする、と習う。

講義のあとは、図書館で今日の講義に関する資料を入手。そのまま帰宅する。

途中、近所のスーパーで水とビスケットを買う。レジで清算しようとすると、顔見知りになっているお兄ちゃんが“3つビスケットを買っているけど、1つは35pで2つは59pの別のものだよ。似てるけど違うんだ。安いのにしたら?”と親切に言ってくれる。確かに似ているけど、よく見ると違う。なので、安い方の品を取りに行く。で、レジ戻ると、機械の調子が悪く、お兄ちゃんが自分で計算していた。“35pのビスケットが3つと水が一本。うーん・・・。”と悩んでいる。暗算が出来ないらしい。僕も得意じゃないので、いつも持ち歩いてるポストイットに書いて計算する。で、合計£1.96。小銭がなかったので、£10札を渡す。で、お兄ちゃんがまた悩んでいる。おつりを計算しているらしい。“£8.04でしょ?”と僕にもできる暗算。すると、“you're so cleaver people!”と言われる。僕たち(日本人?)全般がほめられてしまいました。。でも、こんな感じだと、僕が適当に値段を言ったら信じそうな勢いだ。。正直な(小心者な)僕は本当の値段を言いました。誠実さが大切だ。。

で、帰宅後資料を読みながらネットに接続すると、友達がネット電話上でオンラインになる。昨日からカメラが使えるようになったので、試しに接続してみる。テレビ電話開催。すると、他にもネット電話ソフトをインストールした友人がいるらしく、その人にも接続。しかし、相手はマイクがないらしく、僕の声が一方的に聞こえるだけらしい。明日、急いでマイクを買いに行くと約束して終了。。ちゃんとみんなネット環境を整えるように!

夜は、フラットメイトで、40過ぎのイギリス人のおじさん(Paulと言う名前を今日知った!)にCCRのエッセーを見てもらう。英語チェックだ。で、早速始めようと思ったら、ドイツ人のフラットメイトが現れて、Paulに自分の宿題の英語を見てもらおうとしている。みんな考えることは同じ。でも、Paulは嫌な顔せず、引き受けていた。。で、チェックを始める前にPaulが僕に聞く。“完璧な英語にしちゃっていいの?”と。一瞬何を言っているのか理解出来なかった。だって、完璧にして欲しいんだから。“どうゆう意味?”と聞き返すと、さっきのドイツ人からは「完璧な英語」だと自分がやった宿題だと思われないから、適当に変な英語がいいのだと。で、Paulは僕もそれを望んでいるのだと思って、「完璧な英語」でいいのかと聞いたらしい。留学生というのは非常に微妙である。完璧な英語を目指したいけど、もしそうだと疑われる。確かに気になる。でも、完璧なエッセーが良いから、「完璧な英語」をPaulに頼んだ。それに、エッセーの内容に手をつけるわけじゃないし(Paulはoptonomyの学生で、ピースじゃないのです)。

で、チェックをしてもらう。僕の語学上の問題は何かと言うと、やはり日本人には理解しにくい「冠詞」と「単数・複数形」・「前置詞」だ。それ以外の問題は基本的にない。Paulもやっぱり国が違うと、間違える点も違うねーなんて言う。ドイツ人の間違えと僕(日本人)の間違えは全然違うらしい。というか、そんな違いをPaulは楽しんでいる。なんて良い人なんだ!親切に英語の説明もしてくれるし。。こんな優しいイギリス人は、日本の大学のブラウン先生以来だ!(誰だかわからない人が多いと思うけど) で、30分ほど掛けて丁寧に直してくれた。ホントに感謝だ。お礼のつもりで、緑茶のティーパックを二袋あげる。こんなに親切にしてくれたのにティーパック二袋はかなりセコイと思ったけど、Paulは“えぇー、いいの?ありがとうっ!”なんて喜んでくれる。近いうちに何か大きなお礼をしないとな。。

普段はちゃんとBBCのニュースもテレビやネットでチェックしているけど、やっぱり日本のニュースも気になる。で、今日気になったのは「開き直り」について。同じ日に対照的な「開き直り」をニュースで発見。

・「反日で何が悪いのか」…イラクで人質になった日本人ジャーナリストが海外メディアの取材を受けて、昨日、日本のアホな政治家がアホな自己責任論に便乗して吐いた「反日的分子」発言へのコメントを求められたときの言葉。

・「それは犯罪ですか?」…年金を支払わなかった閣僚について糾弾した記者に対しての福田官房長官の言葉。TBSのニュースにて放送。(この発言を報道する記事がない…)

前者の場合の「開き直り」は、ナンセンスな批判への真っ当な回答だろう。後者の場合の「開き直り」は、救いようのない開き直り。前者は、本当の意味での民主主義を実現するための「開き直り」である。一方、後者は、法律を作る側が行った「開き直り」である。問題自体が違うので同じには扱えないけど、「開き直り」という点では、面白い対比だと思った。

ちなみに、閣僚の年金加入・納税の有無を公開すること「個人情報」にあたるから、政府・与党は拒否しているという。ただ、法学者によれば、「個人情報」は「個人を識別する情報」であると言うから、この定義によれば年金加入の有無は個人を識別する情報とはなりえない。そもそーも、“政府によれば”、年金加入は日本人の「義務」である。ということは、みんな加入して、年金を納めているわけであるから、何も隠すことはないだろう。だって、みんな納めてるんだから。。えっ?そういう僕は年金払ってるかって?それはちょっと言えないなぁー。だって、「個人情報」だもん♪  

政府、法律の正統性が疑問だ。まるでブラッドフォードで学ぶ失敗国家(failed states)の事例みたいな状況である。かなりアナーキーだぞ、今の日本はっ!

2004/4/26(月) 本読み、エッセー、意見投稿。

今日は午前中にパソコンのOSをバージョンアップしてみる。WindowsXPの試験版のService Pack2を導入。270MBのファイルを一時間ほどかけてダウンロード。その後、インストール。特に何が変わったわけではないけど、Webカメラが使えなかったのに、OSをバージョンアップしたら使えるようになった。やったー。

お昼過ぎから図書館へ行き、期限が今日の本を返却。CCRのエッセーで使っていた本なので、残念。その後、図書館内でNATOの核戦略についての本をパラパラと読む。

途中で眠くなってきた。なので、CCRのエッセーの取り掛かる。ほとんど完成しているので、段落構成や表現、文法などをチェックする。眠かったけど、なぜか校正ははかどった。手書きで修正をして、そのままパソコンセンターで書き直し。昨日、寮のキッチンでフラットメイトのイギリス人のおじさんにいくつか英語の文法について質問したら、必要ならエッセーを見てあげるよ、と言われた。ラッキー。これまで書いたエッセーは全て自分でチェックしていたので、正直文法などは完璧ではなかった。前期に提出したエッセー(1本)には単語の間違いが2つあったくらいで、文法にはチェックはなかった。でも、先週の月曜日に提出した4000単語のCRISのエッセーは非常に怪しい…。なので、2000単語のCCRのエッセーはおじさんに見てもらって、「完璧な英語」で提出しようっと。

今日はそんな感じで一日が過ぎていく。日本のニュースを見ていると、まだ「自己責任論」でふざけたことを言っている人がいる。ある政治家は、人質被害者を「反日分子」だと言い切った。どこかの国の首領と同じじゃないか!と思うくらいの低レベルである。それが日本の政治家の発言だというのだから、日本も行き着く先の一歩手前まで来ているのかもしれない。ある新聞の今日の朝刊には、今回の自己責任論の「論点」が検証されていた。昨日、僕が思ったことと同じ。公正な内容だけど、"いまさら?”という感じである。で、読者からの投稿を募集しているらしく、メールでいくつか意見を送ってみた。あと、市民団体が内閣府と外務省に「自己責任論への緊急発言」を提出した。実は、これに僕もメールで署名をした。「市民運動」の基礎的な行動かも。これまで署名などはしたことがない。日本の哲学の無い「平和運動」は嫌いだから、そういうのにも参加していない。でも、今回ばかりは少しだけ行動に移してみた。不満なことを発言することが健全な社会への第一歩だ。

夜になって、ネットで知り合った日本人の方からアフガンでのDDRプロジェクトへの従事者を募っているメールを頂く。もちろん、単なる大学生の僕には全然採用条件は満たさないけど、とりあえず知り合いの興味を持っていそうなMAレベルの人たちにメールを転送してみた。元々はアフガンの日本大使館員からの私的なメールが回って来たもの。そうか、こうゆう仕事は意外と口伝えで探し当てるものなのかもしれないな。。人間関係は本当に重要だ。コネではなくて、人間関係(human 'network')である。

2004/4/25(日) 何もせず、本当の意味での納税意識とは?政府の契約不履行。

今日は何もしなかった。時折本を読むけど、一日中眠くて、音楽を聴いたり、ネットで日本のラジオを聴いてみたりしていた。

あるネットラジオで日本の漫才師がイラクの人質事件のことについて話していた。“世間に迷惑を掛けてなんてやつだ。救出に税金が掛かっているんでしょうー。もったいないね。税金の無駄だよ”なんて言っている。ある意味これは無知な一般日本人の考えなのかもしれない。

何が情けないと言えば、「税金」の意味を理解していない、その納税意識の低さだ。「税金」とは政府の金じゃない。国民の金だ。納税者は政府に金を「あげている」わけじゃない。お金を預けて、それからの利益を得るという社会契約なのだ。だから、国民は「受益者」であって、政府は国民の信託に基づいて人々に公共サービスを提供する「義務」がある。それが「社会契約」という国家と国民の基礎的関係であり、決して犯してはならない近代国家システムだ。この社会契約の観点からすると、今の日本では政府は国民との契約を履行していない。つまり、人質救出=国民の生命の保護=政府が提供する公共サービスであるのだから、政府がそれを拒否する或いは国民(被害者)を糾弾するというのは的外れもいい所で、政府は国民との間に交わした契約を履行していないのだ。さらには、救出費用を請求するというのは、根拠の無い違法な金銭の徴収ではないのか。なぜなら、今回のような事件の際に、国民が政府に助けてもらうことを期待(契約)して日頃から税金を納めているのだから、救出費用を別に「請求」(この表現自体違和感があるが)することは、二重取りではないか。もし裁判で行政訴訟(不法な金銭の徴収)を起こせば、改めて政府が負っている国民への義務を問い直されるだろう。

報道によれば、政府は人質被害者に150万円ほどを請求しようとしているらしい。それを当然と思っている人々がどれほどいるのだろうか。考えるだけでとても恐ろしい。「納税」や「社会契約」の意味を理解している人がどれだけいるのだろうか。これは右とか左とかという問題ではない。国家と国民という社会生活の根幹に関わる問題。

2004/4/24(土) ダラダラと勉強、キャ〜ルトッ?!

