大航海時代の船
コグ Kogg
北方のバイキング船の流れを汲む中型の帆船で、13世紀〜15世紀にかけて、主にヴェネチアやハンザ同盟都市などの近距離貿易でつかわれた。北方系の商船。
ずんぐり型で「ラウンドシップ」と呼ばれる。
船体は、外板を重ね合わせながら張る「鎧張り」といわれる船体構造で、船首と船尾はヴァイキング船の両頭船のように細くシェイプされ、戦闘用の塔楼が増設されていた。
基本的にマストは1本だが、後期にはマストを追加した2本マストコグも見られる。
北大西洋で使われたコグには、四角か台形の横帆が張られ、後に地中海でもコグが使われるようになると三角形の縦帆つけられるようになる。
船体の長さは25〜30m、30人程度で運用できる軽快な船。
造船歴上の大きなポイントとして、コグの時代に船尾舵の形が完成されていったことがあげられる。
初期の舵は船尾両舷に1本ずつ吊るされたただのオールで、曲がりたい側のオールに水を受け抵抗をつくることで旋回する構造になっていた。
12世紀の終わりごろ、船尾中央に固定された船尾舵が発明され、ドイツやオランダで広まる。
この船尾舵の取り付けに最適化されるように、船尾の形状も変化してゆく。
12世紀になって舵が船尾中央についた、ハンザコグが生まれ、15世紀頃まで活躍した。
北方系のコグ船
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12世紀になって舵が船尾中央についた、ハンザコグ
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2本マストコグ
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バルシャ barca
バルシャは、現代の単語の意味としては小型帆船やボートを指す。
バルシャ、あるいはバルカという単語は、キャラベルやキャラックの登場以前、古くはレコンキスタの頃から、30トン程度の1本のマストの小型船として海洋史に登場している。
大航海時代のポルトガルでは、バルシャは地中海での近距離交易のほかに初期の探検にも用いられていた。
エンリケ航海王子による西アフリカ航路探索の口火を切った1434年の「ボジャドール岬越え」を果たしたのもこのタイプの船。
バルシャ
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カラヴェル Caravel
キャラベルとも書く。
カラヴェルは、15世紀頃のポルトガルで沿岸輸送船や漁船をベースに開発された船。
エンリケ航海王子が発明したという説もあが、カラヴェルの開発と成立の経緯についての資料はほとんど残されていない。
これはポルトガルがカラヴェルの造船技法を国家機密として厳重に秘匿したためでもある。
カラヴェルの最大の特徴は、船体からそびえる3本のマストで、カラックなどが3本マストのうちの中央にメインマストを配置しているのに対し、カラヴェルは最前列に最も大きなメインマストを配置している。
そしてその後ろに中型の第2マスト、船尾近くに小型の第3マストを立てている。
そして、これらのマスト全てに大三角帆(ラティーンセイル)を張っていた。
このため、キャラベル・ラティーナとも呼ばれる。
後に、4本目の四角い横帆用のマストを船首に追加したものが作られるようになる。
ポルトガルが喜望峰ルートを開拓し、カラヴェルが外洋を航海するようになるにつれ、カラヴェルのメインセイルを横帆に換装したものが登場するようになる。
こうした長距離貿易船をレドンダカラヴェル(または、キャラベル・レドンダ)と呼ぶ。
カラヴェルのもうひとつの特徴として、「平張り」の船体構造が挙げられる。
カラヴェルの外板は、肋材に平坦に並べて取り付けられていたが、これは、ローマ商船の造船法を受け継いだもの。
カラヴェルは、初めての本格的な外洋航海船で、アメリゴ・ヴェスプッチや、バスコ・ダ・ガマの探検船もカラヴェルが使われている。
カラヴェルはキャラックと共に大航海時代を切り開いた船である。
船体の長さは約20m、20人程度で運用できる船。
南方系のカラヴェル船
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4本マストのカラヴェル
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キャラベル・レドンダ
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1300年ごろ
十字軍の帆船
1268年にルイ9世は十字軍派遣のため、船をベニスのジェノバで購入した。
ベニスの帆船
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1400年ごろ
「カラック船」の登場 Carrack
⇒ カラック
北方系のコグ船と、南方系のカラヴェル船が合体して、カラックが船が生まれていった。
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サンタマリア号
1492年、クリストファ・コロンブスは、地球は丸いという考えのもと、「サンタマリア号」でヨーロッパから西へ航海して極東に到達しようとしていました。しかし、1ヵ月以上の航海の末に発見した陸地は東洋ではなく、ヨーロッパの人々の知らない新世界。そしてそれは、後に「アメリカ」と呼ばれるようになりました。