今日は軍備軍縮を資料を読む。なんとなくわかった。

途中何度も休憩を入れながら、亀のようなスピードで資料を読む。全然、進んでないっ!

夕方7時になって、以前借りて返却したNATOの核戦略についての本が図書館にあることをデータベースから発見。早速借りに行く。

夜の7時だというのに、昼間のように明るい。ついこの前までは、3時になったら真っ暗だったのに。そういう国なのだ、イギリスは。。

図書館で目当ての本を見つけ、セルフサービスの機械で貸し出し手続きを行う。そこで、平和学科MAの日本人学生Mさんと出会う。僕と同じくPaulRogersの軍備軍縮を受けているらしく、エッセーを書くらしい。

図書館を出る際に借りた本は一度セキュリティーのチェックが必要。いつもの通り本を出口で手渡すと、今日はバーコードを読み取る機械が動かないらしく、手書きのメモで本をチェックしていた。で、セキュリティーのおじさんが“キャ〜ルトッ!”と叫ぶ。“何言ってるんだ、このおっさん??”と一瞬思う。すると、後ろから別のセキュリティーのおじさんが、“彼はカード(学生証)を見せろと言っているんだよ”と教えてくれた。そう、“キャ〜ルトッ”は“カード”のことらしい。なんじゃ、その発音はっ!一瞬、フランス語かと思った(carte)。驚くべき訛りだ。半年以上ブラッドフォードにいるけど、全く慣れません。まず、英語に聞こえない。

夕飯は久しぶりに中華風炒めを作ってみた。鶏肉、長ネギ、キャベツをオイスターソースで炒める。ただそれだけ。ご飯と一緒に食べれば、お腹いっぱいだ。。

2004/4/23(金) 軍備軍縮のべんきょー、楽しそうな母親。。

今日は講義もセミナーもない日。火曜日まで自由に時間が使える。

今日は一週間後に返さないといけない本を読むことにする。『Security With Nuclear Weapons?』という本。10年近く前の本。核戦略に関する包括的な内容の本。逆に包括過ぎて、何を読めばいいのか分からない…。本を丸々読むわけにはいかないし、そんなの無駄だし、そもそも出来ない。なので、フィーリングで読むチャプターをテキトーに決める。他にも色々と本は溜め込んだし、ネットからも論文をダウンロードした。なので、今日は手元にある資料をとりあえずパーっと目を通すことにする。各国の核兵器の歴史、抑止理論、冷戦構造、政策決定過程、技術的発展など、テーマは様々。どれに絞ろうかやっぱり決められない。仕方ないので、浮気気味に次々と資料を右から左へ読んでいく。「読む」とは言っても、なんとなく字を追っている感じ。そんなに頭に入ってこない。内容を書き留めたいけど、今日はとりあえず全体に目を通す程度にする。

そんなことをしていてもあまり勉強は進まず。勉強の途中に日本の母親とSkypeで会話。用事は無かったけど、なんとなく会話。なにやら、最近母親は会社でアメリカ人のお兄ちゃんと口論をしていて、アメリカ人の屁理屈さに呆れていた。“指示が無いから問題を放置するなんてアホだっ”といわんばかりの口調だったけど、“日本人には、普段は妙に愛想の良いアメリカ人が「良い人」に見えちゃうのよねぇー。それに騙されちゃう。”とも言う。でも、そんな日々の口論のお陰で英語力が前よりもアップしたらしい。“昔ほど英語を使うのが苦じゃないわぁー”なんて言うし。毎日使っていれば、僕の母親の年齢でも語学力は上がるものらしい。へぇー。実は、TOEICの点数(3年前に受験)は母親と5点違いで僕の方が高い。語学試験の点数は実践力とは無関係なのは分かっているけど、とってもビミョーな差なので、日本に帰ったらもう一度受験し直して、大きな開きをつけておかなければ。。一応「留学」してるんだし。親には負けたくないな。。(学術英語とビジネス英語の違いで、やっぱり負けそうな気がするけど…。(>_<)

2004/4/22(木) Family Mediation, Kosovo/Macedonia,Missiles in the Middle East

今日は午前と午後に講義とセミナーのある忙しい木曜日。

午前10時からはCCRの講義にて、Family Mediationがトピック。ブラッドフォードのマジョリリティー人口であるパキスタン系の人々の「離婚」について。実際にあったケースを例に、どのようにこの「離婚危機」を扱うかが問題。問題は、パキスタン生まれの夫がイギリス生まれの妻の不満を理解しないというもの。で、イマームが介入するけれども上手くいかず、妻は弁護士(Solicitor)に相談する。で、妻が弁護士に相談したことに夫が怒っているという内容。一見、日本でもありそなケースだけど、これには宗教的文化背景などを考慮しないといけないらしい。小さなグループでディスカッションをする。フランス人のDoulwigは、"二人ともハッピーじゃないんだから、別れればいいじゃん。”というとても欧米的な意見。と言う意見がある一方、パキスタンコミュニティーでは「結婚」は欧米ほど「個人の問題」ではなく、親戚中の問題であるともされる。調停役(Mediator)の人選も気を使わないといけならしい。欧米では当事者を知らない、なんら権力の持たない「第三者」が調停役として選ばれることが多いが、パキスタンコミュニティーでは当事者を良く知る内部の人間(Insider)で制裁・罰(Sanction)を与えられるほどの第三者が有効とも言われる。と、結局、あまり結論の出ないままディスカッションは終わってしまった。

お昼に一度帰宅し、夕飯のためにスパゲッティを作る。手馴れたもので、30分ほどで完成。これで、今晩セミナーで帰りが遅くなってもご飯を作る面倒がなくなった。昼休み中にSkypeを使って、オーストラリアと日本にいる友達で同時3者通話をしてみた。タダで話せて、電話以上の音質。すごいなぁー。どんどんユーザーを増やさなければ。。

午後2時からはCRISの授業。月曜日にエッセーを提出したので、学生はほとんど出席せず。今日は、コソボとマケドニアにおけるReconciliationの現状について。担当は、CCRのRyth Kelly。初めの1時間にReconciliationの理論的説明を受ける。その後、ビデオ上映。このビデオはかなり悲しい話だった。コソボにおけるアルバニア系住人とセルビア系住人の間の戦後の感情的対立についての取材テープだ。セルビア系住民による殺害行為に対して、アルバニア系住民の憎しみ。元々セルビア系住民は少数派であったのに、それが多数派のアルバニア系住民に対して殺害行為を行った。今は、セルビア系住民は肩身の狭い暮らしをしている。お互いに憎しみと不信の中に暮らしている。当事者のインタビューを基にビデオは作成されている。上映後、みな口数が少ない。Ryth Kellyでさえも目がウルウルしている。そういう内容だった。

僕にとってももちろん心打つ内容ではあった。しかし、僕の感想は若干違う。このビデオに出てくるインタビューを受ける人々が、僕がクロアチアで一ヶ月間暮らした難民施設に住むボスニア難民のおじいちゃん・おばあちゃんとイメージが被ったから。肉親が殺され、そして自分も傷つけられた。それに対する相手への憎しみ。今でも忘れないし、今でもそのことを話す。そんな出来事が原因で祖国を離れ、狭くて、暗い難民施設に住まざるを得ない。そんな話をそんな状況で直接聞いたときの気持ちを思い出した。色んな学生がReconciliationのためにはあれをすべき、これをすべき、と発言していたが、物事はそんなに簡単ではない。現状を知れば、絶望するくらいその憎しみは深い。「解決」や「和解」などというのは夢のようにも思う。正直、僕には何をしたらReconciliationが可能なのかは分からない。「平和学」を勉強したからといって、そんなことが分かるわけではない。

午後5時からは軍備軍縮のセミナー。チューターはパレスチナ人らしい。トピックは、中東におけるミサイルの拡散について。マーケットを通した技術の輸入により、容易に構築可能はミサイル防衛システム。中東の国々は長年の不信の中から、ロシア、中国、北朝鮮からミサイルを購入し、お互いにミサイルを向け合っているという。で、射程範囲がヨーロッパ各国にも及んでいるらしい。それについてどう取り組むか?というのが今日のテーマ。毎度のごとく、いつもの同じ数人の学生を中心に話をしている。ミサイルがどれだけ飛ぶとかなんだとか。広島・長崎の話もしていたな。どんな文脈だったかは忘れちゃったけど。正直、こういう戦略的な話は苦手だ。前提として、これらの防衛システムを正当化している、あるいはリアリスト的な見方を求められているようで、あまり好きではない。

今日は図書館で予約した本が届いた。アメリカとソビエトによる宇宙での戦略についての本。ACDの試験対策のため。4週間借りられる本だった。ラッキー。期限ギリギリまで借りよう。

2004/4/21(水) ACD講義、昼寝、読書、日本に正義はあるのか?