サンタマリア号
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ニーニャ号
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1500年ごろ
フェニキアの「交易船」
アメリカ大陸発見も、初の世界一周航海も、実は「スパイス」がもたらしたものだった。
現在は、一般的で値段もそう高くないスパイスも、中世では、その獲得をめぐり戦いが繰り広げられていました。当時のヨーロッパの人々にとって、コショウや丁子(クローブ)といったスパイスは「金」以上の価値があったのです。なぜなら、西洋料理にはコショウは必需品であり、また肉の保存にも欠かせないもの。コロンブスのアメリカ大陸発見(1492年)も、結果的に初の世界一周航海となったマゼラン率いる船隊の航海(1519年〜1522年)も、実はスペイン王の命によりスパイス貿易の新ルートを求めて航海に出たものでした。
ジーベック
16世紀頃に出現し、19世紀まで使われた地中海の船。
ガレー船から発展した帆船で、帆と櫓の両方を推進力を得る手段としており、ベルベル人の海賊船の様式と似ていた。初期のジーベックは2本のマストを持っていた。
非常に多くの乗員を乗せて、私掠船(海賊船)として使われた。
24砲門の船に 3-400人の乗員を乗せていたとも言われている。
マストは三本マストくらいまでで、帆装は「風によって四角帆とラティーンスルを使い分けた。
絵を見る限り、船首楼・船尾楼は低く、船型は軽快そうで、恐らくはそれなりに優れた帆走性能を持っていたと思われる。
18世紀以降のジーベックは3本のマストを持ち、船首部分から最前列の横帆にステイセイルが張られている。
横帆を持つという特徴は、ラテンセイルのみを持つフェラッカとジーベックを区別した。ヨーロッパの海軍で使用された後期のジーベックは全てが横帆であり、ジーベックフリゲート(Zebec Frigate)と呼ばれた。
ジーベック
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ベニスの武装帆船
1500年代のイタリアの商船は、トルコの海賊船に備え、軍艦並みの武装をしていた。
ベニスの武装帆船
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ガレアス船 galleas
ガレアス船は、13門の大砲を装備した全長約60メートルの軍艦です。
船幅は8メートルもあり、ガレー船に比べるとかなりずんぐりとしていました。
50挺あるオールのそれぞれに4人から7人の漕ぎ手がつきますが、重装備のため漕ぎ船としては、非常に動きが鈍重だったようです。
帆は前マストに四角帆、後ろ2本には三角帆を張りました。
船首には、敵艦にぶつけるための衝角(ラム)が取り付けられていますが、17世紀に砲撃戦が主流になるとこれは消えてしまいます。
16世紀後半に現れたガレアス船の存続期間は短く、約150年後の18世紀には姿を消しました。
ガレアス船
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1600年ごろ
ガレオン船 Galleon
⇒ ガレオン船
ポラッカ Polacca
フォアマストとミズンマストにラティーンセイルを張り、メインマストに横帆を張った船。全ての帆を横帆にした船もあった。
17、18世紀の地中海で多用された。
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ボム・ケッチ Bomb Ketch
ボム・ベッセルとも呼ぶ。
口径25〜32センチの大型臼砲を1、2門搭載した。
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臼砲配置
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戦列艦 Ship of the line
⇒ 戦列艦
フリゲート frigate
戦列艦の時代に登場した、上下2列の砲甲板に28門〜60門の砲を搭載した小型〜中型の快速船。
海戦でも戦列には組み込まれず、主力艦の護衛にあたったり、沿岸警備にあたったりと今日で言う巡洋艦の役割に相当する艦種。
帆装フリゲート
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⇒ フリゲート
コルベット corvette
コルベットは、平甲板に1列の砲甲板を持つ、フリゲートよりさらに小型の軍用艦。
カッター Cutter
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海のシルクロード
かつてヨーロッパでローマ帝国が栄えたころ(紀元前数世紀)、中国・西安からアジア大陸を経て、絹をはじめ陶器・漆器・銅銭などがローマ、ビザンチン、ペルシャなどの地中海地域の大帝国に運ばれました。この内陸アジアを横断貫通して東の中国と西の地中海地域を結んだ古代の大交易路は、交易品の代表格が“絹”であったことから、のちの19世紀、ドイツの地理学者リヒトホーフェンによって「絹の路−シルクロード」(紀元前2世紀〜8世紀)と名付けられました。
この陸上ルートに対して、海上ルートも存在しました。8世紀以降は、混乱の時代を背景に文字通り砂に埋もれていった内陸ルートに代わり、「海のシルクロード」は繁栄の時代を迎えます。主な交易品は、中国から絹・麝香(じゃこう)・陶器、インドから白檀(びゃくだん)・木綿・伽羅(きゃら)・丁子(クローブ)・宝石・薬品(犀角)、そして南海の島からはタイマイ(海亀の一種)・黒壇・コショウなどでした。
トルコの沿岸船
17世紀〜19世紀半ばまでエーゲ海から黒海周辺の交易に活躍した。
トルコの沿岸船
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東インド貿易船
17世紀〜19世紀、オランダ。200年以上にわたってヨーロッパとアジア間の交易を独占した東インド会社の船。18世紀には1000トン積みの大型船であった。
デリーフデ号
ウイリアム・アダムス(三浦按針)の船。
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フリュート
輸送用に設計された帆船。fluyt, flute
16世紀のオランダで、積載スペースとクルーの活動効率を最大限にし、海外での輸送を容易にするよう設計された。
国際貿易の競争力強化のために長く使用され、17〜18世紀にはオランダ東インド会社でも使用された。
フリュートはオランダ本国に限らず、広く人気を得ていた。
標準的な大きさは、重さ200〜300t、長さ80フィート。洋ナシ形の船底を持ち、喫水線の上の狭いデッキには大きな貨物室を持っている。
これはデンマークによってエーレスンド海峡で徴収される、メインデッキの面積に比例して高くなる税金に対抗する策であった。
2本または3本のマストを持ち、横帆が張られていた。
外観は初期のガレオン船によく似ていたが、より速度が出るようにマストはガレオン船のものより非常に高くつくらた。
フリュートは12〜15門の砲門を持っていたが、それでもまだ不十分であり、海賊の格好の標的であった。
末期の標準的なフリュートは、積載スペースを最大にするために軍備を最小限にするか、あるいは完全に除いてしまって貨物を運ぶための滑車を設置していた。
バルト海では、武装したフリュートが護衛船として用いられることもあった。
メイフラワー号
メイフラワー号
1620年に、イギリスからアメリカへ渡った。
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海運急送船
海運急送船
アメリカ独立戦争中に活躍した小型の帆船。ブリッグ、ブリガティンなどと呼ばれる。
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ダウ
イスラム圏の伝統的な木造帆船。
1本か2本のマストに一枚ずつの大きな三角帆(ラテンセイル)を持ち、釘を一切使わず紐やタールで組み立てることが特徴。
比較的小型の船で、船員も10人〜30人ほどだが、ペルシア湾から中国に向かうダウ船には、全長30m以上、400〜500人乗りという大形のものもあったという。
主にアラビア半島、インド、東アフリカ等の沿岸で使用され、現在も動力化されながらも使用されている。
最初にダウ船が登場したのは紀元前後とも言われ、アラビア半島やインド沿岸部で作られたと思われる。
8世紀頃(アッバース朝成立後)インド洋沿岸の大都市が大消費地として興ってくるとともに、イスラム商人のダウ船が交易船として活躍した。
ダウ船とは、欧米人が用いた言葉であり、ムスリムは船の型によってさらに何種類か区別している。
ガンジャ (Ghanjah):装飾の彫られた窓を備える。
バグラ (Baghlah):遠洋航海用のダウ船で、反りのある船首と、住居用の船尾楼を備える。
バッティル (Battil):大きな先太の、棍棒状の特徴的な船首を備える。
バダム(Badan):小型船。
サムバック (sambuks):低く反った船首と高くなった船尾を備える。快速客船として使われた。
ジャルブート (jalboots):主に真珠漁に使用された。
シェウェ (shewes)
ザイマ (zamias)
マルカブ (markabs)
コティア (kotias)
ダウ
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紅海のサンパック船
13世紀頃より現代まであまり変化がなく、現在でも活躍している。
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この時代の世界の船
北海
ハンザコグ、ラティーナ、レトンダ、カラック(キャラック)、ガレオン、フリュート、ピンネース、スループ、ケッチ、ブリガンティン、ブリッグ、コルベット、フリゲート、戦列艦、スクーナー、バーケンティン、バーク、シップ、ガレー
地中海
ラティーナ、レトンダ、ナオ、カラック(キャラック)、ガレオン、ケッチ、ブリガンティン、ブリッグ、ガレー、ガレアス
アフリカ
ラティーナ、レトンダ、ナオ、カラック(キャラック)
インド洋
ラティーナ、ガレー、ガレアス、ダウ、サムブーク、ジーベック
東南アジア
ナオ、フリュート、ダウ、ジャンク
東アジア
ジャンク、関船、安宅船、末次船
新大陸
ナオ、カラック(キャラック)、ガレオン、ケッチ、ブリガンティン、ブリッグ
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新規作成日:2002年2月6日/最終更新日:2007年7月9日