まだまだ時差ボケが直らず。朝早く起きてしまう。今朝は5時に目が覚めた。気合で寝た。でも、7時にまた目が覚める。

午前10時からACD(軍備軍縮)の講義へ。今日はこれだけ。今回は、「生物化学兵器」について。古代から現代に至るまでの生物化学兵器の歴史について。日本が結構話題になっている。戦時中の日本の生物化学兵器はすごかったらしい。なんと言うか、知らない用語が沢山。せいぜい、Anthrax(炭疽菌)くらいしか知らなかったので、その他の「菌」が何なのかが分からなかった。問題の中心は、AnthraxとSmallpox(天然痘)らしい。生産が容易で、1メガトンの核爆弾と100Kgの生物化学兵器はどちらもに300万人を殺すことが出来るらしい。だから、核兵器よりも開発が簡単な生物化学兵器の危険が大なのだそうだ。話を聞いているだけで、恐怖である。それがミサイルに搭載されて戦争で使われるらしい。実際、第一次湾岸戦争では使われたのだと。と言うか、日本は地下鉄サリン事件でそれを身をもって体験している。でも、それも今は昔という感じだ。この軍備軍縮の分野では、地下鉄サリン事件はかならずと言っていいほど出てくる話題だ。日本は「安全」な国ではありません。多くの「脅威」に満ちているのだ(真面目な話)。

講義の後は、図書館で資料を借りる。生物化学兵器と核兵器に関する資料である。帰宅後、お昼を食べて、読書を始める。最近、自分の意思に反して早起きなので、お昼になると眠くなる。単に早起きなのではなくて、睡眠時間が妙に短い。おかしい。そんなことなので、読書中に眠ってしまった(ベッドに横になって読んでいたのが悪いのかも)。で、目が覚めると3時。2時間ほど寝ていた。でも、昼寝をしたお陰か、逆に目がさえてきた。なので、読書を再開する。しかし、読み始めた途端、隣のギリシャ人の部屋から大きな音量の音楽聞こえてくる。重低音なロックだ。ガンガンと頭に来る。最近、このギリシャ人が非常にうるさい。“お前、いつ勉強してるんだ!”って思うくらい、ずっと音楽が掛かっている。それもかなりの爆音。このギリシャ人はひとりで、共有のキッチンを汚している。後片付けもしないし、部屋でタバコを吸っているし、最近はマリファナ疑惑もある(イギリスでは、マリファナは違法だけど、警察が取り締まらないことになりました←ホントです)。今日は耐え切れず、寮を出る。キャンパス内のカフェでお茶をしながら本を読んだ。

帰宅したのは5時過ぎ。最近、日没がとても遅くなった。夜8時でもかなり明るい。さすが、イギリスは緯度が高い。北海道より高いのです。北欧な感じです。

ところで、日本でのイラクの人質への批判は、限りなく国家による「イジメ」であると思う。と言うか、明らかな国家による言論の自由への弾圧行為だし、自国民保護の責任放棄、全体主義的な日本社会を示している。今回の件で、日本社会には多くの「構造的暴力」が存在することが露呈した。これは、本当に危険だ。ある国がよく日本のことを「軍国化」・「右傾化」していると言うが、日本の外から客観的に見ていると、それはあながちウソではないかもしれないと思う。しかし、ネットを検索していると、健全な日本人の声もある(http://iraqhc.jugem.cc/)。このような議論をメディアが報道しないのは非常に問題である。日本のメディアはジャーナリズムではない。

先日話をしたキルギスタンの友達に、僕が休みの間に日本へ帰ったという話をしたら、“日本はどう?今、変化の時代なんでしょ?”なんて言われた。僕はこのとき既に自己責任批判への怒りに満ちていたので、“日本は何も変わらない。変われないよ。”と言うしかなかった。日本人は、自分たちを特別な国民であると見がちだ。で、“日本流のやり方がある”なんて言いながら、世界では理解されないようなことを自慢に思っていることがある。で、「平和」なんてものもそんな国民性が影響して、屈折したものになっている場合もある。それが正しいなんて思っているし、世界で一番自分たちが賢い国民なんだと思っている。そんな底なしの「勘違い」が今回の問題で、世界の笑いものになっている。「非民主的で未成熟な人々日本人」。そんなイメージなんだよ、日本は。何が問題って、そんな風に思われている自分たちのイメージを日本人自身が理解していない。やたらに自己イメージばかり良くて、本当に自分たちが他者(他国の人々)からどのように見られているのかを知らない。仮に知ったとしても、それを受け入れない、認めようとしないのかもしれない。対集団コミュニケーションなどの分野では、日本は「gaiatsu(外圧)」がなければ変われないとされている。一般的な理論では、外部集団からの批判よりは、内部からの批判の方が人間は受け入れやすいとされている。しかし、日本は逆。いや、むしろどちらからの批判も受け入れないこともあるかもしれない。

やはり、日本は自らでは変われないのだ。本当に自分たちが痛い目にあわないと変化できないのかもしれない。もしそうだとすれば、日本はイラクでの泥沼な戦闘に巻き込まれ、自衛隊員が死傷して、やっとのことで自らの過ちに気付くのだろうか。そして、その時になって、人質被害者の主張に耳を傾けず、愚かにも彼らを誹謗・中傷していたことに気付くのかもしれない。いや、僕が気になるのはそんな未来のことよりは、今現在国家によるイジメ(誹謗・中傷)を受けている被害者本人たちだ。彼らの精神状態は正常ではないだろう。国が、社会が彼らの人生を壊している。特に女性の方は深刻だろう。このままでは、精神を病んで最悪の事態も考えられる。そんな状況を作りだしている日本に「正義」は無い。不正義を不正義だと公言することが不正義だとされる。そんな社会だ。こんな日本が本当に民主主義国家だと言えるのだろうか。大きな疑問だ。

2004/4/20(火) NEMP講義、マジメな話です、本が古い(ACD)、大学院…。

昨日から夏学期(後期の一部)が始まったけど、僕にとっては今日から講義が始まった。授業はNEMP(ナショナリズム)。休み前より出席している学生の数が少ないように思えた。講義が始まる前に同じIVSPのRちゃんに頼まれて日本で買ったフジッコの昆布をあげる。どっさりあげたので、とってもびっくりしていた。これなら日本に帰るまで困らないだろう。。

講義の内容はアフリカのナショナリズムについて。部族的傾向が強いとか、クライエンテリズムとか。前期のPCDの授業の内容と被っていたので理解は容易だった。講義の途中、教授のTomGallagharが突然脈絡の無いことを話し出す。“僕は今とても真面目な話をしている。この話は世界で起きているとても悲しい話なんだ。そんな話をしている講義を笑いながら聞くなんてとても失礼だと思う”と言う。教室の後ろの方に座っていたパキスタン系の学生に対して注意していたようだった。以前にもこの授業では、講義が終わっていないのに話しながら部屋を出ようとするパキスタン系の学生にTomが注意していたことがあった。なぜあんなにパキスタン系の学生は騒がしいのだろうか。図書館内でも、パソコンルームでも。一説に欧米人(白人)には「公共」という意識が強く、そういう場所では静かにするべきという倫理があるらしい。一方で、アジア人には「個」と「公」の境が曖昧であり、生活している空間は一種の「共同体」と捉える傾向があるらしい。そんな思考の違いなのだろうか。とは言うものの、静かに真面目に話を聞いているパキスタン系の学生もいるわけで、騒がしいのが彼らの「特徴」であるわけではない。ただ、そういう傾向が強いというのは事実である。こんな違いも白人とパキスタン系の学生が全然交わっていない原因かもしれない。

講義が終わってから、平和学科の建物へ行き、『NGOs and Peacebuilgin in Kosovo』というブラッドフォードのCentre for Conflcit Resolutionが作成したWorkingPaperを買いに行く。最新版である。6ヶ月以上経つと、ネットで無料でダウンロードできる。今日買ったのは去年の12月に出たもの。この最新版のWorkingPaperを発見したのは昨日。掲示板に告知してあったのを見た。早く気付けば、CRISのエッセーの資料に出来たのに…。情報収集不足だった。

その後図書館へ向かう。試験勉強のため、リーディングリストにある軍備軍縮関係の本を探しに行く。しかし、どの本も貸し出し中。どの本も蔵書数がたった1冊。ようやく借りられたのはたった2冊。本の問題は、このPaulRogersの授業はかなり深刻だと思う。ひとつに、蔵書数が少ないこと。もうひとつに、BAとMAで同じ軍備軍縮の授業があり、本を借りるのがBA・MAの学生双方なのだ。それも担当教授がPaulRogersだから、きっとリーディングリストも共通しているに違いない。で、さらに問題なのが、どの本も通常貸し出し期間が1週間なのに、多くが4週間なのだ。無理です。試験が終わってしまいます。試験までに本を借りられるのは2人までだ。無理です。べんきょー出来ません。本がなければ無理。本が借りられないのは個人の問題ではなくて、図書館とPaulRogersの問題だ。他にネットで資料を探さないといけないのか…。で、さらに、さらに、問題なのが、なぜだかわからないけど、軍備軍縮関係の本は異常に古い!今日借りた2冊の本は、それぞれ70年代と80年代に掛かれたもの。本が黄ばんで、年月を感じさせる。リーディングリストにある本も大体同じ年代に書かれたものが多い。どうなっているのだか…。仕方ないので、帰りに本屋で本を買う。『Detterence』と『The Arms Dynamic in World Politics』なる本。これくらいしか軍備軍縮関係の本がなかった。他にPaulRogersの本と軍縮の百科事典的な本を持っているので、これらを読むしかないのか・・・。試験の過去問を見ながら、必要そうな部分を読むか。。(←論述試験対策って、この程度なんだな、実は。。)

帰宅後、CCRのエッセー微妙な修正を行う。ほとんど完成したかも知れない。でも、全体的な論理構成が怪しい。まだ提出期限(5月10日)まで時間があるので、細かく論理構成をチェックしていこう。

最近、大学を卒業したら何をしようか考えることが多い。これまでは最低限でもMAを取りたいと思っていた。今でもそんな風に思っているけど、就職してみたいというのもある。ブラッドフォードにいるからと言って、国際○○みたいなことだけに興味を持っているわけではない。そんなところに就職できる保証なんて全く無いし。労働意欲が少し出てきた一方で、もうちょっと勉強したいという気分も出てきた。だからMAへ進学も選択肢として捨てられない。ただ、仮にイギリスでMAを取るとなると、1年間だけだ。Taught Master(MA)とResearch Master(M.Phill)でも内容が違う。僕はどちらからという一人で勉強してい方が好きかも知れないと思うようになった。かと言って、研究者だとか学者になりたいという思いは今のところない。日本の大学の友達に学者になりたいと言う子がいたけど、日本の学者を見ていると、「将来の職業」としては見られない。どうなんでしょうか。うーん、迷うなぁー。ちなみに、僕の日本の大学では、在学中に留学した人のほとんどは大学院へ進学するらしい。勉強好きが多いのか…。

こんなニュースがあった。世界の見方はこれです。朝日新聞電子版:le monde記事

2004/4/19(月) 新学期、エッセー提出、帰国への日程、ハーバード、欧州出張?

今日から新学期(夏学期)。夏学期とは言うものの、朝晩はまだまだ寒い。昼間は日が出ていればそれなりに暖かい。新学期は始まったけど、僕は月曜日は授業がない。

力作4000単語ピッタシのエッセーです。。今日はCRISのエッセー提出日。午後3時までに平和学科のオフィスへ提出しないといけない。エッセーは同じものを2部提出する。一つは大学が保管、もう一つは添削して返却してくれる。日本の大学で提出したエッセーを返したもらった記憶がない。論述試験でさえも、こちらでは答案を返却してくれる。日本の大学ほど学生数が多くないというもの理由だろうが、自分の学習成果と理解度を知るには、単なる数字の成績だけではなく、自分の書いたものを返却すべきだ。ただ、実際は、日本の学生は単位が取れればそれで十分で、それ以上のことは望んでいない場合が多い。オーストラリアから僕の日本の大学に留学して来た女の子が、(日本の)先生に自分の書いたエッセーのフィードバックを頼んだら、“それはボクのポリシーではない”と言われたという。先生のポリシーなんてどうでもいい。大切なのは学生だ。日本の大学とは所詮その程度なのかもね。日本には先生と学生の間の「対等さ」がない。ブラッドフォードにはそれがあるような気がする。学生を子ども扱いするかしないかで、そんな雰囲気、態度が大きく変わるだろう。もっと教育機関としての大学のあり方を考えるべき・とりあえず、午前10時にオフィスが開くなり提出。確認のレシートをもらう。(←夜になって、レシートなくしちゃったけど…)

今日から後期試験の日程が発表されていた。今学期は僕は論述試験が二つ。前期は3つあった。だから、少し負担が減る。試験は、ナショナリズム(NEMP)が5月26日、軍備軍縮(ACD)が6月1日にある。つまり、6月1日以降は日本に帰れる。意外と早く帰国できそう。前期も同じことをしたけど、念のために僕が2年生と3年生のどちらの試験を受けるのかを確認するため、International Officeに向かう。前期と同じで2年生。ついでに、試験が終わったら、いつ日本に帰ってもいいのかを確認する。論述試験以降になにもなければ「技術的には」帰られるらしい。日本での連絡先を念のため確認してからにして欲しいとのこと。提出したエッセーの返却や最終的な成績は教授会が終わった後なので、書類一式は郵送で夏の終わりに送ってくれるそうだ。

今日は色んなところで平和学科の3年生のキルギスタンからの学生に会う。名前は覚えていないんだけど、お互いに授業で何度か話をするので顔は覚えている。彼は、黄色人種系のキルギスタン人。中国人ではなく、日本人系の顔をしているので、最初は日本人だと思った。で、彼と今日3度目に会ったのは近所のスーパー。一緒にレジに並んで、途中まで一緒に帰った。“ブラッドフォードを卒業したらどうするの?”と聞くと、“ボストンに行く”と言う。“ボストン大学?”なんて聞いたら、“ハーバード”だって。話によると、そこでユーラシアの地域研究をするらしい。彼曰く、“ハーバードかケンブリッジのどちらかにするつもりで、ハーバードにした”らしい。ボストンに行って、面接を受けに行ったらしい。正直、スゴイなぁーって思った。彼、とっても頭良いから、そういうのはちゃんと評価してくれるんだな。ちなみに、彼の両親は外交官で、実家は今インドにあるらしい。へぇー。

今日は、オーストラリアの友達二人と国際電話とネット電話を駆使しして、3人同時会話をしてみた。留学をすると、良くも悪くもメインストリームから外れがちになるので、帰国したら団結しよう!みたいなことになる。とりあえず、同じゼミを受けよう!という感じ。ちなみに、僕は、ブラッドフォードに来たのは大学2年生の夏、今は自動的に3年生に進級したけど、2年生の成績はまだ出ていない。というか、2年生の時の単位をまだ取っていない。つまり、今3年生なのに、1年生の時に修得した単位しか持っていない。それを考えただけで、なんか恐ろしくなった。僕はいつ卒業できるんだか…。最近、ブラッドフォードの方が卒業し易いような気がしてきた。IVSPって、僕にとっては中途半端だったのかも。

夜になって、NGOの代表からメールが来る。ブラッドフォードでの勉強が終わったら、帰国する前に2週間ほどヨーロッパを回って、出張をして欲しいとのこと。どの国に、何をしに行くのかは不明。僕の運命はいかに。いつ日本に帰るのだろうか。部屋も引き払わないといけないし、荷物(本と資料)の輸送方法が問題だ。

今日は色々とやることがあったけど、CCRのエッセーも着々と進む。今週中にはほぼ完成は出来そうだ。早く試験勉強を始めたい。PaulRogersの軍備軍縮は、全然勉強してないし。難しい…。意味プーです。

2004/4/18(日) CCRエッセー今日も進む、色んな人から…(イースター最終日)

イースター休み30日目(最終日)

時差ボケが徐々に解消されてきたような感じがする。今日は7時頃に起床した。それでもまだ早いけど。

今日は、イースター最終日。早いもので1ヶ月が過ぎた。お昼まで、エッセーをカチカチと書く。昨日の続き。集中力が続かないので、途中でこまめに休憩を入れる。お腹が空いたので、外に食べに行くことにする。日曜だからどこも閉まっているけど、大学近くのSubwayに行った。そこでサンドウィッチを買って、隣のコンビニでアップルタイザーも買う。で、キャンパスに行って、適当な場所で食べる。学生の姿は全く無い。明日から授業が再開するのに、みんなどこにいるのだろうか?と思うくらい。静かで、人気がない。

食べ終わったら、図書館へ行く。サイトにアップするための後期のリーディングリストを大学のデータベースからダウンロードする。その後、エッセーを書き始める。2時間ほど作業をして帰宅。

昨日、たまたま見つけた平和構築に関するBlog(相互リンク)の管理人さんにコンタクトを取って、メール交換をさせてもらった。すると、なんと僕が関わっている日本のNGOをご存知で、その代表も知っている方だった。なんて世間は狭いのか。。というか、このギョーカイが狭いんだな…。

その後、オーストラリアの友達とチャットした。現在、オーストラリアには高校の友達1人、大学の友達2人が留学中。で、普段はあまり連絡を取る機会のない大学の友達の1人とチャットした。普段はもう一人の友達とネット電話で話している。チャットをしていると、イースター休みが今日で終わりだと教えてらった。さすが、英連邦。共通するものがある。で、留学二度目のその人に“留学すると、歳取るよ”と言われる。ちょっとショック…。せめて、「オトナになる」と言って欲しかった…。

ところで、イラクの人質事件に関して、それ自体ではなくて、事件解決後の「自己責任論」にブラッドフォードの日本人学生は反応している。僕もその一人。で、やっぱり誰もがその「批判」に違和感を感じている。それって、ここでピースをやっているからなのか、それともイギリスにいるから日本を冷静に見られるからなのだろうか。で、やっぱり気になるのは、一般の日本人がどう思っているのか?ということ。それが良く分からない。誰かに教えて欲しいかも。

で、そんなことを思っていたら、ある人からタレコミ情報が…。「キルギスでJICA職員が人質になったとき、官房機密費で解決したらしい。その金がアルカイダに渡って、9.11テロが起きたらしい」というもの。ネットで情報を調べると、当時やっぱりそういう身代金支払いの「疑い」があった。で、この情報を教えてくれた人もかなりの事情通で、色んな方面にパイプのある人(なんて怪しいんだっ!)だから、それなりに信憑性がある。情報開示で、JICAを調べたら?とも言われた。調べて、暴露して、僕は何をするのか?と少し思う。そんなジャーナリスティックなことを僕が…?という気分。でも、面白そうではある。

うーん、まぁ、とりあえずCCRのエッセーを書き終えなければ。。明日は、CRISのエッセー提出日。これだけは絶対に忘れてはいけない。朝一で出しに行こう。。寮の廊下からはドイツ語が聞こえる。フラットメイトが帰ってきたようだ。

2004/4/17(土) CCRエッセー進む、社会をパソコンに見立てたら

イースター休み29日目

朝6時に起床。時差の関係で、日本とこの時間からチャットでNGOの打ち合わせをする予定だった。でも、起きてメールをチェックすると、その必要がなくなったと連絡があった。なんだ…。仕方ないので、勉強をする。

今日は、CCRのエッセーがはかどった。昨日気付いたことは、エッセーの構想(アイデア)が全然練られていなかったということ。思いつくことをドラフトで書き出していたけど、大した内容じゃなかった。だから、今日は読んだ資料をもう一度読んでみる。とりあえず、漠然と頭の中にあるアイデアに関する部分を資料から探す。お昼まではそんな作業をした。で、ある程度メモに書き出してから、執筆に取り掛かる。やっぱりこうゆう作業をしないといけない。4000単語のCRISのエッセーだとやっていた。でも、2000単語のCCRのエッセーならそんなものは必要ない、と高をくくっていたけど、そんなことはなかった。物事には何でも手順がある。最低限踏まないといけない手順もあるのだ。

ここ数日の日本での「自己責任」批判に感情的というか、妙にむきになっている自分がいる。ひとつには、それが理屈、道理に合わないと思ったから。もうひとつは、自分自身の体験に重ねたこと。何にしても、“みんな頭悪過ぎ!”・“人への優しさが感じられない!”と思わずにはいられない。ここまで来ると、もう理屈じゃないのかも。

ふと思ったことがある。それは、「社会」を「パソコン」に見立てたら、「問題意識」というものが身に付くのではないかということ。ブラッドフォードに来てから8ヶ月。「紛争解決学」に興味を持っていたことと、イギリス独特の理論・理屈中心の勉強が僕の「問題分析能力」を高めたような気がする。それプラス、僕のパソコンの知識。。

よく、“パソコンが壊れた”と言う人がいる。でも、パソコンが「壊れる」ことは、水を掛けたとか、机から落としたという場合以外、普通に使っている限りではありえない。だから、「調子良くパソコンが動かない原因」があると考えるべきだ。社会が人々により構成する複合体として考えると、パソコンも同様に様々な部品(ハードとソフト)により構成される複合体である。パソコンの調子が悪くなったとき、その「原因」を突き止めるには、かなりの知識や経験が必要だ。しかし、「原因」の究明方法は、デカルトの方法論的である。

ハードが問題の原因だと思われるとき、最も単純で、最も必要で、最も初めに行うことは、パソコンを構成している部品を出来る限り分けることだ(分解ではない)。たとえば、マウスやキーボード、スピーカーなどのケーブルを外してみたり、不要なソフトを削除してみたりという方法だ。これは、物事を出来るだけ細分化して、分析が容易な単位へと分別するということだ。パソコンの場合、「最低限必要な構成」の状態にすることが、問題の原因究明の初歩の初歩である。これにより、単に部品(機器)の接続の場所が間違っていたり、ケーブルの種類が間違っていたりということが判明するときもある。つまり、「パソコンが壊れた」のではなく、適切な部品が適切な場所に接続されていなかっただけのことだったりする。パソコンには色々な部品・機器が付いている。問題とは関係の無いものが原因であるかのように思えたりする。だから、不要と思われるものは次々と外して、「問題の本質」を見極めなければならない。

ソフトが問題の原因だと思われるとき、最初に行う作業は「設定」の見直しだ。これは、自分のパソコンの環境に適切な設定が行われていないか、あるいは特定の機能を制限していないかなどを判明するために必要なこと。また、パスワードの打ち間違えなどの「自分のミス」が原因であることも判明する。これらの作業を行っても問題が解決しない(パソコンの調子が悪い)と言う場合、他のソフトとの「相性」や「競合」ということもある。問題は、複数のエリア(ソフト)に関連するなど、広域化、複雑化する場合もある。

もちろん、問題はハードとソフトが関連して発生している場合もあり、この場合、双方の折り合いをつける必要がある。また、「問題」それ自体が問題である。なぜなら、高機能化、複雑化したパソコンでは、それら全ての機能を使うことは、ほとんどの人には出来ない。自分にとって関係が無く、興味の無い機能は一生使わないし、例えそれが機能しない状態(問題)であっても、それには気付かない、或いは気付いたとしてもそれを直そうと(解決)しないこともあり得る。だから、「問題」とは左右個人の主観に基づいて判断されるし、その重要度、緊急性も異なってくる。

このように考えると、「パソコン」は「社会」にとても似てくる。現在のパソコンはブラックボックスである。何がどのように作用して動作しているのかは誰にも分からない。問題が起これば(調子が悪くなれば)、その原因を究明することは非常に難しい。以上のような作業を地道に行っていかないと、原因究明は行えない。しかし、多くの人は、“パソコンが壊れた”と言って、たった一つの小さな単純な問題をパソコン全体の問題として捉えてしまう。ある人はパソコンを丸ごと買い換えたり、ある人は部品を取り替えてみたりする。しかし、実際はそんな大掛かりな外科手術の割には、根本的な原因は単なる人間の勘違いであったりする。元々、パソコンを買い換えたり、部品を取り替えたりする必要などないのだ。貴重なお金と労力、そして資源が無駄にされただけなのかもしれない。そして、結局のところ、「問題」とは、自分自身に影響が出るときになって気付き、焦るものなのだ。

このパソコンの例を社会に当てはめたとき、まさに「問題」とその「根本的原因」を考えるに有効である。(個人レベル、国家レベルなど、あらゆるレベルを含めて)「紛争」は、「問題」であり、社会が「調子の悪い」状態である。その問題意識を持つこと、その原因を究明すること、そして解決方法は、まさにパソコンと同じではないだろうか。

と、社会を機械のように捉えるとこんな風に思う。かなり論理の飛躍があるだろうし、僕自身は、人間はコンピューターのような「正確さ」はないと考えているし、人間の「揺らぎ」というものが社会をパソコン以上に複雑にしているとも思う。でも、冷静に物事を分析する能力は必要だろうし、そのためにも今回思ったような社会の見方、つまり「問題分析能力」は大切だろう。一言で言うと、「物事の本質」を見極める能力なのかもしれない。少なくとも、ブラッドフォードでの勉強は、そんな感じだ(←どんな感じだ…)。僕にはそんな能力があるのかな。。

2004/4/16(金) CCRエッセー進まず、チャット、自己責任とは何か?

イースター休み28日目

昨日は11時に寝たけど、やっぱり今日も5時半に起きてしまった。どうなっているんだ、僕の体内時計は。。

今日は、朝早くからCCRのエッセーに取り組む。でも、あまり進まず。しっかりとアイデアが出来ていると思ったけど、実際に文章にしてみると大したことを書いていないことに気付く。つまり、大したアイデアではなかったということ。もう一度、構想を練り直さないといけない。

お昼になって近所のフィッシュ&チップス屋にハンバーガーを買いに行く。すると、フランス人の友達Doulwigが東洋人の女の子を連れて歩いてきた。彼はスイスで出会った中国人の彼女に会うため、休みの間に中国に行っていた。苦学生なので、一日の生活費は£1(200円)。そんな彼はバイトをして中国へ渡った。で、彼女を連れて戻ってきた。愛が国境を越えている瞬間を目撃した。。どこに行くのかと聞くと、数時間前にブラッドフォードに戻ってきたので、何も食べるものがなく、近所の低価格・低品質なスーパーのNettoへ買い物へ行くという。そんなところで、お別れ。

ハンバーガーを買って帰宅する。食べた後にエッセーに取り掛かるが、全く進まず。そんなところにオーストラリアからネット電話がかかる。友達と話していた。その後、昨日もチャットで打ち合わせをした日本のNGOの友人ともチャット。悶々としていたので、良いリフレッシュだった。

日本のニュースを読んでいると、人質事件解決後の「自己責任」批判が続いていることを知る。で、どこかの政党の幹事長は、“救出に掛かった費用を公開すべき”・“請求もすべき”などと言っているらしい。金の話である。はっきり言って、ナンセンスだと思う。金の話をするならば、どこかの省庁が税金で先物取引をして損失を出したり、どこかの公益法人が赤字経営の施設を存続させていたりなどとはいくらでもある。それへの政府の「責任」はどうなるのか?と言いたくなる。と、そんな不毛な議論はどう考えてもナンセンスだ。意味がない。それでも金の話をしたいなら、こう反論できる。お金で買えないものは世の中にはある。お金で人の命が救えるなら、払えばいい、だ。もちろん、その払った金がテロリストに渡るなら新たな問題は出てくるだろう。しかし、連絡費や交通費なら許容出来る範囲だ。少なくとも、納税者の立場からはそう思う。“テロには屈しない”と公言した政府ならば、きっとそんな「身代金」は払っていないだろうが。

そもそも、「自己責任」とは何か?ということさえも明確にされておらず、“お前らのために使った金を返せ”とか“殺されても仕方ない”というような考えが「自己責任」として半ば通っているのが恐ろしい。それが本当に「責任」なのだろうか。“輪を以って貴しとする”とか“世間様のご批判が云々”という日本の社会に西欧的な「自己」というものが根付いているわけがない。そんな「自己」の無い日本人が「自己責任」とは何かを真剣に考えたことがあるとは思えない。実際、現在の「自己責任」批判とそれを主張する人々の論点は、被害者「個人」に焦点を当てたものではなく、単に自分たちの苦労を強調するだけの詭弁にしか過ぎないのではないか。仮に日本式の「自己」があるなら、それが何かを知りたい。

人質になった3人は、今回の事件により大きく人生を変えただろう。日本に限らず、世界的に報道されるようになった。今後、まともな生活は出来ないだろうし、自分たちの言動に多くのプレッシャーが掛かるのは必至だ。それもこれも、「普通の人とは違うこと」をしたからだ。みんなとは違うことをするということは、それによって何が起ころうとも他人のせいには出来ず、自分で解決していかなくてはならないということだ。それこそが「自己責任」であって、金を払うとか殺されても仕方がないというような狂った理論ではないだろう。

政治的な意味合いもあるだろうが、アメリカのパウウェル長官のコメントは大方欧米的な「個人」や「自己」の社会における位置づけを表しているといえる。もちろん、“人質となった3人は日本人なんだ。欧米人ではない。”と反論する人がいるかもしれない。しかし、歴然たる事実は、「人道支援」や「ボランティア」、「市民運動」、「市民社会」、「ジャーナリズム」というものは、欧米的な思想だということ。世界はその基準や思想で動いている。現在の「自己責任」批判がどれだけナンセンスかを僕たちは理解すべきだ。こんな議論が建設的であるとは到底思えない。“誰が悪い”という議論は、それこそナンセンスだ。

僕は自衛隊派遣やイラク戦争の正当性について考えているのでない。僕の論点は「他人のために行動する」とは何であるかだ。そして、「個人」と「社会」との関係がどうあるべきかという点でもある。何が大切なもので、何がリスクなのか?僕はこれこそが問題の本質であると思う。そして、今の日本人に必要なのは、やはり「哲学」だ。もっと頭を使うべきだ。

2004/4/15(木) CCRエッセー続き、人質解放、哲学の必要性、NGOの打ち合わせ

イースター休み27日目

時差ボケの恐怖。昨日は、午後7時頃に寝てしまった。で、起きたのは午前3時。そんな時間に起きても、やることないよ…。仕方ないので、ネット業務。無駄にネットをカチカチする。これでは人間としていけない!と思い、6時頃に寝る。これで10時まで寝て、時差ボケを直そうと試みる。幸い、すぐに眠れて、予定通り10時に起きた。いい感じだ。

今日は、昨日に引き続きCCRのエッセーを書く。とりあえず、結論に着手。構想が出来上がっている部分には、資料から引用もする。たった2000単語のエッセーなので、引用ばかりしていたら自分で書く部分がなくなってしまうので、要注意だ。で、大体1500単語ほどになった。なんとなく全体像が見えてきた。とりあえず、ドラフトで書いているだけなので、後から細かい肉付けや理論の整理をしなければいけない。

ブラッドフォードでの生活は、ほとんどが自室で机に向かって資料を読んだり、エッセーを書いたりしている。で、ネットは常時接続なので、日本のニュースなどはリアルタイムで見ている。そんな中、イラクでの人質開放の速報が流れる。報道だけで判断すると、イスラム聖職者協会なる非公式ルートが大きな役割を果たした模様だ。いわゆる国家レベルの「Track1」と呼ばれる交渉ではなく、それよりも異なる中間的なレベルの「Track2」と呼ばれる交渉である。「交渉」における様々なアプローチを示したと言える。また、権威的な主体の存在が非西欧の共同体では非常に大きな影響力を有することも示したともいえる。西欧的な交渉術とは異なるアプローチだ。と、これをテーマにエッセーを書いている友達もいる。

今回の人質事件の影響は、今後日本にどのように作用するのだろうか。新たに2人の日本人が拉致されたとも報道されている。まだ未解決でもある問題だ。しかし、今回の事件で、日本人が戦争とは何か?人道活動とは何か?を真剣に考えるきっかけになれば良いと思う。日本がどのようなスタンスで、どのような形で、どの時期に、行動を移すのが適切なのかという議論が欠けている。それに気付く良い機会ではないだろうか。何の哲学も持たずに「人道援助」や「国際貢献」、「国際協力」という言葉を使ってきたことに反省する時期ではないだろうか。

夜になって、日本で手伝った旧ユーゴの閣僚との会合の事後処理について、日本の友人とチャットで打ち合わせをする。とりあえず、英文の資料を作り上げた。まだ終わっていない仕事がチラホラ。日本の友人に全部任せるわけにはいかない。僕も手伝わないと。。

CCRのエッセーは、イースター明けの18日までにはある程度完成させたい。

2004/4/14(水) CCRエッセー、日本的謝罪

イースター休み26日目

まだ時差ボケが直らず、午前5時に起床。昨晩は11時に寝たのにな…。

今日は一日中エッセーに取り組む。でも、なかなか書き始められず、ダラダラしてしまった。夕方にバーっと書く。1000単語を超えた。とりあえず、すぐにかけそうなパラグラフを書く。結論を書こうかと思ったら、眠くなってベッドへ直行…。早く時差ボケを直さないと。

ネットで日本のニュースを見ていて、イラクで人質になっている3人の家族への嫌がらせを知る。とても心が痛む。自己責任とか自業自得とか言う人がいるらしい。3人は悪いことをしたのではない。そんな批判を受けるいわれはない。そもそも、ボランティア活動とかNGO活動への認識がやはり日本では低い。普段は“すばらしい活動ですねぇー”なんて言う人が多いけど、何か問題が起きれば、そういった活動の本質的な意義を考慮せずに批判をする。所詮、日本人には理解出来ない活動なのだろうか…。民度が低いというか、国民の意識がとても低いのだ。

テレビを見ていて、被害者の家族が「謝罪」をしている。迷惑をかけてすいませんと。とても日本的だ。きっとそんな謝罪は欧米の人間には理解出来ないだろう。他人の為に自らを犠牲にしている人々が「謝る」理由などないと考えるから。日本人に理解出来ないことではないと思うのだけど。

2004/4/13(火) 普段の生活@BD、経験的にそうだっ!(CCR)

イースター休み25日目

午前6時に起床。時差ボケで早く起きてしまう。無理やり寝ているのも無駄なので、とりあえず起きて人間的活動を始める。まずは、ネット業務。メールチェック。父親の仕事で知り合った台湾の友人からメールが来ていた。実は、彼女はPh.Dに進みたいので、間接的な上司の僕の父親に推薦状を書いてもらいたいと言っていた。そんなメールをもらったのは日本に居るとき。でも、忙しくて返事が出来なかった。で、昨日返事のメールを2週間遅れて送った。それへの返信が来ていた。とりあえず、父親は推薦状を書くのは問題ないので、直接連絡した方が話が早いよと伝えるメールを書く。

その後、オーストラリアに留学中の友達とSkypeで会話。オーストラリアもイースター休みらしい。日本の親とも話す。便利だ。その他、日本のNGOの新しいプロジェクトのためのメーリングリストを立ち上げてみたり、イギリスでも出来る作業を行う。

お昼にカレーを食べて、その後部屋の片付け。スーツケースを整理していたら「人形焼」が出てきた。そんなもの入れた記憶はない。親が入れたのだ。賞味期限が近いので、すぐに封を開けて食べる。

午後から図書館へ行った。CCRのエッセーを書くために本を読みきる。2週間の日本滞在で色々考えたことがある。それは、日本人とは?というもの。具体的には、日本人的なコミュニケーションについて。簡単な話が西欧的コミュニケーションと日本的コミュニケーションの違いによる対立(異文化コミュニケーション)を書く予定だけど、それでは面白くないので、「日本人の間のコミュニケーションにおける対立」などを書きたいと思った。異文化間のコミュニケーション対立に関する文献は腐るほどある。そんな話題は捨てるほどあるけど、「日本人の間のコミュニケーションにおける対立」は聞いたことがない。なので、本題は異文化コミュニケーションを書くとして、番外編としてこの話題も書くことにした。

実は、これはやっぱりある種の自己分析によるもの。どうして自分は人と対立することが多いのか?という問いをずっと抱いてきて、最近気付いたことがいくつかある。良い機会なので、そんなことをエッセーに書こうと思う。何でも自分の経験と疑問を勉強に関連付けるクセが僕にはある。今回もそんないつもやっていることをする。

でも、「日本人の間のコミュニケーションにおける対立」についての文献がない。どう理論付けしようか少し迷う。結局、「経験的にそうだった」と言うしかない。一見、根拠が弱そうに見えるけど、イギリスは「経験論」の本場。意外と「経験的(empirical)」は通用するかもしれない。あくまでも、この話題は「番外」なので、他の部分は読んだ文献からちゃんと引用するけど。。

今日はとても天気が良かった。東京と同じくらいの暖かさだった。夜も8時まで明るく、日が高くなっていた。2週間の間にイギリスも季節に変化があったようだ。図書館の帰り道にPh.Dの学生で、CRISのエッセーの相談に乗ってくれたスペイン人のアンドリューに会った。CRISのエッセーではクロアチアを例にNGOについて書いて、何度も内容の相談をした。で、“日本に帰って、クロアチアの外相とかに会っていたよぉー”と報告。少し立ち話をした。

その後、近所のスーパーで牛乳などを買う。レジでお金を払うとき、数ペンス足らなかったのに、“いいよ、いいよ”といつものパキスタン系のお兄ちゃんが負けてくれた。そんな何も変わらないブラッドフォードの日常が少し懐かしかった。アンドリューも“ここは何にも変わらないね”なんて言っていたし。そんな街、ブラッドフォード。田舎暮らしも結構良いものだ。

結局、今日は2000単語のCCRのエッセーは、800単語ほど書き終わる。まだドラフトの段階。今日書き始めて数時間で800単語。5月10日の締め切りまで約1ヶ月ある。この調子だと、1週間あれば書けるかな。。書きたい内容は頭の中にある。とりあえず、ドラフトで2000単語程度書いてから、引用などの補正を行えばいいかも。集中できれば、すぐに書き終わる内容だ。4000単語だと、書いている最中に方向性を見失いがちなので、常に構成を確認していないといけないけど、2000単語ならそこまで神経質になる必要はない。少ない文字数で、最低限必要な情報を詰め込むという感じ。立派なエッセーを書くぞっ!!

2004/4/12(月) 今何時?帰宅

イースター休み24日目

昨晩5時ごろに寝た。今朝起きたら、時計は午前5時だった。12時間寝ていた。まだ外は暗いので、明るくなるまでベッドの中でグズグズする。

7時になって、朝食を食べに最寄り駅へ行く。スタバがあったので、そこでカプチーノでも飲もうと思った。で、向かうと、7時半からの開店と書いている。若干早かったので、一度ホテルへ戻る。部屋でパソコンで日記を書きながら、時間をつぶす。で、8時になったので、またスタバへ向かった。でも、開いてなかった。なんでだぁっ?時計台の時刻を見ると、まだ7時。僕の時計は8時。隣の店の時計は8時。BBCは8時。いったい、今何時なんだ?スタバは古い時間で動いているのだろうか…。いや、8時が今は正しい。でも、イギリスでは夏時間が始まったり、終わったりする前後に、「時計がそのまま」にされている場合が多い。だから、街中の時計は信用できない。信用できるのは自分だけ(←カッコイイ!)。で、スタバを待っていても仕方ないので、とりあえずホテルをチェックアウトして、King's Crossへ向かうことにする。駅なら開いている店があるはずだ。

King's Crossに着いてすぐに列車のチケットを購入。Bradford Interchange行きの片道チケット。電光掲示板を見ると、8時35分にLeeds行きの列車がある。あと5分で出発。急いで、バーガーキングでチキンバーガーを買い、コンビニでチョコレートも買い、列車へ飛び乗る。でも、列車は時間が経ってもなかなか出発しなかった。アナウンスでは、所有者不明のバッグが発見され、セキュリティが対応しているとか。“荷物は手元に置いて下さい”なんて言われる。そういうご時世なのだ。

列車は2時間半でLeedsに到着。それからローカル線でBradfordへ向かう。たった2駅。11時半には到着。そのままタクシーで寮へ戻った。帰宅。

2日ぶりにメールを見る。NGOからの事務連絡のMLが入っていたり、友達からメールが来ていたり。やっぱりネットがないと、生活にならない。かなりネットに依存している生活だ。とりあえず、ネットが出来れば良い、なんて思ってしまう。メールがチェック出来ないと、不安になるくらい。

まだ時差ぼけがあるのか、夕方には眠くなってしまった。明日から、エッセーを書き始めたい。

2004/4/11(日) イギリスへ帰国、ロンドン泊、適応能力?

イースター休み23日目@日本/ロンドン

午前9時半に自宅を出る。親が新車で成田まで送ってくれた。フライトが1時なので、11時にチェックイン。出口近くか最前列の席を希望。結局、目の前が壁の席になった。ここが快適。

搭乗まで少し時間があったので、お寿司を食べる。大学近くの安くて美味しい寿司屋に行くつもりだったけど、結局行けなかった。でも、やっぱりお寿司を食べたいので、成田で。。

1時前に搭乗が始まる。昨日まで色々と考えることがあったけど、空港まで来た途端、早くイギリスへ帰りたいと思った。

フライトは遅れることなく午後5時にロンドンへ到着。機内食も美味しかったし、良く眠れたので疲れはなかった。ヒースローの入国審査で、「UK visa holders&UK residents」という列があり、自分に該当すると思ったので、そちらに並んだ。これが間違い。ビザを持っている人間が並んでいるのだから審査は早いと思うのに、なかなか進まず…。聞き耳を立てていると、語学留学目的の日本人のお兄ちゃんが入国審査官に色々と質問されているのに全く理解できず、何もしゃべらない…。“必要な書類を見せて”という要求も理解出来ていなかったようだった…。入国審査官も呆れ顔。他にも、黒人のお兄ちゃんが長々と入国審査官ともめていたり…。普通の列に並んだ方が早かった…。

今日は、ロンドンで一泊して、明日ブラッドフォードへ帰る予定。ヒースローから地下鉄ピカデリー線でキングスクロスまで移動。そこからNorthern線でAngel駅まで行き、ホテルへ。駅からホテルまでの道がわからなかったので、電話して確認。結局、空港を出るのに時間がかかったせいで、ホテルに着いたのは7時半。シャワーを浴びてご飯を夕食を食べに行こうと思ったけど、面倒くさいのでそのまま寝てしまった。

イギリスに戻ってきて再確認したことは、自分はかなり適応能力が高い、ということ。イギリスでの生活も日本での生活も、どちらにも違和感なく適応できる。どちらが好きとか嫌いとかいう好みはないみたいだ。どちらでも生活できるし、どちらも自分にとっては「日常の世界」。どちらにも自分の生活の基盤があるし、どちらにも自分は属している。「適応能力」と言うよりは、様々なコミュニティーに自分は属していると思っているから、国や環境や組織が変わっても、結局どこでも同じような生活のスタイルだったりリズムを維持しているのかも。ある意味、究極のワンパターンなのかもしれない。きっとどんな環境でも、自分にとって居心地の良い環境や生活スタイルを無意識のうちに作り出しているのかも。

2004/4/10(土) 新プロジェクト@渋谷、○山大学、食事会、人質、自分は…

イースター休み22日目@日本

スクランブル交差点今日は、閣僚会合が終わったのに、新たなプロジェクトのために渋谷で打ち合わせ。新たなプロジェクトとは、クロアチアでお世話になった現地NGOの人間を日本に呼んで、何かしよう!というもの。「何か」を何にしようかの打ち合わせだ。でも、まだこれは正式決定じゃない。他にもコソボやマケドニアなども候補に挙がっているので、学生ボランティアとして現地で行った人間が、どの地域の誰を日本へ招待して、なにを行うかのプレゼンを行い、一番良い計画が採用されるという、一種の「コンペ」をしなければならない。だから、今日はこのコンペに勝つための企画立案の段階。そんなに実行可能な企画は多くはないので、アイデアが中々出ず…。それにしても、最低限実現したい企画は日本の大学での講演や学生との交流。もっと現地の実情などを知ってもらいたい。だから、今日出てきた案はそんな程度。で、さらに実現可能な手順や方法を議論。そんなことで、5時間ほど渋谷のレストランやマックで打ち合わせを続ける。でも、明日イギリスへ帰るので、6月の帰国までは遠隔でメールでの打ち合わせのみ。それ以外は、他人に任せることになりそう。うー、早く日本に帰ってこないと。。旅行なんて行っている暇はないかも。

その後、一緒に打ち合わせをしていた友人と渋谷にある○山大学へ。6時から親戚と新宿で夕飯を食べるので、それまでの時間潰し。他大学に来るのは、結構面白い。学生のファッションとか雰囲気は、やっぱり大学によって違うし。

その後、新宿へ向かう。親戚がHyat Park Hotelに集まっている。途中、紀伊国屋でブラッドフォードのPaul Rogersの本の日本語訳を買おうと思うが、在庫がなかった。仕方ないので、そのままホテルへ。ブラッドフォードで観た映画『Lost in Translation』の舞台にもなっているこのホテル。帝国ホテルで食事をしようと言われたけど、僕のワガママでここに決定。満足。。

親戚と話していたら、現在イラクで人質になっている18歳の日本人は、ブラッドフォードへの留学を準備していると言われた。イギリスの大学で「平和学」を勉強するつもりだと言うので、やっぱりブラッドフォードしかない。彼がブラッドフォードに来られるように祈りたい。韓国と同様、きっと日本の政府も多額の身代金を払って、人質を解放してもらうのかも。

一昨日、大学で「大学生らしい」大学生を見ていて、正直に羨ましいと思った。自分はどう生きたいのか?という問いをずっと回避してきて、今回日本に一時帰国して感じたそんな「羨ましさ」は、自分の中でどんどん大きくなった。日本に残りたいと思ったり、早くイギリスに帰りたいと思ったり…。気分に山と谷がある。何が何だかわからなくなった。でも、ある人と話していたら、そんな悩みが少し和らいでいった。今回帰ってきて、“みんな変わったなぁー”などと思ったけれど、それは目に見える表面的なことだけかもしれない。本当に「人間」が変わるほど変わったのかは、やっぱりわからない。そんなに悩むことじゃない。みんなが羨ましく見えるけど、僕にもやらないといけないことがあるし、目の前の課題に取り組まないといけない。日本のみんなも気になるし、とても大切だ。でも、イギリスであと2ヶ月取り組まないといけないことがある。まだ留学は終わってないのだから、今この時期に弱音を吐いたり、他のことに目移りするのはよくない。今はただブラッドフォードでの勉強を終えることが自分にとっては大切なことだ。そんなことに気づかせてくれた、その人には感謝。ありがとう。明日、悩みなしにイギリスへ戻れそうだ。

2004/4/9(金) 8ヶ月ぶりの焼肉、講演会、食事会

イースター休み21日目@日本

ヤキニク!お昼に高田馬場で友達と待ち合わせ。日本に帰ってきたら絶対食べようと思っていた焼肉を食べに行く。単なる僕のワガママなのだけど。駅から数分歩いた場所に叙々園発見。ランチを食べる。うーん、うまい!肉が柔らかい。タレも旨い!シアワセ。。

BD大学日本事務局その後、徒歩で大学まで歩いていく。途中、ブラッドフォードの留学申し込みで日本の窓口になっているブリティッシュエデュケーションオフィースの前を通る。実は、大学からとっても近い。別に挨拶とかはしなかったけど。

キャンパスライフ@東京大学に着いてからは、友達とキャンパスのある建物のベランダからボーっと外を見ていた。昨日からずっと新歓が行われていて、大学は活気がある。みんな楽しそうで、そういうのに混ざりたいなぁーなんてふと思う。友達とあーだ、こーだ話し合いながら時間が過ぎていった。

その後、3時からは大講義室で新入生を対象とした「留学説明会」へ。ここで10分ほど「体験談」を話す。普段は「留学経験者」が話すらしいけど、僕はまだ「留学経験中」の身。留学が終わっていないのに偉そうなことを話す。ブラッドフォードでの勉強の様子、語学力の問題、その他もろもろ。昨日作ったレジュメの順で話をする。ブラッドフォードの教授に様に、話すポイントを最初に説明して、さらに細かい説明を加えていく。話に飽きて退席する人がいるかなぁーなんて思ったけど、意外とまじめに聞いてくれた。ちなみに、今日は100人以上は人がいた。みんな新入生らしい。スピーチをする時は、オーディエンスの誰か一人の目を見て話すのが良いとどこかで聞いたので、適当にカワイイ女の子を見つけて、その子に話しかけるように心がけた。と、そんな下らない努力をしていた。。

スピーチ@大学スピーチが終わった後には、何人かから質問を受ける。ある女の子はブラッドフォードに来る直前に一緒に英語のライティングの授業を受けていた人だった。話をしたことはなかったけど、顔を覚えていた。「留学をするには準備が大切」とそれらしことを言ったけど、実は「勢いも大切」だということをスピーチで言い忘れたのに気づいて、その場で付け足したりして。。いい加減な男だ僕って。

その後、大学近くに美味しいチーズケーキ屋があると聞いて、友達と食べに行くことに。そこにたまたま6日までNGOの会合で一緒に準備をしていた人から電話がかかる。せっかくなので、大学にご招待。駅前で待ち合わせをして、大学の友達と一緒にケーキを食べに行くことに。ケーキは美味しかった。紅茶も美味しかった。今日は、食べてばっかり。。こんなに「食べる幸せ」を感じたことはないかも。どれだけブラッドフォードでの食生活が貧困なのかがわかる。

1時間ほど話をして、NGOの友人と地下鉄で国会議事堂前駅まで行き、そこから溜池山王へ徒歩へ移動。NGOの代表と待ち合わせをして、タイ料理の店へ。「ミーティング」と言うから会議かと思ったけど、6日の事後報告等の手順等について簡単に話をし、食事をすることに。一緒にいた友人はタイに留学していたことがあって、タイ人の店員さんにタイ語で注文していた。ユーゴとは関係ないけど、なんかカッコイイ。。店員さんも突然日本人にタイ語を話されて、ビックリしていた。世の中、多才な人はいるものだ。

今日はそんな感じ終わる。都バスの深夜便で帰宅へ。

2004/4/8(木) 大学訪問、帰って来ない方がよかったのか…

イースター休み20日目@日本

お昼から自分の大学へ行く。今日は入学式らしい。単なる興味本位で行ってみる。暇だったし。

キャンパスでは新入生を勧誘するサークルの人たちが沢山。何もサークルに所属していない自分としては、帰ってきてからどこかに所属しようかと少し思っていた。当たり前だけど、新入生に見えないので、誰にも声をかけられず…。同級生の友達は、すでに「部長」だったり「編集長」だったり「委員長」だったりしている。つまり、サークルで一番偉い立場にいるらしい。仕方ないので、彼らに直接サークルの説明を受けたりする。帰国しているのを教えていない人にも出会い、驚かれたり…。

新歓コンパの誘い結局、6月に帰国してから入るサークルは決められず…。不思議に何か焦燥感を感じる。理由はなんだったのか。みんな「大学生らしく」見えたのが少し羨ましく思ったのかも。大学生になって、サークルやって、バイトもして、友達と楽しんで、人間関係を築いていって…。そんな「大学生らしさ」は、僕にはないかも。サークルもやってないし、バイトもしたことないし、大学内でそれほど幅広く人間関係を作っているわけでもなかったりして…(友達はそれなりにいるし、意外と顔は広いのかもしれないけど)。

“大学4年間を日本で、しかも、同じキャンパスで過ごしたくない!”なんて思ったり、“紛争研究を勉強したいんだ!”なんて思って、ブラッドフォードに行ってしまった。大学に入る前からブラッドフォードで勉強したいと思ったし、今でもその選択は間違っていないと思っている。ふとしたことから、旧ユーゴにも関わるようにもなった。一般的の学生とは違う経験をしていることは間違いない。ある程度、そんな生活に満足していたつもりだった。でも、今日キャンパスで見た友人や見知らぬ学生の様子を見ていたら、それまで意識的に距離を置いていた彼らのような生活が「羨ましく」も思えてきた。

時期的に、街中では就活をしている学生などを見かける。一年間浪人をしたので、現在の大学4年生は同い年。みんな、忙しそうに将来の進路を決めようとしている。で、僕はいったい何をしたいのか…。ただ単に知的好奇心が理由で、旧ユーゴに行って自分に出来ることが何かを確認することを理由に、ブラッドフォードへ一年間留学することを決めた。でも、なぜか日本に帰ってきて、そんな自分に少し疑問を抱くようになった。なぜだろうか…。

ただ単に、ここ二日間のお酒が残っているから、気分が優れないのだろうか…。この時期に日本へ一時帰国したのは間違いだったかな…。

2004/4/7(水) 朝帰り、友達とまた飲む@新宿

イースター休み19日目@日本

朝7時に帰宅。そのまま、ベッドへ直行。眠い…。

午後2時過ぎに起床。ここ数日睡眠時間が極端に短かったので、熟睡していた。

5時に家を出る。そのまま新宿駅東口のMYCALにあるスタバの前で友達と待ち合わせ。去年、ブラッドフォードへ出発する直前までゼミで同じグループだった友達。ゼミの中で、グループで飲みに行ったり、それほど仲良くしていたのは僕たちだけだった。そのお陰かなのか、とても仲良くなれた。

南口にある創作料理屋に入る。3時間ほど食事をしながらおしゃべり。8ヶ月も経てば、みんな色々と生活に変化が出る。僕は去年のみんなしか知らないし、その変化を見てきていないので、少し複雑な気分でもある。で、僕は何か変わったのだろうか。

食後は、5人中2人は早めに帰宅。残りの2人で、新宿駅東口にあるcomme ca de cafeに行く。美味しいケーキとミルクティーを飲んで満足。。久しぶりの新宿も面白かった。

2004/4/6(火) 旧ユーゴ閣僚会合NGO非公式会議、オール

イースター休み18日目@日本

3時間の仮眠をして、家を出る。

午前9時半にホテルオークラに到着。次々とスタッフが集まり、準備開始。展示写真用のキャプションを渡したり、展示写真のパネル作成を指示したり、12時までに準備を進める。準備自体は大きな問題なく終わった。

まず初めに来たのは、コソボ。国連暫定行政ミッション(UNMIK)の職員同伴。初めに僕が担当した写真展示へ誘導する。記帳もしてもらう。数分写真展示を見てもらった後、別室で日本のNGOとの会合が始まる。その間は、廊下で次のゲストのセルビアの到着を待った。

30分すると、セルビアの外務大臣とお付の人が現れる。まったく警備の人間がいない…。一国の外務大臣なのに…。コソボと同様に写真展示を見て、その後会合へ。問題なく進む。

セルビアの外相が会合中、少し太った外国人のおじさんが一人で現れる。で、僕に“時間がないから、早く会合を始められないか?”と英語で聞いてきた。とっても焦っている。まだ会合用の部屋は使用中なので少し戸惑う。すると、そのおじさんが日本語で“ワタシ ボスニア ノ タイシ デス”と言う。てっきり、単なる職員かと思ったので、ビックリした…。それまで軽く話しを聞いていただけなので、そのおじさんが大使だと知って、姿勢がピンとなってしまった。で、“待っていらっしゃる大臣をこちらで連れて頂けますか?会合の前に写真展示を見て頂きたいです。会合は早く終わらせることは可能です”と最上級の丁寧表現を使う。で、数分すると先ほどの大使が数人と一緒に戻ってきた。部屋の入り口で僕がスーツを着て、手にファイルなどを持っていたので、彼らは僕が責任者か誰かと勘違いしたようだった。わざわざ大使が僕に大臣を紹介をしてくれて、握手までした。

その後、2時間ほど休憩の時間。次のマケドニアが到着するには時間があった。みな、お昼を食べに行ったり。僕は他の会場責任者と部屋で待機。でも、誰も来ないので、ダラダラと他のNGOの人と話をしていたりした。で、記帳台に腰を下ろして、友達と話していたら、“Excuse me”と言われる。振り向くと、お客さんが。。 大使や閣僚にしか招待状を題していないので、この人もどこかの国のエライ人。驚いた…。で、“失礼ですが、どちらからお越しですか?”と聞く。“フィンランドです”と言われ、名刺をもらう。フィンランドからの特別大使だった。その後、写真展示の説明をする。お昼で他に人がいなくなってしまったので、急遽僕が説明。たまたまボスニアで働いていたということで、個人的に興味を持って来てくれたらしい。嬉しい限りだ。

マケドニアの大臣も現れ、これまで通り案内。NGOとの会合も問題なく進む。

クロアチア外務副大臣最後に現れたのはクロアチア。僕がずっと関わってきたのはこの国。他の国・地域以上に張り切ってしまった。大臣にクロアチアの写真を一生懸命説明。片言のクロアチア語もしゃべってみたり。。とても副大臣はとても気さくな人手、一緒に記念撮影もしてくれた。“一緒に写真を撮ろうよ”と言ってくれたほど。その後、各NGOとの会合には参加していなかったけど、今回ばかりはオーディエンスとして参加。大臣とNGOの代表らが向かい合って、意見交換。よくテレビで見るような場面。僕は後方の席に座りながら、話を聞く。最後にまた記念撮影。。

クロアチアの会合中に写真展示会場の撤退は終了。会合用の部屋を掃除して、今日は終わり。あっという間だった。今回は僕はロジスティックを中心に担当。本番当日は、誰に言われるわけでもなかったけど、大臣たちを迎えて部屋まで案内したり、必要なら写真の説明も行い、記録用の写真撮影も行った。こんな仕事は滅多に出来ない。わざわざ日本に帰って来て良かった。なによりも、自分たちの思いや要望を直接大臣に伝えられるのだから、これほど貴重な経験はないだろうし。

夜は、近くの銀座ライオンで夕食。その後、ここ数日、短い期間で一緒に準備をした人たちと2次会へ。溜池山王の魚民で午前5時まで飲み続ける。かなりベロベロに酔った…前日は3時間しか寝ていないのに、なぜか2次会は耐えられた。。その後、始発までカラオケボックスに移動。すぐに寝ちゃったけど…。

2004/4/5(月) 本番前日、眠れない…

イースター休み17日目@日本

今日は、お昼過ぎに会合で展示する他団体の写真が家に送られてくると言うので待っていた。で、色々と情報が錯綜し、結局写真は来ないということになった。でも、なぜかメールで写真がキャプションと一緒に送られてきた。とりあえず、展示用にキャプションを加工する。

午後5時から溜池山王のベローチェで打ち合わせ。作成した写真をパネルに貼り付けたり、キャプションの位置、団体名の位置などを確認。その他、キャプションの文章チェック。書き直し沢山…。

ヴェローチェに11時まで居座る。閉店で追い出されて、近くのビルのロビーで今回の会合の連絡調整係の人とさらに話を詰める(一応、僕も同じ役)。その後、近くの丼屋でご飯も食べる。終電が近づいていたので、急いで食べる。

帰宅後は、キャプション作りの続き。MSNメッセンジャーで関係者とチャットをしながら打ち合わせ。必要なデータを送り合ったり。便利だ。ハイテクの恩恵を受けいている。パソコンやネットがなければ、数日で今回のような会合は準備出来ない。

結局、キャプションや必要なものの作成で、午前5時まで起きていた。他団体のキャプションや写真も僕が責任を持って作っているので、ちゃんと必要なものがあるかの確認をしていて眠れなかった。写真の数とキャプションの数が合わず、作り忘れがあったり…。前日になってこんな状況。間違いは許されない。

2004/4/4(日) 準備

イースター休み16日目@日本

忙し過ぎて思い出せない…。(ホントです)

2004/4/3(土) 準備

イースター休み15日目@日本

午前中は永田町の某施設にて、展示写真の作成の打ち合わせ。

午後は、ホテルオークラにて下見。その後、打ち合わせ。夜も自宅で準備作業。

それ以外は忙し過ぎて思い出せない…。(ホントです)

2004/4/2(金) 準備は進んでいるのか…?

イースター休み14日目@日本

夕方から会議。まずは、永田町の某施設(事情があって明かせません)で簡単な打ち合わせ。旧ユーゴの閣僚にお土産として千羽鶴を折ることになったので、山手線の中、バスの中、地下鉄の中でも折り紙を折る。

夜からは会場のホテルオークラ。会場の下見をもう一度し、ホテルのラウンジで10時まで会議。展示用の写真を選んだり、色んな人に連絡したり。でも、まだ何も進んでいないように思うのは僕だけだろうか…。本番は6日の火曜日。

外務省から送られてきた最新の参加者リストを見ると、来日中止と言われていたコソボの首相が来ることになっていた。やっぱり色んな人が来るようだ。写真展示と閣僚との懇談会もお昼過ぎからの時間帯に変更になった。写真展には、閣僚以外にも本会合関係者が来るかもしれない。色々とアピールするものを用意しなければ…。

帰宅したのは11時過ぎ。事務作業を進めたり、問い合わせに答えていたりして、やっぱり今日も深夜3時に就寝。ブラッドフォードにいる時より忙しいのは確か…。体がついていけないけないかも…。体力をつけないと。。

2004/4/1(木) 本格始動?会議。

イースター休み13日目@日本

お昼から大学へ行き、今日の夕方からの会議に必要なレジュメを印刷する。日本の大学は、白黒ならプリントアウトは無料。イギリスは、一枚5p(10円)取られる。だから、日本では湯水の如く紙を大量消費する。日本にいると気づかなかったけど、悪い意味での日本の「豊かさ」が感じられる場面。イギリスにいた方がそんな支出を気にするので、地球には優しいかも。でも、イギリスはゴミの分別はない。別にプリントアウトが有料なのは、環境問題云々ということではないだろう。

その後、大学の留学担当部署へ。昨日に引き続き、居座る。途中、CCRのエッセーのイントロを書いてみたりする。イギリスの大学の課題を日本の大学で取り組むなんて、とても新鮮な体験。。とりあえず、100単語ほど書き終わる。目標は2000単語。まだ、始まったばかり。

大学には5時間ほど居座る。あまり人は多くなかったけど、ドイツ人の留学生や日本人の学生、大学職員と話したり。みんなの邪魔をしていた。。で、9日に新入生を対象とした留学説明会で、僕は大講義室で話をすることに気がつく。メチャクチャ広い部屋だということに気づいた…。そんなところで話すのか…。気軽にOKだしちゃったよ。何を話そうかな〜。まだ何も決めてない。まぁ、当日適当に話せばいっか。。今は話す内容を考えている暇はない。

夜からは水道橋で会議。今後の6日までの準備について。とりあえず、役割分担を決める。メディアに興味を持ってもらうために、「学生主体」をアピールする方向らしい。で、人数が少ないので、いくつもの役割を担うことに。総合調整班、写真展示班、その他雑用。5日までに、旧ユーゴの閣僚、日本のNGO、その関係機関との調整や展示写真の作成、広報、お土産などを準備するらしい。これは一人では出来ない仕事…。短い期間で学生にこれだけの仕事をさせようというのだから、この組織もかなりチャレンジングだ。

会議は午後10時半まで続く。会議をしていても実行に移さないと何も始まらない。早く行動しなければ…。とりあえず、明日も打ち合わせなどがある。

そんな感じで、4月が始まりました。

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